2025年10月25日土曜日

TM(テイエム)牧場温泉


名湯には事欠かない鹿児島県ですが、最も尖がった印象を残したのがこの温泉です。

鹿児島県でも、東側の大隅半島側にあり、桜島の南に位置します。

確か別の温泉施設に立ち寄ちよろうとしたのですが、混んでいる様子だったので他を捜すことにしました。

地域のガイド雑誌を持っていたので、拡げて探していて発見。

そこには、〝異次元の湯〟と表記されています。

名湯激戦区の鹿児島県で、こんな言葉が使われるなんて、異常に興味が沸きました。

また、アルファベットで始まる温泉名を聞いたことがありません。

ここから近いので俄然行く気になりました。

主要道路から海寄りの細い街道に降りて、目的地に向かいます。

写真の通り、目的地は廃墟を更地にしたような場所で、名称の看板は目立ちますが、施設らしい建物がありません。

海側を覗き込むと幟が立っていて、小屋が見えました。

このまま車を置いて下り道を進み、そこに向かうと、海の家みたいな風采です。

中に入ると、男女にはちゃんと分かれており、いそいそと料金を払って入湯しました。

第一印象は、ポンジュースです。

あくまで色のことなのですが、鮮やかなオレンジ色に見えました。

他の人がアップしている写真とかを見ると、黄土色なので大げさに聞こえるかもしれませんが、このときは眩しい日差しが湯面に反射していたので、そのように見えたようです。

さすがに匂いは柑橘系ではなく、茶褐色系によくある錆びた風味がしました。

炭酸水素塩泉と表記されていますが、鉄分とカルシウムが多いようです。

普通はベタつくことの多い泉質ですが、思いのほかサラリとしてました。

でも濃厚な感触で、まさに極上でした。

また、名称の「TM」は「テイエム」と読むそうです。

もともと、馬主で有名な方が、自分所有の競走馬に「テイエム○○○」と命名していたようで、かれらを育てる牧場も「テイエム牧場」と名付けられました。

牧場は複数あるようですが、ここの牧場は既に閉鎖されてます。

そのため、「テイエム牧場」は閉鎖しましたが、「テイエム牧場温泉」は営業してます、みたいな非常に紛らわしい言葉が飛び交うそうです。

湯を堪能した後は、近くにあるフェリーに乗り、錦江湾を横断して鹿児島市内に戻りますが、船内にはうどん屋さんがあり、それを食しながら海の景色を眺めるのが楽しみでした。

そのとき、いつも宇高連絡船が思い浮かぶのは、自分が四国の人間である証左かと実感します。

そこに向かうべく北上する途中、下の写真のように桜島が迫る様に見えました。

桜島は南から見る方が、火口がよく見え、活火山としての雄々しさがより伝わってきます。

何かにつけて鹿児島のドライブは、雄大な気持ちになれる素敵なコースばかりでした。


2025年10月18日土曜日

SLばんえつ物語

 

福島県「郡山駅」と新潟県「新津駅」を結ぶ「磐越西線」。

そこをひた走る「SLばんえつ物語号(今は「SLばんえつ物語」に名称変更)」です。

現在人気を博しているご当地観光列車の魁のような存在であり、今も元気に運行されてます。

この写真は20年以上前に撮影したもので、客車の上下がチョコレート色で、中央部分がクリーム色のカラーリングは、運行初期のデザインです。

このブログを書くために、今までの変遷を調べてみたのですが、驚くほどリニューアルされていました。

先頭で7両編成をけん引している蒸気機関車「C57 180」は、いまも健在(これが凄い)ですが、客車はカラーリングの変更のみならず、新規の車体がどんどん投入されて、より快適性を追求したものになっています。

今は、展望台車まであるようです。


この列車のコンセプトとして、運行当初から名称通り、物語性を重視したものになっていました。

下の写真はこの列車専用のお弁当で任意に購入出来るのですが、地域の食材を使用し郷土料理を詰め合わせた嬉しい内容になっていました。

ビールも、地元のクラフトビールが用意されていて、両方とも「SLばんえつ物語」の名称になっています。

川沿いの車窓を眺めながらの一杯は、最高のひとときでした。


以前のブログで、ご当地観光列車は豪華すぎて興味の対象にないようなことを書いていたのですが、この日のことを思い出すとかなり楽しんでいた自分に気がつきます。

再考が必要かもしれませんが、一人旅で楽しめるのかどうか確認要です。

一人という発想が、家族に叱られそうでが・・・。

2025年10月11日土曜日

舞鶴線


鉄道の歴史は、軍事の歴史でもあります。

鉄路が敷かれる優先順位は、軍需物資を効果的に運搬するための優先度に、重なることが多いと思われます。

今回取り上げる「舞鶴線」は、「山陰本線」の「綾部駅」から枝分かれし、終点の「東舞鶴駅」まではわずか6駅、路線距離は26.4キロしかありません。

しかし舞鶴が軍港であることから、民営企業での計画があったにもかかわらず、官設に切り替えられて、1904年に開業されました。

「日露戦争」開戦に間に合わせるためです。

そこから先も延伸されて、「北陸本線」の「敦賀駅」と繋がり、旧国名「若狭の国(福井県の西部地域)」を横断する「小浜線」へと続くのですが、全通したのは1922年と、かなり後の時代になりました。

急がない公共投資はこんなものかと。

また、「東舞鶴駅」が二つの路線を分ける起点になるのですが、同じ1本の路線でも対照的です。

東側を走る「小浜線」は、銀色の車体に明るい緑色のラインが入った車両を採用しており、海沿いの明るさがあります。

逆に、西側を走る「舞鶴線」の各駅停車は、写真の通りくすんだ緑一色で、ミリタリー調の雰囲気が漂っています。

初めて見たとき、「機動戦士ガンダム」に登場する敵側の戦艦「ムサイ」が浮かびました。

現在も、「東舞鶴港」は海上自衛隊の基地であり、この重めと言いますか、冴えない色調はこの路線の各停車両に似つかわしいと思います。

今回の旅は、5枚セットの「青春18切符」のうち、最後の余った1枚を活用した日帰り旅行として舞鶴までやってきました。

今から東舞鶴市街を通り、軍港までを散策するのですが、この列車の折り返しの出発を見届けました。

季節は9月上旬で、ガンガン照りではありませんでしたが、それなりに強い日差しはありました。

しかしこの色調は、光をあんまり反射しないようです。

鈍いぼやけた光沢を発しながら去っていく様は、まるで戦車のようです。

特別な場所にやってきた旅情を感じさせてくれる、有難い各停車両でした。

何故か、思わず手を合わしてしまいました。

 

2025年10月4日土曜日

石見川本駅

 

かなり古い写真になりますが、廃線になってしまった「三江線」の在りし日の風景です。

以前に何度か取り上げましたが、広島県内陸部にある「三次駅」と、島根県沿岸部の「江津駅」を結ぶ路線になります。

とにかく蛇行が多い路線で、写真は島根県内陸部にある「石見川本駅」ですが、奥に向かって大きく右に弧を描いているのがわかります。

このときは駅も開業していて、列車が入線してきていたのを見つけて、慌てて写真を撮りました。

超がつくローカル線なので、列車に遭遇出来てラッキーです。

確か、知人の手伝いでドライブがてらやってきて、その打ち合わせの事務所が、町を見渡せる高台にありました。

自分の用事ではなかったので、そこからぼんやりと町を眺めていました。

待っているしかなかったので、慌てる必要もなく、妙に贅沢な時間を過ごしているなあと、感慨深かったのを思い出します。

勤め先の営業所もこの町にあり、今は店舗統合で閉鎖されてましたが、当時は機能していて、帰り際に少し覗いたことを思い出しました。
(残念ながら、土曜日だったので誰もいませんでした。)

下の写真は、帰りがけに車を撮影したのですが、夕映えになりかけていて、やさしい陰影の風景になっています。

まだまだ旅をしていくと思いますが、インパクトのある被写体を撮るよりも、撮影したときの心情が思い起こせるような写真を残せるように心掛けていきたいと思いました。


2025年9月27日土曜日

伊香保温泉


「伊香保温泉」の温泉街です。

結構な急坂である石段は、旅館・土産物屋・遊技場とかが軒を重ねており、この温泉のシンボルでもあります。

地元で普及している「上毛かるた」でも、〝い〟は「伊香保温泉 日本の名湯」です。

会社の先輩にこの話を伺ったのですが、この言い回しは何故か憶えていました。

同じ群馬県内にある「草津温泉(ほとんどの全国温泉番付で、横綱認定)」と、並んで知名度が高いと言っても過言ではありません。

有名な文豪達が、小説の題材とかにも取り上げていて、温泉ならではの風情というか余韻が漂う素敵な場所でした。

私がこの温泉街をはっきり認識したのは、漫画「頭文字D(地元の走り屋が、夜な夜な峠で勝負する)」の舞台が、この界隈を想定しているからです。

実際の地名は微妙に変更されているのですが、この漫画の主人公と、彼女が紅灯の巷へと消えていくのも、この温泉街が背景になっていました。

しっぽり感というか、色気が漂う温泉ではあります。

ただ、残念ながら温泉の泉質は大したことありません。
 
悪い印象で残っているのが、読んだ推理小説でここが登場したときに、湯量が乏しくて困っているという話題でした。

昔からの源泉は「黄金の湯(こがねのゆ)」と呼ばれるそうですが、権利者が幅を利かせていて、新規に発掘された「白銀の湯」と併用されているそうです。

ただ後者は、無色透明で湧出温度が低く、温泉特有の成分が非常に少ないため、評判がイマイチとのこと。

以前に泊まった宿は、茶褐色の前者だったので当たりと言えますが、それでも源泉かけ流しでなく、妙に薄い感じがしました。

愛媛の塩素が入っている有名な温泉(それでも好きですが)と、立ち位置が似ているような気がします。

しかし、インバウンドの流れも含めて、温泉業界でのブランド戦略は、継続的に栄えていくうえで非常に大事だと感じています。

雑誌での紹介記事において、宿泊したことのある有名旅館が、ビックリするような金額になっていることが多いです。

もはや自分の懐具合では、宿泊出来る相場ではありませんでした。

正直なところ、日本のサラリーマンが家族単位で宿泊するのは、全国的に厳しくなっているような気がします。

話題になる前の穴場を、自分の感覚で探していくしかありません。

家族旅行で宿泊出来る素敵な場所を、見つかるのは本当に大変です。





2025年9月20日土曜日

天橋立股のぞき

 

いきなり別の話題になりますが、「西国三十三寺」という寺巡りの括りがあります。

三十三もあれば、普通しょぼいのが入っていそうなものですが、近畿地方を中心に名だたる寺院ばかりで構成されており、行きごたえがあります。

この括りを聞いたことはあっても詳しくは知りませんでしたが、有名な寺院が多いため既に行っているお寺が相当数あり、大阪に住んでいる間にコンプリートしたいと、最近思い立っています。

しかし範囲が広大です。

順番に廻ろうとすると、最初の一番札所は和歌山県のほぼ最南端に、最後の三十三番札所は岐阜県のまあまあ山奥にあったりと、初っ端から心が折れそうな場所に点在しているのです。

ちなみに最北に位置するのが、二十八番札所「成相寺(なりあいじ)」です。

丹後半島の根元に位置し、日本三景の一つ「天橋立」を眼下に拝むことが出来ます。

この写真がその展望で、少し靄ってましたが全貌をしっかり見ることが出来ました。

もとは修験道の道場だったらしく、雪舟の国宝「天橋立図」にもこのお寺は描かれています。

「天橋立」自体には何度か行っていて、実際に北から南まで歩いて縦断したこともありました。

松林の中を歩きながら、左右の海を眺めることが出来るのです。

訪れたときは夕暮れ時で、気持ち良い風に当たりながら風光明媚な雰囲気を味わった記憶が残っています。

しかし、名称の由来は、このお寺からの景観なのだと実感しました。

かなり標高が高く、坂道を車で上がっていくのですが、このときの車はマニュアル車で大変でした。

こんな斜度のきつい坂道を登ったことがないくらい急です。

前方のもたついた車に追いついてしまうと、その車のペースでスピード調整をしないといけなくなるため、エンストしそうになります。

クラッチを踏む左足が何度もつりそうになりました。

このときは三十三寺を意識していなかったので、引き返そうかと思いつつも、何とかたどり着いた次第です。

下の写真は、少し奥まったところにある「天橋立股のぞき岩」です。

昔、テレビでやっていた「一休さん」でおぼろけながら見た記憶があります。

実際にこの岩に上がって股のぞきの姿勢で見てみました。

天に昇っているほどには見えませんが、海に立っているように見えなくもありません。

まあ娯楽がない時代には、一つのアトラクションだったのかなあ、と思いました。

ただこの日は暑かったのですが、ここまで高いと照り返しの地熱にさらされてない涼しい風が吹いていて、非常に爽やかな気持ちに浸れました。

幸い人もいなかったので、結構な時間をここでボーっとし、かなりスッキリしました。

おそらく人によって反応するツボが異なる場所かと。

一種のパワースポットかと思われます。

2025年9月13日土曜日

木ノ芽城塞

 

旅行をしていて「ここは難所だな。」と実感する場所があります。

福井県の若狭湾に面する「敦賀」から「福井」方面に向かうルートもそうでした。

以前のブログ「宗太郎越え」にて、自分の斜度に対する感度の無さを露呈していて恐縮ですが、ここは明確に感じました。

昔なら、ここは「若狭国」と「越前国」の国境に位置する地帯です。

ここを通る鉄路・高速道路・一般道のすべてにおいて、急斜面を駆け上る印象が強く、列車のディーゼル音、前方を走るトラックの苦しそうに吐き出す排気ガスの量、様々な乗り物が喘いでいる姿からその厳しさが伝わってきました。

今回は、古くからの主要道路であったであろうルートを探しながら、じっくり進んでみることにしました。

先ず、「敦賀駅」付近の川に「木の芽橋」があります。

ここが起点かなあ、と思いつつ、国道476号線を上っていきました。

昔の駅跡があり今は付け替えられてますが、ほぼ同じルートで鉄路があったようです。

軽井沢と横川間の「碓氷峠」とかもそうですが、列車の登坂能力の性能向上により、更なる移動時間の短縮を目指し、時代ごとに鉄路は見直されて、より直線的になっていきます。

高速道路の登りもこの道沿いでした。

下りは負荷が少ないため、より直線的な別ルートになっていますが、ここが昔から一番登り安い勾配だったことは間違いないようです。

しかし、この476号線も途中でトンネルの直線道路になってしまい、ここから別ルートを探さないといけません。

幕末の天狗党の首謀者である「武田耕雲斎」の本陣となった後があり、その脇から続く山道が古道のようです。

そこから延々とジグザグ道を頑張ると、少し平坦になってきて、最高所の「木の芽峠」に至りました。

写真の通り、多少緩やかでもこの車の角度です。

下の写真により詳細を示してますが、ここは城塞が築かれています。

近畿方面からの敵を防ぐ目的があったようで、戦国時代には、「織田信長」が「朝倉義景」を攻略したときのルートでもありました。

ここから先は、スキー場の中を通り抜けるような道になり、北国街道「板取宿」に至ることが出来ました。

出たとこ勝負の探検でしたが、スリリングな展開で非常に楽しめました。

あまり調べず直感で進む旅は、これからもっと楽しくなりそうです。

怖い試みになりますが、鉄路の廃線ルートを攻める時期かもしれません。


2025年9月6日土曜日

小浜温泉

 


不思議な場所にある温泉です。

JR山陰本線「温泉津駅」から歩いて5分ほどの場所にある公衆浴場ですが、この先には世界遺産「石見銀山」の構成資産に含まれる「温泉津温泉街」があります。

ほぼ同一エリア内に、別の温泉名で浴場を構えているのです。

以前に取り上げた「温泉津温泉」は、個人的にも大好きで、ここを車で通るときは必ずと言っていいほど立ち寄りました。

しかし鉄路の場合は、この「小浜温泉」を利用します。

この写真は車で来たときに撮影したのですが、列車の場合、降車して次便がやって来るまで一時間ほどしかない場合が多く、タクシーを使わないと駅から温泉街を往復することが出来ません。

鉄旅のときは節約モードになっているため、ここでタクることは、私にとって負けを意味します。

まあ、そんなことを考えなくても、入浴したい素晴らしいお湯なのです。

塩化物泉と表記されてますが、そんな単純に言い表せない複雑な泉質です。

黄色味を帯びていて、とろみがあるようには感じないのですが、肌辺りはとても柔らかいです。

温泉らしい匂いも漂っていますが、成分が判別できるほどの、とんがった風味ではありません。

結果的には、交通手段で棲み分けが出来て良かったと、毎回感謝して入湯している次第です。

あるときに驚いたのですが、当時の有名だった温泉マイスターが、中四国の鄙びた温泉浴場の筆頭にここを取り上げていました。

確かにそのときは、もっと鄙びた味のある浴場施設だったのですが、残念ながら火事で焼けてしまい、今の姿に立て直されたのです。

新しくなった浴場にも入ったのですが、相変わらず地元の方々が大半を占めていると思われ、この地域の方言が飛び交っていました。

設備は新しくなってますが、変わらずの雰囲気が漂っていて、とても懐かしく感じたのを覚えています。

そう言えば、ここでの強烈なエピソードがありました。

写真に写っている水色のベンチに座って、風呂上がりのジュースを飲んでいたとき、おもむろに女性用の入口から出てきたおばさん二人に「まあ、ユタカ君お元気だった。」と声をかけられたのです。

「いや、旅の者で、違いますよ。」と否定をしたのですが、二人は「何とぼけているのよユタカ君。」と食いついてきます。

「いや、本当に別人です。」と言っても、認めがたいらしく、しばしの沈黙がありました。

そのうち一人が、「いや、ユタカ君じゃないわあ。」と言い出したのですが、もう一人はまだ疑っていて、こちらを睨んでいるような表情でずっと見てました。

違うと認識した方が、もう一人を引っ張る様にして立ち去られたのですが、最後まで自分がユタカ君でないことに納得されてない様子でした。

ユタカ君、どんな人なんだろう。

今日は車なので、下の写真の進行方向を右に、しばらく進んだところにある「温泉津温泉」
の「元湯」に向かいました。

あの二人、行ってないだろうなあ。


2025年8月30日土曜日

不動院岩屋堂


この修験道寺院は、鳥取県の「若狭鉄道」の終点「若狭駅」から更に山間部に走った場所にあります。

国の重要文化財に指定されており、もともとはここにあった「神光寺」の大伽藍の一部だったらしいのですが、豊臣秀吉の因幡侵攻に際し焼失してしまい、この堂宇のみ残ったらしいです。

確かに秀吉はこの先にある「戸倉峠」から因幡に入り、鳥取城を兵糧攻めにしたと記憶しています。

岩窟の隙間に嵌め込むように建築されていて、高さ10m、奥行きも10mと立方体に近いまとまりがあり、箱に入れられた「銀閣寺」のようだと思いました。

サイズはこっちがおそらく大きいのですが、小さくかわいく見えました。

岩場の隙間をうまく活用して建てた堂宇は「投入堂」とも言われ、このブログの一番最初に取り上げた「鰐淵寺」の「浮浪の滝」にある堂宇も、小さいですがこのジャンルになります。

近くの「三徳山三仏寺の投入堂」と、大分県宇佐市「龍岩寺の奥院礼堂」と合わせて、日本三大投入堂の一つされています。

この狭くて不自由な空間に、宇宙が広がっていくような感覚がたまりません。

下の写真の通りイメージが膨らんで、滝と一緒にわざわざ鉄道ジオラマまで作ってしまいました。


最近、自分の潜在意識にある好みを見つけ出し、鉄道ジオラマに具現化すると、その領域のエクスタシーに達する感覚を覚えることがあります。

本当は自分が何をしたいのか、自分でもよく解ってないんだと、考えることが多くなりました。

本題に戻りますが、大きな杉木立に隠れるようにして佇んている堂宇の階段を上がっていくと、苔むした岩窟が迎えてくれます。

苔のせいなのか、岩から染み出ているのか分かりませんが、冷気が漂っていて心身の余分な熱気を払ってくれるような心地がします。

川の流れる音と、カワセミが鳴いているのも聞こえてきて、自分が小中学校のときに川で泳いで遊んでいたときと同じ音響でした。

最期は近くの公園でトイレ休憩したときの写真ですが、ここはカエルの大合唱です。

夏の土曜日、地元の喜光地商店街の夜市に出かけていくときの、田圃の道中を思い出しました。

よく友達と連れ立って、駄菓子を食べながらゲームセンターで遊んだのは、すごく楽しかった思い出です。

童心を思い出した訪問でした。


2025年8月23日土曜日

大邱(テグ)のギネスビール


コロナ明け最初の海外旅行は、韓国での乗り鉄旅でした。

その際、韓国の中央部に位置する「大邱」を宿泊地の一つに選びました。

規模は、ソウル・釜山に続く、第3位の大都市です。

30年以上前の大学生時代、一度来たことがあります。

ソウル五輪の直後で、まだまだ物騒な雰囲気が漂っていました。

ご存じかと思いますが、韓国には兵役があります。

当時、駅の改札を出て町中に向かうときに、数多くの軍服を着た若者が、たむろしていたのが印象的でした。

しかし、今はお洒落な服を着たカップルが行きかっていて、韓流映画やドラマに出てくるネオンがキラキラした通りになっています。

歌舞伎町を更に明るくしたような感じがします。

先ず荷物を置きたいので、急いで予約の宿に向かいましたが、ビックリでした。

ラブホテル街の中にある、そのまんまラブホテルでした。

安いから選んだのですが、韓国はラブホテルでも普通に泊まれることにビックリです。

自分と同じようなおっさんが、普通に一人で出入りしているので、ここでは当たり前のようでした。

チェックインをして、町の散策を開始です。

お腹が空いていましたが、折角の機会なので、これはと思う店はないか探しました。

小一時間歩いて、「参鶏湯(サムゲタン)」専門店を発見。

混んでましたが、家族連れが帰る時間帯だったので、タイミング良くすぐに入れました。

それしかないので注文したらすぐに出てきます。

おいしく、汗だくになって頂きましたが、高麗人参が効いてきたのか、元気になった気がします。

盆地特有のまとわりつくような空気の重さは、日本と変わりません。

飲み屋街の続く裏路地を通って、ホテルへ帰ろうとしましたが、もう一軒覗いてみたくなりました。

そのときに、写真のギネスビールの店を発見したのです。

自分はギネスビールが、ビールで一番好きです。

ハングルで書かれていましたが、特徴的なビアグラスの看板でわかりました。

入店すると、下の写真の通りギネスらしい色調で統一されてます。

ハンチング帽を被った小太りのおっちゃんマスターがいて、私を日本人と認識して、片言の日本語でカウンターを進めてくれました。

「私は日本によく行きました。」と話しかけてくれ、その旅行時に撮影した動画を、店内スクリーンに流してくれます。

私はハングルがまったく喋れないので、最近購入したポケトークをフル活用して会話しました。

生ギネスを飲みながら、ここは大邱でのギネスビール一番店で本社の社長も来たことがあるとか、ビール会社に勤めていたときにギネスが好きすぎて、そこの会社で取り扱う責任者になったとか、その流れで引退後にこの店をやり始めたとか、ギネス愛に溢れる話を楽しく聞かせてもらいました。

二杯目を頼もうとメニューを見ると、リキュールとセットになった見慣れない組み合わせがあります。

何かと伺うと、「爆弾です。」と教えてくれました。

韓国の一気飲みのやり方で、ビールジョッキに入ったビールの中に、アルコール度数の高いウイスキー等を入れたワンショットグラスを落とし込んで、そのまま飲むというものです。

ギネス版もあることに驚きながらも、とても好奇心がくすぐられました。

ホテルも近いし、あとは寝るだけなので挑戦することにしました。

ギネスの中に、コーヒーリキュールのワンショットを落とし込みます。

ものすごい泡立ちで、止みそうにありません。

本来、このビールは泡立ちが止まってから飲むのですが、この状態で一気にいけとの合図。

一気に飲み干す間、マスターは何かを唱えてました。

「イッキ!イッキ!」なのかなあと、薄れゆく意識の中で完飲しました。

最後はマスターと出会った記念に、ツーショット写真を店の入り口で撮りましたが、ここで限界がきました。

もう暑さへの感覚も全くありません。

幸いにも、ホテルの周辺で呼び込みに引っかかった形跡もなく、就寝していた次第です。

明日の始発に遅れないように、外出前に目覚ましをセットしておいて大正解でした。

2025年8月16日土曜日

東舞鶴港


「舞鶴」には何度か行っているのですが、鉄道のときも車も、何かのついでに立ち寄っているだけなので、この町全体の地理が非常に不明確でした。

「舞鶴」とひとくくりに言っても、「東舞鶴駅」と「西舞鶴駅」に分かれていて、山を隔ててそれぞれが市街地を形成しているのです。

そのため「舞鶴城」に行った記憶も、どちらの市街地にあったのか、わからなくなっています。

老後に備える焦りもあってか、一度「自分の足」で認識しておこうと、久しぶりに「青春18切符」を使って日帰り旅行を敢行しました。

朝一番の始発で、江坂からスタートし、新大阪から京都へ、そこから「山陰本線」に乗り換え、日本海側へ進んでいきます。

「福知山駅」の手前にある「綾部駅」で下車し、更に「舞鶴線」に乗り換えて、目的地の「東舞鶴駅」へは昼過ぎに到着しました。

そこから写真のある「舞鶴赤レンガパーク」に歩いていきます。

気になったところに立ち寄りながらだったので、小一時間かかりました。

曇っていて日差しは楽だったのですが、真夏だけに汗が噴き出して止まりません。

ここはよく映画やテレビのロケ地に使用されるので、この写真のアングルで見たことのある方も多いかと思います。

レンガ倉庫の内部はお洒落なショップにリニューアルされていて、多くのカップルがいました。

汗臭いだろうなと気にしながらも、一人で少しウロウロします。

意外にもマニアックな品々が多く、海上自衛隊の艦船が一覧表になった手拭いを購入しました。

ただし、旅の目的は、ここは東なのか西なのか、はっきり認識することです。

「東舞鶴」の西の際にありました。

その先のトンネルを入って、西に少し進むと「西舞鶴」になってしまうので、本当に紛らわしいです。

そこから港に向かいました。

東と西ともに大きな港があり、NHKドラマ「坂の上の雲」に出てくる「舞鶴港」はいつもどっちなんだと思います。

その軍港は、下の写真の「東舞鶴港」でした。

数隻の護衛艦が停泊していて、小型船も全てが鼠色。

海上自衛隊の大きな基地であることが十二分に伝わってきます。

さっき手に入れた手拭いも、ご当地ならではと実感しました。

おかげで、しっかりとイメージ出来ました。

この後に「西舞鶴」も散策し、「舞鶴城」があり、こちらの港は民間用であることがわかりました。

とてもスッキリしました。

これからもどんどん記憶力が落ちていくと思うので、足を使った営みを継続的にしていくことの大切さを、あらためて知りました。

まあ、食事もろくに取らないで何をしているんだと、少し自戒もしましたが・・・。

誰もついてくることのない旅であることは間違いありません。

2025年8月9日土曜日

晋州ビビンバ


コロナ明けに、韓国で乗り鉄を始めたとき、一番行きたかった場所は「晋州(チンジュ)」でした。

朝鮮半島最南部の、東西を結ぶ中間地点に位置する、内陸部の都市です。

韓国の交通事情については、北のソウルを起点に南北を結ぶ縦のルートについては鉄道網が発達してますが、東西の都市間の鉄路移動は不便で、高速バスを活用するイメージがあります。

ただし、今回は鉄路にとことんこだわりました。

そのため始発の「ソウル」から、新幹線に近い存在である高速列車「KTX」に乗車し、少し前のブログで取り上げた最西南端の主要都市「木浦(モクポ)」に向かい、そのまま宿泊しました。

そして朝一番(と言っても9時21分発)のローカル列車「ムグンファ号」で、晋州を目指したのです。

各駅停車のため到着したのは13時52分、朝からかき氷しか食べてませんので、ガッツリしたものが食べたくてしょうがありません。

駅から市街地が遠いので、珍しくタクシーを使いました。

韓国のタクシーは値段が安くて助かります。

城好きとしては、豊臣秀吉の朝鮮出兵で有名な「晋州城」が市街地に入る手前にあるのですが、先ずは食事でした。

ここには人口34万人ほどの中堅都市とはいえ、韓国で三大に数えられる料理が二つもあるのです。

しかも「ビビンバ」と「冷麺」という、超メジャーなジャンル。

特に、ユッケの入ったビビンバで、もともと大好物なので興味津々です。

「韓国一の名物」とすら書いてある本も目にしました。

その老舗有名店「天鳳食堂」に入店。

さすがに昼どきをとっくに過ぎてましたので、3組くらいしか客はおらず、空いていてラッキーです。

料理より先に、天井と店内の写真を紹介しますが、李朝テイストの内装に感動しました。

以前の韓国は、「古い」よりも「新しい」の価値感が圧倒的に優勢なイメージがあったのですが、古民家カフェといい、懐古主義的なものが芽生えている印象があって嬉しくなります。

「渡る世間は鬼ばかり」に出てくる泉ピン子みたいな恰好の女性が、料理を運んできました。


最期の写真がそれです。

特に説明は不要かと思います。

十分に堪能し、お腹一杯になりました。

この後、気合を入れ直して「晋州冷麵」も攻略しました。

肉のチヂミがチャーシュー代わりに浮かんでいて、量が多かったのですが完食しました。

更に仕上げに、「晋州城」にも行ったのですが、お腹が苦しい。

夏のガンガン照りの中、城内を歩く気にはならず、入り口だけみて失礼しました。

どうも城というよりは、王宮に近いためあまり散策する意欲が沸きません。

乗り鉄の旅なのですが、今回は料理のヒットが多く、グルメツアーの様相を呈してきた次第です。

2025年8月2日土曜日

伊良湖灯台



真夏に訪れた「伊良湖灯台」。

夏の季節特有の雲が、強風で目まぐるしく模様を変化させながら、頭上を流れていました。

太平洋の先端に位置するだけあって、波の高さが瀬戸内海とは全く違います。

さらわれたら、二度と戻ってこれないような潜在的な恐怖が湧いてきました。

ところで、四国の方々から日本全体を眺めると、北関東と東海地方は特にわかりにくいのではないでしょうか。

愛知県を、少し時計回りに回したMの字で例えると、2つの半島が両サイドから海に向かって突き出ている形に、イメージ出来るかと思います。

左側(関西寄り)が知多半島、右側(関東より)が渥美半島です。

Мが右に傾いている分、渥美半島がより太平洋に突き出していて、愛知県の内陸部をガードするような地形になり、その突端にこの灯台があるのです。

名前に反して「伊良湖」はないようでした。

更に不思議だったのは、灯台の位置です。

岬の先端部はかなりの高台ですが、そこには築かれず、下の写真の通り海岸線ギリギリに立っているのです。

写真では見えませんが、海岸を形成している岩場のすぐ脇に遊歩道があり、灯台まで行くことが出来ました。

水面上に浮くように立っていて、近くに寄ると本当に小さいです。

コンクリート土台もそのスペース分しかありません。

おそらく日常から塩水被りまくりだし、嵐の高波なら完全に覆われるでしょう。

しかし、昭和4年に初点灯、昭和35年に電化されたそうで、今でも現役バリバリです。

いかにもド根性を感じさせてくれる存在でした。

見ているだけで、負けてなれないぞ、と張り合うような熱い気持ちになれます。

ただ、この岬の観光ポイントとしては、石垣島から流したヤシの実が届くことがあるそうで、ロマンチックを売りにしているそうです。

逆に硬派を売りにして欲しい気がしました。


2025年7月26日土曜日

池田湖


前回に続けて、ムー的な場所を取り上げます。

ここは、前回と同じ鹿児島県でも、薩摩半島の内陸部にある「池田湖」です。

何と、巨大生物「イッシー」が生息しているかもしれない湖なのです。

イギリスのネス湖にある「ネッシー」に模して名付けられたようですが、その存在が噂となったのは昭和前半頃だったとのこと。

そして全国的に有名になったのは昭和53年9月のことでした。

法事のため池田湖畔に集まっていた約20名の人が一斉に目撃したと、ニュースになります。

体長は20mほどで、背中にコブがあって前身の色は黒色、形は蛇か鰻に似ているらしいです。

また、その年の暮れには、波間に現れたイッシーの姿が写真に収められ、更に注目を浴びました。

その後、平成3年にも目撃情報が立て続けにあり、観光の目玉としてPRされているのです。

そして、下の写真にあるのが「イッシーくん」と称された復元像ですが、愛嬌があり過ぎます。

もう少し何とかならないものかと…。

観光地としても、流石にファンシーな世界に振りすぎかと…。

おかげで、ムー的なロマンが、ここで消えてしまいました。

「イッシーくん」の背景に写っている山は、日本百名山の1つであり、薩摩富士とも呼ばれる「開聞岳」です。

その近くにあることから、ここはずっと〝御池〟と称されてきました

古くから竜神伝説もあり、その祟りを鎮めるために池王明神の祠もあるのです。

そんなことをぼんやり思いながら、すぐ近くにあったお洒落なカフェで、ソフトクリームを買いました。

それをペロペロ舐めながら、湖の背景に鎮座する「開聞岳」をしばらく眺めてました。

しみじみ風光明媚な観光スポットだなあ、と思いながらも、「イッシーくん」がどうしても視界に入ってきます。

海洋堂に作り直してくれないかなあと、ついついお願いしてしまいました。


 

2025年7月19日土曜日

衛星が丘(ほしがおか)


写真の山頂を見て頂くと、キノコのような構造物が複数確認出来るかと思いますが、ウルトラマンとかに登場しそうな巨大なパラボラアンテナです。

ここは鹿児島県東部の大隅半島でも、最東端の海岸部にある「衛星が丘」で、ロケットの発射場があるのです。

〝衛星〟と書いて、〝ほし〟と読むそうで、ちょっと宝塚な趣があります。

一般的には、同じ県内でも島にある「種子島宇宙センター」が有名ですが、同じ「JAXA(宇宙航空研究開発機構)」が運営しており、「内之浦宇宙空間観測所」と呼ばれています。

早朝から車でやって来たのですが、初夏の素晴らしい青空が広がるドライブでした。

山間部が多い鹿児島県でも、大隅半島は特に山深いといいますが、人が立ち入れない自然の力強さが伝ってくる地域です。

その雰囲気を十二分に味わいながら、太平洋が拡がる海岸線を目指して進んでいきました。

道幅はさほど狭くないのですが、寂しい感じはどんどん増していきます。

突然、スカイラインような道幅の大きい道になり、突き進むとこの光景にぶち当たりました。

澄み渡るような明るい景色なのですが、人の気配が全くないせいか、かえって不気味に感じました。

ここで出会うとしたら、宇宙人じゃないかと。

白昼に拘束されたら、完全な行方不明です。

この車もよくよく眺めると、「ウルトラマンセブン」に登場するカプセル怪獣「ウィンダム」に似ているような気がしてきます。

結局は何事も起きませんでしたが、人と出会うことが一度もなく、孤独に芝居でもやっているような現実感のない感覚が残りました。

最期の写真にあるアンテナらしきモノも、説明版を読みましたが頭に入りませんでした。

どう見ても、地球防衛軍の基地の一部ではないかと疑ってしまいます。

ここは、今だに「ウルトラマンセブン」の山中に隠された秘密基地「地球防衛軍極東基地」なのではないかと錯覚したままです。

第4ゲートが開いて「ウルトラホーク1号」出てこないかなあ。


2025年7月12日土曜日

木浦(モクポ)のカフェ


普段はブログに日付を記さないのですが、2024年7月のコロナ明け、最初の海外旅行を敢行したときのことです。

海外で乗り鉄をやってみようと思い、その地に韓国を選びました。

鉄道の話は別の機会にしようと思いますが、行き先としては南方面を選択しました。

写真は、朝鮮半島最南西部の町「木浦」にある古民家カフェの内装です。

前日宿泊し、始発で発つため、夜明けとともに早朝散策を開始しました。

昔ながらの風情がかなり残っており、日本人が居住していた建物とかも丁寧に保存されていて、日本とのなじみ深い地域であることが伝わってきます。

ただ、残念なことに見かける雑貨屋や飲食店はやってない時間帯でした。

それはやむなしでの行動でしたが、何と開店準備をしている店を発見。

入り口を除いていると、加藤茶に似た30代ぐらいの方が中から出てきて、「日本の方ですか。よかったらどうぞ。」と、店内の明かりをわざわざつけてくれたのです。

列車に乗るため、20分ほどしか時間がない事情を説明すると、看板にあるカキ氷なら大丈夫と言われるので入店することにしました。

朝食のカキ氷は初めての経験ですが、入り口の看板で一番気になっていたメニューだったので、まあ期待した展開です。

先に会計をして、作ってもらっている間、店内をじっくり見学しました。

落ち着いた雰囲気で、古びた国旗も嫌味なく飾られています。

年季の入った椅子や机、飾られている雑貨類を眺めていると、「民藝」に近い潮流を感じました。

「柳宗悦」が「朝鮮人の友に送る書」にて、朝鮮の美を讃えたことが思い浮かびます。

朝鮮雑貨と古民家との親和性を体感できる貴重な機会となりました。

下の写真が、出てきた小豆のカキ氷で、小さなお餅が乗ってます。

SNSとかでよく見かけますが、果たしてどんな味なのか?

小豆はあまり甘くなく、意外にも塩味が効いていました。

白い氷部分は、練乳が入ったミルクを固めたもので、ガリガリではなくフワフワです。

素材の味がしっかり立っている小豆をメインに、ミルクが溶けてきて味に加わり、意外にもガツガツと早いペースで食べることが出来ました。

舌の上で固まった氷を溶かすような必要がなく、口内がマヒして頭がキーンとなることもありません。

日本の縁日で出てくる、後半が厳しくなるカキ氷とはずいぶん違います。

ついでに頼んで、後から出てきたコーヒーにも、何故か小豆がついてきました。

コーヒーに入れるのかと伺うと、「そんなわけないでしょう。カキ氷に追加して食べて下さい。」と呆れられました。

どうもサービスだったようです。

小豆はかなりの量となり、しっかり朝ご飯の代わりになりました。

下の写真の通路にその方が見えますが、雨靴みたいな長靴を掃き、頭はニット帽、色つきの丸眼鏡の風采でした。

夏の暑く、快晴の日にしては、かなり攻めてるファッションです。

その服装は、韓国での流行りなのかとか、この店の成り立ちとかも伺いたかったのですが、時間がないので、お礼を言ってダッシュで飛び出しました。

もう一回来たいけど、路線制覇のため、他の路線も回りたいしなあ、どうしよう。

悩ましいところです。

2025年7月5日土曜日

浄土ヶ浜


この写真は、「浄土ヶ浜」の中でも、中核となる「剣の山(針の山とも)」と呼ばれる景観です。

このブログの最初期に取り上げた「北山崎」に向かう途中に立ち寄りました。

岩手県の海岸線のほぼ中間地点に位置し、「宮古市」の中心部の近くにあります。

旅好きとして、当然ながら地図は大好物です。

いつも持ち歩いてますが、「〇〇100選」とかの一覧を目にするときがあると、試しに地図に書き込むようにしています。

それが第一の目的になることはないのですが、旅の道中に時間があれば、立ち寄ったりする目印にするためでした。

拾い物と言っては失礼ですが、そこで思わぬ素晴らしい体験にありつくこともままあります。

そういう流れで地図を活用するときに、ここはやたらと出てきました。

少し調べるだけでも、「快水浴場100選、かおり風景100選、日本の渚100選、日本の白砂青松100選」と、多くの選定対象地になっています。

行ったときは海水浴シーズンは終わっていた時期の明け方でした。

かなり薄暗かったのですが、購入したばかりのデジタルカメラがいい仕事してくれました。

当時まだ主流だったフィルムのカメラなら、ここまでうまく撮れないかったと思います。

さるお坊様が「さながら極楽浄土のごとし」と、感嘆したことが名前の由来らしいですが、時間帯のせいか「あの世の入り口」くらいにしか感じられませんでした。

一人で立っていると、岩場の影から「三途の川の渡し守」が知らないうちに寄ってきそうで、正直怖くなりました。

このときは、そんな軽口をたたくような心境でしたが、「東日本大震災」発生前だったからです。

今はどんな磁場を発しているのか、はかり知れず、あの地震でお亡くなりになった多くの方々に対しては、只々ご冥福をお祈りするしかありません。

震災以降の三陸方面には、以前に取り上げた「石巻」しか行けてない状況です。

下の写真も近くの港で撮影したのですが、同じ場所で再び撮ることは、恐れ多くて出来ないとおののいてしまう一枚です。

2025年6月28日土曜日

大山ドライブ


鳥取県にある「伯耆大山」の山岳ルートにある駐車スペースです。

いつ雨が降ってもおかしくない曇り空ですが、真夏のオープンカーにとって、最高の条件になります。

湿度高めの風が、肌に優しく潤いを与えてくれる感じがします。

少しミストっぽいというか、意外にもクセになりました。

とてもじゃありませんが、今どきの夏に太陽を拝みながら走るのは自殺行為です。

一度、短時間オープンで走った時に、野球帽を被っていたのですが、むき出しだった耳の上部をやけどしました。

この大山は、別名「伯耆富士」と呼ばれるだけあって、米子市側から見ればきれいな円錐形をしてますが、それ以外は歪な形をしていて、走るルートで多種多様な景観が楽しめます。

この山岳ドライブ自体が目的でなくても、「島根・大阪・愛媛」に住んでいるときに、山陰方面へ向かうことがあれば、わざわざこの山を通り抜けるようなコースを選んだりしました。

頂上にむけて全方位からといってもいいくらいに、多くの道があるので毎回新しい選択となり、凄く新鮮な心地で、森の中を走り抜けてました。

中国地方では最も標高が高い山ですが、日本海に近いので海岸ルートの趣も感じます。

このブログを書いていて忘れてました。

これだけドライブしているのに、ここの神様がおわす「大山寺・大神山神社」に行ってません。

この車は譲ってしまい私の手元にありませんが、今の新しいオープンカーで忘れずに訪問したいと決意しておきます。

追伸 今の車を事故してしまい、長期修理中のため、復活の暁にはしっかり拝んでこようと思います。



2025年6月21日土曜日

見島


山口県の最北端、萩市の沖合北北西約45kmに「見島」はあります。

対馬同様、朝鮮半島への最前線のため「航空自衛隊見島分屯地」があり、表敬と案件の相談があって、ここの担当者と一緒に伺いました。

担当者も萩市内在住のため、年に1~2回しか行けないとのことで、朝早い高速艇に乗って向かいます。

さすがに観光では中々来れない場所です。

港からのレンタカーで、山間の基地に向かって一仕事した後、帰りの船便まで時間があるので担当者の勧めもあり、島内を遠回りに1周するルートで戻ることにしました。

こういう展開大好きです。

島内を時計の針に見立て基地を9時の位置とすると、写真の「宇津山観音正寺」は2時の方角、突き出た岬の突端にあります。

崖の角度に合わせたような急坂の石段を下りたところに、本堂がありました。

一般的な伽藍配置と全く真逆の高低差で、この下り石段に吸い込まれそうです。

妙な威圧感が漂っていました。

自分の危険レーダーは反応してないのですが、強烈なざわつきが沸いてきます。

階段を降り始めると、竜宮城にも、黄泉の国にも向かうように感じました。

一段、一段と降りるたびに、水に潜っていくような錯覚が起こります。

あきらかな異空間への侵入です。

本堂に着いて、その裏手に廻ると海に突き出た岩礁に立てるのですが、妙に海面が粘っこく見えました。

拝礼した後すぐに失礼しましたが、何を護っているのか、それとも閉じ込めているのか、非常に気になる社でした。


入るときには、気にならなかった写真の鳥居も、出ていくときはくぐるたびに、何かつきものが剝がれていくような感覚がします。

この木造の鳥居群、強風にさらされ続けてかなり瘦せ細ってましたが、強烈な結界であることは間違いないと思いました。


最後の写真は、鳥居をくぐり終えた直後の日本海の遠望ですが、強風のわりには温かく感じました。

担当者に伺うと、ここは対馬海流の影響で、山口北部よりもずいぶん温かいそうです。

港近くにも、「見島ジーコンボ古墳群」と呼ばれる、約200基もの積石塚古墳群があります。

外国の言葉遣いであり、古代においてもこの島が果たしている役割は大きそうです。

いろいろと調べたくなりました。

怖い思いをするかもしれませんが。