噂には聞いてましたが、ヨットハーバーとして有名な場所で、ヨットの数にビックリしました。
渋滞しているように見えます。
ちゃんと海に出ていけるのか心配になりました。
余計なお世話でしょうが、ここに来たのは湾の北部が「三浦氏」の本拠地「新井城」だったからです。
地名の「油壺」の油、実は〝血〟です。
「三浦氏」が滅亡するとき、この戦で討ち死にした方々の、水面に浮かび上がった血が〝油〟のようだったから、この名称になったそうです。
怖い話です。
湾から城に向かっているので、その惨状があった近辺を通過するはずですが、私の心霊センサーは反応しませんでした。
「三浦氏」については、「鎌倉殿の13人」で有名になりましたが、2世代後の「宝治合戦」にて、結局は「北条氏」に滅ぼされます。
とは言っても大きな一族です。
その後も命脈を保って、混戦の多い室町時代を生き残ります。
しかし戦国時代初期に伊豆から関東を狙って進出してきた「北条早雲」と対峙することになりました。
このときの当主は、「扇谷上杉」からやって来て内紛に応じて乗っ取りに成功した「三浦道寸」。
(諸説あります。)
3年間も、ここに立て篭もって戦いますが、とうとう滅亡します。
城跡は散策路を進むも、この山の手側がそうだと地形から判断出来ますが、ポイントになるようなモノは発見出来ませんでした。
それでも収穫がありました。
「北原白秋」の句碑です。
外海は荒いて月の油壺
ドロドロとした雰囲気に覆われていた感覚が、一気に雄大な心持ちになりました。
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