2021年10月30日土曜日

造山古墳(つくりやまこふん)


岡山県にあるこの古墳は、「伝仁徳天皇陵」を筆頭に機内に集中する巨大古墳郡に比肩する規模です。

全国第四位の大きさになります。

また近くにある同じ読み方の「作山古墳」も第九位に位置し、古代に「吉備国」と呼ばれたこの界隈の国力を象徴した存在かと思います。

「大和政権」の対抗勢力として警戒されたことは、周辺にある国宝級の神社に祀られている祭神名を伺っても思います。

別の機会に再び取り上げると思いますが、「大和政権」が押さえ込もうとした強烈な圧を感じるのです。

写真は駐車場から古墳を眺めた景色です。

近いです。

機内の大きな古墳は、「天皇陵」としての指定を受けて立入禁止だったり、堀で囲まれたりしているため、墳丘に登ったり出来ないのですが、ここは自由に散策出来ます。

ちょっとしたトレッキング気分で楽しめますし、その展望が素晴らしいです。

大きな建物もなく、田畑が広がる風景に、夕暮れが赤茶けた色彩を落としていく様は、古代から変わらぬ景観を想像させました。

加えて、麓に見えるデルタの赤色は、黒の混じった深い赤であることから、石棺内部に使われる「朱」と重ねてしまいました。

勝手にロマン(=妄想)が広がりました。


2021年10月23日土曜日

サン・ラザール駅(パリ)


「睡蓮」で有名な印象派の画家「クロード・モネ」。

彼は列車の絵を、意外にもリアルなタッチで描いています。

題名は「サン=ラザール駅」。

パリに6つある主要ターミナル駅の一つで、最も古い駅です。

印象派の彼らがよく題材とした地域「モンマルトル」が近く、住居もこの辺りに多くあったそうです。

今回の旅は、パリ市内を出来る限り散歩するのが目的でしたので、この駅周辺のホテルを拠点としました。

小ぎれいながらも、食事は簡易な朝食しかない安宿で、いつも早朝からウロウロしました。

写真はホテルから歩いてすぐの高架橋「ウロップ橋」から撮影した駅北側からの一枚です。

ここは日本の新幹線に当たる「TGV」が発着しません。

そのせいか昔ながらの雰囲気が残っていて、びっしりと敷かれた、数多くのレールを眺めることが出来ます。

その上をドイツの鉄道模型「メルクリン」のカタログに登場する車両が、奥のフォームから出たり入ったりするのです。

今後の鉄道ジオラマの参考にしようと目が釘づけになり、ついつい長居してしまいます。

世界的に有名な観光地が多い地域を散策しているわけですが、結局こういった場所に行きたくなります。

あいかわらずの自分に正直あきれました。

2021年10月16日土曜日

芬陀院(雪舟寺)



京都の東南に位置する「東福寺」の塔頭の一つである「芬陀院(ふんだいん)」。

別名「雪舟寺」とも呼ばれています。

ここの枯山水庭園を「雪舟」が作庭したとの伝承があるためですが、史実としては立証されてないそうです。

火災で荒廃していたのを、昭和の作庭家で有名な「重森三玲」が手がけたそうです。

お伺いして眺めて見ると、こんもりした苔の丘に柱石が突き出ているような感じは、他で拝見した雪舟庭園と似ています。

派手さはないのですが、石と苔と白砂が無理なくかみ合っている様は、奇をてらうこともなく、非常に落ち着きます。

何人かの先客もいたのですが、みなさん同様に表現が悪くてすみませんが、ボーっとしておられます。

私も紛れるようにしてしばらく座っていました。

「画聖」と呼ばれる、この方の絵については、個人として最多の国宝数を誇ります。

乱暴とも思える太めの線を大胆に活用している印象があり、庭とのイメージが重なりません。

三次元の庭と二次元の絵とでは、そもそも異なる集中力が働いているのでしょうか?

凡人では図りかねる世界があるのだろうと、自分勝手に想像してしまいます。

庭は嵐の前の静けさなのかなと、漠然と思いました。

単なる遊び心で、手がけている印象を受けています。

2021年10月9日土曜日

ろうそく岩


前回と訪れた順番は逆ですが、「弁慶岬」から北に位置する「積丹半島」にあります。

「札幌」から「小樽」へ向かい、その先を海に沿って南下していきました。

この辺りは国定公園に指定されているだけあって、断崖・奇岩が多い地域です。

非常に素晴らしい景観で、途中で食べた海鮮丼も含めて、北海道の日本海を強く感じることが出来ました。

この「ろうそく岩」ですが、写真のようにゆらゆらしている波が余計にローソク感を出しています。

岩の高さも、この細さで45メートルもあるそうです。

以前はもう少し太かったらしいのですが、地震による津波で割れてこの状態になったらしいのです。

てっぺんに神社も存在するそうで、以前は登れたらしいです。。

現状では、先ず参拝不可能に思えます。

ここにも「義経北行伝説」があり、別の伝説もあるそうですが、共通しているのは「兜・鎧・財宝」をこの辺りに埋めたというものです。

義経一行がここで日本の様式を改めて、寒冷地仕様の装束になったということなのでしょうか。

ここから先の伝説はなくなっているので、中国大陸へ向けて渡海したようにも想像が膨らみます。

目印といい、まさしく財宝が埋まってそうな漁村でした。

本当に、興味が尽きないテーマです。

2021年10月2日土曜日

弁慶岬


史実とは言えませんが、非常にロマンを感じるテーマとして「源義経北行伝説」があります。

兄「源頼朝」から逃れて、「義経」を匿ってくれていた「奥州藤原氏」でしたが、4代目となった「藤原泰衡」が裏切ります。

居館であった「高舘」を襲撃されて、そこで自刃したのが通説となってますが、そうではなく、密かに生き延びて、北へ向かったとする説があるのです。。

私自身の興味が日本を中心にして、「南」ではなく「北」に強くあるのは、間違いなくこの伝説が、潜在的に影響しています。

北行に向かった諸説には、最終的に中国に渡って「チンギスハン」になったという話もあるくらいです。

そんなこともあり、北海道にも多くの伝説が残っていて、その一つに「弁慶岬」があります。

北海道「度会半島」の日本海側に位置する「寿都(すっつ)町」にあり、写真の通りデーンと大きな像が建立されています。

最近、原発に関わる誘致に名乗りをあげて、話題になりましたが、北海道でも特に辺鄙な地域だと感じます。

で、更に突き出た岬でした。

視界の良い日だったので、眼前に広がる海の水平線は、見事に地球の形が分かる弧を描いてました。

伝説は、「武蔵坊弁慶」も生き残って北海道に渡り、この地で「義経軍」を待っていた、というよくわからない内容です。

しかし、周辺の伝説をつなげていくともっと面白いストーリーが組み立てられそうです。

ますます好奇心の沸いた訪問となりました。