2016年5月7日土曜日

ドクターイエロー


とうとう出会えました。見た人に幸福を呼び込むと評判の新幹線「ドクターイエロー」です。

新幹線の路線点検のため独自運行されており、時刻表に乗っていません。

偶然出会うしかないのです。

「新大阪駅」にて岡山方面の新幹線を待っているとき、背後から小さな歓声が聞こえてきました。

振り向くとこの写真のアングルで初のご対面です。

一瞬ロボットの横顔にも見え、ただでさえ大きい自分の童心が鷲掴みにされました。

始めて「マジンガーZ」と対峙した主人公「兜甲士(かぶとこうじ)」のシーンを思い出します。

この光景を、もし小学生以下の年齢で見てたなら、「新幹線の運転手」を志したと思います。

それほど強烈でカッコ良かったです。

幸い自分の乗る新幹線が来るまで時間があったので、先頭車両から最後尾まで2往復しました。

でもその後、特にラッキーがあったようには思えません。

フォームに早く上がったのは目当ての駅弁を買うためだったのですが忘れてました。

まあ出会ったことで十分ですが・・・・・。


2016年4月30日土曜日

悟りの窓


京都郊外の鷹峯(たかみね)にある「源光庵」の「悟りの窓」です。

「少年ジャンプ」の不良漫画で知りました。

画家志望の準主人公が不良仲間を連れていきます。

実際伺うと、行ってみたいと思わせたイメージ通りの空気感があり、「漫画家」と「窓の作者」双方の力量に感服しました。

隣には「四角」の「迷いの窓」もあるのですが、説明なしでも直感的に「円」の方を悟りと感じます。

「本阿弥光悦」ゆかりの地域でもあり、他の意匠にも丸・四角を組み合わせた幾何学模様が多い気がします。

話を戻しますが、実際に伺う前から気になっていたのは「悟りの窓」から見た「庭」です。

気になる時点で全く「悟り」を感じてないと思いましたが、一応デルタカフェの「坪庭」を自作した身としては、どんな庭なのか気になってしょうがありません。

しかし、覗くように見てみると庭の端っこみたいな感じで、中心を感じるものがありません。

「窓を見ることで感じてもらう・考えてもらう」ことがあくまで目的なのかなあと思いました。

庭は別に見なくても良かったような印象で、作者の割り切りみたいなものを感じます。

いろいろやりたい「欲」を出すと逆にうまく伝えられないというか、「思い切り」が足りなくなってしまうと理解しました。

なかなか出来ないですが・・・。

庭って、奥が深いです。

2016年4月23日土曜日

別子銅山の鉄道


別子銅山にある「鉄道の線路跡」です。

鉄道好き・歴史好きの両方の嗜好を、これほど満たしてくれる場所が地元にあることに感謝です。

私の子供時代の遊び場でした。

ここでの体験が、自分の好みに大きな影響を与えているのは間違いないと思います。

線路は全く残っていませんが、削岩された「岩肌」とその「幅」に、列車の走っているイメージが投影され、自然と興奮します。

写真は海の玄関口にあたる「惣開(そうびらき)」から、山間部の基地「端出場(はでば)」を結ぶ「下部鉄道」のトンネル跡です。

更に時代をさかのぼると、山頂に「上部鉄道」があります。

明治26年に開通し、同45年に廃止されるまでドイツ製の蒸気機関車が走っていました。

100年以上昔ですが「人が住んでいない」・「災害が少ない」・「保存に努力する人がいる」で驚くほど昔の面影が残されています。

海抜1000m付近の断崖絶壁の等高線を少しずつ下るように、「角石原(かどいしはら)」から「石ケ山丈(いしがさんじょう)」まで銅・物資を運びます。

そこから「索道(ロープウェイみたいに宙づりで荷物を運びます。)」を利用して谷を越え、先ほどの「下部鉄道」の終点駅「端出場」につなげていました。

このような施設は「283年間」の長い歴史の中で、「技術革新」と「銅の採掘ポイント」が動いていくに従いどんどん刷新され、お互いの接点も変わっていきます。

子供の頃は「探検ごっこ」と称して遊んでましたが、大人の目で見ても「本当の探検」の部類に入ると思われ、いつ訪れてもワクワクです。

デルタカフェにある車庫のガラス戸に「鉄道ジオラマ」を飾っていますが、この「上部・下部鉄道」の油臭く錆びた雰囲気をイメージして作成しています。

まだまだ仮置きのレベルなので、更に作り込んでいきたいです。

2016年4月16日土曜日

火種の一族


「岩櫃城(いわびつじょう)」

大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場する山城です。

城郭と縄張りは「備中松山城」のCGのようですが、山の威容は実在します。

武田勝頼は「新府城」撤退の際、その方向で真田氏の「岩櫃城(群馬方面)」か、小山田氏の「岩殿山城(東京方面)」かで悩みます。

結局、後者を選び武田氏は滅亡します。

この写真を見るたびに「ここに籠っていればなあ。」と「歴史のもしも」を考えてしまいます。

真田氏はこのあと、信州「上田城」・この「岩櫃城」・上州「沼田城」を主城として「上州街道」を結び、山岳地帯の領地を「面」ではなく、「線」で守り抜きます。

その過程で戦国大名として独立していきますが、戦国史上いろいろな「火種」を生みます。

「沼田城」は北条氏との領地争いから、豊臣秀吉の「北条征伐」の口実となります。

また本城「上田城」は、徳川氏の二度の猛攻を退けます。

特に第二次合戦は、「関ケ原の戦」に向かう「徳川秀忠」率いる徳川主力を遅参させるなど、離れた場所で戦局に大きな影響を与えます。

とどめは、「真田信繁」による「大阪冬・夏の陣」での「真田丸の防衛」と「家康本陣への突撃」です。

しかし、「武田氏・豊臣氏」と負ける側についても、一族としては徳川時代を生き残ります。

「幸村」という名は、徳川への大戦犯「信繁」を公に先祖として弔えないので、あえて拵えた偽名だそうです。

ひょっとして、徳川氏は知っていても見逃していたのかなと思っています。

相手に「ひと泡ふかせる」って、「恨み」を超越して「敬意」を招く行為なのかもしれません。

2016年4月9日土曜日

鳥海ブルーライン


山形県と秋田県の県境にある「鳥海山」。

標高2236mと「石鎚山」も軽く越え、東北の日本海側を代表する美しい独立峰です。

その山頂に向かって、日本海からブーメランのような軌道を描く「鳥海ブルーライン」をドライブしました。

山形県側から入って走り始めると、どんどん標高が上がりすぐに日本海が見えてきました。

海岸線も一望でき大パノラマです。

振り返れば「鳥海山」がいつも拝め、もっと近づきたくて先を急ぎました。

しかし残念ながら冬季閉鎖になっており、五合目付近にある折り返し地点の「鈴立展望台」へは行けませんでした。

予定ではそこを経由して、秋田県側に続く別ルートで降りるつもりでしたが叶いません。

少し残念な気持ちで戻っていると、写真の桜を見つけました。

何故行きでは気がつかなかったのか不思議です。

かなり早めに咲いた一本桜です。

これ以外道中に桜は見かけませんでした。

周囲は黒い木々ばかりなので余計に栄えます。

車の向きを変え、構図を定めて撮影しました。

たまには引き返すことも大事だと、急に得した気分になりました。

2016年4月2日土曜日

中山競馬場の桜


先週に続き千葉県ですが、当時の住まいは「西船橋」で「中山競馬場」の近くでした。

年末の有馬記念は数日前から異様な雰囲気の人手となります。

残念ながらギャンブル運を感じたことのない私は、馬券を買うこともなくゲート前を通勤の途上眺めるだけでした。

人生を狂わすこともあるのでしょうが、傍目からは競馬ファンの方々はすごく楽しそうに見えます。

そして競馬場の周囲を取り巻く桜が大振りで、春先には完全に空を覆う「桜ドーム」となり、街道を更に賑やかにします。

普段は交通規制で停車出来ないのですが、ラッキーにも空いているとき、警備員のおじさんにお願いして駐車して撮影しました。

日頃は渋滞も多くて結構イライラする通りですが、この時期ばかりはわざわざ渋滞になだれ込んで、夜桜をゆっくり車中から眺めました。

酒こそ飲めませんが、いつも何かしらの「つまみ」は持ち込んでいて、乙な気分で過ごしました。

地味に楽しかったです。

2016年3月26日土曜日

菜の花畑


最近「勝浦タンタン麺」で名前を売り出している千葉県勝浦市の周辺で、山道を走っている際に偶然見つけた景色です。

太平洋に面し、関東でも最も早く「春の訪れ」を感じる地域です。

個人的に一番大好きな花が「菜の花」です。

鮮やかな黄色が見えると「希望」も見える気がします。

年度末、仕事で追い詰められていることが多いので、何度この「黄色」に心が癒されたかわかりません。

写真の死角となる手前からも一面「黄色」で、田畑一帯が埋め尽くされているのを眺めて、死にかけていた気持ちがフツフツと蘇っていくのを感じました。

既に内示も出ていて大阪への転勤が決まっています。

残り2週間。

勝って向かうか、負けて出ていくか。

周囲の評価うんぬんではなく、この結果で自分の何かが変わってしまう恐怖で身震いします。

この景色は千葉での「訣別の景色」として強く印象に残っています。

毎年蓄積された反動のエネルギーは、デルタカフェの出発に繋がっていると思います。