2025年5月17日土曜日

リニア実験線跡


鹿児島県で「青春18切符」を使おうとすると、鎖国しているようです。

北上するルートとして、熊本県と結ぶ大動脈の「鹿児島本線」は、新幹線の開通により「川内駅」から先が第三セクターとなるため、使用できません。

以前取り上げた山間部を進む「肥薩線」は、人吉の水害により鉄橋が流されたことで、「吉松駅」からは今も通行止めのままです。

残るは、宮崎県へ向かう「日豊本線」のみ。

線名からは福岡・大分・宮崎しか連想できませんが、しっかり鹿児島までつながってます。

そのため、鉄路の旅はこちら側に集中しました。

そのときに遭遇した変わり種が、写真の「(超電導)リニア実験線」です。

今は具体的な運行に向けて山梨県に移りましたが、それまではこの地で開発が進められました。

調べてみると、着工は国鉄時代の1974年(昭和49年)、実験開始は1977年とかなり前であることにビックリしました。

しかしよくよく思い出すと、自分が幼少のときに「鉄腕アトム」とかで「リニア」なる言葉を使っていた覚えがあります。

何故ここが選ばれたのか、その理由はひたすらフラットであるからです。

全長が、「都農駅・東都農駅」間の「日豊本線」に平行して、全線7キロの線路ですが、終点間際だけが半径1万メートルの曲線(?)、勾配も知らない単位で説明されていました。

とにかく真っすぐ、まっ平であるそうです。

ここでの最高記録は、1979年に無人運転で時速517キロを記録したとのこと。

写真の通り、車窓からはずっと、並行するリニア線を眺めることが出来ました。

新幹線の橋脚よりは小ぶりですが、堅牢な印象があります。

今の路線上は、太陽光パネルが数多く敷設されていて、パネルが斜めの角度になっているため、上面がジグザクに見えてしまいました。

また手前は水田が広がり、逆さリニアとも並走で拝めたのは、かなり乙な体験でした。


近代遺産に認定して、しっかり残して欲しいものです。
 

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