2022年10月29日土曜日

田川伊田駅(石炭の町)


大分県の「日田」へ向かう路線再開の見込みがなくなってしまった「日田彦山線」に乗って、「小倉」方面から「田川伊田駅」に向かいました。

到着間近に「香春岳(かわらだけ)」が右手に大きく見えます。

「一ノ岳・二ノ岳・三ノ岳」と三つの山で構成され、直列に並んでいましたが、石炭採掘で「一ノ岳」は半分ほど平らに削られてしまいました。

「ワンピース」に登場する「鷹の目ミホーク」が、山をバッサリ切ったようです。

城跡でもあったので、消滅しているのが残念でした。

今回の目的は「石炭記念公園」です。

写真の通り、シンボルである「竪坑櫓・二本煙突」です。

筑豊随一の規模を誇った「三井田川鉱業所・伊田竪坑」の跡地であり、以前に取り上げた「直方」のこじんまりした風情とは全く趣が違います。

石炭から石油へのエネルギー転換によって、ここでの雇用が失われていく様は、多くの労働争議に発展しました。

非常に大きな影響だったと思いますし、地元の「別子銅山」閉山とも通じるものを感じます。

また、この記念館には、日本で初めて「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された「山本作兵衛コレクション」が所蔵されていて、当時の生活を描いた作品を数多く観賞することが出来ました。

そこで実際に暮らしていた方の絵ですが、素朴な味わいがあって、実物に会えて本当に良かったと思います。

二枚目の写真は、、昭和の佇まいが色濃く残るフォームに入線してくる列車です。

妙にほっこりしながら帰路に着きました。


2022年10月22日土曜日

常栄寺(雪舟庭園)


「山口県山口市」にある「常栄寺」。

「雪舟」が作った庭はいくつか取り上げましたが、真骨頂はここなんだと思い知らされた心境でした。

順番的には最期に訪れたため、よくわかっていませんでした。

当時は大戦国大名「大内氏」の庇護を受けて、本拠地としていたわけですから、当然といえば当然です。

パトロンのためにも、自身を誇示する上でも、至高を目指したはずです。

場所も大内氏の館から近い山の手にあり、国宝「五重の塔」で有名な「浄瑠璃寺」も並ぶようにあります。

石を立てるように集めてこんもりさせる特徴は健在で、使用される石も大きく、それらが群生してます。

京都(芬陀院)や、益田(医光寺)で滞在中に作った庭は、建物の間取りや庭にする面積の制限を受けてますが、そのリミッターを外すとこうなるのかと納得した次第です。

周遊出来る小道もあり、360度の全方位から、この庭を楽しめます。

訪れたときに、音楽系アーティストの企画か何かで、二枚目の写真のように境内に音の波数が表示される画面があり、不思議な音が流されていました。

自身も気持ちよく聴きながら、ずっと眺めていたらかなりの時間が経っていたのに驚きました。


2022年10月15日土曜日

森駅


行かれたことがなくても、ここの駅弁は食べたことがあるかもしれません。

百貨店とかの駅弁フェスで、超人気の「いかめし」を販売している駅です。

元祖になる新宿「京王百貨店」のフェアでは、第一位の販売記録を連続で誇ります。

弁当といっても、一般のサイズよりも二周りくらい小さいので、酒のつまみに最高な感じです。

何回か函館本線に乗っていますが、いつも寝台・夜行列車だったので通り過ぎるだけでした。

漸く現地にて食することが出来ました。

駅の隣に、写真の店舗「柴田商店(作っている会社は別)」があり、コカコーラの看板が期待を裏切りませんでした。

戦後すぐに発売され、不足した米を少なく出来るように、ヤリイカの中に詰めたそうです。

北海道の厳しい気候の中で、コンビニもなく交通も不便なときに、地元の素材を工夫して生み出された奇跡の駅弁だと、あらためて感動します。

折角なので駅の構内のベンチに座って食べました。

GWでもまだまだ寒いのですが日差しは朗らかで、これから弧を描くように向かう「有珠山」が海に浮かんで見えます。(写真のど真ん中にあるのが見えますか?)

背景の青空も視界いっぱいに拡がり、爽やかな気持ちでほおばりました。


2022年10月8日土曜日

備中高梁市の城壁


以前「備中松山城」を取り上げましたが、城下町から離れているうえ、山の高さも半端ないです。

治めるには、不便なことこのうえないです。

そのため日常は、麓に「御根小屋」という御殿を構えて、そこで殿様は政務を執り行っていました。

町の北側に位置する「高梁高校」がその跡地らしいですが、石垣でしっかり囲まれています。

また町中を散策すると、いくつかある寺社仏閣が城塞化しているのがココの大きな特徴です。

写真は南に位置する「松連寺」です。

下手な城郭より石垣が見事で、数段の構えとなっています。

海側の南から攻撃されるとすれば、出城としての役割が与えられていたはずです。

城下町の西側を流れる「高梁川」は、今でこそ護岸工事により川幅が定められていますが、往事はもっと広く、氾濫もしたはずです。

川に沿って敷かれた鉄道も昔はなかったので、町自体がもっと山側の東寄りに詰まっていました。

中心部にある「頼久寺」の石垣も加えて、川に面する形で湿地帯があり、それぞれの石垣が一つの防衛ラインになっていたと推察します。

西側の守りは、実質的に堅固な総構えです。

今日も車で「備中松山城」を訪れた後に、北からのんびりと南にドライブしたのですが、石垣の際に沿った道を走っていると、それを強く実感します。

武家屋敷を眺めながら、車で城内を散策しているようでした。

何度でも訪れたい町並みです。

2022年10月1日土曜日

猿岩


長崎県の「壱岐島」にある「猿岩」です。

後頭部からのリアルな風貌に、唖然と見とれてしまいました。

正直なところ、有名な石や岩の例えには、無理があるなあと思っています。

有名な庭園には、石や岩を何かに見立てた物語が多いですが、今まで納得出来た試しがありません。

しかし、シルエットどころか表情まであります。

少しポカンと口を開けたように見える様に、とても愛嬌を感じました。

昔のソニー「ウオークマン」のコマーシャルで、猿が遠い目をして、音楽に聞き入っている光景ともダブります。

果たしてこの猿には、何がみえているのだろうと、しばし考えてしまいます。

岩を相手に、ここまで思いを巡らせるのは初めてです。

以前に取り上げた「黒崎砲台跡」を、目的地として向かっていたのですが、偶然にも隣り合わせの場所でした。

非常にラッキーだったと思います。

こういった巡り合わせがあるからこそ、いつまでたっても旅はやめられません。

素敵な観光地でした。

 

2022年9月24日土曜日

壬生寺(みぶでら)


幕末において、京都の治安維持を目的に活動した「新撰組」。

その最初の本拠地であり、当初の隊名が「壬生浪士組」であったことからも縁の深さが伺えます。

写真の通り、「誠」の旗印が異様に目立ちます。

お寺に伺う感じとは、随分と印象が違いました。

屯所が「西本願寺」に移転してからも、当時の境内は兵法調練場に使用されたいたようです。

その縁で隊士の墓である「壬生塚」があり、訪れたときも若い女性の姿がかなり目立ちました。

漫画「鬼滅の刃」で鬼と闘う「鬼殺隊」は、「新撰組」をおそらくモデルにしています。

ここでも、羽織に使用された「緑と黒の市松模様」のグッズが、本家を凌ぐように売られていました。

まだ映画が大ヒットする前の訪問だったので、今は「聖地化」して、原宿の竹下通りのようになっているかもしれません。

今のうちに行っといてよかったと思います。

お寺としては、京都では珍しい「律宗」で、奈良の「唐招堤提寺」を本山としています。

開祖が「鑑真大和上」の宗派と関係があるのが、何かしっくりきません。

幕末期のドラマティックな展開には事欠きませんが、その後に「廃仏希釈」や、放火による本堂消失の被害とかも受けています。

最期の写真にある、本堂と並ぶようにあったストーパのような「千体仏塔」が独特の雰囲気を醸し出しており、いろんな因縁を吸い込んでいるように見えました。


2022年9月17日土曜日

韓国国境


「対馬島」の最北端にある「韓国展望所」です。

いかにもコリアン風の建物でしたが、作りはウレタンみたいな素材が風化したようになっていてボロボロでした。

大きいわりには土産物の店舗も入っておらず殺風景です。

海も天気は良かったのですが、少し霞んでいて朝鮮半島は見えません。

しかも入口にあった大きな門は期待値を上げただけで何だったのかと、複数の悪条件が重なって興ざめしました。

しかし国境であることを感じるのは十分でした。

展望所から目の前に小さな島があり、そこは自衛隊の「レーダー基地」でした。

そもそもこの島は、日本本土よりも半島に近いわけですから、有史以来ずっと日本の領土であるのは、世界的に見ると希有な例なのかもしれません。

そして近くに「豊砲台跡」があります。

以前に取り上げた「黒崎砲台跡」と同時期の昭和初期に築かれました。

2枚目の写真の通り、戦艦の主砲が備えられた跡が、空に向けて大きな口を開けていました。

実は上からだけでなく、側面から基地内を見学出来る入口があったらしいのですが、このときは知りませんでした。

またあらためて訪れたいと思います。

「対馬」は神社巡りが十分に出来てないので、再訪問の機会があるような気がします。