2022年5月21日土曜日

花咲くりんごの木の枝


いつも旅をしていて、草植物のみを被写体として写真に収めることはほとんどありません。

この写真は、青森県津軽平野を車で疾走していて、自販機で飲み物を買うときに、たまたま撮影したものです。

りんご畑のど真ん中でした。

見上げた角度のせいか、白い花と青空の背景が、印象派の画家「ゴッホ」の「花咲くアーモンドの木の枝」に似通ったものを感じて、シャッターを切りました。

彼は既に精神病院で療養していて、そのときに手がけた作品です。

弟の「テオ」に子供が産まれたので、お祝いに描かれました。

自身でも傑作とも評しており、実際にテオの自宅の一室を飾ったようです。

自分が観た限りのレベルの低い話ですが、彼の作品は明るい色をいくら重ねても、陽気な絵にならないなあと思っていました。

が、東京の美術展でその実物を鑑賞したとき、希望の光が射しているように感じました。

塗りは荒いのですが、かなり精緻に描写されています。

しかし残念にも、アーモンドに花が咲くことすら知らなかった自分としては、似ているのかどうかもわかりません。

旅の友として、ナッツ系はつまみとして常備しています。

とりわけアーモンドを好むことが多いのですが、いつも食べているくせに、そもそも種なのか実なのかも知りません。

酔っているので、調べる気にもなりません。

せっかく楽しいひらめきだったのに、低レベルな方向にどんどん向かいそうだったので、考えるのを止めました。

不覚の極みです。

2022年5月14日土曜日

真穴地区(まあなちく)


八幡浜市から南に海側の道路を進んでいくと、みかんの産地で有名な「真穴地区」があります。

写真は仕事で訪れた際に撮影したもので、晴れた空と青い海を背景に見えるみかん畑は、温暖な気候を体現しています。

それでも伺った一年前に、台風で塩害の被害を受けて心配していたのですが、道すがらしっかり復活している印象を受けました。

大人になって県外にいたときは、「昔、日本一だったみかんの生産量は、和歌山県や静岡県に抜かれてしまっている。」と残念に思っていました。

しかしそれは、一般のみかんのイメージとなる「温州みかん」に限定した話で、「柑橘類」でくくれば全国トップであることを、あらためて知った次第です。

加えてこの地区のオーソドックスな「温州みかん」を初めて食べたとき、あまりのおいしさにビックリしました。

甘みと酸味のバランスが高次元でまとまっていて、高値がついても納得出来ます。

東京とかの大都市にある、高級フルーツ店の目立つところに、これみよがしに陳列されていたのがよくわかりました。

また、こちらで仕事をするようになったとき、覚えくれないくらい品種が増えているのに驚きました。

様々な取り組みをして進化し、他地域に先駆けて高付加価値化を図っている証なのだと、愛媛県の「高品質・多品種」の流れを素晴らしいと感じました。

日本農業の未来は捨てたもんじゃありません。


2022年5月7日土曜日

瑞泉寺


富山県(旧国名:越中)南砺市井波にある「瑞泉寺」。

金沢県(旧国名:加賀)寄りの奥まった地域に位置し、戦国時代は越中一向一揆の大拠点でした。

加賀の国が15世紀末に「国一揆」で、一向宗徒の支配する国になっており、近隣であるこの地域も連携していました。

そのため、お寺はバリバリの戦闘施設としての側面を濃厚に感じます。

その正門は、城門と変わらない分厚さがありますし、周囲に張り巡らされた石垣も強固です。

緩やかな斜面の最上部にこのお寺が位置するため、平野部から攻め登る敵方を見渡すのにはうってつけです。

一向宗門徒の生き残りにかけた執念というか、緊張感が伝わります。

以前に取り上げました愛媛県「観念寺」界隈の石垣は、伊予松山城を手がけた専門集団の影響も受けてあるのか綺麗に積まれています。

しかし戦いの血生臭い匂いは全くありません。

スキルが働いて、田畑にしては必要以上にりっぱに作ってしまった印象で、ここと対照的に思いました。

話は戻します。

勢力を長期に渡り維持しましたが、戦国末期にはとうとう信長軍の「佐々成政」による越中侵攻で焼かれてしまいました。

それ以後も堂于は消失を繰り返しますが、この地域は木彫が盛んな地域ということもあり、現在の仏閣の装飾は異様なくらい見事です。

広告塔の意味合いがあるのかもしれませんが、スキルが働き過ぎて、バランス的にはやり過ぎかもしれません。

2022年4月30日土曜日

神威岬


北海道積丹町にある岬です。

「小樽」の西方に瘤のようにモッコリ出ている「積丹半島」がありますが、その海岸線にトゲのように突き出しているのがココです。

別の目的でドライブしてましたが、名前の格好良さに惹かれて立ち寄りました。

大ビンゴでした。

確か雑誌の絶景特集か何かで取り上げられていた岬でした。

そのときの写真でも凄さが伝わりましたが、実際はそれ以上でした。

地の果てに向かうような寂寥感が半端ありません。

最初の写真は、岬の中間地点付近からの撮影です。

尾根沿いに歩道が整備されていますが、険しいアップダウンは登山と変わりません。

足場の両サイドは切り立った崖で、その先は暗い海へと続いており、雲海より高いところにある山頂部のようです。

天候は非常に恵まれていてほぼ無風でしたが、本来なら荒天が多い地域なので、まさしく「神の威力」を体現する岬のように思えます。

岬の最突端に立つと、数羽の「鷹」らしき鳥が、優雅に舞うように飛んでいました。

海の先には島影もなく、その先は昔「渤海国」が存在したアジア大陸です。

この領域への興味がつきません。

自分も飛び立っていけるような不思議な感覚がしました。


上の写真は、軍の通信所施設跡です。

大陸に近い場所としては当然なのかもしれません。

2022年4月23日土曜日

梅小路蒸気機関車庫


ご存じの方も多いかと思いますが、京都駅西部にある扇型の機関車庫です。

今は「京都鉄道博物館」の開設に伴い、「梅小路蒸気機関車館」としてリニューアルされましたが、その計画以前から蒸気機関車を動態保存すべく、計画的に残されています。

令和の時代も実際に運営されている施設です。

写真は、いまも現役のターンテーブル全体を収めようと頑張ったのですが、スケール的に無理でした。

その円周に併せて扇形の車庫が存在し、それぞれの入り口に、珠玉の様々な形式の機関車達が並べられています。

家族連れも、歓声を上げながら記念写真に興じてします。

実は鉄道ジオラマの作成が、新たな趣味になってから初めての訪問でした。

「乗り鉄」の自分と比べると、「作り鉄」の自分は明らかに、蒸気機関車の微妙なそれぞれの特徴に目がいってしまいます。

全てが垂涎する代物であり、時間がいくらあっても足りません。

時間が限られた今回の訪問は、かなりフラストレーションを感じることになってしまいました。

また来れることを自分に言い聞かせながら、心を鬼にして一巡した次第です。

特に皇族の方々が乗車する「お召し列車」仕様については、実物の品格が段違いでした。

鉄道模型もチャンスがあれば購入して、次回の対面に備えたいと思います。

過去に何度か行っているのに、今まで以上に刺激の強い訪問でした。

2022年4月16日土曜日

安田城


漸くちゃんと伺うことが出来ました。

堀の水面に夕焼けが映え、まばゆい景色でした。

前回は夜の訪問になったのですが、地元の方々が提灯を張り巡らせて「祭り」を開催していたため、立ち入ることが出来ませんした。

この「安田城」は、富山県富山市の内陸部にある「連郭式平城」です。

後から造成されたように見えますが、当時の遺構をそのまま整備しただけだそうです。

戦国末期に、前田家の家臣が築き、徳川の時代に廃城にされたそうです。

「山城」だったら、そのまま残されているのは貴重とはいえ、数は結構あります。

(北陸は大規模な戦も多かったので、特に宝庫です。)

しかし戦国期の「平城」で、本丸・二の丸に加え、もう一つの三郭まで残っているのは、かなり珍しいです。

周囲の田畑と同化していたらしいですが、堀跡も郭を取り囲む幅広の土塁も、残存していたらしいです。

下の写真は駐車場からで分かりにくいのですが、道路の先の緑が、蓮が茂った堀です。

その先の丘が、土塁に囲まれた本丸です。

愛媛県からのドライブだったので、着いたのは夕方になりました。

芝生で覆われた土塁に立って眺めると、いい風に当たれました。

更にここから埼玉まで旅は続きます。

長い道中での、散歩も兼ねた休憩が出来た、城跡でした。


2022年4月9日土曜日

戸切地陣屋跡(へきりちじんや)


西洋式の星型要塞としては、函館の「五稜郭」が有名ですが、日本初はここ「戸切地陣屋」です。

名称を聞く限りはイメージ出来ず、半分疑って訪れたのですが、写真の説明版の通り「四稜郭」でした。

特に平野部に面した右下の一稜は、他よりも大きく造成されており、突き出した「槍」のようです。

下の写真はそれを横側から撮影したものです。

早朝だったので人気もほとんどなく、咲き始めた桜が澄んだ空気をより引き立ててました。

幕末の函館開港に際して、幕府の命令で「松前藩」が、今の「北斗市」に築きました。

確かに「函館」が外国勢力に攻略された際は、西方にある「松前」への侵攻を防ぐような高台に位置します。

しかし諸説ありますが、実際は「戊辰戦争」にて幕府側の「榎本軍」が、想定した反対の方向から攻めてきました。

「江差」に上陸して、西から東に向かって侵攻してきたため、先に本拠地の「松前城」が落とされたのです。

そのため防衛目的を失った守備隊は戦わずして火を放って、撤退しました。

賢明な判断なのですが、築城された使命として不完全燃焼で終わってしまいました。

現在は公園として機能は果たしています。

日露戦争の戦勝記念として、整備された大手通りは桜トンネルとして素晴らしいもので、じっくりと眺めながら帰りました。