2021年4月17日土曜日

襟裳岬(えりもみさき)


「森進一」さんの歌で有名な岬ですが、実際どんなところか知りませんでした。

しかし北海道の南端で、「日高本線」終着の果てにあることはわかっていたので、かなり前から「乗り鉄」として、「JR・私鉄・路面電車」完乗のフィナーレの風景にしようと思い定めていました。

写真は、目標を果たして向かった早朝の眺望です。

サプライズが欲しくて、事前情報をほとんど入れずに臨んだ景色ですが、期待を裏切りませんでした。

ようやく2019年5月に達成したのですが、正直なところこみ上げるような感情も出てこず、意外とさっぱりしたものでした。

海はおだやかに見えるのですが、ものすごい暴風でした。

この地帯は全体的に高台になっています。

広い平原の中に燈台があり、その先の断崖からの展望だったので、背後から突き上げられるように風が当たって痛いくらいです。

一気に体温を奪われたことも、盛り上がらなかった一因かもしれません。

次に何をしようかと考えながら、そそくさと車に戻りました。


灯台は、岬側から振り向いて撮影しました。
 
両脇から食い込むように海が見え、突き出した台地上に位置します。

2021年4月10日土曜日

ラストランチア




とうとう「ランチア」ブランド滅亡がカウントダウンに入ってきました。

一車種がイタリア国内で細々と販売されているのみで、新車の開発は予定されていません。

自分の一番好きな車ブランドといっても過言ではありませんが、あれだけマーケティングの失敗が続けばやむなしの感があります。

おそらく最後のランチアになると思い、選んだのが写真の「ムーザ」です。

基本性能とかで訴えるモノは何もありませんが、日常生活に感じていたい「素朴さ」に、ブランド独特の「上品さ」がうまく醸し出されていました。

「パンダ」の跡を継ぐ車として、家族の満場一致で購入が決定されました。

実は別の候補車があり、その現物確認にわざわざ京都まで訪れたら、たまたまこれが入庫していたのです。

これも縁だと思います。

しかし納車日に愛媛まで乗って帰っていて、サービスエリアで車のエンジンを切ったら、そのままかからなくなり、再び京都まで回収車で戻っていきました。

再納車は2ヶ月後となり、いきなり大きな洗礼を受けました(その後は無事に走っていますが・・・)。

実はこのブログを書くに際し、撮影場所を何処にするかで迷いましたが、舞台は「関ケ原」にしました。

背後の山は「関ヶ原合戦」にて「石田光成」が陣をしいた「笹尾山」です。

敵対する「徳川家康」の本陣が見える辺りをポイントとしました。

今は青々とした水田に、用水路が元気な水音をたてています。

「滅びの美学」を訴えるにしては、意外と穏やかな光景になりました。

(追伸)

これを書いてから、朗報が入りました。
フィアット&クライスラージープ連合と、プジョー&シトロエン連合が資本提携することになり、ランチアブランドの存続が前向きに検討されているそうです。
今後の新車情報を待ちたいと思います。
当てには出来ませんが。

2021年4月3日土曜日

真壁城


なかなか取り上げることがない「茨城県」ですが、魅力度ランキングが都道府県全体で万年最下位だったのは、失礼ながら納得できます。

マニアックな自身の趣味を度外視すれば、「袋田の滝」くらいしか思い浮かびません。

最近、「栃木県」が入れ替わりで最下位になったようですが、「日光」が県内である印象が薄かったからではないかと推察します。

話が逸れましたが、県下で最大の規模を誇るのが「真壁城」です。

国史跡の指定を受けている連郭式の平城です。

「真壁氏」代々の居城として鎌倉時代から戦国末期までの長期間にわたり存続しました。

「関ヶ原」前後は水戸の「佐竹氏」の動きを牽制するため、徳川氏はこの城を押さえとしたようです。

一旦は「上杉討伐」で「会津」に向けて北上していたのを、「栃木県の小山」から引き返して「関ヶ原」に向かうわけですが、その気があれば「佐竹氏」は側面から「徳川連合軍」を襲うことが出来ます。

地理的にもかなり重要だったと思われます。

実際に訪れると早朝だったこともあり、本当に静かでした。

ウロウロしたのですが、写真にある桜の爽やかな印象しか残っていません。

つくづく「茨城県」らしい城だと思いました。

2021年3月27日土曜日

松前城


再び、漸く訪れることが出来ました。

しかも満開の桜の時期です。

前回の訪問は夜になったうえ、ライトアップもされていませんでした。

それでも何とか記念写真こそ撮りましたが、以前に取り上げた「恐山」へ向かう途中に、何故かデータが全部消えてしまったのです。

そのため、行った気がしませんでした。

今回は、それを補って余りある満開の桜が迎えてくれました。

しかもボランティアの方の説明を伺うと、「日本城郭」の中で最多種の桜が植えられており、桜の開花期間が最も長いのだそうです。

今日は、いい年して車中泊(軽自動車のレンタカー)を決め込んでいたので、駐車場を確保したうえで、近くの居酒屋で酔っぱらった後に、まあまあ広い城郭界隈を2週近く回りました。

丁寧に桜を眺めていくと、名称は書いていても覚えられませんが、それぞれ種類が違うのがわかります。

見たことがない大振りなモノまで、桜の種類だけで百花繚乱でした。

今までの人生において、これだけ長い時間を使って、桜を見て回ったのは初めてでした。

写真のように桜の隙間を天守閣が埋めていたことも付け加えておきます。

酔い醒ましが過ぎたので、もう一回、別の居酒屋で「松前漬」をあてに飲み直しました。

北海道での、素晴らしい花見の夜でした。

2021年3月20日土曜日

奥の細道


俳聖「松尾芭蕉」で有名な「奥の細道」。

俳句とか短歌のセンスが全くない私も、詠まれた観光地を訪れると、その叙情を意外にも感じることが出来ます。

五・七・五の言葉が、素人でも理解できる濃厚なエッセンスになっていることに驚くばかりです。

旅において、「奥の細道」ルートを意識して行動することはありませんが、城巡りの最中に時々横切って立ち止まることがあります。

この写真も福島県の城巡りをしていたときに、ぶつかってたまたま撮影したものです。

「貝田番所」と呼ばれる福島県と宮城県の県境になり、自然道として整備されています。

冬で寒かったのですが、非常に日当たりがよくて春の気配を感じました。

特段の何かがあるわけではなく、看板とピンクの花を眺めがてら、缶コーヒーをすすりながら休憩しました。

良い句が浮かぶわけでもありませんが、なんかいい余韻でした。

芭蕉はこの後も、旅先にて門人や知人の方々と句会を催して、名句を残していきます。

おじいちゃんのイメージがあったのですが、まだこの時期45歳。

自分よりも年下でビックリしました。

何泊も同じ場所に止まったと思えば、一日50キロ近く移動したりと、健脚ぶりを発揮してます。

しかし50歳でこの世を去っており、「隠密説」もあったりして、今後いろいろ調べてみたい人物です。

自転車とかでルート巡りもしてみたいと無謀にも考えています。

2021年3月13日土曜日

通潤橋


あまりのデカさにビックリです。

駐車場から見て合成じゃないかと自分の目を疑いました。

ローマ帝国の石造建築に匹敵します。

まだ近寄っていませんが、来て良かったと心の底から感じました。

昔の教科書にも載っていたので、小学生のときから名前も熊本県にあることも知っていましたが、「水の出る橋」ぐらいの認識しかありませんでした。

大きさについて考えたこともなかったので、熊本県に行くことがあってもわざわざ寄るほどの興味を持っていませんでした。

写真は興奮しながら上方から撮影したものです。

高さだけでなく幅が道路のようです。

石組みが素晴らしく、城郭の石垣がむっくり立ち上がったようで、重厚感・威圧感が半端ありません。

実物と対峙し、物体から直接の「圧」を受ける体感。

画面からでは伝わらない感覚です。

いくら知識があっても得られないものです。

しかしこの後、熊本地震で被害を受けています。

残念ながら水が出なくなっているそうです。

この高さで倒壊していないのもこの幅があるからこそですが、一日でも早く元通り水を噴出して欲しいものです。

2021年3月6日土曜日

大鰐温泉


青森県の南西部で、「弘前」に向かう入り口が「碇ヶ関」です。

そこを越えるとすぐに「大鰐温泉」があります。

津軽のお殿様も歴代入浴されていた由緒の高い温泉です。

「JR」と「弘南鉄道」が合流する場所でもあり、国境の趣が強いです。

駅から写真の「平川」を渡ると、その川沿いが温泉街になります。

雪道を滑らないように、おそるおそる公衆浴場へ向かいました。

丁度、川面に渡り鳥が集まっていて、賑やかに鳴いていました。

雪解けも近づいた3月下旬だからか、羽をバタつかせていて、旅立ちの準備を進めているように素人目には映りました。

目当ての浴場は残念ながら閉まっていたので、行きがかりに目についた日帰り湯OKの昭和の香りが漂う旅館で温泉を堪能しました。

源泉掛け流しの硫酸塩泉で、怖そうな名称にイメージが引きずられたのか、ソリッドな湯ざわりに感じました。

おかげでシャッキとしました。

湯上がりに番台のおばちゃんと雑談をすると、この時期の雪はもっと積もっていて、年々雪が少なくなっているそうです。

西日本にいると実感がわきませんが、山間部に近いうえ「八甲田山」がある県だと思うと、そうなのかなあと漠然と思いました。

このあとお勧めされた名物「大鰐もやし」を使った「朝日屋・日景食堂」の「もやしラーメン」を食しました。

塩味とこしょうの加減が最高でした。

しかり何故、屋号の看板が二つ上下に並んでいるのか不思議でしたが、調べてビックリ。

初代が明治30年創業時「朝日屋」だったのですが、「日景」姓のお家に婿入りしたため、「日景のおやじ」と呼ばれたことから、屋号として追加されたそうです。

現在4代目で「百年食堂」として、全国的に有名だそうです。

番台のおばちゃん、教えてくれてありがとう、でした。