2024年1月6日土曜日

椿の紋様と


 今年もよろしくお願い致します。

コロナ明けの最初の正月です。

デルタカフェも10周年を迎える年となります。

日頃のご愛顧本当にありがとうございます。

また、何もしてないオーナーとしては、運営を頑張った母様と妹様に感謝感謝でございます。

自身としては、子供の病気とかをきっかけに、一族で参画出来て、何か困ったことがあれば戻って来れる〝家業〟みたいな営みを作りたいと思ったのが、構想のスタートでした。

それに自分のやりたい趣向も加えて、具現化した舞台が、「デルタカフェ」の土台となります。

そこから先は運営者(母と妹とその他親戚)とお客様にて、この10年近くかけて築いて頂いた賜物だと、それがカフェの味わいになっていると、様子を伺いながらいつも感じ入っております。

写真は、長崎県の「五島列島」にある教会群で用いられている「椿の紋章」です。

ここの特産「五島うどん」は、同じく特産の「椿油」でコーティングされており、滑らかな独特の口当たり・喉ごしが大変美味です。

その椿は、カトリックが地域に土着していく中で、十字架と一体化するような紋章となっていきます。

隠れキリシタンとしては、直接的な紋章を隠す意味合いもありますが、自然に融合していったように感じます。

しかも金属でなく木で作られている点も、和様のイメージを強めて、より馴染んでいます。

強いコンセプトは、何かを起こすとき大事だとは思いますが、どう周囲と馴染んでいくかの粘り強い過程が、やりたいことの成否を分けます。

やりたいことの10年の流れは本当に早く、逆算でやりたいことを計画しておかないと、〝後悔先に立たず〟になりかねません。

これからも、面白そうなことを試行錯誤出来る店でありたく、引き続きのご愛顧よろしくお願いします。

2023年12月30日土曜日

浅草寺


コロナ中に訪れた浅草の「浅草寺(せんそうじ)」です。

最終便で東京に着き、宿をこの近辺に手配していたので、向かう前に立ち寄ってみました。

何の目的もなかったのですが、人がいない「雷門」を、テレビで最近目にすることがあったので、どんなものかと足が向きました。

日中と比較できない時間帯であることはわかってますが、それでも飲み屋も多い地域です。

それなりに人が多いし、写真の参道は今までなら周辺を行き来する方々の通り道になってました。

が、やはりなのか人影がありません。

目の前のカップルのみです。

雷門からずっと前方を歩いていて、思いのほか歩速が早いので、追い抜くこともなく、ついていく形となりました。

こんなにシーンとした境内は初めてで、次の写真の五重塔も何やら不気味です。


この塔の脇口の通りに入り、飲み屋の多い辺りに向かいました。

一杯引っ掛けて、ホテルに行きたかったのですが、どこもやってません。

シャッターが全部下ろされていて灯がない様子は、この通りに拒まれているようで、進むのが少々怖くなりました。

来た道を引き返しましたが、「仲見世通り」を過ぎる辺りまで、人に出会いませんでした。

自分のプラプラ旅行を否定されたようで悲しくなりつつ、コンビニでビールとつまみを買い、ホテルに入りました。

少し救われたのは、ホテルの配信チャンネルで「機動戦士ガンダム」映画版をやっていたことです。

小学生のとき、3部作を全て映画館で観た記憶があります。

少しテンションが回復し、明日の会議もあるので2部の後半だけ観ました。

今、「シャア専用ズゴック」を作成しているからです。

ジャングルに隠されていたジャブロー基地の攻防戦を観て、かなり気分が持ち直しました。

よりイメージが膨らみました。

小学生3年生と、家族にバカにされるのもしょうがないです。

2023年12月23日土曜日

三陸鉄道リアス線


過去の写真を眺めていて見つけました。

「東日本大震災」前の「三陸鉄道」です。

少しショッキングな色調の車両となっています。

「全線制覇」に向けて旅をしていた自分にとって、最大の難所が「東北地方」の太平洋岸を走るこの路線でした。

西日本の方には、分かりにくいのですが、「東北地方」は、「中国地方」と比較すると、遙かに大きな面積を有しています。

そのため、長い走行距離を有することになり、時間が余計にかかります。

しかも連結が良くないのです。

サラリーマンの限られた休暇では、何度も「東京」から行ったり来たりの行程を強いられました。

その分費用も嵩みます。

結局、この路線の完乗に約3年かかりました。

この日は、新幹線で青森県「八戸駅」まで行き(料金が高い!)、「八戸線」を制覇した後、更に南下していきました。

当初は天候が悪く、雨が降っていましたが、徐々に回復して晴れやかな日差しとなりました。

写真は確か「釜石駅」だったと思います。

フォームをブラブラするだけでしたが、鋼材か木材の集積地なのか、広大な待避線の跡地がありました。

雨が止んだ直後らしく、山々から霞が垂れ込めていて、幻想的な雰囲気が醸し出されていました。

この約7年後に大悲劇が起こります。

ここも今はどう復活しているのか?

行ってみたいとも思いますが、なかなか勇気が沸きません。

 

2023年12月16日土曜日

毒ガスの島


瀬戸内海にある「大矢野島」。

「毒ガスの島」とも「ウサギの島」とも呼ばれます。

両極端な呼称ですが、毒ガスの実験体として飼われていたウサギが、施設廃止後も繁殖したためで、密接な因果関係があります。

終戦で廃止されましたが、毒ガスは15年間ほど製造されたそうです。

基本的な防疫体制は取られていたそうですが、当時の水準として、微量な漏れは防ぎようもありませんでした。

約6000名台の人々が働く中で健康障害等の影響を受けたようです。

土壌汚染も含めて、全体を包括した被害状況は明らかになってません。

現在ここには休暇村があります。

夏に向かおうとしたときは、フェリーが満杯で乗れませんでした。

今回は、年末の帰省時を狙ってチャレンジしました。

山口県下関市から車でスタートし、広島県三原市の西寄りにある「忠海港」から、車と一緒にフェリー乗船しました。

始発の2時間前に着いていたのでトップです。

帰りはここに戻らず、愛媛県大三島の「盛港」にフェリーで向かい、そのまましまなみ街道にて、松山へ帰省しました。

そのため、フェリーからフェリーへの乗り継ぎ時間が島の滞在時間となります。

約1時間半で、島の周囲は約4キロ。

早歩きで何とかなりそうですが、関連施設が点在しているうえに、「芸予要塞」の遺跡もあります。

見惚れてる時間が確保出来るのか心配でした。

時計回りに一周しましたが、写真の「長浦毒ガス貯蔵庫跡」を始め、見応えある施設が数多くありました。

壁が黒くなっているのは、毒ガスの残留物を焼却するため、火炎放射器で焼いたからだそうです。

それなりのペースで進めたのですが、何と障害になったのは、立ち塞がる「ウサギちゃん」達でした。

私を発見すると一斉に寄ってきますが、手前30センチほど(かなり近い!)でピタッと停止します。

エサをもらえないと分かると、そそくさと散らばっていくのです。

その一連の仕草が、動物好きでない身でもキュンときますし、かなりの急接近なのでついつい立ち止まってしまいます。

フェリー乗り場に近づくにつれて、その数が増えてきます。

少しゾンビゲームみたいです。

時間が厳しくなってきたので、走ることにしました。

読み通り、エサをくれる人に見えないので寄って来ません。

無事に乗船出来ましたが、周囲が和んでいる公園に迷惑な奴だったと思います。

少しは愛でる時間が欲しかったなあ。


 

2023年12月9日土曜日

富貴寺


大分県国東半島にある「富貴寺」です。

教科書にも載っていて、平安期の建築物で国宝に指定されています。

素朴な風合いが素晴らしいと評価されてました。

学生の頃からずっと行きたかったのですが、機会がなくて訪れたのは30代半ばだったと思います。

実際に行くと、駐車場から道路を挟んだ上り端に階段があります。

上がっていくと山門を経て、すぐに「富貴大堂」がありました。

・・・国宝ですが、何とも普通です。

8世紀建立の楼閣風寺院とか、何とかの説明がありましたが、正直なところピンと来ません。

私のそんな雰囲気を察したのか、ガイドらしきおじさんが寄ってきました。

言われるには、今でこそ国宝指定されて整備されたが、ずっと荒れ放題で住職もおらず、近隣の農民が使う寄合所、いわば公民館の位置づけだったそうです。

建て直すお金もなかったので放置されたままでしたが、崩れずに何とか持ち堪えていたら、国宝になったとまで言い切られました。

周囲の関係者が聞いたら、クビにならないか心配なくらいでしたが、あきれるくらいのストレートな説明に、思わず楽しくなってしまいました。

実際のところ、木造建築物である以上、国宝や重要文化財クラスでも、大改修のときには、多くの木材が入れ替わります。

一度に消滅しなければ、命脈を保てるのが文化財の面白さかもしれません。

改修に尽力された方々の存在も、文化財を彩る歴史です。


一番印象に残ったのは、山門に鎮座していた石像です。

国東半島らしい愛嬌を感じます。

誰かが適当に作って置いたように思いました。

 

2023年12月2日土曜日

種子島基地跡


軍施設の風呂場跡です。

コンクリートの土台がかなり残っていて、当時をリアルに偲ぶことが出来ました。

溜まった雨水が臨場感出してます。

ここは種子島で、レンタカーを借りて一周してます。

夕暮れ近くでしたが、「種子島基地跡」の看板を発見。

どうも気になり立ち寄りました。

太平洋戦争で種子島の話を聞いたことがありません。

予備知識がないので、好奇心が膨らみます。

行ってみると、基地と呼ぶより飛行場跡でした。

下の2枚目の写真を見て頂きたいのですが、道路が一直線に続き、隣の畑となった飛行場跡も合わせて真っ平らです。

今までドライブしてきた印象として、高い山こそありませんが、起伏はかなり激しい地形でした。

極めて人工的で、異常な光景です。


説明板を読むと、敗色濃厚になってきた戦争末期に、急拵えで整備した飛行場らしく、島民を総動員して、岩とかを削って整地したそうです。


結果的には、ほとんど使用されることもなく、戦場にはなりませんでした。

この手の話は、戦争末期に構築された施設でよく聞く話です。

その後、栽培されているサトウキビが伸びやかに育っているのが、過去の歴史と対照的に写りました。

そのまま直線道路を進みましたが、良い道なのに爽快な気持ちにはなれませんでした。

 

2023年11月25日土曜日

油壷湾


神奈川県の三浦半島にある湾です。

噂には聞いてましたが、ヨットハーバーとして有名な場所で、ヨットの数にビックリしました。

渋滞しているように見えます。

ちゃんと海に出ていけるのか心配になりました。

余計なお世話でしょうが、ここに来たのは湾の北部が「三浦氏」の本拠地「新井城」だったからです。

地名の「油壺」の油、実は〝血〟です。

「三浦氏」が滅亡するとき、この戦で討ち死にした方々の、水面に浮かび上がった血が〝油〟のようだったから、この名称になったそうです。

怖い話です。

湾から城に向かっているので、その惨状があった近辺を通過するはずですが、私の心霊センサーは反応しませんでした。

「三浦氏」については、「鎌倉殿の13人」で有名になりましたが、2世代後の「宝治合戦」にて、結局は「北条氏」に滅ぼされます。

とは言っても大きな一族です。

その後も命脈を保って、混戦の多い室町時代を生き残ります。

しかし戦国時代初期に伊豆から関東を狙って進出してきた「北条早雲」と対峙することになりました。

このときの当主は、「扇谷上杉」からやって来て内紛に応じて乗っ取りに成功した「三浦道寸」。
(諸説あります。)

3年間も、ここに立て篭もって戦いますが、とうとう滅亡します。

城跡は散策路を進むも、この山の手側がそうだと地形から判断出来ますが、ポイントになるようなモノは発見出来ませんでした。

それでも収穫がありました。

「北原白秋」の句碑です。

外海は荒いて月の油壺

ドロドロとした雰囲気に覆われていた感覚が、一気に雄大な心持ちになりました。