2024年3月30日土曜日

桜とデルタ


天気の良い桜が満開の時期でした。

このときに気がついたのですが、今まで「ランチアデルタ」を、桜と一緒に撮影したことがないのに驚きました。

桜の臼桃色に、デルタの「血の色」が非常にマッチングしてました。

車のボディの真ん中を走る「青と黄色」のサンドイッチラインが、刃渡りのようにも感じ、ぶっちゃけ「切腹」を連想してしまいます。

そう思うと、桜の「儚さ」をより強烈に感じました。

ここは「四国中央市」にあるお寺の桜なのですが、この向かいに「助産医院」があり、娘はココで生まれました。

深酔いして帰った日に、予定よりも早く産気づかれ、あわてて深夜に向かいました。

嫁さんよりも自分が気持ち悪くて、トイレに立てこもってしまい、勘違いした助産婦さんが、トイレの前で私の番をしてくれてました。

陣痛なのにほっとかれた嫁さんは、未だにこのことで、私を時々イジります。

そんなこともあり、通院しているときに、ここに立ち寄り、和尚と仲良くなりました。

車好きの方だったので、真っ先にこの車に反応頂き、その後交流させて頂いている次第です。

しかし松山に越し、県外に転勤してからあまり伺えていません。

近いうちに、久しぶりの車談義と、花見もしたいものです。

もちろんデルタに乗ってですが。

2024年3月23日土曜日

鞠子宿


「東海道五十三次」の20番目の宿場町として有名です。

静岡市西部にあり、〝まりこじゅく〟と読むそうですが、丸子の字も当てるそうです。

何故、そんなに有名なのかと言えば、浮世絵師「安藤広重」が手がけた「東海道五十三次」にて、この写真の建物がほぼそのまま描かれているからです。

しかも〝とろろ汁〟の説明書きまであります。

この建物の店名は「丁子屋」。

慶長元年(1573年)の創業で、日本最古のレストランとも呼ばれています。

歴史作家の「司馬遼太郎」も、この店を好意的に取り上げてました。

高速の東名で素通りしやすい地域で、なかなかついでに立ち寄りにくいのですが、昼食時を狙って
伺いました。

観光バスも乗りつけており、かなりの人手でした。

予想通りですが、多くの方を案内できる離れがあり、そこに通されました。

シンプルなメニューで、とろろとお櫃のご飯に少々の漬物、以上です。

結構いい値段する分、容量は多めで、4、5杯はありそうです。

でも、そんなに〝とろろ〟をかけただけのご飯を食べれません。

3杯目の途中から気持ち悪くなりました。

隣にいた夫婦連れも、会話から同じ反応でした。

車だったので、ビールとかで紛らわすことも出来ず、完食はあきらめました。

創業時の献立を律儀に守っておられるのかもしれませんが、現代人には厳しいかと。

リピーターとかいるのでしょうか?

その後なかなか苦しい腹持ちのドライブとなりました。

粗利は相当高いと思います。

2024年3月16日土曜日

北斗星


何とか廃止前に乗車することが出来ました。

豪華寝台列車の代名詞「北斗星」です。

「上野駅」の最も左側フォームにある、寝台列車専用の「13番線」に入線してきたところを収めた一枚です。

牽引機関車「EF81」の赤いボディが目映く感じます。

「(日本の)北の玄関口」と呼ばれる「上野駅」の、夕刻の雑踏はすさまじいものがありますが、このフォームだけは別世界です。

時間の流れが違います。

多くの「撮り鉄」のシャッター音を聞きながら乗り込みます。

北海道の「札幌駅」に一晩かけて向うのです。

季節は夏の時期だったので、日が暮れるまで数時間あります。

部屋に荷物をおいて、すぐに食堂車に向かいました。

洋食のコースにしてます。

値段は張りますが、仕方ありません。

まさしく「一期一会」の心境でした。

予定されている「北海道新幹線」の開業や、老朽化も含めた「廃止」が噂される中、これが最初で最後の機会となると思いましたし、実際そうなりました。

既に、一般の「ブルートレイン」の食堂車は廃止されている時代でした。

私にとって、食堂車での食事自体がそもそも初体験なのです。

豪華に見える調度品でデコレートされた食堂車内を見回しつつ、夕焼けに染まる車窓を眺めながら、ビールを飲みました。

自分史上、一番旨い味に感じました。

今のところ、鉄道に関わる人生において、このシチュエーションが絶頂です。

これを超える体験をするには海外に向かうしかないかもしれません。

それでも難しいと思いますが・・・。

2024年3月9日土曜日

大瀬崎


 またまた西伊豆です。

〝おせざき〟と読むそうです。

このブログを書くときに初めて気がつきました。

伊豆半島を矢尻に見立てた場合、西側の付け根のとんがった場所になります。

内海と外海が交錯する海域らしく、透明度の高い海水浴場と、スキューバダイビングも盛んなスポットらしいです。

写真のように夕映の富士山が拝めました。

よく「赤富士」と呼ばれますが、それ以上に空や海が真っ赤になることで、照らされて赤くなるのだと、堤防越しの景色を眺めて実感します。

周辺は自分も含めて〝赤一色〟。

延々と写真を撮ってきた最終ポイントがここになり、写真にある小さな灯台とのツーショットを見納めにして、帰路につく感じです。

駐車場も広いせいか、人も集まっていました。

カップルが多いです。

このまま自分は帰りますが、みなさんこの後どこに行くのだろうと、ついつい下衆の勘繰りをしてしまいます。

ここから北に進むと「沼津市街」に入ります。

お寿司が美味しいと評判の地域なので、夕食がてらつまんで帰ろうといつも思うのですが、一度も行けてません。

上がっていたテンションがここで下がるせいか、渋滞が凄いとの評判もある市街地を敬遠してしまい、そのまま疲れて帰ってしまいます。

「駿河湾」は海溝に続いていて、深い海になっており、深海魚も含めた多種多様の魚が獲れて、ネタが豊富だそうです。

ただ、この地域を話すネタは尽きた感じなので、次回はお寿司を食べたときに紹介出来ればと…。

いつのことやらですが。



2024年3月2日土曜日

大洲城2


 以前に桜の時期を取り上げましたが、冬景色もたまりません。

眼前を流れる「肱川」との対比で、「天守閣」の存在は際立ちます。

実は城好きの立場として、天守閣の再建にはどちらかと言えば、反対の立場です。

周辺も含め、時代考証を無視した建造物が出来上がることで、もともと長年の史跡として培われた〝味〟と言うか、風情みたいなものがかき消されてしまうリスクがあるためです。

しかし、このように再建天守とはいえ、木造かつ当時の模型を参考にしての忠実な再現であれば、唸るものがあります。

地元の関心や熱意が加わって、今まで見てきた建設会社任せの築城とは方針が変わってきているとも思えるので、自分の考えを変える必要があるかもしれません。

調べるとその建設費16億円のうち5億円は市民の寄付で集めたとのこと。

熱量の多さに圧倒されます。

また宿泊サービスの開始には驚きました。

一組限定の一泊55万円と高額なプランですが、重要文化財の現存2櫓を含めて、1日城主になれるなら、意外とお値打ちなのかもしれません。

鎌倉末期から、伊予国守護「宇都宮氏」が前身の「地蔵ケ岳城」に居城し、この城の歴史は始まります。

更に戦国時代を経て、築城名人の「藤堂高虎」や「賤ケ岳七本槍」の「脇坂安治」の入城、更に「加藤氏」により幕末までと、約650年近い歴史があります。

天守閣に泊まって、そこから肱川に浮かぶ月が眺められたら最高に思えます。

いつかがあるか自信ありませんが、そのときは高級周遊列車と比較検討したいと思います。