2021年7月3日土曜日

松山市郊外


松山市に居を構えて5年がたちました。

仕事も含めて生活していく中で、道後平野の豊かさを感じることが多いです。

前に「千葉県船橋市」に住んでいたとき、「佐倉市」にある「国立歴史博物館」を訪れたことがあります。

「国立」がついているだけのことはあって、教科書とかに挿入されている、当時を再現した模型の多くがここにあることを知りました。

その中に、江戸時代に名字帯刀を許された「豪農」を説明したコーナーがあり、その邸宅を再現した模型が展示されていたのです。

その代表的な地域として道後平野が紹介されてました。

大きな通りから一つ裏の通りに入ると、今でも写真のように大きな構えを残した家を目にします。

中の邸宅は現代風になっているところが多いですが、うまく調和されていると思います。

車庫に利用されたりもして、好みの車が収まっているのを、通り過ぎながらチラ見できると、グッときました。

その前面には、青々とした水田が広がっており、生きていくうえでの「確かさ」みたいなものを、つい感じてしまいます。

比較するのも何ですが「デルタカフェ」周辺で、増えていく休耕田を目にすると、何とか出来ないかなと、ついつい考えてしまいます。

2021年6月26日土曜日

洲本城


名前の通り淡路島の洲本市にあります。

全くわからない写真をアップしてしまい、大変すみません。

山並みの一番高い、少し突き出た箇所が天守閣となります。

しかも展望台を兼ねた模擬天守です。

しょぼくて少し残念ですが、山頂の好立地にあるため、そこからの海と町並みが拝める景観は、実に素晴らしいです。

その道中に麓から垣間見える石垣も実に見事です。

「登り石垣」と呼ばれ、「大洲城」を築いた「脇坂安治」の手によるものです。

石垣フェチでドライブ好きの自分にとってはたまりません。

車で楽に行けて、総構えの石垣を堪能出来る山城はほとんどありません。

近いイメージだと兵庫県の「竹田城」ですが、最近は人気のため渋滞がひどくて、簡単には行けなくなりました。

その点ここはゆったりと満喫出来ます。

愛媛県と京阪神を結ぶ道中のため、この辺りは結構ウロウロするのですが、最近気に入っているのが、浜辺からの景観です。

町中の旅館街から少し歩けば行けます。

波打ち際の背景として、模擬天守がいい目印になり、海城としての威容も感じることが出来ます。

ただ模擬天守としては日本最古らしく、遺構がはっきりしないまま中途半端に再現されるよりは、かえって潔いかもしれません。

意外にいい仕事していると見直しました。

2021年6月19日土曜日

其中庵(ごちゅうあん)



「種田山頭火」の住処であった「其中庵」です。

「新山口駅」の近くにあります。

自由律俳句の詩人で旅人でもあることから、「自由人」として、世間では認知されていると思います。

が、先にこの方の生涯を知ってしまった自分としては、暗いイメージしかありません。

近くの「防府市」の大地主の長男として生まれましたが、十歳のときに母親が、父親の芸者遊びを苦にして、自宅の井戸に投身自殺をしてしまいます。

これが決定的な出来事でした。

大学に進むも神経衰弱で中退し、事業をするも失敗。

結婚するも、父親の失踪、破産、弟の自殺、離婚、震災、と絵に描いたような転落人生です。

この庵も自殺未遂で離れます。

ここから先は長い旅というよりも、放浪中に詩を詠んでいたように感じます。

帰る場所が定まらない放浪とはどれだけ苦しいものなのか、映画「砂の器」で親子が海岸線を歩く様が、イメージとして浮かぶだけです。

最後は、愛媛県松山市にある「一草庵」にて亡くなります。

俳句の盛んなこの地だったからこそ、評価され後世に名を残してますが、道中で野垂れ死んでいたら、果たしてどうだったでしょうか。

一番大好きな句を一つ、「うどんをそなえて 母よ私もいただきまする」

家族を想う気持ちの大切さを痛感します。


2021年6月12日土曜日

上之国館跡


北海道の「江差」に近い「上ノ国町」にある中世の城跡です。

倭人が蝦夷地に進出していった初期の拠点で、「道南十二館」の一つでした。

以前取り上げたアイヌ人が蜂起した「コシャマインの乱」において、最後まで倭人側が守り抜いた二拠点の一つです。

ここで踏みとどまった「蠣崎氏」が、のちの「松前氏」となり、大名として発展していきます。

前にも伺っていたのですが、夜になってしまい、登城することが出来ませんでした。

ずっと心残りだったのですが、漸く日中に訪れることが出来ました。

このときもあいにくの雨だったのですが、濡れながらも大手門の入り口にたどり着いたとき、写真の景色を目の当たりにして、この霧雨はラッキーだったのだと感じ入った次第です。

自身の空想ではない現実世界に、タイムスリップした空間が出現していたと思いました。

木で作られた防護柵である「逆茂木」が張り巡らせている以外は草むらしか見えません。

このまま進めば柵の奥に潜んでいる兵士の弓矢に射られそうです。

妙に緊張して、周囲を見回しながら奥に進みました。

柵の奥には町並みの遺跡が保存されており、当時の様子を垣間見ることが出来ます。

中国の磁気や瀬戸の陶器も多数発見されていて、交易も盛んだったようです。

当時の北国経済圏に対して興味はつきません。

いろいろと見聞を広めていきたい領域です。

2021年6月5日土曜日

ミッドナイトスワン

 


元スマップ「草なぎ剛」が、トランスジェンダー役で、主演した映画「ミッドナイトスワン」を観てきました。

泣ける作品でした。

踊りのモチーフである「白鳥」が、複雑で不幸な人間模様を介し、いろんな視点で取り上げられていて、バレエの踊りが心に染みたのは、初めての経験でした。

そして映画の舞台の多くが「新宿」で、懐かしい光景が展開されていました。

写真は、早朝の「新宿駅」の「南口」から出て、「東口」に向かう通りの一つです。

紛らわしいですが、背景の霞んだ建物は「西口」の高層ビル群の手前にあります。

最近建てられたようで、昔はありませんでした。

学生時代は「八王子」に住んでいたため、都心部に出るときの玄関口が「新宿」でした。

いつも人の多さにうんざりしつつ、小汚いイメージが常にありました。

ここで深夜に、居酒屋の厨房でバイトしていたこともあります。

終わって始発に乗り、家に帰るときの気だるい記憶を、主人公の女性名である「凪沙(なぎさ)」が、町中をさまようように歩く雰囲気を観て、しんみり思い出しました。

思い悩む次元は全く違いますが、つい共感してしまいました。

2枚目の写真は、「新宿コマ劇場」があった界隈の風景です。

数多くの映画館にお世話になったエリアだったのですが、高層ビルに立て替えられたり、更地になったりと、景観が一変してました。

寂しい限りで、もうここに来ることはないように感じました。


2021年5月29日土曜日

ルーブル美術館


会社からリフレッシュ休暇がもらえるタイミングだったのですが、奥さんのお腹に第二子がおり動くことが出来なかったので、一人で「パリ」を散策してくることにしました。

大ヒンシュクですが、現地にしかない「フィガロ」的な買い物を遂行することを条件に、旅立つことを許されました。

初日でそのミッションをなんとか完了し、二日目に「ルーブル美術館」を訪れました。

行った方に伺った話では、「コレクションが多過ぎるのに、案内が不親切で見落とす作品が多い。モナリザ探してたら時間が終わってしまった。」とのこと。

普通は午後5時に閉館するのですが、週1回だけ午後9時までオープンしており、そこを訪問日にしました。

近くで昼食も早めに済ませ、正午前から見学を開始しました。

確かに時間が足りませんでした。

建物は「コの字」なのですが、上辺の建物が相対的に細長い構造で、「入り口」になっています。

それなのに他辺にあたる建物への案内が少なくて、袋小路になっているのです。

しかも時代順では「考古学」からスタートになり、「ハンムラビ法典」とかの教科書級の出土品が待ちかまえています。

見入っていると時間を忘れてしまうのです。

急いでこの細長い建物を見終わったつもりですが、もう午後5時前でした。

やばいです。

休憩することなく、更に歩足を早めました。

「モナリザ」にたどり着いたのは、午後8時前です。

結果的には、比較的空いていてラッキーでした。

そして何とか一巡して、閉館ギリギリに外に出て見えた景色が、写真の「ピラミッド」です。

飲まず食わずで、足もパンパンです。

ほぼ9時間。

美術館巡りというより、ドラマ「24」のフィナーレみたいな心境で、この明かりを座り込んだまましばらく眺めました。

ホテルまでの帰りが本当にきつかったです。

2021年5月22日土曜日

使徒「しらさぎ」


知らないくせに、「エヴァンゲリオン」の続編です。

最近ラジオ番組を、ラジオアプリ「radiko」で聴くようになりました。

日頃、高速道路を活用していると、受信が途絶えることが多々あり、フラストレーションが溜まっていたのですが、これで大きく解消されました。

リアルタイムでなくとも後から検索して拝聴出来るので、大好きな番組を聞き逃さなくても済みます。

その番組にて、このアニメの特集がありました。

あらためて微妙な概念や関係の話が多いなあと、驚きました。

そのとき、敵方の「使徒」に似てると思った、列車のことを思い出しました。

写真の「681系:しらさぎ」です。

北陸本線の小さな駅のフォームで、特急の追い抜きを待っていたとき、この列車が「フォー」と、風切り音を上げて通過する瞬間を収めました。

当時、たまたま目にしていた「使徒」の無表情な目つきと、丸いボディラインがよく似ていたのです。

列車本体の話になりますが、ずっと大阪方面からの特急「雷鳥」と間違っていました。

そのように運用されることもあって、余計に紛らわしいのですが、本来の「しらさぎ」は、名古屋方面と接続する特急です。

後継の「683系」は、怪しさが少しなくなってしまいましたが、この生物感のある独特な雰囲気は、大切に残して欲しいものです。