「種田山頭火」の住処であった「其中庵」です。
「新山口駅」の近くにあります。
自由律俳句の詩人で旅人でもあることから、「自由人」として、世間では認知されていると思います。
が、先にこの方の生涯を知ってしまった自分としては、暗いイメージしかありません。
近くの「防府市」の大地主の長男として生まれましたが、十歳のときに母親が、父親の芸者遊びを苦にして、自宅の井戸に投身自殺をしてしまいます。
これが決定的な出来事でした。
大学に進むも神経衰弱で中退し、事業をするも失敗。
結婚するも、父親の失踪、破産、弟の自殺、離婚、震災、と絵に描いたような転落人生です。
この庵も自殺未遂で離れます。
ここから先は長い旅というよりも、放浪中に詩を詠んでいたように感じます。
帰る場所が定まらない放浪とはどれだけ苦しいものなのか、映画「砂の器」で親子が海岸線を歩く様が、イメージとして浮かぶだけです。
最後は、愛媛県松山市にある「一草庵」にて亡くなります。
俳句の盛んなこの地だったからこそ、評価され後世に名を残してますが、道中で野垂れ死んでいたら、果たしてどうだったでしょうか。
一番大好きな句を一つ、「うどんをそなえて 母よ私もいただきまする」
家族を想う気持ちの大切さを痛感します。
0 件のコメント:
コメントを投稿