富山県(旧国名:越中)南砺市井波にある「瑞泉寺」。
金沢県(旧国名:加賀)寄りの奥まった地域に位置し、戦国時代は越中一向一揆の大拠点でした。
加賀の国が15世紀末に「国一揆」で、一向宗徒の支配する国になっており、近隣であるこの地域も連携していました。
そのため、お寺はバリバリの戦闘施設としての側面を濃厚に感じます。
その正門は、城門と変わらない分厚さがありますし、周囲に張り巡らされた石垣も強固です。
緩やかな斜面の最上部にこのお寺が位置するため、平野部から攻め登る敵方を見渡すのにはうってつけです。
一向宗門徒の生き残りにかけた執念というか、緊張感が伝わります。
以前に取り上げました愛媛県「観念寺」界隈の石垣は、伊予松山城を手がけた専門集団の影響も受けてあるのか綺麗に積まれています。
しかし戦いの血生臭い匂いは全くありません。
スキルが働いて、田畑にしては必要以上にりっぱに作ってしまった印象で、ここと対照的に思いました。
話は戻します。
勢力を長期に渡り維持しましたが、戦国末期にはとうとう信長軍の「佐々成政」による越中侵攻で焼かれてしまいました。
それ以後も堂于は消失を繰り返しますが、この地域は木彫が盛んな地域ということもあり、現在の仏閣の装飾は異様なくらい見事です。
広告塔の意味合いがあるのかもしれませんが、スキルが働き過ぎて、バランス的にはやり過ぎかもしれません。
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