2020年12月26日土曜日

大連の路面電車


満州の時代に入ります。

写真のクラシックな路面電車は、満州時代から走っている現役です。

乗ってきたのも、やってくるのも当時の列車です。

木造の部分が多く、油の染み込んだあの臭いがたまりません。

「別子銅山」で遊んでいた小学校の時分を思い出しました。

乗り鉄としては全線制覇したかったのですが、時間が限られていたので半分位しか達成出来ませんでした。

ご一緒した◯◯さん、興味がないのに半日もつきあってくれて本当にありがとうございました。

「満州帝国」は「大日本帝国」の傀儡であり、侵略国家であることは否めませんが、ここは親日家の多い地域でもあります。

ここを散策すると、国同士の問題はさておき、多くの近代インフラを残した事実までは、否定されてない気がします。

その証左を路面電車に乗っていて感じることが出来て、歴史好き、乗り鉄として何だか嬉しくなりました。

興奮してウロウロしている自分の様子を見て、周囲の方々もニヤニヤ眺めていました。

勝手ながら好意を感じます。

今回の旅は史跡巡りが多いため、ガイドの方から必然的に「反日(ここでは抗日)」の説明を受けるのですが、どの方からも敵意を感じることはありませんでした。

都市の再開発が進む中国ですが、友好のためにも半永久的に残して欲しい路線です。


公園の広場にも、動かなくなった車両がトーマスらしき顔を貼られて残されてました。


2020年12月19日土曜日

東鶏冠山


前回の「旅順要塞」の続きになりますが、要塞の中でも最強の盾がこの「東鶏冠山(ひがしけいかんざん)」になります。

周囲にある「松樹山」と「二龍山」の三つで「永久要塞」と呼ばれるエリアでした。

先端が「旅順」である「遼東半島」は、南を向いた半島のため日本軍は北側に上陸し、「金州」を攻略してから南進しました。

先ずは正面となるここを攻撃したのですが、全く歯が立ちませんでした。

「三国干渉」で放棄させられたこの地を、なんと干渉した側のロシアが譲り受け、日清戦争時と比較にならない強固な要塞に大改造していたからです。

そのため町と港を囲む山間部(=要塞)の中で、一番脆いと思われた南西寄りの「二◯三高地」が攻略ポイントに再設定されました。

そこを大激戦の末やっと陥落させましたが、周囲を尾根づたいに制圧するのに、更に一ヶ月を要しました。

写真は、要塞内部の弾薬庫と居住空間で、一番奥まった部分です。

真ん中の溝に木の板を通して、二階構造にしていたそうです。

最終的に要塞の本丸といえるココが爆破されて、やっとロシア軍は降伏しました。

両軍の多大な戦死者は「坂の上の雲」でも凄惨に語られています。

ロシア側も軍艦の砲台を陸に上げ、水兵も陸軍に加わって応戦し、文字通りの総力戦でした。

しかし今回訪問した一番の学びは、中国人ガイドの方の話でした。

「中国人はこの史跡を見て、

『自分達は弱かったから、自分達の領土で、好き勝手に他国に戦争をされた。

自分達の先祖の多くが巻き込まれて殺された。

だから繰り返されないようしっかり勉強して強くならなければならない。』

と習います。

戒めのために、侵略された史跡は大切に残されているのです。

旅順要塞の建造でも、多くの中国人が使役されましたが、完成後に口封じのため、ロシア人に殺されました。」

身につまされて、何も言えませんでした。


最後の写真は、「旅順駅」で、古写真で見る姿のままです。

白黒だったので、屋根がグリーンであることを初めて知りました。

ロシアを感じます。


2020年12月12日土曜日

二〇三高地



写真は、「旅順」の日露戦争の激戦地「二◯三高地」にある「爾霊山(にれいさん)」のモニュメントです。

後からゴロを合わせて「乃木希典将軍」が名付けました。

ここでの指揮官としての評価は最低ですが、歌詠みの定評は高い方でした。

旅順港が軍事上の機密であったため、観光地として訪れることが出来るようになったのは、実は最近のことです。

日本陸軍が北進してロシア陸軍の主力と、海軍はヨーロッパからやってくるバルチック艦隊と、双方対峙していくうえで、背後から挟み撃ちされる可能性のある「旅順」のロシア陸海軍を攻略しておく必要性がありました。

しかし、その陸海軍が籠る町と港は、山間部にぐるっと囲まれており、その頭頂部をトーチカ等で要塞化していました。

これが「旅順要塞」と呼ばれる所以です。

乃木将軍が率いる「第三軍」は、多大な死傷者を出すことになりました。

そのため一番防備の弱い部分として攻略地に選定されたのがココです。

ガイドさんの同行で旅順の街中から向かいましたが、入口の中から近くまではカートみたいな電気自動車でした。

大きな木々はなく、みかん畑のようななだらかな光景を眺めつつ上っていきました。

尾根沿いに来ると、更に料金が高めのベンツに乗り換えて頂上まで向かいます。

尾根の反対側は日本軍が攻めた側になり、こちらは生い茂った森でした。

途中に、乃木将軍の次男である「乃木保典」が戦死した碑がありました。

この戦争で二人息子ともに亡くしています。

ガイドさんの説明だと、「ここから港まで5.1キロメートルですが、28インチ榴弾砲の射程が5.5キロだったので、ここに砲台を据え付けてロシア艦隊を砲撃することが出来た。」そうです。

大河ドラマ「坂の上の雲」で、参謀総長「児玉源太郎」役の「高橋英樹」が、攻略した兵士に「港は見えるか?」と絶叫して確認していたのを思い出しました。

写真がそこからの景色ですが、確かに旅順港が見えます。

戦争があったことが嘘のように穏やかに感じました。


2020年12月5日土曜日

中国の新幹線


今回の旅は、中国の東北地方南部にあたる「大連」から「瀋陽(旧名は奉天)」を範囲としました。

今までの中国旅行と違うのは「新幹線」があることです。

完成した直後に大事故を起こしたにも関わらず、埋めて隠蔽しようとして、世界からあきれられました。

しかしそんなことは関係なく、全土への新幹線網の敷設を押し進めていきます。

様々な事故が続いても、この国では人民への説明責任は大して必要ありません。

多くの工事を手掛けていく中で、どんどんスキルを上げていきました。

これに限らず「失敗は次に生かせばいい。」的な共産党の発想は、技術革新のスピードアップと広大な国土への波及に、相当大きな効果を生んでいるようです。

写真は郊外に建造された「大連北駅」の構内です。

同型の新幹線(カラーリングがドイツのICEに少し似てます。)に乗って、「瀋陽駅」に向かったのですが約2時間で到着しました。

平野部の直線ルートのため、カーブが多い日本の新幹線より、都市間の移動時間は相当短縮されています。

車内の雰囲気は臭いも含めて、日本と大して変わりません。

この臭いの変化に民度の底上げを強く感じます。

土地は基本的に国の所有ですから、日本なら相当負荷のかかる近隣住民への地上げ交渉もあっという間です。

これからもどんどん高速鉄道網が普及していくのは間違いなく、今はコロナ禍で無理ですが、未来の中国旅行は相当便利になるような気がします。

ただハードの発展は凄まじいですが、残念なことに駅弁がありません。

国力と駅にまつわる文化のバランスが、今後どうなるか興味はつきません。