2023年3月25日土曜日

竹原市街


写真は「広島県竹原市」の「竹原町並み保存地区」を展望した一枚です。

ラッキーにも散策する前に、偶然見つけた「大判焼」がむちゃくちゃ美味しくて、それを頬張りながら撮影しました。

「マッサン」こと、日本ウイスキーの父である「竹鶴政孝」の生家「竹鶴酒造」があります。

のみならず、個性のある旧家屋が、他にも数多く残っています。

しかも、今も活用されている息吹が明確に感じられ、実生活における住まいとして、非常に感銘を受けました。

社内旅行で立ち寄った観光スポットだったのですが、何故もっと早く訪れてなかったのか、「城巡り」で、近くをウロウロしているだけに後悔しました。

商家の町並みなので、土間の使い方とか、様々な工夫が凝らされています。

示唆に富んでいて、これからも自分がメンテをしていかないといけない、実家やカフェの建物群へのヒントを、数多く与えてもらいました。

「安芸の小京都」と呼ばれることもあるらしいですが、瀬戸内海の発達した流通網により生まれた商業都市であるため、本来の意味合いとは異なります。

古い町並みを何でも「京都」に仕立ててしまうのは、発展した経緯がわからなくなり、かえって安易でもったいないと感じました。

散策を終えた帰りに、たまたま買った「カレーパン」も超旨くて、非常にウハウハな旅となりました。




 

2023年3月18日土曜日

津田演奏堂(つだえんそうどう)

 


「愛媛県松山市」商業地の中心部にあった「音楽レコード・CD販売店」です。

ラジオ番組を聴いていて突然知りました。

経営されているご兄弟が高齢化のために、閉店されるとのことで、寂しい限りです。

幼い頃、親と松山に遊びに行ったときに、何度も立ち寄った記憶があります。

今回、山口からフェリーで帰省し、「三津浜駅」から「伊予鉄」に乗って、「松山市駅」に向かいました。

写真は下車し、地下街「まつちかタウン」を通り抜けて階段を上がり、「松山銀天街」の入口にたどり着いたときの光景です。

夜なので閉店しているのは当然の時間帯なのですが、明らかに空き家の気配が漂っていました。

商店街入口にある「顔」の存在でもあっただけに、周囲に与える影響の大きさを実感します。

コロナが発生する少し前の時期でした。

心配になっているのは、ここ最近松山を歩いていて、特に「千船通り」界隈の老舗がバタバタと閉店しているような印象を受けることです。

それなりの顧客がついていたのは間違いないと思いますが、経営者の高齢化が採算以上の影響を与えているように感じます。

コレを書いているときは、コロナ2年目の東京オリンピックが始まる直前です。

春先の感染者急増を受けた後、愛媛県はそれに耐えて、ここ数日「感染者ゼロ」を続けています。

町の活性化のためにも、何とか踏みとどまって欲しいと、切に願います。

2023年3月11日土曜日

種子島宇宙センター

 


「◯◯発射場」という看板があっても、最初は何のことかピンときませんでした。

ところどころで目にしていたのですが、旅の目的地の一つであった「種子島宇宙センター」へはまだ距離があったためです。

ロケットの打ち上げ場所とわかったのは、「ロケットの丘展望所」に着いたときで、恥ずかしいほどの勘どころのなさでした。

宇宙センターに、テクノロジーの粋が一点集中していて、そこにロケットの打ち上げ装置があると、勝手に想像していました。

実際は、かなりの広範囲に複数の発射場と施設が点在していたのです。

写真は、更に進んで辿り着いた「種子島灯台」からの全体がわかる展望となります。

入り江の突端にある、白い建物の右側が、一番大型の発射場で、このあと「ジャクサ」の方に教えてもらったのですが、よくテレビ中継される場所だそうです。

またロケットの打ち上げにとっては、赤道に近いほど遠心力が働いて打ち上げやすく、地球の自転が東から西に動くために、東側の空間が大きいほど運営しやすいとのこと。

そのためどの国でもロケット関連施設は、国土の南側に位置し、東側が海や砂漠だったりすることが多いそうです。

本当なら「沖縄」が一番の候補地になるはずなのですが、当時はまだアメリカ領で日本へ返還されてなかったために、ここが選定されたとのことでした。

戦国時代の「鉄砲伝来」といい、つくづく最先端に縁がある珍しい土地柄だと思います。

先日のH3ロケットの打ち上げは残念でしたが、次回こそ挽回して欲しいものです。

2023年3月4日土曜日

俱知安駅(くっちゃんえき)

 


「函館本線」にある「倶知安駅」です。

「函館~札幌」間を結ぶ鉄道の大動脈は、「函館本線」と呼ばれる一つの路線ではなく、「長万部駅」から海側ルートの「室蘭本線」に接続されます。

特急はこの海側ルートを、路線が変更になっていることなど気にすることなく、突き進みます。

そのため、「函館本線」は主要路線の名称があるにも関わらず、「長万部駅」から山間部に入るため、特急・急行が走っていない超ローカル線となってしまいます。

距離が長いため、この路線を制覇するための、乗り継ぎには一苦労しました。

この駅は、廃線となった「胆振線」の接続駅でもあったので、昔は賑わいもあったようですが、今は写真の通り寂しいフォームでした。

春先でしたが、雪景色で、かなり寒い日でした。

しかし、何と2031年、北海道新幹線が札幌に延伸される際には、その停車駅となります。

今から10年後の予定です。

現状との比較では想像がつきませんが、外国観光客に人気の高い「ニセコ」や、温泉が多い地域でもあることを考えると、観光地として大化けする可能性があります。

しかしコロナ禍に加え、「北海道新幹線」の苦境を考えると、予定が実現するのか、相当な疑問符がつきます。

最後の写真ですが、反対のフォーム側に「羊蹄山」が夕焼け映えして、きれいに見えました。

本来なら下車して散策したいところでしたが、もう一本後にしてしまうと、札幌までたどり着けません。

残念ながら通り過ぎただけでした。



2023年2月25日土曜日

樽見鉄道(たるみてつどう)


とりわけ寒かったのを覚えています。

岐阜県の始発「大垣駅」から終点の「樽見駅」まで向かいました。

山奥に向かっている路線ですから、進むだけ豪雪の度合いは増していきました。

目的は、この路線の完乗と、終着駅近くの日本三代巨桜の一つである「淡墨桜(うすずみざくら)」を拝みにいくことです。

当然のことながら花は咲いていませんが、自分のマニアックな視点としては、枝振りの美しさをしっかり拝見するなら、花がなくても構いません。

特に天然記念物に指定されているような、有名な巨木とゆっくり対峙するなら、人の気配がない真冬に限ります。

ちなみに満開の桜は、通り沿いを歩きながら下から眺めるのが好みで、花自体ももちろん大好きです。


駅から歩ける距離とは言え、雪道は難儀しました。

特に公園内は雪が深くて、ズボンもビショビショです。

しかし対面した枝振りの美しさを目の当たりにして、後悔はすることは全くありませんでした。

樹齢1500余年と推定され、「継体天皇」お手植えの伝承があります。

そのため老化が激しく、樹木医や地元の看護で懸命に守られているそうです。

この鉄道の象徴として、いつまでも存在して欲しいと願いました。

その後、帰りの便に間に合うよう急ぎ戻りました。

更に濡れが伝ってきて、太股あたりまでびしょ濡れです。

スーツ姿だったので、入水自殺を仕切れずに戻ってきた人と、間違いられないか心配でしたが、幸い駅には誰もいませんでした。

駅の売店はおろか、周囲の店も開いてなく、自販機しかありません。

仕方なく電車に乗って、暖房の送風口に立ったまま、ズボンを乾かしながら、ホット缶コーヒーを飲みました。

この環境がそう思わせるのか、今までの味で最高に感じました。


2023年2月18日土曜日

イギリス海岸

 

「花巻駅」から東に2キロほど歩くと、「北上川」に到着します。

その西岸を、「宮沢賢治(みやざわけんじ)」が「イギリス海岸」と名付けました。

理由は、この辺りの白い泥岩層が、イギリスの「ドーバー海峡」の白亜の海岸を、連想させるからだそうです。

最近は残念なことに、ダムが出来たことで水位が下がらなくなり、泥岩層を見ることが難しくなっているとのこと。

地元では彼の命日に、水位を下げて白亜の海岸を再現しようとしているそうですが、なかなかうまくいかないようです。

彼のイメージとしては、「万事において、誇大妄想が強い。」と感じてます。

37歳という若さで亡くなりましたが、その死後に評価されたので、美化された部分が相当多いとも思います。

しかしながら、旅人としての行動には、共感出来るものがあります。

実際のところ、真冬に凍った道をおそるおそる2キロ歩いて、現地まで行きました。

その景色がこの写真です。

「ドーバー海峡」は写真でしか見たことがありませんが、この川岸を例えるのは、あまりに無理があり過ぎます。

しかし、雪で覆われた一面の景観は、「白亜」の世界観を強烈に体現してました。

全くお門違いの話ですが、彼のやっていることにつきあってもいいなと、直感で思ってしまいました。

何が起こるかわからない、ワクワクが得られそうです。

2023年2月11日土曜日

土佐日記(とさにっき)


幼少の頃、親戚が家にやってきて、たまにお土産に頂く「土佐日記」というお菓子が、大好きでした。

本のようなデザインで、片側開き出来る箱に入っていて、おもちゃ箱にして遊んでました。

文学作品に由来があることを知ったのは、小学生の高学年になってからだと思います。

作者は平安時代の貴族である「紀貫之(きのつらゆき)」です。

土佐国における行政官トップである「国司」として、現地にに赴任しました。

作品自体は、その任期を終えて京都に戻るときのエピソードを中心に、冗談も交えて仮名で記されています。

それだけでなく、在任中に娘を亡くしたため、哀愁漂う歌も挿入されていたりして、情感の幅が広い作品です。

そのため、この後に誕生してくる「紫式部・清少納言」等の女流作家に大きな影響も与えていると言われています。

写真は、彼が住んでいた「国司館跡」です。

天気は曇りでしたが、愛車「ムーザ」のチョコレート色と白い砂浜のような駐車場が妙にマッチしていました。

冬で寒いのですが、涼やかな心地がした次第です。

行政府である「国衛」もそばにあって、ここが土佐国の中心地でした。

高速道路の南国インターを降りて、すぐ南側に位置します。

内陸ですが国分川がそばにあって、海からも水路でたどり着ける場所です。

今の高知市の中心街は、「関ヶ原の合戦」後にやってきた「山内氏」が整備したことを考えると、今とは随分様相が異なると思います。

しかし車を停めて散策すると、古びた小学校がある以外は、お寺や田畑しかありません。

往時の雰囲気がそのまま残っているような気がしました。