2019年1月5日土曜日

丹下左膳


新年明けましておめでとうございます。

写真は京都の「大河内山荘」内に展示されている「丹下左膳」のパネルです。

この山荘を建てた俳優「大河内傳次郎」のはまり役で、シビレるような迫力が伝わってきます。

隣にある絵のポスターも実にカッコいい。

車の横で微笑んでいる素のままの本人の写真と比べると全くの別人で、役に入り込んだ眼力の強さに圧倒される次第です。

実はこの「左膳」、「林不忘」という方の書いた新聞小説に登場したキャラクターで、当初は脇役の位置付けでした。

しかし、ニヒルかつ残忍な性格、隻眼隻腕の怪異な風貌、黒エリの白い着流し、というおどろおどろしい設定に、だんだん読者の人気が出て主人公に昇格していきます。

とは言え、取り上げている自分も映画のストーリーとか恥ずかしながら知りません。

設定も知らないのに、いまだに固有名詞かつイメージまで存在を知られているってすごいことだと思います。

昔に、ある野球選手が「〇〇さんは記録で、僕は記憶で名を残します。」と言っていたのを思い出しました。

今は、情報が何でもスマフォで検索出来る「デジタルの時代(これも死語?)」です。

その状況には年々拍車がかかっています。

知らずと、その「便利さ」が自分にとって「大切なこと」を隠しつつあります。

だからこそ、皮肉にも肉体に宿る「直感」や「記憶」の貴重性が増している気がします。

大げさなことを申し上げましたが、何気に思い出して頂ける店でありたいと願いつつ、今年もよろしくお願い致します。

2018年12月29日土曜日

塔婆の碑文 群馬


利根川より北に対しては、何かしら「北限」みたいなものを意識して旅行している気がします。

歴史的には「古墳」の形態であったり、「律令体制」の影響だったりします。

この写真も、りっぱな瓦付きのガラスで覆われているので見にくいですが、中にある「石造三重塔」が主役です。

埼玉県北部から群馬県南部の「赤城山麓」にかけて「城巡り」をしている最中に、偶然地図上で発見したものです。

「塔婆の碑文」と記されていました。

なんと国の重要文化財の指定を受けていて、文化財が比較的少なく感じるこの界隈では、失礼ながら貴重な存在です。

それで寄ってみたら「はるばる来たぜ。」感が最高でした。

一面の雪景色を、背景の赤城山が寒そうに盛り上げてます。

妙に澄んだ青い空も余計に冷たそうです。

通称は「山上多重塔(やまがみたじゅうとう)」と呼ばれるらしく、平安時代初期に「道輪」という「法華宗」の僧侶が、地域安楽のために仏教教典をこの中に納めたそうです。

そのため塔身は一石を削られて作られています。

よくぞ今まで「赤城おろし」の強風に耐えてきたと、僭越ながら労いたい気持ちになりました。

何事もかくあるべしです。

2018年12月22日土曜日

栃木の朝日 


少し掲載の時期が早いのですが、元旦から青春18切符を使って北方に向かいました。

福島県の「米沢」へ向かう途上、「小山駅」で乗換え列車を待っていたときに、タイミング良く出てきた朝日を撮影したものです。

だんだんと空が赤焼けしてきて、神々しい見事な登場でした。

間違いなく今年は良い年になると直感させてくれました。

実際どうだったかははっきり覚えていませんが・・・。

昨年も同じようなことを言ったかもしれませが、クリスマスの少し前、今年もあと10日前後の時期は、新年の期待と今年の後悔が入り交じります。

やれたことよりも反省することが多いので、新しくなる手帳に必ず「やりたいこと」を列挙書きするようにしてます。

手帳は就職してから変わることなく、同じ種類の同じサイズを使っていて、終わりかけた年の手帳に書いていた「やりたいこと」に「○か×」をつけます。

「喫茶店をやる。」という項目も、過去にはずっと書いてあって何回か「×」の後、ついに項目から消えました。

周囲からは器用そうに言われることが多いのですが、自身は不器用だと思っています。

「執念」とか「根性」のようなご大層なものではなく、「忘れてしまわないこと」が大事だといつも心がけています。

そういう意味で、このブログを書く行為は、自分にとって年々重要度が増しています。

2018年12月15日土曜日

不忍池


上野にある「不忍池」の景色です。

学生時代に同じ場所で眺めていたら、自衛隊に強引に勧誘されたのを思い出します。

枯れて茶色に変色した「蓮の花」が、水面が見えないほど一面に広がり、圧巻の冬景色です。

「蓮」は極楽に咲くと言われてますし、写真のように天気の良い日だと、光の反射で茶色でも仏壇のくすんだ金色に見えます。

一人で佇んでいると、遠方に弁天島が見えて「極楽浄土ってこんな感じかなあ。」と錯覚してしまいそうです。

ここに来るとき不思議なのですが、「爽快なときか」、「落ち込んでいるときか」の両極端な気分のときが多いです。

このときは前者の気分でした。

「上野」は美術館が多いので「東京」が出張先になると、そのときの「企画展」をチェックしてよく訪れます。

たしかその流れの帰りでした。

ちなみに後者の気分のときは何もかも忘れて、上野発の夜行列車に飛び乗って、北へ向かいたくなります。

残念ながら今はもう夜行列車は「廃止」されてありません。

だんだん寂しくなってきました。

2018年12月8日土曜日

首里城


全国の都道府県の中で唯一行けてなかったのが「沖縄県」でした。

城好きなのに、恥ずかしながら「城(グスク)」巡りが全く出来ておらず、沖縄到着後真っ先に向かったのが「首里城」です。

復元された本殿や周辺の構造物も「世界遺産」だけに見応え十分ですが、何といっても素晴らしいのは「石垣」でした。

独特の滑らかな積み方は石と石の隙間がありません。

また写真に見える石垣上部の少し突き出した部分は見張り台で、こうすることで死角をなくせるようです。

少しずつ滑らかな弧を描いて反り上がっており、特に見事な曲線美です。

下から見られることもかなり計算された「威厳を示す」演出だと思います。

この後ぐるりと城壁を一周しましたが、カーテンレースが波打つようなうねりがバランス良く展開されていました。

日本の「近世城郭」の発展経緯とは異質な文化の中で、進化していったのだと思います。

まだ訪れてない「城(グスク)」がどのような風情なのか大いに興味が湧き、次回の計画を考えながら、今の観光を楽しみました。

2018年12月1日土曜日

四国村 灯台の庭


香川県屋島の麓に近い「四国村」に行ってきました。

船橋に住んでいたとき、通っていた「首都高」脇にある大きな倉庫の壁に、何故か「四国村」と描かれていたのが、気になるキッカケでした。

愛媛に戻ってからも「松山道」で松山方面に向かうとき、倉庫の壁に同じ字体のロゴを発見。

漸く調べて具体的な存在を確認し訪れた次第です。

昔ながらの伝統建造物がたくさん移築されており、どれも興味深く拝見させてもらいました。

全部取り上げたいくらいなのですが、あえて選ぶとしたら「灯台の住居部」にあった玄関前に横たわる「池」です。

玄関通路を橋に見立て、その下もつなげて左右に広げた「ヒョウタン形の池」が作られていました。

複数ある住居部のどれにも同様のものがあり、生活様式として定番化されていたのだと推察されます。

しかもコンクリート底の浅い池です。

実際のところ、どう使われていたかは全く知りません。

勝手な想像ですが、もしここに金魚とかが飼われていたのかと思うと微笑ましいです。

一般的に灯台の周囲は人里から離れ、ジャングルに近いくらい木々が茂っているので、普通にある自然に対して、愛らしい要素など感じない気がします。

孤立した中で、人工的な「観賞魚」の色彩は、唯一の「癒し」だったも。


2018年11月24日土曜日

妙義山


「妙義山(みょうぎさん)」。

近隣の「赤城山」、「榛名山」と共に「上毛三山」の一つに数えられます。

奇岩ばかりの山々の集合体で、その荒々しい山容の景観から、「日本三大奇景」にも選出されているそうです。

ただ恥ずかしながら、以前取り上げました漫画「頭文字(イニシャル)D」で初めて認識しました。

この山をテリトリーにしている峠族のリーダーが「スカイラインGTR(通称R32)」で主人公に挑みます。

その「まがまがしさ」が、山と車の両方の雰囲気に似合ってました。

確かに「群馬県側」から「軽井沢バイパス」で向かう道中に、この山が見えてました。

しかし「浅間山」近く「鬼の石出し」を演出する溶岩石の奇観にイメージが流れてしまい、希薄な印象しか残ってなかったのです。

(ちなみに、ここは三大奇景ではありません。)

急に興味が出てきたので、山界隈の「城巡り」も兼ねてドライブしました。

この写真は、一番尖がって観える場所をわざわざ選んで撮りました。

別の角度で見ると、もっとギザギザが際立って観えます。

さすがに登山をしようとは思いませんでしたが、自分の地元に象徴的な山が見えるのは「いいものだなあ。」と思います。

実際、このあたりの地域では、3チーム対抗戦のとき、「赤城組」・「榛名組」・「妙義組」に分けたりするそうです。

また漫画は、日常生活に全く触れないのに、峠族をそのテリトリーの山で表現するあたり、作者の力量に感服します。

多分地元なんだろうなあ。