少し前に取り上げた「甑島(こしきしま)」です。
一番南端になる「下甑島」の海岸線の写真ですが、伺ったのは3月初旬にも関わらず、早朝は荒れていた天気も回復し、夏のような雰囲気が漂っていました。
鹿児島県でも西部沖合の島嶼部まで行ってしまうと、九州本土とかなり気候が異なるように思います。
丁度、昼時だったので近くのカフェにて食事を頂きましたが、入り口近くに「Dr.コトー診療所」作者の直筆サインが飾られてました。
お店の方に伺うと、実際に来られて取材されてたそうです。
Dr.コトー、実はこの島での診療に孤軍奮闘されたお医者さんがモデルなっていて、漫画の景観には何となくここの風情が漂っているような気がしました。
しかしテレビ版のロケ地は、沖縄県の「与那国島」で、ここではありません。
地理的には、沖縄本島よりも台湾の近くになります。
絶海の孤島であり、撮影のアングルを効果的にしているのでしょうが、漫画と比較するとテレビ版は、背景の海が強く迫ってくる印象を持っています。
ここに来て意外だったのは、下の写真の通り武家屋敷であったことです。
江戸時代の薩摩藩は、全地域を管轄するうえで、地方の行政・軍事を一体化させた行政単位である「外城(とじょう)」を、100余りも設けていました。
一般的に武士は城下町に住みますが、薩摩藩においては「関が原の合戦」で領地が削られた後も、武士の数を減らさず「外城」内にて、半農状態で多くが生活してました。
更に、「外城」内にある、行政・軍事の中心となる武家屋敷群を「麓(ふもと)」と呼びます。
鹿児島県内には、今も生活基盤のまま、12の「麓」が史跡として保存されていますが、そのうちの2つが「甑列島」にあり、「上甑島」の「里麓(さとふもと)」と、ここの「下甑島」の「手打麓(てうちふもと)」になります。
家はかなり建て替わってますが、当時の石積みの塀はそのままで、直線での区割りは如何にも城下町の佇まいです。
コトー先生が、城下町に住んでいたのは、不思議な感覚がします。
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