故郷の新居浜にあった「別子銅山」には、ずっと興味を持っていて、母親とその頃の話をたまにします。
閉山になるまで、祖父母や叔父が勤めていました。
自分も小さい頃に、その社宅に住んでいたことがあり、記憶がおぼろげながら残っています。
しかし、その近所を走っていた「別子下部鉄道」の記憶がないのです。
母親と手をつないで、それに乗って銅山から帰ってくる祖父を、迎えに行っていたらしいのですが、光景が全く浮かびません。
この当時は「鉄道オタク」でなかったからかもしれませんが、残念でしょうがありません。
小学生になっても、「別子銅山」の歴史を展示している「別子記念館」には、友達とよく遊びに行っていました。
そこには、「駕籠列車(かごれっしや)」が、野外展示されていました。
乗客を乗せるために、箱型にしたトロッコ列車のことです。
乗車出来たので、仲間と入り込んで、カードゲームをしたり、駄菓子を食べたりしてました。
妙に楽しかったです。
そんな淡い想い出に、サプライズがありました。
三重県でも、奈良県との県境に近い山間部にある「湯の口温泉」を訪れたときです。
なんと、「鉱山列車」が現役で頑張っていたのです。
短い距離ですが、大型の駐車場から、小山のトンネルを通過して、温泉施設まで人を運びます。
乗客が座るトロッコは、しっかり駕籠列車になっていて、それに乗り込みました。
乗り心地は悪く、ガタガタ音が反響しぱなっしです。
ただ、母親の言っていた、銅山の地下を走っていた「別子山村へ抜けるトンネル」は、こんな感じかなと、その体感が嬉しくてたまりませんでした。
最初の写真は、ひとっ風呂浴びて始発駅に戻るときの、正面からの雄姿です。
うずくまるような無骨さに「買えないかな。」と、思わず妄想してしまいました。
多くの列車を見てきましたが、今まで生じることのなかった「所有欲」が芽生えたことに、自身で驚いた次第です。
そうそうここのお湯の話です。
源泉掛け流しの「秘湯」としてそれなりに有名なのですが、単純泉であったせいか、列車のインパクトが強すぎて全く記憶に残りませんでした。
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