2024年6月15日土曜日

ノート渓谷


ここのバロック様式はスゴい。

との評価を聞きつけ、渓谷沿いの街並みを向かいます。

雨もほぼ止んで、虹が半円に綺麗に見えました。


本当に街並みが全てバロック様式。

クリーム色に見事に統一されてます。

しかし、長い歴史の中で、様々な建築様式が重ねられ、時代の多重性を醸し出すイタリアの街並みとしては異様に感じます。

それは衝撃的な理由でした。

1693年の南東部を襲った大地震で、街が崩壊したのです。

イタリアは、実は日本同様に地震が多い国です。

この峡谷で地震が起これば、全滅に近かったと思われます。

多くの死者を出しつつも、その後バロック様式の建物で、街は復興されました。

そのため山間部とはいえ道路は広めです。

散策しながら遅めの昼食をバールで頂くことにしました。

大晦日のせいか、周囲は店を閉め始めており、結構混んでました。

やる気もなく、出されたハムチーズサンドは冷え切ってます。

残念な気持ちで、外のテーブルに座ったのですが、嬉しいことに「ランチア・テージス」を発見しました。

写真の通り、通りの目立つところに、鎮座してました。

当時のランチアブランドの旗艦車種です。

背景のクリーム色の建物と、濃紺のボディが非常にマッチしています。

この車が売れず、ランチアは衰退に向かうのですが、落ち着きのある見た目は最高です。

エンジン仕様の問題が、車格の比較競争にマッチングしなかったかと、悔しい限りです。

ただ、このときはコイツが当てとなり、少し優雅な食事に変貌しました。

イタリア本土で眺めるイタ車はたまりません。

2024年6月8日土曜日

シラクーサ


旅の2日目はあいにくの大雨でした。

そのうち回復することを期待しつつ、城砦都市「シラクーサ」に向かいました。

シチリア島も南側になってくると、ローマ帝国の遺跡に加えて、それ以前のギリシャ文化の息吹を感じます。

ここは大ギリシャの一大拠点だった街で、北側の高台の遺跡にはローマの円形競技場と、ローマの扇形劇場の遺跡が並ぶように残っていました。

特に劇場は、一万五千人の観客が収容可能で、今も現役です。

世界的な演劇が、今も開催されているらしいです。

世界文化の中心を成した存在なのだと、実感します。

南部の町は「オルティジア島」にあり、この島はまるまま総囲いの城塞です。

陸地と橋で繋がっているので、車で渡りそのまま市街地を当てもなくグルグル走りました。

外周を走ったときは、外壁の上を走っており、荒れたイオニア海を見ていると、ローマ帝国時代のガレオン船がやって来るようでした。

先日観た映画「インディ・ジョーンズ 運命のダイヤル」のラストシーンが、ここだったのに驚きました。

写真の通り、そのまんまの景観が残っています。

岩礁に当たって砕かれた波が、海をエメラルド色に染めているのが印象的でした。

また石畳の縦列駐車された路地を通り過ぎるとき、今回のレンタカーが大好きなランチアであることに、改めて感謝です。

マニュアルでクイックにシフトチェンジして走り出すと、イタリアという本来の故郷で、車の味わいが石畳越しに伝わってきて、テンション上がりまくりでした。

イタ車冥利につきます。


 

2024年6月1日土曜日

タオルミーナ


初日の午後からは、映画「グランブルー」の舞台となった「タオルミーナ」に向かいました。

午前中は快晴だったのですが、だんだん雲行きが怪しくなってきました。

海も「ティレニア海」から「イオニア海」に変わりましたが、少し時化だ感じで残念です。

写真のロケ地となった美しい小島「イソラ・ベッラ」を観ても、華やかさが伝わってきません。

すぐ右側の入江沿いに舞台となったホテルと、主人公ジャックとその恋人、ジャン・レノ扮するエンツォが談笑しながら、シーフードパスタが供された店があります。

が、冷凍物で不味いと不評な話が多かったため、眺めるだけにしました。

海への期待は早々に諦めて、市街地に向かいました。

今日はここで宿泊です。

荷物を置いて、夕食がてら外に繰り出しました。

小さな街ですが、年末の催し物とかやっている最中でした。

街中がライトアップされていて、石造りの外観が、日中以上に華やかです。

教会に入ると、ゴスペルの生演奏をやっており、鑑賞自由とのこと。

内部の長椅子に腰掛けて、天井画を眺めていました。

いよいよ明日は大晦日です。

年末特有の高揚感はここも同じなんだと、少しラッキーな気分になりました。


 

2024年5月25日土曜日

メッシーナ


最初、ガンダムのモビルアーマーにあった名前と勘違いしました。

それは「メッサーラ」でしたが、紫色の色調が強いボディで、この街もそんなイメージでした。

街に向かう下り坂の前方に、海を挟んでイタリア本土が見えます。

その海が、少し靄っていて紫色に見えました。

だんだん天候が悪くなっている気がします。

この街は、本土との玄関口として栄えてきました。

確か島内で、州都パレルモに次ぐ規模です。

道中は日本みたいに店もなく、昼時だったので、食事のために立ち寄ったのです。

しかし街は凄いことになっていました。

みんなどこに避難するのかと思わんばかりに大渋滞で、引き返すことも出来ません。

ズルズルと中心地に進入、駐車場所から出てきた車の後に何とか車を止め(縦列駐車に毎回シビレました。)、とりあえず目の前の食堂に入りました。

バール(軽食中心の店)なのか、リストランテ(パスタも提供されるレストラン)か微妙な位置付けでしたが、素朴なトマトソースペースのパスタを美味しく頂きました。

そういえばイタリアの方はケチャップを、自国文化への侮辱と認識しているらしいです。

自分の地元にある鉄板ナポリタンは、ここではあり得ない存在なんだと、ぼんやり思いつつ食後のカプチーノを飲みました。

店の窓は大きくて、街の喧騒がよく伝わります。

ここの日常が垣間見えた気がします。

年末の仕事終わりなのか、何かの礼拝なのか不明でしたが、小一時間もすると、最初の写真のように、車はほとんどいなくなりました。

二階建ての観光バスらしきものが、何事もなく走っています。

極端な展開でしたが、動きようがなかったため、良い休息時間の確保となりました。

少し広場も散策しました。

印象派の絵画に出てきそうな素敵な空間でしたが、さっきまでの人々は何処に行ったんだろう?


渋滞時の写真です。

あれは一体何だったんだろう。

2024年5月18日土曜日

ジャンカルド村①


実はイタリア旅行は、このブログを書き始めたときに、最終回用に残しておいたものでした。

しかし、新たな旅行への意欲は失われることもなく、題材は増え続けていること。

ブログも7年経つと、この旅行自体の記憶が曖昧になってきたこと。

自分の老人化が確実に進んでいることに危機感を覚えつつ、今のうちに書こうと決めた次第です。

本題に戻しますが、シチリア島を訪れたのは、イタリア映画のロケ地巡礼の側面があります。

今の若い方の間では、アニメの巡礼が流行っているようですが、オタクの私も以前から、イタいと言われる頃から結構やっていました。

ご存知の方も多いかと思いますが、「ニューシネマパラダイス」。

自分にとって、イタリアの扉が開いた映画です。

少年トトが生まれ育った「ジャンカルド村」、実は実在しません。

正確には、海と山にある別々の町を2つ併せて、作り上げた村でした。

最初にレンタカーで向かったのは、空港のある州都「パレルモ」から時計回りに西側の「ティファル」です。

ここは、海の「ジャンカルド村」になります。

目の見えないアルフレッドが、青年トトに寄り添って海岸を歩きながら、「お姫様と兵士」の話をするシーン。

それと旅立ちのときの駅はここが舞台でした。

あのときと同じく快晴です。

眼前の「ティレニア海」も、強烈な青色が深々と突き刺さってくるようでした。

思い描いていた通りのイメージが体感出来て、しばらくウットリしてしまいました。

とは言え、前夜からの空港泊がたたり、遅れを取り戻すべく次を急がないといけません。

足早に去らないと行かないのが、もどかしい限りです。



駅の廃屋も日本の風情とは一味違う、素敵な味わいが滲み出てました。

ああ、乗り鉄もしたい。

2024年5月11日土曜日

シチリア島


のっけからつまづいています。

意を決して憧れのシチリア島にやってきたのですが、ローマからの乗り継ぎ便が遅れ、レンタカーの空港店が閉店してしまいました。

記念すべき初日を、パレルモ空港内で一晩明かすことになりました。

その動揺のせいか、空港の巡回バスにバックを置き忘れる始末。

最終の巡回バスだったらしく、問い合わせたくとも誰もいません。

イタリアで忘れ物なんて絶望的です。

パスポートと金品の類は身につけていましたが、衣類は調達しないといけません。

だだっ広い空港ロビーで、暴漢の類がやって来たりしないか、周囲を警戒しながら不安な夜を過ごしました。

写真は、早朝の空港ロータリー前で撮影した1枚です。

果たして旅行を完遂出来るのか、大体の旅行は能天気な感覚でスタートするのですが、今まで経験したことのない不安を覚えた記憶が鮮明に残っています。

朝一番の巡回バスがやって来ました。

バックのことを相談しようと近づいて車内を見ると、そのままバックが放置されていました。

何と同じバスにそのまま巡り会えたのです。

急に運気が上がってくる気がしました。

1日遅れたレンタカーは、乗りたかった「ランチア・イプシロン」のマニュアル仕様です。

天気も良さそうで、眠気も吹き飛びました。

今から島一周旅行のスタートです。


 

2024年5月4日土曜日

第二奇兵隊本陣跡


「山口県柳井市」の山間部に「石城山」があります。

ここに「石城山神籠石」と呼ばれる古代の山城が存在しました。

以前訪れていましたが、山頂へ行くことが出来ず、再訪した次第です。

「天智天皇」の時代に、「白村江の戦」で破れた日本軍は、朝鮮半島から撤退します。

そのため半島を統一した「新羅」の反攻に備えて築かれました。

山頂部近くに「神護寺」があるので向かいました。

するとそこは、山口県東部の「奇兵隊」本陣に活用された場所でした。

どうしても「高杉晋作」が、下関にある「功山寺」にて挙兵したイメージが強いのですが、この民力主体で創設された軍隊は、毛利領内の「長門・周防」2カ国で展開されました。

当初は「南奇兵隊」と呼ばれたらしいですが、400名を超す大きな組織となったので、「第二」の名称がつけられたようです。

しかし組織の運営上の問題や、時代に取り残されるようになり、徐々に瓦解していきました。

とはいえ、空間の雰囲気としては駐屯した気配がひしひしと残っていました。

草木は生い茂ってますが、広さはそのまま残っているようです。

写真にある正門の奥に置かれた灯篭の明かりと、次の写真にある千手観音菩薩が、その歴史があったことを強く訴えているように感じました。

自分の霊感レーダーが働かなかったのが不思議な気がしました。