ここの所在地は、「大阪府南河内郡太子町大字太子」で「叡福寺境内」の北側になります。
「太子」という表記で、勝手に「聖徳太子」と思っていたらその通りでした。
あくまで推定されている話になりますが、この周辺には叔母にあたる「推古天皇」始め、父親の「用明天皇」や他の6世紀後半から7世紀前半の天皇とその皇族が集中的に埋葬されている地域で、エジプトなら「王家の谷」のような位置づけになるのではないでしょうか?
しかし太子の本拠地は奈良県にある「法隆寺」界隈であったとすると、ここは二上山を越えた大阪府になるため、政治の中心地からかなり離されている気がします。
今回は自転車でウロウロしていたのですが、何かあったのではと、つい邪推してしまうのです。
ここには「太子信仰」なるものがあり、断片的に伺うだけでも神秘的な話が多いと感じます。
太子は27歳のとき、ここを埋葬地として指定しました。
神馬「甲斐の黒駒」に乗って天上を駆けて富士山頂に行ったとき、そこから見渡した下界の西方が輝いていたので、そこに向かうと素晴らしい霊地であると悟り決めたそうです。
写真は、「太子廟」の正門ですが、この奥に太子とお母さん、1日前に亡くなった奥さんが一緒に葬られている横穴式石室があります。
3人の合葬墓は「三骨一廟」と呼ばれ、下の写真は石棺の配置を説明しているものです。
立ち入ることは出来ませんが、この周囲を「結界石」なるものが囲っていて、「空海」が一晩で築き上げたとの伝説も残っています。
でも実際に築かれたのは鎌倉時代らしく、時代が嚙み合っていません。
例えが何かにつけて大仰な気がします。
怖さを感じることがありませんでしたが、ありとあらゆる伝説を呼び込むような磁場が働いているような気がします。
また来ようと思いますが、そのときは何が渦巻いているのか気になってしまいます。
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