2024年3月2日土曜日

大洲城2


 以前に桜の時期を取り上げましたが、冬景色もたまりません。

眼前を流れる「肱川」との対比で、「天守閣」の存在は際立ちます。

実は城好きの立場として、天守閣の再建にはどちらかと言えば、反対の立場です。

周辺も含め、時代考証を無視した建造物が出来上がることで、もともと長年の史跡として培われた〝味〟と言うか、風情みたいなものがかき消されてしまうリスクがあるためです。

しかし、このように再建天守とはいえ、木造かつ当時の模型を参考にしての忠実な再現であれば、唸るものがあります。

地元の関心や熱意が加わって、今まで見てきた建設会社任せの築城とは方針が変わってきているとも思えるので、自分の考えを変える必要があるかもしれません。

調べるとその建設費16億円のうち5億円は市民の寄付で集めたとのこと。

熱量の多さに圧倒されます。

また宿泊サービスの開始には驚きました。

一組限定の一泊55万円と高額なプランですが、重要文化財の現存2櫓を含めて、1日城主になれるなら、意外とお値打ちなのかもしれません。

鎌倉末期から、伊予国守護「宇都宮氏」が前身の「地蔵ケ岳城」に居城し、この城の歴史は始まります。

更に戦国時代を経て、築城名人の「藤堂高虎」や「賤ケ岳七本槍」の「脇坂安治」の入城、更に「加藤氏」により幕末までと、約650年近い歴史があります。

天守閣に泊まって、そこから肱川に浮かぶ月が眺められたら最高に思えます。

いつかがあるか自信ありませんが、そのときは高級周遊列車と比較検討したいと思います。

2024年2月24日土曜日

釜石線


岩手県内の「花巻」から「釜石」を結ぶ「釜石線」。

路線自体は、東北地方の内陸部から太平洋へ抜ける路線の中でも、早い段階で完乗してます。

が、接続の不便な三陸側を完乗するためには、太平洋側の「釜石」を起点にする必要があります。

そのため、東北地方を東西に結ぶ横断線としては、何度も往復することになりましが、見応えが多い路線で飽きるようなことはありませんでした。

特に印象に残るのは、「釜石」から「花巻」に向けて東北本線に戻るときです。

「釜石駅」から西の進行方向を見ると、急勾配の山に向かって線路が伸びており、ここを下ってきたのかと、圧倒されます。

その途中に、以前取り上げた「滝観洞(ろうかんどう)」のある「上有住駅」や、「カッパ淵」の「遠野駅」とかの名所も多く、途中下車も楽しみました。

中でも記憶に残っているのは、写真の光景です。

「遠野駅」から「猿ヶ石川」沿いを進むところで大きく川が蛇行していきます。

線路は橋でここを突っ切らないので、そのままの自然が残された景観です。

この辺りは、「前九年の役」で滅亡した「安倍貞任」関連の館跡が点在しており、大和朝廷に服属する以前の世界が拡がっているように感じました。

凍てついた冬景色を眺める車窓越しに、当時「蝦夷」と呼ばれた方々の勇壮な生活が浮かんできます。

「はるばる来たぜ!」感のある、旅の醍醐味を大いに味わえる路線と言えます。

2024年2月17日土曜日

木次線


岡山県から島根県に向かう「木次線」のスイッチバックです。

以前にも取り上げましたが、ここも「三江線」に続き廃線の危機です。

トロッコ列車「奥出雲おろち号」が運行終了の予定となり、観光客を呼び込む目玉がなくなろうとしてます。

山口の下関在住のときも、青春18切符を使って何度か木次線の周遊を間絡んだのですが、途中路線の遅延等で、果たせませんでした。

各駅停車なので運行が遅れるのがやむなしとはいえ、ただでさえ本数が少ない路線の出発に対しては、かなりの接続への配慮をして欲しいものです。

これでは乗車率が上がるわけがありません。

観光目的として現地に、観光バス等で向かう前提となると、住民の日常の足ではなくなります。

最近、中国地方と九州地方の内陸線は、その存続について様々な議論が出ており、非常に危機感を覚えます。

公共としての機能を考えたときに、今の収益基準で存続を判断していいものか、危惧せざるを得ません。

最近の日本の不確定な災害状況を考えることと、道路と鉄路による併用化を検討することは、密接な関係があると考えます。

複数の交通手段が運用出来る体制を維持しておくことは、国土の災害防衛上ますます重要になっているかと感じます。

特に車を運転出来ない方々の自律的な移動手段をどうするのか、更に高齢化が進む上で大きな課題です。


待合の時間に眺めるディーゼル車との雪景色が堪りません。

その袂に下の写真の水飲み場があり、さらに乙な雰囲気です。

廃線になっても残って欲しいし、そのときは、わざわざ確認に行くような気がします。


 

2024年2月10日土曜日

松江の運河



大阪・鳥取方面から、「松江市」に向かうとき、ついついこの道を選んで走ります。

国道から少し逸れた脇道なのですが、「中海」と「宍道湖」を結ぶ運河沿いのルートです。

「松江市内」に入ってきたと強く感じます。

風通しの良い地域でもあるので、四季の移ろいが敏感に伝わってきます。

道路の左側には「JR山陰線」も並走しており、運河と線路のすき間を縫うような道なので、昔から景観が変わらないのも嬉しいです。

写真の少し先に見える小島には、鳥居があり「神域」のようです。

どういう神様なのかわかりませんが、あまり興味が湧きません。

自分の霊感が心地よく反応する以上、突きつめるだけ野暮な気がします。

ここを通過するとき、いつも「神話」の地域であることを痛感せずにはいられません。

仕事で住んでいたこともあるので、週末には様々な史跡を訪ねてウロウロしましたが、「教科書級」の史跡が多いのには本当に驚きました。

それ以外に、あまり知られていない日本最古の史跡も、潜むように存在していて、とても得した気分になったものです。

車が運転出来る限り、飽きずに訪れる道だと思います。

写真を選んでいて、また行きたくなりました。


2024年2月3日土曜日

姫新線


岡山県と兵庫県の内陸部を結ぶ「姫新線」。

特急や急行の類は走っておらず、各停のみです。

接続も悪いため、全線制覇の過程として、完乗するのに手間取りました。

だからこそ味わい深い路線でもあります。

乗り鉄として、早く乗り切りたい気持ちと、いつまでも乗っていたい思いが、本数の少ないローカル路線ほど、複雑に交錯します。

今回も予定を消化し、最後区間を終着駅の姫路駅に向けて走破してました。

一面雪景色でしたが天気は良く、夕映えが雪にも投影して淡い黄金色となり、よりフィナーレが近づく旅情を引き立てました。

突然だったのですが、ボックス席の前に座っていた20代前半の女性が、メール(当時はガラケー)を見た途端、「あー、腹が立つ。」と手すりをバンバン叩き出しました。

向かい合う状況で、無視する間合いも取りにくいので、「どうしたんですか?」とさらっと聞きました。

「お騒がせしました。」の返事だったのですが、憤懣やる方ない雰囲気が伝わってきます。

「これもご縁でしょうから、この近辺の人間じゃないので、終点まで話ぐらい付き合いますよ。」
と、会話が始まりました。

どうも、この後会う予定だった彼氏が暴走族で、警察に捕まったそうです。

族の仲間からの連絡らしく、さすが姫路と思ってしまいました。

以前にも下車して姫路城に行く途中、チンピラの喧嘩をよく見かけました。

その話をすると、「それは姫路への偏見だ。」と笑ってましたが、彼氏は暴走族の頭らしく、今回も仲間がやらかしたことに、責任とって連行されたそうです。

あっという間に、姫路駅に着いてしまいました。

次の乗車の予定に一時間以上あり、もともと夕食の予定でした。

いいところがないか伺うと、近くに知り合いの店があるというので、そこに一緒に行くことになりました。

この人は、ここで食事する相手がおそらく捕まったのです。

その店で、知り合いに成り行きを説明し、ドリアを一緒に食べつつ、話の続きを伺いました。

出発の時刻になったので失礼しましたが、姫新線の余韻が全く残りませんでした。

変な旅となってしまいました。

またまた受けた姫路の強烈な洗礼でした。




 

2024年1月27日土曜日

伊豆の夕日


この車「クーペフィアット」に乗っている時、よく伊豆方面に向かいました。

特に東京方面からだと、渋滞を避けて早朝に小田原辺りから東伊豆に入ります。

先端にある下田を目指して走りますが、そのまま向かったり、途中から山側に右折して西に向かいました。

この辺りは、小さくても個性的な美術館が多くあり、食事するところにも事欠きませんので、昼過ぎまでのしばらくは、散策していることが多かったです。

午後の後半辺りから西伊豆をドライブします。

あまり開発されてない地域で、道路も狭いのですが、交通量も少なめのため、まあまあ快適にドライブ出来ます。

ドライブで目指す目的地はだいたい行っているのと、早い時間帯に東海道方面に向かうと大渋滞に巻き込まれてしまうため、焦ることもなく何となくダラダラと走ります。

最大のポイントは「富士山」に尽きます。

以前にも取り上げましたが、北上するにつれて近づいてくるのが堪りません。

しょっちゅう車を止めては撮影しました。

夕刻は、西日を受けて赤富士となるため、より赤さを求めることになります。

この写真は、その撮影中に振り返ったものです。

車の向いている先の延長線上で、まさに夕日が沈もうとしており、自然にこの構図が定まりました。

感じた衝撃が強くて、更に撮った写真を油絵にも仕上げるほど、印象が残りました。

西日本に住んでいると、中々訪れる機会がありませんが、また西伊豆をゆっくりとドライブしたいものです。

2024年1月20日土曜日

杵築の町並み


早朝に大分県杵築市にある「杵築城」に立ち寄りました。

河口の先端にありました。

「一国一城令」で、城としての主郭は取り壊されてしまいましたが、現在は模擬天守が建てられています。

それが、大きな河口から海に向けての景観に、極めて効果的なアクセントとなっており、天守閣としての見栄えの良さを感じます。

海岸線の近くに築城された城は、埋め立て等により、もともとの面影を失っているケースが一般的です。

ここは、往時の風情を感じることが出来ました。

小島だったところを、北側は城下町の建設段階で埋め立てられたそうで、近年の開発ではないからだと得心しました。

驚いたのは、写真のようにその城下町が立派に残っていたことです。

予備知識がなかったので、何故この場所に大規模な街が建設されたのかも不思議でした。

五奉行だった「前田玄以」を始め、数万石の大名しか居城しなかったはずです。

後で調べたのですが、商港として発展したからだそうです。

「七草表(しちくさおもて)」と呼ばれた「琉球畳」の素材となる草が、国東半島で生産されるようになり、出荷に対してここに集積されるようになりました。

商都してこの規模に拡充されていったようです。

確かに立派な坂道の名前には、商家の名称が多いと思います。

坂のアップダウンにより、街並みに立体感が生まれて、非常に奥行きを感じます。

城下町は、台地でも筋を通した平地になっているケースが多く、このような事例を始めて観ました。

散策も、鄙びた感じはなく、栄えた街の息吹のようなものが伝わってきました。

城跡探訪の途中で、良い拾い物をした旅でした。