2025年9月13日土曜日

木ノ芽城塞

 

旅行をしていて「ここは難所だな。」と実感する場所があります。

福井県の若狭湾に面する「敦賀」から「福井」方面に向かうルートもそうでした。

以前のブログ「宗太郎越え」にて、自分の斜度に対する感度の無さを露呈していて恐縮ですが、ここは明確に感じました。

昔なら、ここは「若狭国」と「越前国」の国境に位置する地帯です。

ここを通る鉄路・高速道路・一般道のすべてにおいて、急斜面を駆け上る印象が強く、列車のディーゼル音、前方を走るトラックの苦しそうに吐き出す排気ガスの量、様々な乗り物が喘いでいる姿からその厳しさが伝わってきました。

今回は、古くからの主要道路であったであろうルートを探しながら、じっくり進んでみることにしました。

先ず、「敦賀駅」付近の川に「木の芽橋」があります。

ここが起点かなあ、と思いつつ、国道476号線を上っていきました。

昔の駅跡があり今は付け替えられてますが、ほぼ同じルートで鉄路があったようです。

軽井沢と横川間の「碓氷峠」とかもそうですが、列車の登坂能力の性能向上により、更なる移動時間の短縮を目指し、時代ごとに鉄路は見直されて、より直線的になっていきます。

高速道路の登りもこの道沿いでした。

下りは負荷が少ないため、より直線的な別ルートになっていますが、ここが昔から一番登り安い勾配だったことは間違いないようです。

しかし、この476号線も途中でトンネルの直線道路になってしまい、ここから別ルートを探さないといけません。

幕末の天狗党の首謀者である「武田耕雲斎」の本陣となった後があり、その脇から続く山道が古道のようです。

そこから延々とジグザグ道を頑張ると、少し平坦になってきて、最高所の「木の芽峠」に至りました。

写真の通り、多少緩やかでもこの車の角度です。

下の写真により詳細を示してますが、ここは城塞が築かれています。

近畿方面からの敵を防ぐ目的があったようで、戦国時代には、「織田信長」が「朝倉義景」を攻略したときのルートでもありました。

ここから先は、スキー場の中を通り抜けるような道になり、北国街道「板取宿」に至ることが出来ました。

出たとこ勝負の探検でしたが、スリリングな展開で非常に楽しめました。

あまり調べず直感で進む旅は、これからもっと楽しくなりそうです。

怖い試みになりますが、鉄路の廃線ルートを攻める時期かもしれません。


2025年9月6日土曜日

小浜温泉

 


不思議な場所にある温泉です。

JR山陰本線「温泉津駅」から歩いて5分ほどの場所にある公衆浴場ですが、この先には世界遺産「石見銀山」の構成資産に含まれる「温泉津温泉街」があります。

ほぼ同一エリア内に、別の温泉名で浴場を構えているのです。

以前に取り上げた「温泉津温泉」は、個人的にも大好きで、ここを車で通るときは必ずと言っていいほど立ち寄りました。

しかし鉄路の場合は、この「小浜温泉」を利用します。

この写真は車で来たときに撮影したのですが、列車の場合、降車して次便がやって来るまで一時間ほどしかない場合が多く、タクシーを使わないと駅から温泉街を往復することが出来ません。

鉄旅のときは節約モードになっているため、ここでタクることは、私にとって負けを意味します。

まあ、そんなことを考えなくても、入浴したい素晴らしいお湯なのです。

塩化物泉と表記されてますが、そんな単純に言い表せない複雑な泉質です。

黄色味を帯びていて、とろみがあるようには感じないのですが、肌辺りはとても柔らかいです。

温泉らしい匂いも漂っていますが、成分が判別できるほどの、とんがった風味ではありません。

結果的には、交通手段で棲み分けが出来て良かったと、毎回感謝して入湯している次第です。

あるときに驚いたのですが、当時の有名だった温泉マイスターが、中四国の鄙びた温泉浴場の筆頭にここを取り上げていました。

確かにそのときは、もっと鄙びた味のある浴場施設だったのですが、残念ながら火事で焼けてしまい、今の姿に立て直されたのです。

新しくなった浴場にも入ったのですが、相変わらず地元の方々が大半を占めていると思われ、この地域の方言が飛び交っていました。

設備は新しくなってますが、変わらずの雰囲気が漂っていて、とても懐かしく感じたのを覚えています。

そう言えば、ここでの強烈なエピソードがありました。

写真に写っている水色のベンチに座って、風呂上がりのジュースを飲んでいたとき、おもむろに女性用の入口から出てきたおばさん二人に「まあ、ユタカ君お元気だった。」と声をかけられたのです。

「いや、旅の者で、違いますよ。」と否定をしたのですが、二人は「何とぼけているのよユタカ君。」と食いついてきます。

「いや、本当に別人です。」と言っても、認めがたいらしく、しばしの沈黙がありました。

そのうち一人が、「いや、ユタカ君じゃないわあ。」と言い出したのですが、もう一人はまだ疑っていて、こちらを睨んでいるような表情でずっと見てました。

違うと認識した方が、もう一人を引っ張る様にして立ち去られたのですが、最後まで自分がユタカ君でないことに納得されてない様子でした。

ユタカ君、どんな人なんだろう。

今日は車なので、下の写真の進行方向を右に、しばらく進んだところにある「温泉津温泉」
の「元湯」に向かいました。

あの二人、行ってないだろうなあ。


2025年8月30日土曜日

不動院岩屋堂


この修験道寺院は、鳥取県の「若狭鉄道」の終点「若狭駅」から更に山間部に走った場所にあります。

国の重要文化財に指定されており、もともとはここにあった「神光寺」の大伽藍の一部だったらしいのですが、豊臣秀吉の因幡侵攻に際し焼失してしまい、この堂宇のみ残ったらしいです。

確かに秀吉はこの先にある「戸倉峠」から因幡に入り、鳥取城を兵糧攻めにしたと記憶しています。

岩窟の隙間に嵌め込むように建築されていて、高さ10m、奥行きも10mと立方体に近いまとまりがあり、箱に入れられた「銀閣寺」のようだと思いました。

サイズはこっちがおそらく大きいのですが、小さくかわいく見えました。

岩場の隙間をうまく活用して建てた堂宇は「投入堂」とも言われ、このブログの一番最初に取り上げた「鰐淵寺」の「浮浪の滝」にある堂宇も、小さいですがこのジャンルになります。

近くの「三徳山三仏寺の投入堂」と、大分県宇佐市「龍岩寺の奥院礼堂」と合わせて、日本三大投入堂の一つされています。

この狭くて不自由な空間に、宇宙が広がっていくような感覚がたまりません。

下の写真の通りイメージが膨らんで、滝と一緒にわざわざ鉄道ジオラマまで作ってしまいました。


最近、自分の潜在意識にある好みを見つけ出し、鉄道ジオラマに具現化すると、その領域のエクスタシーに達する感覚を覚えることがあります。

本当は自分が何をしたいのか、自分でもよく解ってないんだと、考えることが多くなりました。

本題に戻りますが、大きな杉木立に隠れるようにして佇んている堂宇の階段を上がっていくと、苔むした岩窟が迎えてくれます。

苔のせいなのか、岩から染み出ているのか分かりませんが、冷気が漂っていて心身の余分な熱気を払ってくれるような心地がします。

川の流れる音と、カワセミが鳴いているのも聞こえてきて、自分が小中学校のときに川で泳いで遊んでいたときと同じ音響でした。

最期は近くの公園でトイレ休憩したときの写真ですが、ここはカエルの大合唱です。

夏の土曜日、地元の喜光地商店街の夜市に出かけていくときの、田圃の道中を思い出しました。

よく友達と連れ立って、駄菓子を食べながらゲームセンターで遊んだのは、すごく楽しかった思い出です。

童心を思い出した訪問でした。


2025年8月23日土曜日

大邱(テグ)のギネスビール


コロナ明け最初の海外旅行は、韓国での乗り鉄旅でした。

その際、韓国の中央部に位置する「大邱」を宿泊地の一つに選びました。

規模は、ソウル・釜山に続く、第3位の大都市です。

30年以上前の大学生時代、一度来たことがあります。

ソウル五輪の直後で、まだまだ物騒な雰囲気が漂っていました。

ご存じかと思いますが、韓国には兵役があります。

当時、駅の改札を出て町中に向かうときに、数多くの軍服を着た若者が、たむろしていたのが印象的でした。

しかし、今はお洒落な服を着たカップルが行きかっていて、韓流映画やドラマに出てくるネオンがキラキラした通りになっています。

歌舞伎町を更に明るくしたような感じがします。

先ず荷物を置きたいので、急いで予約の宿に向かいましたが、ビックリでした。

ラブホテル街の中にある、そのまんまラブホテルでした。

安いから選んだのですが、韓国はラブホテルでも普通に泊まれることにビックリです。

自分と同じようなおっさんが、普通に一人で出入りしているので、ここでは当たり前のようでした。

チェックインをして、町の散策を開始です。

お腹が空いていましたが、折角の機会なので、これはと思う店はないか探しました。

小一時間歩いて、「参鶏湯(サムゲタン)」専門店を発見。

混んでましたが、家族連れが帰る時間帯だったので、タイミング良くすぐに入れました。

それしかないので注文したらすぐに出てきます。

おいしく、汗だくになって頂きましたが、高麗人参が効いてきたのか、元気になった気がします。

盆地特有のまとわりつくような空気の重さは、日本と変わりません。

飲み屋街の続く裏路地を通って、ホテルへ帰ろうとしましたが、もう一軒覗いてみたくなりました。

そのときに、写真のギネスビールの店を発見したのです。

自分はギネスビールが、ビールで一番好きです。

ハングルで書かれていましたが、特徴的なビアグラスの看板でわかりました。

入店すると、下の写真の通りギネスらしい色調で統一されてます。

ハンチング帽を被った小太りのおっちゃんマスターがいて、私を日本人と認識して、片言の日本語でカウンターを進めてくれました。

「私は日本によく行きました。」と話しかけてくれ、その旅行時に撮影した動画を、店内スクリーンに流してくれます。

私はハングルがまったく喋れないので、最近購入したポケトークをフル活用して会話しました。

生ギネスを飲みながら、ここは大邱でのギネスビール一番店で本社の社長も来たことがあるとか、ビール会社に勤めていたときにギネスが好きすぎて、そこの会社で取り扱う責任者になったとか、その流れで引退後にこの店をやり始めたとか、ギネス愛に溢れる話を楽しく聞かせてもらいました。

二杯目を頼もうとメニューを見ると、リキュールとセットになった見慣れない組み合わせがあります。

何かと伺うと、「爆弾です。」と教えてくれました。

韓国の一気飲みのやり方で、ビールジョッキに入ったビールの中に、アルコール度数の高いウイスキー等を入れたワンショットグラスを落とし込んで、そのまま飲むというものです。

ギネス版もあることに驚きながらも、とても好奇心がくすぐられました。

ホテルも近いし、あとは寝るだけなので挑戦することにしました。

ギネスの中に、コーヒーリキュールのワンショットを落とし込みます。

ものすごい泡立ちで、止みそうにありません。

本来、このビールは泡立ちが止まってから飲むのですが、この状態で一気にいけとの合図。

一気に飲み干す間、マスターは何かを唱えてました。

「イッキ!イッキ!」なのかなあと、薄れゆく意識の中で完飲しました。

最後はマスターと出会った記念に、ツーショット写真を店の入り口で撮りましたが、ここで限界がきました。

もう暑さへの感覚も全くありません。

幸いにも、ホテルの周辺で呼び込みに引っかかった形跡もなく、就寝していた次第です。

明日の始発に遅れないように、外出前に目覚ましをセットしておいて大正解でした。

2025年8月16日土曜日

東舞鶴港


「舞鶴」には何度か行っているのですが、鉄道のときも車も、何かのついでに立ち寄っているだけなので、この町全体の地理が非常に不明確でした。

「舞鶴」とひとくくりに言っても、「東舞鶴駅」と「西舞鶴駅」に分かれていて、山を隔ててそれぞれが市街地を形成しているのです。

そのため「舞鶴城」に行った記憶も、どちらの市街地にあったのか、わからなくなっています。

老後に備える焦りもあってか、一度「自分の足」で認識しておこうと、久しぶりに「青春18切符」を使って日帰り旅行を敢行しました。

朝一番の始発で、江坂からスタートし、新大阪から京都へ、そこから「山陰本線」に乗り換え、日本海側へ進んでいきます。

「福知山駅」の手前にある「綾部駅」で下車し、更に「舞鶴線」に乗り換えて、目的地の「東舞鶴駅」へは昼過ぎに到着しました。

そこから写真のある「舞鶴赤レンガパーク」に歩いていきます。

気になったところに立ち寄りながらだったので、小一時間かかりました。

曇っていて日差しは楽だったのですが、真夏だけに汗が噴き出して止まりません。

ここはよく映画やテレビのロケ地に使用されるので、この写真のアングルで見たことのある方も多いかと思います。

レンガ倉庫の内部はお洒落なショップにリニューアルされていて、多くのカップルがいました。

汗臭いだろうなと気にしながらも、一人で少しウロウロします。

意外にもマニアックな品々が多く、海上自衛隊の艦船が一覧表になった手拭いを購入しました。

ただし、旅の目的は、ここは東なのか西なのか、はっきり認識することです。

「東舞鶴」の西の際にありました。

その先のトンネルを入って、西に少し進むと「西舞鶴」になってしまうので、本当に紛らわしいです。

そこから港に向かいました。

東と西ともに大きな港があり、NHKドラマ「坂の上の雲」に出てくる「舞鶴港」はいつもどっちなんだと思います。

その軍港は、下の写真の「東舞鶴港」でした。

数隻の護衛艦が停泊していて、小型船も全てが鼠色。

海上自衛隊の大きな基地であることが十二分に伝わってきます。

さっき手に入れた手拭いも、ご当地ならではと実感しました。

おかげで、しっかりとイメージ出来ました。

この後に「西舞鶴」も散策し、「舞鶴城」があり、こちらの港は民間用であることがわかりました。

とてもスッキリしました。

これからもどんどん記憶力が落ちていくと思うので、足を使った営みを継続的にしていくことの大切さを、あらためて知りました。

まあ、食事もろくに取らないで何をしているんだと、少し自戒もしましたが・・・。

誰もついてくることのない旅であることは間違いありません。

2025年8月9日土曜日

晋州ビビンバ


コロナ明けに、韓国で乗り鉄を始めたとき、一番行きたかった場所は「晋州(チンジュ)」でした。

朝鮮半島最南部の、東西を結ぶ中間地点に位置する、内陸部の都市です。

韓国の交通事情については、北のソウルを起点に南北を結ぶ縦のルートについては鉄道網が発達してますが、東西の都市間の鉄路移動は不便で、高速バスを活用するイメージがあります。

ただし、今回は鉄路にとことんこだわりました。

そのため始発の「ソウル」から、新幹線に近い存在である高速列車「KTX」に乗車し、少し前のブログで取り上げた最西南端の主要都市「木浦(モクポ)」に向かい、そのまま宿泊しました。

そして朝一番(と言っても9時21分発)のローカル列車「ムグンファ号」で、晋州を目指したのです。

各駅停車のため到着したのは13時52分、朝からかき氷しか食べてませんので、ガッツリしたものが食べたくてしょうがありません。

駅から市街地が遠いので、珍しくタクシーを使いました。

韓国のタクシーは値段が安くて助かります。

城好きとしては、豊臣秀吉の朝鮮出兵で有名な「晋州城」が市街地に入る手前にあるのですが、先ずは食事でした。

ここには人口34万人ほどの中堅都市とはいえ、韓国で三大に数えられる料理が二つもあるのです。

しかも「ビビンバ」と「冷麺」という、超メジャーなジャンル。

特に、ユッケの入ったビビンバで、もともと大好物なので興味津々です。

「韓国一の名物」とすら書いてある本も目にしました。

その老舗有名店「天鳳食堂」に入店。

さすがに昼どきをとっくに過ぎてましたので、3組くらいしか客はおらず、空いていてラッキーです。

料理より先に、天井と店内の写真を紹介しますが、李朝テイストの内装に感動しました。

以前の韓国は、「古い」よりも「新しい」の価値感が圧倒的に優勢なイメージがあったのですが、古民家カフェといい、懐古主義的なものが芽生えている印象があって嬉しくなります。

「渡る世間は鬼ばかり」に出てくる泉ピン子みたいな恰好の女性が、料理を運んできました。


最期の写真がそれです。

特に説明は不要かと思います。

十分に堪能し、お腹一杯になりました。

この後、気合を入れ直して「晋州冷麵」も攻略しました。

肉のチヂミがチャーシュー代わりに浮かんでいて、量が多かったのですが完食しました。

更に仕上げに、「晋州城」にも行ったのですが、お腹が苦しい。

夏のガンガン照りの中、城内を歩く気にはならず、入り口だけみて失礼しました。

どうも城というよりは、王宮に近いためあまり散策する意欲が沸きません。

乗り鉄の旅なのですが、今回は料理のヒットが多く、グルメツアーの様相を呈してきた次第です。

2025年8月2日土曜日

伊良湖灯台



真夏に訪れた「伊良湖灯台」。

夏の季節特有の雲が、強風で目まぐるしく模様を変化させながら、頭上を流れていました。

太平洋の先端に位置するだけあって、波の高さが瀬戸内海とは全く違います。

さらわれたら、二度と戻ってこれないような潜在的な恐怖が湧いてきました。

ところで、四国の方々から日本全体を眺めると、北関東と東海地方は特にわかりにくいのではないでしょうか。

愛知県を、少し時計回りに回したMの字で例えると、2つの半島が両サイドから海に向かって突き出ている形に、イメージ出来るかと思います。

左側(関西寄り)が知多半島、右側(関東より)が渥美半島です。

Мが右に傾いている分、渥美半島がより太平洋に突き出していて、愛知県の内陸部をガードするような地形になり、その突端にこの灯台があるのです。

名前に反して「伊良湖」はないようでした。

更に不思議だったのは、灯台の位置です。

岬の先端部はかなりの高台ですが、そこには築かれず、下の写真の通り海岸線ギリギリに立っているのです。

写真では見えませんが、海岸を形成している岩場のすぐ脇に遊歩道があり、灯台まで行くことが出来ました。

水面上に浮くように立っていて、近くに寄ると本当に小さいです。

コンクリート土台もそのスペース分しかありません。

おそらく日常から塩水被りまくりだし、嵐の高波なら完全に覆われるでしょう。

しかし、昭和4年に初点灯、昭和35年に電化されたそうで、今でも現役バリバリです。

いかにもド根性を感じさせてくれる存在でした。

見ているだけで、負けてなれないぞ、と張り合うような熱い気持ちになれます。

ただ、この岬の観光ポイントとしては、石垣島から流したヤシの実が届くことがあるそうで、ロマンチックを売りにしているそうです。

逆に硬派を売りにして欲しい気がしました。