正門から見ると典型的な日連宗のお寺ですが、実は「織田信長」の京都におけるメインの宿泊所です。
京都滞在時、ココに18回、本能寺に3回宿泊したらしいです。
(このブログはずいぶん前に書いていたのですが、大河ドラマ「麒麟がくる」でも、織田信長の拠点としてよく登場します。)
「本能寺の変」が起こったとき、嫡男「信忠」が宿泊していたのですが、信長の救援に向かったため、「明智光秀」の返り討ちにあってしまいました。
もし無事に逃げおおせてたら、織田家に成年男子の後継者が健在することになります。
そのため跡目争いの余地はなく、その混乱にうまくつけ込んだ「豊臣秀吉」の、その後の天下統一はなかったかと思われます。
光秀は、親子で屠ろうと考えたばずでしょうから、逃げきれなかっただけかもしれませんが、天下統一プロセスのキーポイントとなりました。
また別の視点では、宗教弾圧のイメージが強いため「魔王:信長」と称されることもありますが、この宿泊の事例からも、宗教勢力への「武装解除」が目的と思われます。
「法敵:信長」を主張している日連宗ですが、その寺への常宿は、関係改善がなければ果たせないことです。
実際のところ、解除後は、それなりの温情的な対応を図っています。
今の所在地は秀吉の命で移転した後だそうです。
秋期しか開いていないのを知らずに立ち寄ったので、たまたま入れてラッキーでした。
紅葉ばかりが無造作なほどに茂って、道だけが浮かび上がっている苔庭は、非常に雄大でした。
逆に写真のように、閉ざされた中庭には小さな「達磨」が鎮座されてました。
苔の丘に、歩道が意匠を凝らした石組みで表現されており、思わず宇宙を感じてしまいました。
小さな空間に吸い込まれそうで、非常に参考になりました。
下の写真も同じ場所を奥の部屋から捉えた一枚です。
縁のある丸窓が、視界を限定していて、惑星が浮いているように見えました。
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