古代城址の「鞠智城」です。
福岡県と県境の熊本県側にあります。
菊池一族の居城「菊池城(隈府城)」ではなく、市内から高台に上がったところにあります。
既に田畑となってしまった状態から、平成になって復元されました。
写真の「八角楼」や「倉庫」も発掘調査に基づいて復元されているそうです。
現在の建物があまり周囲にないので、真新しい木造建物の雰囲気がかえって当時の臨場感を演出しているように感じます。
663年に「大和朝廷」は、朝鮮半島での「白村江の戦」において、「唐・新羅の連合軍」に敗れてしまい大陸への足場を失ってしまいます。
それ以降、恐怖にかられた「天智天皇」は侵攻に備えて九州・瀬戸内海を中心に「大防衛ライン」を構築します。
この城も7世紀後半には作られていたそうで、最前線の「大宰府」付近にある「水城」や「朝鮮式山城」の「大野城・基肄城」への補給基地としての役割を担ったようです。
そういえば「兵站業務」を重視してか城にしては平面的です。
この時代は、日本の国土全体での防衛構想が垣間見え興味深いです。
明治維新以降における近代「要塞」の戦略配置と似通っているように思えます。
ちなみにデルタカフェ周辺にも、なんと「東予休暇村」近くの山に、同構想のもと築城された「永納山城」があり、登ると瀬戸内海がよく展望出来ます。
香川県の「屋島」と同様に四国側の防衛ラインであり、もう少し注目されても良いように思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿