2021年1月30日土曜日

ウイグル市場


近年、中国政府による「新疆ウイグル自治区」への圧政が、世界から非難されています。

イスラム教徒で「回族」と呼ばれる方々です。

この地域は中央アジアの「シルクロード」が通り、もともと興味がありました。

そして瀋陽に「ウイグル街」があり、写真の青いゲートを発見したとき、あれをくぐって少しでも文化に触れたい思いにかられました。

今回の旅は、「大連~瀋陽」間を往復したため、中国人ガイドさんが毎日変わり、3人の方にお世話になりました。

瀋陽でのガイドは「気のいいおっちゃん」だったのですが、最初は「ここは屋台で、水が心配です。」とダメ出しされました。

そのため見学だけにする予定だったのですが、インフラが進み水道設備が完備していたので、方針を変更して夕食にトライすることが出来ました。


そのときの写真で、本場の「シシカカブ(羊の串焼き)」です。

串は柳の木で、一緒に焼くといい香りがつきます。

香辛料も知らない香りでしたが、肉との相性がよく美味でした。

しかし冷めるとクセが出るので、お願いすると焼き直してくれます。

確かに飲みながら他の料理も食べていると、どうしても冷めてくるので、1回頼みました。


オープンテラスに座っていましたが、すぐ脇で写真のように羊が裁かれていて、どんどん「シシカカブ」になっていました。

周囲の店も同様に、イスラム独特の帽子をかぶった方々がいろんな生肉を処理してます。

日本だと刺身に近いノリなのかもしれません。

私達が旨いと言いながら食べているので、ガイドさんが「お二人なら中国のどこで食べても大丈夫ですよ。」と太鼓判を押してくれました。

ゆくゆく広げていきたい「中国旅行」が楽しみになりました。

コロナ次第ですが・・・。

2021年1月23日土曜日

清王朝


写真は、「清朝」2代皇帝「ホンタイジ」の王宮において中心となる「鳳凰楼」です。

軍政の協議や宴を行う場所でした。

初代「ヌルハチ」の王宮も並んであり、「瀋陽故宮博物院」と呼ばれます。

北京の「紫禁城(故宮)」と合わせて世界遺産に指定されています。

「清朝」黎明期で、「後金」として建国された時期です。

既に「明朝」を脅かす存続として、中国東北地方の「女真族」をまとめていました。

両皇帝の王宮内部を巡っていくと、「武力」だけでなく、統治していくための「規律」や「秩序」を構築しようとする姿勢を、垣間見ることが出来ます。

中国王朝の施設にしては小振りな感じがしますが、大きくなっていく国の未来を見据えて、学んでいる為政者の謙虚さが伺えます。

「ホンタイジ」の晩年に、「大清国」建国の式典がここで催され、次に即位した3代目「順治帝」になってすぐに、明朝を滅ぼします。

そして北京に遷都し、「紫禁城」から中国全土を統治していくのです。

この後「康熙帝」、「雍正帝」、「乾隆帝」の三代で最盛期を迎えます。

「女真族」統一から、200年の長期にわたり、6代連続で有能な皇帝が続いた希有な王朝です。

しかし近代化に遅れ、乾隆帝逝去から約40年後の「アヘン戦争」でイギリスに敗れてしまうと、国力が一気に傾きます。

ここまでの中国史では、建国者の志を忘れてしまった王朝は、次の王朝に交代するのですが、今回は海外の列強が侵入してきました。

ここから映画「ラストエンペラー」に描かれるような、内紛と侵略の悪夢が100年以上続くことになります。

最後の写真は、宮廷の料理場にあった穀類を砕く道具です。

日本とはサイズの感覚が違います。



2021年1月16日土曜日

奉天ヤマトホテル


「日露戦争」における陸戦の大一番が、「奉天会戦」です。

当時の世界史上最大規模の陸戦でした。

それから「奉天(今は瀋陽)」郊外の「柳条構」から、満州事変は始まります。

何かと曰くのある都市です。

写真は「奉天ヤマトホテル」の実際に宿泊した部屋で、アールデコ調でまとまった雰囲気が素晴らしいです。

ここは今も「遼寧賓館」というホテル名で営業されていて、下の写真の通り往事の外観は健在です。

内部はそれなりに改装されていて、古汚い感じはしませんが、クラシックな面影は大切に残されていました。

バスタブとかも大理石で、独特の曲線が昔のままです。

とにかくこのホテル、内外装ともに「アールデコ」推しがスゴいのです。

ココは「ヤマトホテル」の中でも、当時は最新・最高の格式だったらしく、政治の舞台でもあったようです。

戦後は「毛沢東」も宿泊してます。

ところどころの部屋番号の下に、歴史上の有名人「○○氏の宿泊部屋」と説明つきのプレートが貼られてます。

私の部屋には幸いありませんでした。

特定人物を意識して霊感でも発動したらたまりません。

一泊しか出来ませんでしたが、部屋全体をなめ回すように、歴史を感じつつ、どっぷり浸らせてもらいました。


エントランスにあったこの照明は、中華風の要素を取り入れつつ、デザインも光源の演出も見事でした。


2021年1月9日土曜日

大連ヤマトホテル


「日露戦争」に勝利したことで、日本は「長春~大連」間の鉄道経営権を獲得しました。

それをベースに設立されたのが「南満州鉄道(満鉄)」です。

鉄道事業を中心に多角化経営が行われ、そのホテル事業として展開された店舗に「ヤマトホテル」の名称が冠されました。

迎賓館としての機能も持つ、西洋式の高級ホテルで、名前負けしないだけの威厳を備えていました。

写真は、その旗艦店である「大連ヤマトホテル」の喫茶室です。

ホテルとしては、老朽化のため改装中で、現在休業しているのですが、ここは現役のまま営業されていました。

飛行機で大連に到着して、真っ先にここに向かいました。

当時の中心地であった「中山広場」に、ほとんど当時のまま現存しています。

イオニア式の柱が目立つルネサンス様式の外観で、周囲に大きなビルがあっても存在感は十分にありました。

いろいろ巡りたい場所は他にもたくさんあるのですが、直感的にはココが一番訪れたい場所でした。

小さくとも「カフェ」のオーナー(えらそうですみません。)の立場として、ここの喫茶室の空間が持つ雰囲気に触れたくてしょうがなかったのだと思います。

「満州時代」の写真が飾られていましたが、そこから時が止まっているようです。

お勧めの「カフェオレ」を飲みながら、往事の雰囲気を堪能しました。

ご一緒した若いガイドさんが、私がよっぽど気に入っているのを粋に感じてくれて、ホテルの方に頼んで立入禁止の迎賓室を特別に見学できるよう交渉してくれました。

ここも時間が止まっています。

装飾が見事です。

しかし注意事項がありました。

「ここを日本人に見せるのを、共産党の方は好みません。写真も撮っていいですが、ブログとかにアップするときは、日時が特定されないようにして下さい。ホテルの方に迷惑が及ぶときがあるので。」

・・・神妙にアップします。



2021年1月2日土曜日

幸福の黄色いハンカチ


ご存じの映画「幸せの黄色いハンカチ」のポスターになった写真です。

「高倉健」さん、後ろ姿もカッコいいです。

やっとココに来れました。

最近廃線になってしまった北海道の「夕張線」。

以前完乗したさいに、沿線上の小高い丘にチラッと黄色のハンカチが見えましたが、それ以来ずっと気になってしょうがなかったのです。

鉄路がなくなったので車で伺うことにしました。

駐車場で車を降りて何気なく探すと、「桃井かおり」が歓声を上げたあとに、高々と黄色のハンカチがたなびいている、あのクライマックスのシーンそのままに再現されていました。

思わず「おおお・・・!」と素直に感動です。

たまたま同じタイミングでやって来た家族連れも、同じリアクションをしていました。

やはりあのラストの流れは強烈でした。

入り口で料金を払って建物に近づきます。

これは再現されたもので、よく観るとポスターのディティールと少し違います。

しかし、あの油っぽいニオイもしっかり効いていて、別子銅山の山根社宅を思い出しました。

家の中は、幸福にあやかろうと張り付けられた黄色紙で、天井も含めた全面が埋め尽くされた部屋や、「武田鉄矢」が乗っていた車が展示されている空間となっていました。

あとは名シーンのパネルや、奥さん役の「倍賞千恵子」と、昼食を食べていたときのテーブルセットが置かれていました。

どれも何気なくツボが効いていてお勧めです。

この映画は何故か学校推薦で、小学校の体育館でみんなで観た記憶があります。

「幸せ」について教えたかったのでしょうか?

でも最後のラブシーンは強烈でした。

あれって、子供に見せて父兄に問題にならなかったのでしょうか?

あんな刺激は提供できませんが、「幸せ」を少しでも提供出来る店でありたいと願いつつ、今年もよろしくお願い致します。

コロナ禍ではありますが、早く再開出来るよう頑張ります。



2020年12月26日土曜日

大連の路面電車


満州の時代に入ります。

写真のクラシックな路面電車は、満州時代から走っている現役です。

乗ってきたのも、やってくるのも当時の列車です。

木造の部分が多く、油の染み込んだあの臭いがたまりません。

「別子銅山」で遊んでいた小学校の時分を思い出しました。

乗り鉄としては全線制覇したかったのですが、時間が限られていたので半分位しか達成出来ませんでした。

ご一緒した◯◯さん、興味がないのに半日もつきあってくれて本当にありがとうございました。

「満州帝国」は「大日本帝国」の傀儡であり、侵略国家であることは否めませんが、ここは親日家の多い地域でもあります。

ここを散策すると、国同士の問題はさておき、多くの近代インフラを残した事実までは、否定されてない気がします。

その証左を路面電車に乗っていて感じることが出来て、歴史好き、乗り鉄として何だか嬉しくなりました。

興奮してウロウロしている自分の様子を見て、周囲の方々もニヤニヤ眺めていました。

勝手ながら好意を感じます。

今回の旅は史跡巡りが多いため、ガイドの方から必然的に「反日(ここでは抗日)」の説明を受けるのですが、どの方からも敵意を感じることはありませんでした。

都市の再開発が進む中国ですが、友好のためにも半永久的に残して欲しい路線です。


公園の広場にも、動かなくなった車両がトーマスらしき顔を貼られて残されてました。


2020年12月19日土曜日

東鶏冠山


前回の「旅順要塞」の続きになりますが、要塞の中でも最強の盾がこの「東鶏冠山(ひがしけいかんざん)」になります。

周囲にある「松樹山」と「二龍山」の三つで「永久要塞」と呼ばれるエリアでした。

先端が「旅順」である「遼東半島」は、南を向いた半島のため日本軍は北側に上陸し、「金州」を攻略してから南進しました。

先ずは正面となるここを攻撃したのですが、全く歯が立ちませんでした。

「三国干渉」で放棄させられたこの地を、なんと干渉した側のロシアが譲り受け、日清戦争時と比較にならない強固な要塞に大改造していたからです。

そのため町と港を囲む山間部(=要塞)の中で、一番脆いと思われた南西寄りの「二◯三高地」が攻略ポイントに再設定されました。

そこを大激戦の末やっと陥落させましたが、周囲を尾根づたいに制圧するのに、更に一ヶ月を要しました。

写真は、要塞内部の弾薬庫と居住空間で、一番奥まった部分です。

真ん中の溝に木の板を通して、二階構造にしていたそうです。

最終的に要塞の本丸といえるココが爆破されて、やっとロシア軍は降伏しました。

両軍の多大な戦死者は「坂の上の雲」でも凄惨に語られています。

ロシア側も軍艦の砲台を陸に上げ、水兵も陸軍に加わって応戦し、文字通りの総力戦でした。

しかし今回訪問した一番の学びは、中国人ガイドの方の話でした。

「中国人はこの史跡を見て、

『自分達は弱かったから、自分達の領土で、好き勝手に他国に戦争をされた。

自分達の先祖の多くが巻き込まれて殺された。

だから繰り返されないようしっかり勉強して強くならなければならない。』

と習います。

戒めのために、侵略された史跡は大切に残されているのです。

旅順要塞の建造でも、多くの中国人が使役されましたが、完成後に口封じのため、ロシア人に殺されました。」

身につまされて、何も言えませんでした。


最後の写真は、「旅順駅」で、古写真で見る姿のままです。

白黒だったので、屋根がグリーンであることを初めて知りました。

ロシアを感じます。