2021年11月27日土曜日

五島氏庭園(ごとうしていえん)


入園するとき、受付の方にお詫びを言われて不可解だったのですが、見て納得しました。

池が有名な庭園なのに水が入っていません。

何十年かに一度の底さらいが実施されていました。

ここは「長崎県五島列島」の「福江島」にある国指定名勝「五島氏庭園」です。

続100名城「石田城(福江城)」の一部となっています。

近くにある「鬼岳」の溶岩石と、亜熱帯植物という、風土感が満載の素材が活用されてます。

それを、僧のくせに遊興が過ぎて、京都を追放されてやってきた「金正」が手がけました。

地泉式庭園の風貌が明確なのに、どこかフランクというか、遊び心があり過ぎます。

中央の干上がった池は「心字が池」と命名され、「心」の字体を表現してます。

しかし入り口の屏風には、「金正」が「ここでもっと遊べて良かった。」みたいな直筆を残していて、清廉な性根を表現しているとは、到底思えません。

いい意味でふざけた面白味のある庭でした。

この庭を眺める書院造りの建物が歴代殿様の隠居所になっており、屛風の模様もかなり変わっていました。

そこに、ピンク色の忍者衣装を纏った熟年くのいちが登場。

館内を念入りに案内してくれました。

この「石田城」訪問で、「100名城・続100名城」をコンプリート出来たことを告げると、集めていない「御城印」を、わざわざ押してプレゼントしてくれました。

もう一枚の写真は、数ヶ月後に再訪したときの、池に水が入った本来の庭園の姿です。

やはり情緒が増し、より落ち着いた趣を醸し出していました。

水がなくて再訪した旨を告げると、入場料を半額にしてくれました。

2回とも慌ただしかったのですが、楽しいもてなしを頂けた庭でした。




 

2021年11月20日土曜日

一華院のガックリ庭


「東福寺」界隈には名庭を有する塔頭が多いのですが、京都中心地から少し離れています。

しかも渋滞する地域でもあるので、あの界隈を通るときは、わざわざ行かなくてもいいように、何かは拝観するように心がけています。

今回は、ある塔頭の庭が目当てだったのですが、残念ながら長期閉館してました。

そうしたら近くの「一華院」が秋期限定、しかも抹茶サービス(別料金)有りで開いていました。

予備知識は全くなかったのですが、かえって好奇心がそそられましたので立ち寄ることにしました。

複数の庭園がありました。

先ず、室町時代からある南庭「依稀松の庭(いきまつのにわ)」を堪能しながら、抹茶で一服です。

右横にすーっと延びた、長い一本枝のある大松が、横へ中心線を描いており、その枝の陰が地面の苔や石に不規則な陰影を与えています。

(最後の写真です。)

浮遊感の漂う不思議な空間でした。

しかし、今回取り上げたいのは、最初の写真である北庭「彷彿石庭(ほうふつせきてい)」です。

調和を感じられないバランスにびっくりしました。

石・苔が浮島毎にすべてバラバラの色彩です。

一番手前の島はピンク色の大理石のような地面に三つの石が刺さってました。

有名作庭家のお孫さんの作らしいのですが、観れば観るほど違和感が強くなりました。

プロが思い切った挑戦をしているのでしょうから、素人には理解出来ない次元が存在するのでしょうが、良い反面教師でした。

「こうやったら失敗する。」と、シミュレーションとして長時間眺め、自信がやりたいことのイメージを反芻しました。




2021年11月13日土曜日

黒崎砲台跡



「福岡県」の沖合にありますが、「壱岐」は「長崎県」に属する島です。

訪れた際、古くは国で呼ばれていた地域の歴史的魅力に、大きな感銘を受けました。

何回かに分けてご紹介したいのですが、先ずは大正昭和の近代遺産である「黒崎砲台跡」を取り上げます。

珍しく写真を2枚続けます。

この大きな穴は、2枚目のイラストで説明されている、戦艦の主砲をシリンダーを差し込むように埋め込んでいた跡です。

深さは10メートル以上ありそうで、いかに主砲が大きかったのか、目の当たりにすると驚嘆するサイズです。

当時の軍縮条約に同意した日本は、縮小のため戦艦「土佐」を放棄することになったのですが、その主砲を秘密裏に、この島の西側に据えたのです。

口径41センチの2門カノン砲は東洋一だったそうです。

後の戦艦「武蔵」もほぼ同じ口径だったはずです。

試射1回のみで、実戦に使用されることはありませんでしたが、九州を防衛するにおいて大きな威嚇効果はあったと推察します。

下側には横穴から、途中まで入ることも可能です。

心霊スポットのようですが、非常に天気が良い日だったこともあり、ウロウロしても何も感じなかったのは幸いでした。

途中から柵があって、穴の真下に行くことは出来ませんでしたが、上からの光がいい感じで地面を照らしていました。

この穴をふさぐような構築物が再び作られてはならないと思いますが、最近の隣国の動きはとても気になるところです。


 

2021年11月6日土曜日

エッフェル塔


パリはあまり高い建物がないせいか、この塔の高さは今でも際だっています。

わが家と同色の「プジョー3008」が通りかかり、あわててシャッターを切りました。

日本よりもやはり似合う気がします。

1889年のパリ万博の目玉として建造され、当時ぶっちぎりで世界一の高さを誇る建造物になりました。

これが出来ることでの景観の変化に、パリ市民の動揺は相当なものだったでしょう。

賛否両論が強く渦巻いたことは間違いなく、特に芸術家の多くは反対派だったそうです。

文学者のモーパッサンは、カフェにてわざわざ見えない席を選んで座ったとのことでした。

実際にパリを散策していると、通りの店を眺めなら歩いているため、どの程度歩いたか曖昧になることがあったとき、自然とこれを探して地図と併せて確認していました。

幸い旅行中は天気もずっと晴れていて、いつもよく見えました。

フランス映画の背景描写に登場することも多く、和やかに平和を感じる塔です。

しかし20世紀初頭の取り壊しの危機を、軍用の無線電波を送受信する役割を与えられたことで乗り切っています。

第一次世界大戦でもドイツ軍へ妨害電波を出したりする役目があったそうです。

フランスは、ナポレオン以後の近代史において、戦争で敗北が多い国です。

そのため、闇歴史はかなり多いと、散策していて感じ入った次第です。