2018年12月22日土曜日

栃木の朝日 


少し掲載の時期が早いのですが、元旦から青春18切符を使って北方に向かいました。

福島県の「米沢」へ向かう途上、「小山駅」で乗換え列車を待っていたときに、タイミング良く出てきた朝日を撮影したものです。

だんだんと空が赤焼けしてきて、神々しい見事な登場でした。

間違いなく今年は良い年になると直感させてくれました。

実際どうだったかははっきり覚えていませんが・・・。

昨年も同じようなことを言ったかもしれませが、クリスマスの少し前、今年もあと10日前後の時期は、新年の期待と今年の後悔が入り交じります。

やれたことよりも反省することが多いので、新しくなる手帳に必ず「やりたいこと」を列挙書きするようにしてます。

手帳は就職してから変わることなく、同じ種類の同じサイズを使っていて、終わりかけた年の手帳に書いていた「やりたいこと」に「○か×」をつけます。

「喫茶店をやる。」という項目も、過去にはずっと書いてあって何回か「×」の後、ついに項目から消えました。

周囲からは器用そうに言われることが多いのですが、自身は不器用だと思っています。

「執念」とか「根性」のようなご大層なものではなく、「忘れてしまわないこと」が大事だといつも心がけています。

そういう意味で、このブログを書く行為は、自分にとって年々重要度が増しています。

2018年12月15日土曜日

不忍池


上野にある「不忍池」の景色です。

学生時代に同じ場所で眺めていたら、自衛隊に強引に勧誘されたのを思い出します。

枯れて茶色に変色した「蓮の花」が、水面が見えないほど一面に広がり、圧巻の冬景色です。

「蓮」は極楽に咲くと言われてますし、写真のように天気の良い日だと、光の反射で茶色でも仏壇のくすんだ金色に見えます。

一人で佇んでいると、遠方に弁天島が見えて「極楽浄土ってこんな感じかなあ。」と錯覚してしまいそうです。

ここに来るとき不思議なのですが、「爽快なときか」、「落ち込んでいるときか」の両極端な気分のときが多いです。

このときは前者の気分でした。

「上野」は美術館が多いので「東京」が出張先になると、そのときの「企画展」をチェックしてよく訪れます。

たしかその流れの帰りでした。

ちなみに後者の気分のときは何もかも忘れて、上野発の夜行列車に飛び乗って、北へ向かいたくなります。

残念ながら今はもう夜行列車は「廃止」されてありません。

だんだん寂しくなってきました。

2018年12月8日土曜日

首里城


全国の都道府県の中で唯一行けてなかったのが「沖縄県」でした。

城好きなのに、恥ずかしながら「城(グスク)」巡りが全く出来ておらず、沖縄到着後真っ先に向かったのが「首里城」です。

復元された本殿や周辺の構造物も「世界遺産」だけに見応え十分ですが、何といっても素晴らしいのは「石垣」でした。

独特の滑らかな積み方は石と石の隙間がありません。

また写真に見える石垣上部の少し突き出した部分は見張り台で、こうすることで死角をなくせるようです。

少しずつ滑らかな弧を描いて反り上がっており、特に見事な曲線美です。

下から見られることもかなり計算された「威厳を示す」演出だと思います。

この後ぐるりと城壁を一周しましたが、カーテンレースが波打つようなうねりがバランス良く展開されていました。

日本の「近世城郭」の発展経緯とは異質な文化の中で、進化していったのだと思います。

まだ訪れてない「城(グスク)」がどのような風情なのか大いに興味が湧き、次回の計画を考えながら、今の観光を楽しみました。

2018年12月1日土曜日

四国村 灯台の庭


香川県屋島の麓に近い「四国村」に行ってきました。

船橋に住んでいたとき、通っていた「首都高」脇にある大きな倉庫の壁に、何故か「四国村」と描かれていたのが、気になるキッカケでした。

愛媛に戻ってからも「松山道」で松山方面に向かうとき、倉庫の壁に同じ字体のロゴを発見。

漸く調べて具体的な存在を確認し訪れた次第です。

昔ながらの伝統建造物がたくさん移築されており、どれも興味深く拝見させてもらいました。

全部取り上げたいくらいなのですが、あえて選ぶとしたら「灯台の住居部」にあった玄関前に横たわる「池」です。

玄関通路を橋に見立て、その下もつなげて左右に広げた「ヒョウタン形の池」が作られていました。

複数ある住居部のどれにも同様のものがあり、生活様式として定番化されていたのだと推察されます。

しかもコンクリート底の浅い池です。

実際のところ、どう使われていたかは全く知りません。

勝手な想像ですが、もしここに金魚とかが飼われていたのかと思うと微笑ましいです。

一般的に灯台の周囲は人里から離れ、ジャングルに近いくらい木々が茂っているので、普通にある自然に対して、愛らしい要素など感じない気がします。

孤立した中で、人工的な「観賞魚」の色彩は、唯一の「癒し」だったも。


2018年11月24日土曜日

妙義山


「妙義山(みょうぎさん)」。

近隣の「赤城山」、「榛名山」と共に「上毛三山」の一つに数えられます。

奇岩ばかりの山々の集合体で、その荒々しい山容の景観から、「日本三大奇景」にも選出されているそうです。

ただ恥ずかしながら、以前取り上げました漫画「頭文字(イニシャル)D」で初めて認識しました。

この山をテリトリーにしている峠族のリーダーが「スカイラインGTR(通称R32)」で主人公に挑みます。

その「まがまがしさ」が、山と車の両方の雰囲気に似合ってました。

確かに「群馬県側」から「軽井沢バイパス」で向かう道中に、この山が見えてました。

しかし「浅間山」近く「鬼の石出し」を演出する溶岩石の奇観にイメージが流れてしまい、希薄な印象しか残ってなかったのです。

(ちなみに、ここは三大奇景ではありません。)

急に興味が出てきたので、山界隈の「城巡り」も兼ねてドライブしました。

この写真は、一番尖がって観える場所をわざわざ選んで撮りました。

別の角度で見ると、もっとギザギザが際立って観えます。

さすがに登山をしようとは思いませんでしたが、自分の地元に象徴的な山が見えるのは「いいものだなあ。」と思います。

実際、このあたりの地域では、3チーム対抗戦のとき、「赤城組」・「榛名組」・「妙義組」に分けたりするそうです。

また漫画は、日常生活に全く触れないのに、峠族をそのテリトリーの山で表現するあたり、作者の力量に感服します。

多分地元なんだろうなあ。

2018年11月17日土曜日

大山 ハスラー


この時期「デルタカフェ」開店に向けての最終段階でした。

コーヒーの総代理店が、何故か島根県「石見銀山」を本拠としており、歴史地区の町並みの一角にお店を構えていました。

この写真は詰めの打ち合わせのため、母親と一緒に伺った帰りに撮影したものです。

「蒜山高原」へ向かう途中の「奥大山」です。

「大山」は眺める場所で全く趣が変わります。

「松江市」から「米子市」に向かう日本海側から眺めると、「伯耆富士」と呼ばれるにふさわしい見事な円錐形ですが、そこから横の位置になる「奥大山」の要望は全く異なり、ゴツゴツした岩が剥き出しの尾根が連なります。

以前に「松江市」に住んでいたとき、流行り始めたばかりのスノーボードを始めました。

滑走可能のスキー場が「奥大山」にあったので、当時開通したばかりの「米子道」を活用して毎週のように行きました。

もともとは「雪国」に縁のない自分でしたが、おかげで雪の中での行動に慣れることが出来、その環境をそれなりに楽しめました。

しかしときどき天候が急変して、牙をむかれたこともあります。

峠を越え日本海側に入った瞬間から大吹雪で、雪がどんどん積もってきたため、慣れないタイヤチェーンを埋もれながら慌てて装着したことがあります。

直感的に「死」が浮かんできたあの感覚は鮮明に残っていて、一度だけした装着練習がもしなかったら、本当にどうなっただろうかと未だにゾッとします。

「雪山」に対しての油断は禁物です。


2018年11月10日土曜日

鼠ヶ関


東北の「三関」の一つで、日本海側にある交通の要衝「鼠ヶ関」です。

近くに魚市場があり、そこの食堂で夕方近くでしたが新鮮な魚料理を堪能出来ました。

いい腹持ちでウロウロしつつ気持ちよく撮った一枚です。

他の「三関」の太平洋側が「碇ヶ関」、真ん中が「白河城」の近くにある「白河関」です。

東北地方は地形的に山が険しいせいか、太平洋と日本海を横断出来るルートが少なく、必然的にこの「三関」のどれかを通って、縦の北方へジグザグに向かうことになります。

古代においてはこれらから北は「大和朝廷」の領土外でした。

「桓武天皇」以降、本格的に朝廷側からの侵略行動が開始されます。

反対に「蝦夷地」は北へ追いやられ、だんだん縮小されていきます。

ただアメリカの「西部劇」と違うのは、その課程において、有史以来の流れかと思いますが「日本民族」は西から東に向けてどんどん混血化が進んでいきます。

「単一民族」という言葉が何を定義とするのかよくわかりません。

以前にどこかのビール会社社長が「蝦夷発言」で不買運動の憂き目にあいました。

しかし実際のところおかしな話です。

古代末期には、「奥州藤原氏」が統治した約百年にわたる平和な時期という、他の地域では考えられない稀な時代が存在しました。

交易が盛んだったと思われ、「みちのく」が大きな統一単位として、地域交流がより一段と進んだに違いありません。

更にこの後も、鎌倉時代の「守護・地頭」の設置から始まって、室町時代の「守護大名」、安土桃山時代の「戦国大名」、江戸時代の「藩」単位による現代の転勤族も真っ青の「国替え」によって、領地の人民もかなりガラガラポンされています。

偏見を踏まえた事実としても、ずいぶん違うと思うのですが・・・。

まあ、ある程度混ざって均質性が出てくるという点では、「単一」に近いのかもしれません。