2022年7月30日土曜日

眞鍋家邸宅


四国中央市の切山集落にある住宅です。

香川方面に向かう11号線と、徳島池田方面に向かう192号線に挟まれた山間部にあります。

仕事で畜産業を営む企業様を訪問したときに、ここの存在を偶然知りました。

昭和45年に、国の重要文化財に指定されていますが、今でも十分鄙びた集落でした。

どうしてこの小さな一軒家に、わざわざ別格の歴史的価値が与えられたのか、その基準について素人では正直わかりませんでした。

雨が降っていたのですが、向かう道中に咲いていた青色のアジサイが、水を得た魚のように生き生きと満開でした。

小学校の雨の登下校時に、何処かで眺めた記憶が蘇りました。

家については、茅葺きの屋根や土壁が大切に保存されており、中に入ることも出来ました。

早めに移動してきたため、訪問時間までかなり余裕があります。

しかしコンビニなぞはありませんでしたので、ここでしばらくボーっとしてました。

頭上を見上げると天井はなく、茅葺き屋根の裏側が直接見えました。

燻されて真っ黒です。

また、雨の当たる音が下に伝ってきて、非常に心地よい空間でした。

更に歳をとっていくと、こんな感じがちょうど良いと思いましたが、寄ってくる数匹の蚊を見つけて、大丈夫なのか悩ましく思いを巡らしました。

なかなか自然には戻れません。

2022年7月23日土曜日

関門海峡(かんもんかいきょう)


「山口県」に転勤して「下関」に住んでいます。

マンションはかなり古いのですが、嬉しいのは窓から、海である「関門海峡」が毎日拝めることです。

自分の人生において海辺に住むことは、おそらくないような気がしていたので、生涯一度の貴重なことだと、よく海側を散歩してます。

そうするとこの地は、源平合戦の「壇ノ浦古戦場」であり、ボランティアの方が観光客向けに、その紙芝居とかやっているのを見かけます。

また写真のように幕末「長州藩」が、「異国船打払い」を実施した場所でもあります。

報復で「四カ国艦隊」に上陸占領され、過激な攘夷思想が強かった「長州藩」の、その後の方針転換に繋がる契機となりました。

最初は気がつかなかったのですが、散歩の範囲を広げていくと、「前田砲台」という堅牢な石垣の組まれた場所があり、そこで実施されたことがわかりました。

主要道路のすぐ脇の高台にあり、近所の公園という佇まいで、観光客が来ている雰囲気は感じませんでした。

そこから海を眺めると、この辺りが一番海峡の狭い場所であることがわかります。

九州と接した古来からの交通の要衝であることが実感出来るお気に入りのポイントです。


砲台のすぐ近くにある「源義経」の「八艘飛び(はっそうとび)」のモニュメントです。

2022年7月16日土曜日

置塩城


「100名城・続100名城」認定されてませんが、播磨国を代表する名城だと思っています。

兵庫県姫路市の北部に位置する連郭式山城で、後期「赤松氏」の本拠地でした。

山の尾根沿い全てを覆うように郭が構築されています。

この一族の築城で特徴的なのは、写真のように石垣を多様していることです。

他の諸城も同様で、極めつけは雲海の城で有名な「竹田城」です。

近世城郭みたいに、石材の産地から運んでくるのではなく、郭の平面部分を作る際に、削った部分の石材をそのまま石垣として活用しているそうです。

山を崩しながら築いていく。

超効率的な技術を持っていたようです。

そのためか、播磨国の山城は江戸時代になってほとんど廃城になっていますが、本丸部分や大きな廓の角っことかに、に石垣が残っていることが多いです。

この「赤松氏」、やんちゃな印象を受けます。

室町時代には、幕府の重職である侍所の長官「四職(山名・一色・京極・赤松)」に列せられた有力者でしたが、当時の居城「城山(きやま)城」にて、当時の将軍「足利義教」を殺害する「嘉吉の乱」を引き起こしお家断絶となります。

しかしその後、南北朝時代末期に、南朝方から「三種の神器」を北朝方へ取り返し、お家再興となります。

そして再スタートの居城がここになるのです。

しかし五代続いた後、秀吉に降伏して廃城となり、多くの石垣が「姫路城」に運ばれて活用されているそうです。

それでも石垣はそれなりに残っていて、ここの味わい深さは健在です。

戦国期から近世期へ移行する際の変遷を堪能出来ます。

間違いなく「播磨攻め」を担当した「秀吉」に影響を及ぼしているはずです。




2022年7月9日土曜日

駅の終点


「乗り鉄」としてウロウロしているとき、必ずと言っていいほど、終着駅のレールの終わりを撮影します。

正式名称がわかりませんが、バッテンみたいな看板を見つめて「この路線制覇!」と、一人ほくそ笑むのです。

オタク道を突き進んでおります。

その景観は、コンクリに周囲をガチガチに固められた味気ないモノから、長年の使用に耐えた構造物かあったり、逆に何もなくて、そのまま荒野や山河が広がっていたりと、様々です。

別にこだわっているわけではないのですが、フィニッシュとなるため、完乗した路線の印象に与える影響は大きいと思われます。

そして全線制覇した中で、自分にとっての第一位がこの写真です。

岐阜県「長良川鉄道」にある北の終点「北濃駅」です。

元々は木材の集積場でもあったのか、ローカル線であるにも関わらず、待避線が多く残っていました。

それが停車場の奥で再び収束して、森の中に消えていくようになくなっていました。

近くに歩いていくと、線路の敷石とコンクリに段々土が混じってきて、段々と草木も加わり、その割合を増やしながら、レールは地面に潜り込むようにして土に戻ってました。

こんなフェイドアウトみたいな終わり方もあるんだと感じ入った次第です。

自然に帰っていく人工物に、妙な優雅さを覚えました。

2022年7月2日土曜日

秋芳洞の富士

 

日本三大鍾乳洞は、山口県「秋芳洞」、岩手県「龍泉洞」、高知県「龍河洞」が選定されています。

規模の大きさだけなら他にもあるのですが、鍾乳石の美しさがイマイチです。

この3つはそれぞれの個性があって抜群に素晴らしいです。

その中でも、鍾乳石のバリエーションにおいては、ここが筆頭だと思います。

「千畳敷」や「黄金柱」は、小学生のときに始めて訪れて、その大きさに驚いたのを覚えています。

そしてこの度、下関に住むことになったのと、コロナによる県内観光の奨励もあったので、仕事仲間と訪れることにしました。

しかし行った日が、九州を襲った大雨で「球磨川」が氾濫した翌週でした。

実はここも被害を受けていたことを知らず、店舗が建ち並ぶ本来の入り口は、水が氾濫していて無理とのことでした。

反対側の入り口からなら途中まで見学可能とのことで、車で移動してそちらから入場しました。

コロナで観光客が減っている上に、大雨の被害とは・・・。

現地の方々の心中いかばかりかと思いますが、逆に観光したほうがいいのだと言い聞かせました。

そのときに一番印象的だったのが、この写真にある「秋芳の富士」です。

洪水のせいか水煙が、霧のようになっています。

その中に浮かぶように映える、この鍾乳石はより大きく立体的で、最も幻想的に感じました。

今回は残念ながら途中で引き返しましたので、今度は本来の入り口から、買い食いしながら堪能しようと思います。

確かコロッケが美味しかったんだよなあ。