2025年5月31日土曜日

志布志駅


一度乗ってますが、鹿児島を去る前にもう一度乗っておこうと気合入れました。

車なら、鹿児島市内から高速で2時間かからずに志布志市内に行くことが出来ます。

利便性を考えると、仕事でここに向かうときは車以外の選択肢はありませんでした。

列車でここに行こうとすると、「鹿児島中央駅」を出発して宮崎県にわざわざ入り、「南宮崎駅」から「日南線」に乗り換えて、宮崎県の最南部をひた走り「志布志駅」に到着します。

終着駅のこの駅と、一つ手前「大隅夏井駅」の2駅だけが、鹿児島県に入るのです。

昔は「志布志駅」から、鹿児島県「国分駅」を結ぶ「大隈線」と、宮崎県「都城駅」へ向かう「志布志線」が存在したのですが、すでに廃線となっており、この地域は鉄路上の孤島となっています。

上述のルートで、始発から出発しても、着いたのは昼過ぎでした。

駅から歩いていける目当てのラーメンを食べ、すぐに復路を戻ったのですが、鹿児島市内の到着は、夜になってしまいました。


駅周辺を散策すると、もともと大きな物流港があるため、鉄路による大輸送体制があったと思われます。

そのため、多くの線路が敷設されていたであろうフラットな空間が駅の周囲に広がってました。

周囲の道路幅がかなり広いのは、鉄路が転用されているからだと、駅を起点とした景色を見てわかりました。

更に歩くと、廃線となった先ほどの2路線を顕彰するモニュメントがあり、当時活躍していた蒸気機関車とキハ系の車両が飾られていました。

普通、こういった施設は少し侘しいものですが、南国特有の晴れやかな天候のせいで寂しい気配が全くありません。

冬なのですが日差しが眩しいため、いい塩梅の撮影が出来ませんでした。

そのためこのブログでの車両のアップは控えようと思います。

何となく、釈然としないままに終わった旅ですが、車両の撮影を邪魔するように照っていた太陽だけは忘れないと思います。

2025年5月24日土曜日

宗太郎越え


九州東海岸を縦断する「日豊本線」の最大の難所が、大分と宮崎県境近くの「重岡駅」と「宗太郎駅」間にある急勾配で、通称「宗太郎越え」と呼ばれます。

ここを以前特急で通ったことがありますが、あまりピンときませんでした。

そのあと、各駅停車で挑戦しようとしたのですが、何故か始発便と最終便しか走ってなく旅程にうまく組み込むことが出来ません。

そのため一念発起して、これをクリアするための計画を立てることにしました。

週末の2日間を利用し、「鹿児島中央駅」を出発して、「日豊本線」を北上、宮崎県北部の中核都市「延岡駅」まで、「青春18切符」で向かいました。

ここで、廃線となった「高千穂鉄道」の遺構を散策しながら最終便を待ち、各駅停車で「宗太郎越え」を敢行する手筈です。

そのまま、終点「佐伯駅」近くのビジネスホテルにて宿泊します。

初日は、夕方「延岡駅」に、計画通り着くことが出来ました。

しかし、ここから夕食に困りました。

それなりに飲食店はあるのですが、町のいろんな式典が重なっている日らしく、どこも満杯です。

一人旅で、その一人が入れない経験はあまり記憶にありません。

最終便の時間も近づいており、店に片っ端から入りましたが駄目でした。

あきらめかけて駅に戻る道すがら、人の出てくる店がありました。

席が空いたと思いのぞくと、片付けられてない席以外に、一席だけ空いていました。

店の女主人には、よそ者だけに嫌そうな顔をされましたが、その席の隣の紳士がわざわざ進めてくれて、何とか入ることが出来ました。

お礼の流れで会話をすると、やはり行事が重なっている日であることを教えてくれました。

物腰が上品なので伺うと、やはり地場企業の社長さんです。

慌ただしい会合の後、一人でゆっくり飲み直しているとのことで、何と鉄道好きでした。

今日の探索で、うまく探せなかった「高千穂鉄道」の遺構について伺うと、存続が出来なくて無念だったこととや、訪れるべきポイントを教えてもらいました。

また、この後「宗太郎越え」に挑戦する話をすると、この急勾配のおかげで、どれだけ宮崎県北部の発展が阻害されているか熱く語って頂き、地元ならではの情報を頂きました。

お会いした記念だとビールまで奢って頂き、名残惜しく別れをして駅に向かいました。

そして、目的である最終便の各停車両を見てビックリです。

そこには、フル編成の特急が停車していて、その先頭車両のみが、各駅停車用に開放されていたのです。

写真の通り、グリーン席・指定席の上に「普通」と表示されています。

普通のワンマン車両では、今からの勾配は上っていけないのでしょうか?

ただ乗ってみると、確かに特急が力強く上っていく印象はあるのですが、急勾配なのかどうか、正直なところよくわかりません。

翌朝は、始発便の各駅停車で、鹿児島まで戻ります。

次の写真にある通り、昨日の車両が折り返すようで、同じく特急の先頭車両が解放されてます。

逆方向(福岡大分方面)には、一般の各停用車両がスタンバイしてますので、この各駅停車はやはり急勾配仕様のようです。

こちらから越えるほうが、より急勾配のようなので、今度こそ感じ取りたいと思いました。


最後の写真は「重岡駅」のフォームからで、ここから「宗太郎駅」までが最大の難所です。


でも、さほど体感出来ませんでした。

平衡感覚鈍いのかなあ。

まあ、今度来たときは、「高千穂鉄道」遺構の再確認と、ビールをご馳走してくれた社長さんのところへ、菓子折りでも持って挨拶に行きたいと思います。

急勾配を越えた感想を聞かれたら困りますが。

2025年5月17日土曜日

リニア実験線跡


鹿児島県で「青春18切符」を使おうとすると、鎖国しているようです。

北上するルートとして、熊本県と結ぶ大動脈の「鹿児島本線」は、新幹線の開通により「川内駅」から先が第三セクターとなるため、使用できません。

以前取り上げた山間部を進む「肥薩線」は、人吉の水害により鉄橋が流されたことで、「吉松駅」からは今も通行止めのままです。

残るは、宮崎県へ向かう「日豊本線」のみ。

線名からは福岡・大分・宮崎しか連想できませんが、しっかり鹿児島までつながってます。

そのため、鉄路の旅はこちら側に集中しました。

そのときに遭遇した変わり種が、写真の「(超電導)リニア実験線」です。

今は具体的な運行に向けて山梨県に移りましたが、それまではこの地で開発が進められました。

調べてみると、着工は国鉄時代の1974年(昭和49年)、実験開始は1977年とかなり前であることにビックリしました。

しかしよくよく思い出すと、自分が幼少のときに「鉄腕アトム」とかで「リニア」なる言葉を使っていた覚えがあります。

何故ここが選ばれたのか、その理由はひたすらフラットであるからです。

全長が、「都農駅・東都農駅」間の「日豊本線」に平行して、全線7キロの線路ですが、終点間際だけが半径1万メートルの曲線(?)、勾配も知らない単位で説明されていました。

とにかく真っすぐ、まっ平であるそうです。

ここでの最高記録は、1979年に無人運転で時速517キロを記録したとのこと。

写真の通り、車窓からはずっと、並行するリニア線を眺めることが出来ました。

新幹線の橋脚よりは小ぶりですが、堅牢な印象があります。

今の路線上は、太陽光パネルが数多く敷設されていて、パネルが斜めの角度になっているため、上面がジグザクに見えてしまいました。

また手前は水田が広がり、逆さリニアとも並走で拝めたのは、かなり乙な体験でした。


近代遺産に認定して、しっかり残して欲しいものです。
 

2025年5月10日土曜日

北向観音


「きたむきかんのん」と読むそうです。

長野県にあり、「別所温泉」で有名な「信州の鎌倉」と呼ばれる「塩田平」にあります。

このお堂が北向きに建っていることに由来するそうです。

天台宗「常楽寺」の伽藍の一部なのですが、本体よりもはるかに知名度が高く、観光地図で見ても「北向観音」の名称ばかりです。

しかし立ち位置がはっきりしません。

創建は平安自体初期とされますが、江戸時代に焼失・再建され、その後も改築を繰り返します。

また昭和になって「善光寺の本堂」と同じ様式になったとのこと。

節操のない気がします。

ご本尊に観音が祀られていると言っても、どのような仏像様かよくわからず、そもそも北を向いていることが、建物と仏像のどちらを指しているのかすらはっきりしない、ものすごく曖昧な存在らしいのです。

にもかかわらず写真の通り、とても参拝者が多いのは「善光寺」とセットだからです。

「善光寺参り」は全国的に有名ですが、ここが来世のご利益があるのに対して、「北向観音」は「現世のご利益」をもたらすと言われています。

「善光寺」だけだと「片参り」になるため、ここにも多くの方が訪れるのだそうです。

だから「善光寺」のある北を向いていて、わざわざ同じ様式に改築したのかと、納得しながらも少々あきれてしまいました。

これがある「塩田平」は本当に風情があるところで、温泉地でありながらも国宝・重要文化財級の仏閣が多く、何度も訪れました。

その中では優先順位は低くて、ようやく行ったのですが、やはり最も俗っぽい風紀でした。

ただ何となく大らかで、適当な感じは「善光寺」と似てます。

今の心境にはうってつけでした。

あまり気にしなくても何とかなるかなと、仕事で困っている案件を脇に押しやりつつ、温泉の入れる公衆浴場に向かいました。

気持ちの切り替えは本当に大事です。

あれ以来ここには行ってませんが。

 

2025年5月3日土曜日

ななつ星in九州


とうとう出会いました「ななつ星in九州」。

九州の東海岸をひた走る日豊本線を南下中に、「延岡駅」に入る手前でした。

この駅を始発に廃線となってしまった「高千穂鉄道」の遺構が残ってないかカメラを構えていたら、そのままアングルに美しい姿態が入ってきました。

ふいに菩薩を見たような錯覚に襲われ、思わずカメラを落としそうになりました。

入線後もしばらく停車しているようで、朝食の準備をしているような気配でした。

タイミングよく乗り換えがこの駅だったので、乗車時間まで眺めては撮影しまくりました。

最前列のけん引車は、雑誌でよく見かけますが、直接ご尊顔を拝するのは初めてです。

まさしく仏像を拝んでいるような感覚がしました。

立体造形のゴールドのラインが随所に奢られており、仏教的なオーラを感じます。

しかも私みたいな輩が、近づき過ぎないように、ガードする方まで立っているのです。

何から何まで特別な雰囲気が漂っていました。

料金はいくらか調べてみると、一番安いスイートで1泊2日で65万円。

連泊乗車になると、100万円を軽く超えます。

全部スイートで、AとかBとかの分類はありませんでした。

それでも予約が取れない幻の列車なのです。

いろんな周遊プランに則って運行され、同じ色彩に統一された豪華バスも活用しながら、九州の名所を満喫するようになっているため、時刻表には乗っていません。


最後の写真は、最後尾の車両です。

全車両をゆっくり拝見することが出来て、乗り換え時間にかなりの余裕があったことに感謝です。


ただ貧乏性の自分としては、乗れるものなら乗りたいですが、その金額を払ってまで乗るだろうかと、この後に乗車した鈍行列車の中で考えました。

多分ないです。

旅情を感じられなかったから。

今の寝台列車事情として、「サンライズ出雲・瀬戸」以外に定期運行はありません。

特別な臨時列車を除くと、全てが豪華旅行のための周遊観光列車となり、巡り巡って戻ってきます。

明確な目的地がないのです。

いろんな観光地に既に行っているからかもしれませんが、何故かワクワクしません。

各路線で売りにしている名物観光列車とかにすら、全く乗ってないのが現状です。

この鈍行は、ひたすら宮崎県を南下します。

また乗り換えて鹿児島市内まで帰るのですが、あと10時間近くかかります。

これで自分はいいんだなと、妙に納得した機会でした。

すねてるのかなあ。