2019年12月28日土曜日

バー琥珀


松山のバーにて東京からの知人と飲んでいました。

お互いバーが好きでいろんな店の話題で盛り上がっていたとき、上野にあるバー「琥珀」にも当然のように触れました。

するとカウンターのマスターから、「最近閉めたらしいよ。」の一言。

衝撃でした。

以前に東京出張の際に上野に宿泊しました。

風邪を引いていたので、食事は軽く済まそうと荷物をおいて町中に出ました。

その帰りに風俗の呼び込みのお兄さんを避けるため路地裏に入ったら偶然この店があったのです。

写真の通り、この雰囲気はただ者ではありません。

飲むべき体調ではないのですが、我慢しきれずドアを開けてしまいました。

中は外以上の空間でした。

老バーテンが席を進めてくれ、好みを伝えると知らない次元の酒が出てきました。

宿に鞄を置いてきているので持ち合わせが一万円位しかありません。

正直に相談すると3杯飲ませてくれました。

全部知らない種類で、解説代も含めるともっと高いと思います。

(あとで調べると知る人ぞ知る名店で、値段もビックリすると説明がありました。)

次回はちゃんと伺うつもりでしたので残念です。

ところが東京出張で試しに行ってみると普通にやっていました。

入ってその話をマスターにすると「自分もいい年なんでよく怪情報が流れるんですよ。」とのことでした。

嬉しい気持ちで飲みましたが、同じ3杯なのに衝撃が走る値段でした。

次はなかなか敷居が跨ぎづらいです。

2019年12月21日土曜日

丸の内


東京に行っても時間がないとき、少しだけでもと東京駅前にある丸の内界隈を散策します。

ここなら羽田空港までの時間を調べておけば安心してウロウロ出来ます。

このときも時間が全くなくて、とりあええず降りたときでした。

丸ビルの広場に写真の「エアストリーム」発見です。

金属質の高いシルバーがクリスマス用にデコされてゴールドになっています。

サンタが持っているベルのようです。

このブログを始める巻頭言の写真でも使ったように大好きなアメリカ製キャンピングカーです。

今は模型しか持ってませんが、ゆくゆくは本物を手に入れたいです。

でも使い道が定まっていません。

これも何かの縁というか大きなヒントになると思います。

こういったちょっとしたアート的な演出や催しは特に丸の内界隈で増えました。

もともとは大企業が集まるビジネス街一辺倒で、殺風景だった印象が強いです。

それがここの地主企業である「三菱地所」が新しいコンセプトで生まれ変わらせました。

東京の最も中心であるココには、ますますの驚きを期待します。


2019年12月14日土曜日

小歩危駅


土讃線の「小歩危駅」です。

秘境駅ではないのですが、吉野川の山沿いの斜面に屹立して佇んでいます。

凛としてカッコいい駅です。

単線の行き違い列車の待ち合わせで停車していたのですが、予定より到着時間が遅れているとのアナウンスがありました。

「青春18切符」使用で鈍行に乗っているため待つしかありません。

車掌兼運転手さんに置き去りにされないように、一応断ってから車外に出ました。

駅舎はキレイにリフォームされていて、最近は外国人観光客も多いせいか、英語の看板まであります。

調子こいて階段の下まで降りることにしました。

車も走ってないので道沿いの明かりしか見えません。

寂しいです。

季節は冬なのですが雪もなく思ったほど寒くありません。

さらに悪のりして吉野川が見える場所まで行ってみることにしました。

暗くてわかりませんが、川の音がどんどん大きく聞こえてきます。

冷たい空気と川の音って何でこんなに相性がいいのかと思います。

ここで線路の信号音が鳴り始め猛ダッシュで帰りました。

久しぶりのピンポンダッシュです。

車掌さん(女性)があきれて笑ってました。

2019年12月7日土曜日

岳南鉄道


恥ずかしながら私鉄も含めた日本の鉄路全線制覇をもくろむ者として、この鉄道の存在を知りませんでした。

ある時何かの旅行番組で工場内を通過する線路が写っていました。

一瞬予讃線の川之江手前かと思いましたが、線路がカーブするのを観て驚愕しました。

知らない車窓です。

あと僅かの未乗線に工場地帯はありません。

静岡県富士市の「岳南江尾駅」から「吉原駅」を結ぶ「岳南鉄道」でした。

しかも嫁さんの実家に規制するときの山梨県越えルートで高速を降りる清水市の近くにあります。

完全に見落としてました。

迂闊でした。

早速次の帰省時に伺いました。

写真は始発の「岳南江尾駅」です。

フォームから駅舎を撮りましたが、周囲はだだっ広くて閑散としています。

すぐ近くに「東海道新幹線」の高架があり、新幹線が通過する音でひっきりなしにゴーゴー鳴っていました。

寂しいのに騒がしい不思議な感じでした。

乗車のために置いてけぼりになるデルタも少し寂しそうな気配が漂います。

この感じ大好きです。

行程は終着の「吉原駅」まで約10キロ未満の25分くらいで平坦なコースでしたが、工場あり、昔ながらの停車場ありの風情のあるコースでした。

いつまでもこの風情を大切にして欲しいものです。

肝心の富士山は曇っていて全く見えませんでした。

2019年11月30日土曜日

太閤の石切場


「日本のエーゲ海・牛窓」。

まあまあ浸透しているキャッチフレーズです。

洋食・洋菓子のお店や雑貨屋とかもあり、ドライブコースにうってつけなお洒落スポットです。

また、そこから少し先には「牛窓千軒」として栄えた町並みの遺構があります。

江戸時代に「朝鮮通信史」が寄港した港であり、船千叟と呼ばれた盛況ぶりでした。

「本蓮寺」の三重塔や本堂にその繁栄していた名残を感じます。

また大正時代の建築物も残っていて「竹久夢二」の出身地でもあることから「大正ロマン」も連想されます。

しかしこの旅の最大目的は、眼前の「前島」にあります。

先ずは低料金のフェリーにて車ごと渡り、民宿で海の幸を堪能しました。

そして翌朝写真の場所に向かいました。

「太閤の石切場」です。

実は大阪城の石垣はここでも切り出されました。

あまり取り上げられないのですが、あの天下の名城を数年で築くのにどのくらいの人間が動員されたのでしょうか。

あの広大な縄張りを総石垣にする規模です。期間の短さも考えるとピラミッド建設に近いレベルのような気がします。

次元が大き過ぎて、当時の前島と牛窓の盛況ぶりが想像出来ないのです。

それでやってきたのですが、目の前に転がっている大きな石を見ても、やっぱり実感出来ませんでした。

2019年11月23日土曜日

苫小牧


北海道を旅しています。

乗り換え時間があったので昼食を食べようと「苫小牧駅」に降りたのですが愕然としました。

駅に隣接するショッピングセンターが閉鎖されています。

食事をするような店も周辺にありません。

何かないかと裏口に回っても巨大なバスの停留所がほどんど使われずにあるだけで、本来なら店であろう場所にはシャッターが降りています。

一つ開いているところに行ったら床屋でした。

駅周辺の施設は大振りに建設されているのに、人の歩いていない閑散とした雰囲気は、まるで80年初頭の廃れた共産圏の町のようです。

未乗線に乗るため駅に戻りました。

写真はそのときに駅のフォームから撮影したものです。

寒いですがよく晴れた空に、高い煙突から煙がもうもうと出ていて、自分の感じたイメージが体現されていました。

イオンとかは郊外にあって賑う場所はそれなりにあるようですが、駅はその都市の玄関口で顔でもあります。

ターミナル駅なのに人の気配がほとんどないのは、少し怖く感じます。

その体裁がなくなりつつある事態は、将来にどんな影響を与えてしまうのか、無念のコンビニ弁当を買いつつ不気味に感じました。

2019年11月16日土曜日

高茂岬(こうもみさき)


23年間ずっと乗っていたアルファスパイダーを手放すことにしました。

理由は二つあります。

保管したままで全く乗らず所有者として恥ずかしくなったことと、専用に車庫も造るので是非譲って欲しいという方が出てきたからです。

最後のドライブに選んだのが愛媛県の南端にある「高茂(こうも)岬」でした。

豊後水道に突き出る船越半島にあり、ここから先は外海になります。

逆に言えば、瀬戸内海に繋がる内海の入口となり、太平洋戦争中には防衛のために、砲台と観測所が設置されました。

写真は再現した観測所からの景色です。

そこからの眺めは極めて広角的で、豊後水道から九州対岸も視界に入れつつ、足摺岬方面の太平洋まで見渡せました。

戦争末期に沖縄方面に最後の出撃をした「戦艦大和」が、まさしく通ったルートです。

米軍の落とした機雷が「呉港」を封鎖してしまい、帰港することすら出来ず徳山沖から特攻に向かいました。

ここから見えた最後の勇姿がよくイメージが出来ました。

良い区切りの一日にもなりました。

帰りは夕日がキレイで、スパイダーの黒色によく映えました。

ラストショットの一枚です。


2019年11月9日土曜日

伊勢湾岸道


この道路が出来たおかげで非常に高速道路の長距離移動が楽になりました。

ここ最近で関東圏と関西圏を往復する際に、いろんなポイントで高速道路が拡充・接続されて、非常に移動時間が計算出来るようになりましたが、この「伊勢湾岸道」が最も大きく寄与していると思います。

名古屋圏は通り抜けたいだけなのに、わざわざ名阪道と中央道が内陸部に回り込むような形で合流するので、何時間も渋滞する羽目になっていました。

更に事故が発生したら最悪で、トイレや食事のためやむなく一般道に降りることもありました。

それが海側でほぼ一直線に迂回出来るのです。

新しい道路なので路面のコンディションも良く、古いイタ車で走ってもあまりガタガタしません。

突き抜けるように快調に走れます。

極めつけは写真の「長島スパーランド」を夕刻通過するときの景観です。

イルミネーションも加わり、真横にジェットコースターの高くウネウネした滑走路と並走するので、競争するような気分になりテンションが上がります。

長距離ドライブで疲れてくるタイミングに丁度眠気もふき飛び、リフレッシュされるので、まるでアトラクションを使用しているようです。

一度は入園のうえ、実際にジェットコースターに乗らないと申し訳ない気がします。

2019年11月2日土曜日

窪川駅


予土線と土讃線・土佐くろしお鉄道が合流する「窪川駅」です。

写真の「海洋堂ホビートレイン・かっぱ号」に乗車して、愛媛側からやってきました。

この駅では乗り換え時間に余裕があるため降車して、町をよく散策しました。

少し歩きますがお気に入りの古い喫茶店「茶房 淳」へ大抵立ち寄ります。

蔦が絡まった外観で何故か古びた入口が二つあります。

もともと2つだった店の壁をぶち抜いたのかもしれません。

室内も年季が入っていて、壁にかけたり貼ったり、棚に置いたりした物はもう何年も動かしてない風情です。

給仕をしている年配のマスターすら動いている気配を感じません。

決してコーヒーが流行るとも思えない人口の少ない土田舎で、店を続けてきた時間の重みが時を止めているように感じます。

メニューも昔のままでブレンドコーヒーとサンドイッチををよく注文します。

誰とも会話することなく座って食べるだけですが、いつも空間の大切さを教えてもらっています。

「古風」な雰囲気を作る技術はどんどん便利になっていますが、「本物」は一筋縄ではいかないと強く感じます。

2019年10月26日土曜日

東京駅の美術館


東京駅は近年大幅改装され、戦中に消失して別の様式になっていたところが昔風に戻されました。

その流れで「東京ステーションギャラリー」もリニューアルされました。

おそらくスペースを有効活用するためか、広いながらも各階の空間毎でいびつになっています。

それが単調な展開をうまく防いで、少し探検しているような気分になります。

写真は移動する階段を上に向いて撮ったもので、壁面は残っている古い煉瓦が剥き出しで使われています。

駅自体を文化遺産として見せる工夫です。

ここが出来て自分にとって大変有り難いです。

定期的に東京へは出張しますが、ウロウロする時間もなくとんぼ返りすることもしばしばです。

そう行った環境下でもほぼ通ることになる東京駅に美術館が、しかも改札を出てすぐ脇ににあるため、わずかの時間でも有効活用出来ます。

しかも企画展示を主体とする美術館であるため、毎回新しいものが拝観出来ることになります。

このときは大正から昭和にかけての日本画家「不染鉄(ふせんてつ)」の企画展でした。

精緻な町並みの描写に特徴があるので是非とも生で観たい画家の一人でした。

なんとサインペンやボールペンを使用して描いているのです。

私も筆ペンやサインペンを使って絵を描くので、うまさの次元は違えど共感できます。

「デルタカフェ」のトイレに掛けてある新旧の「アルファスパイダー」も、キャンパス地にサインペンと筆ペンで直に描いています。

モノクロに近い色調は、破天荒な人生を送った彼の心象を投影した風景なのでしょうか。

画家の人生っていろいろあるなといつも教えられます。

2019年10月19日土曜日

鹿児島路面電車


鹿児島界隈は、「明治維新」を選考していた自分としては何度も訪れた場所ですが、当時路面電車を「乗り鉄」としての範疇に入れてなかったために無視してました。

今回は純粋にこの目的だけで訪れました。

写真はその車両で、どこか異国的な感じがします。

中国の長沙市との姉妹都市を記念するデザインにもなっていて、より外向きの気運を感じます。

ところで、このときはスケジュールを調整して強引に行ったのでやむなしだったのですが、丁度台風が上陸する直前でした。

運行停止ギリギリの中、何とか時間通り完全乗車することが出来ました。

天候のおかげでほとんど誰も乗ってこないので貸し切り状態です。

両サイドの景色が独り占めで、人の指してる傘が逆向きになったり、ゴミ箱が転がっています。

少し罪悪感を感じながらも、両サイドの席を行ったり来たり、ゆったりした気分で楽しめました。

最後は人に勧められていた終点「鹿児島駅」近くの温泉銭湯に行きました。

ハワイアンがガンガンにかかっていて、天候とのギャップがこれまた素晴らしかったです。


2019年10月12日土曜日

坪尻駅


以前に取り上げた秘境駅ですが、四国にもいくつかあります。

その代表格がこの「坪尻駅」で全国秘境駅ランキングトップ10に入っています。

土讃線の香川県と徳島県の県境で、香川県側にあります。

琴平から阿波池田を結ぶ国道32号線から外れた谷間にあり、地図で見ても確かに車では行けなさそうです。

正月に「青春18切符」を活用して向かいました。

特急はこの駅に停車しないうえ、数少ない鈍行すら素通りする便ばかりでしたので、一日の行程では調整つかず、阿波池田に一泊して始発で向かいました。

池田駅を出て吉野川の大きな鉄橋を越えると、大きく左に迂回を始めました。

山越えの国道とは全く別の谷沿いのルートに分け入っていきます。

そこからすぐに到着しましたが、完全に人里離れた秘境でした。

明け方だったので近くの山頂付近が光っていたのですが、国道32号線を行き交いする車のヘッドライトでした。

徒歩では厳しい距離です。

下車してわかりましたが、スイッチバック方式の駅でした。

鈍行が素通りするのも納得で、スイッチバックなしで勾配を上り下り出来るため、この写真の右側線路だけで事が足り、この駅を通る必要がないからです。

もともと信号場だったのが駅に昇格したそうです。

次の便がやって来るまでの約1時間半ほどを目的もなく散策しました。

線路沿いを進むとすぐに谷があったり、ずっと誰も住んでない廃屋を見つけたりと、いい意味での空虚な時間を過ごせました。

ハマりそうです。

2019年10月5日土曜日

ペッツな城


「淡河(おうご)城」と読みます。

山陽道を走っていると、この地名の標識が出てきます。

ようやく覚えることが出来ました。

今回の旅は神戸から六甲山地を突っ切るように北上しました。

いくつか城跡があったためです。

しかしおそらく地名だけで、痕跡は通るだけではわからないレベルなので、何もなければそのまま山陽道に上がって愛媛に帰るつもりでした。

それが淡河の町に入って、信号待ちの交差点にて何気なく左手を見ると、立派な櫓が竹林の中に見えます。

興奮を覚え、あわてて左折しました。

櫓は再建されたものとすぐに推察しましたが、急勾配の斜面に見える位置からして、櫓を支える土台、つまり何らかの縄張り跡、あわよくば石垣等があるかもしれないと思ったからです。

でも実際は写真の通りです。

ズッコケましたが、周囲の森林に負けずに目立とうとするならコスト的にうまい工夫です。

まるで「ペッツ」です。

キャラクターの顔から下はスティックの形をしていて、怪しげなタブレットが出てくるあのお菓子アイテムです。

今も売っているのでしょうか?
(調べてみると今も売られていました。)

2019年9月28日土曜日

小鹿田焼


「小鹿田(おんた)焼」。

昔はどう読むのかわからない方が多いように思いましたが、最近はメジャーな位置付けになりつつあり、ふりがなはもう必要ないかもしれません。

長子相伝を前提に10軒ほどの窯元が里をすっと守っており、近年その技法が国の重要無形文化、里自体が重要文化的景観の指定を受けています。

近くの「小石原焼」から派生しつつも、民芸運動を提唱した「柳宗悦」やイギリスの作陶家「バーナード・リーチ」も携わったせいか、釉薬の使い方が日本的でないというか、シルクロード的な気がします。

散策すると家の軒先で焼き物を販売していたり、写真にある川の水流を利用した「唐臼」が土を打つ音が、日本庭園にある「鹿威し(ししおどし)」のようなリズムで響いたりと、和む空気が充満しています。

しかし残念なことに北九州豪雨で壊滅的な打撃を受けてしまいました。

里に点在していた「唐臼」も6割程が倒壊破損し、燃料の松や大切に保管していた原料の土まで流されたそうです。

また買いに行きたいと思いますが、景観がどうなっているのか、何も出来ないだけに不安です。

でも一人のファンとして頑張って欲しいです。

2019年9月21日土曜日

上勝ビール


最近流行の「クラフトビール」。

その特集本か何かを読んでいて「上勝ビール」を知りました。

この写真は紹介されていた写真と同様の構図で撮ったもので、ひねりも何もありません。

窓枠ばかりがやたらと脅迫してくる建物の全面に、現場に行っても圧倒されるばかりで、それしか視界に入ってきませんでした。

場所は徳島県の山奥である上勝町にあります。

「剣山スーパー林道」の入口の近くで、この建物近くの旅館に泊まることにしました。

十分飲める体制でしっかりとビールを味わうためです。

飲んでみると、昔の「地ビール」よりも、素朴というか原始的な風味を感じます。

いろんな酵母を試している風で、悪く言えば「ドブロク」に近い感じかもしれません。

何故か漫画「俺は鉄平」の親父が飲んでいる「ドブロク」が浮かびました。

「お洒落度」には天地の差がありますが、「親父度」は同じ高めだからかもしれません。

そういえばこの対極に位置した二つのベクトルが、ときどき正比例の関係にあると思うことが増えたのですが気のせいでしょうか?

喉が乾いていれば、特にビールは何でもおいしく飲める人間なので、屋外の大自然も満喫しつつ大いに楽しみました。

つまみに頼んだソーセージも旨かったです。


2019年9月14日土曜日

岸岳城


ここまで来るのにはずいぶん迷いました。

今回の訪問先は、佐賀県唐津市の山間部にある「岸岳城」の西北側にある「岸岳古窯跡群」でした。

秀吉の「朝鮮出兵」以前からの「初期唐津焼」が、この地域を支配した「松浦党波多氏」の主導のもと、朝鮮陶工の手によって始められた場所です。

登り釜等の遺構が残っており、城内にでは「織部・志野」の焼物が多数発見されていることからも、この地域が日本の「茶の湯文化」のスタートに大きな影響を与えたことは間違いなさそうです。

「古田織部」とかも来てたのでしょう。

このあたりの契機が「朝鮮出兵」撤退時における各大名による朝鮮陶工の強制連行に繋がっている気がします。

そんな空想を満喫した後に、案内札もあったので城山の本丸へ向かったのですが、本来の登城は反対側の東南からだったらしく冒頭の通り迷いました。

それでも頑張って写真の通り、本丸跡であろう山塊が頭上に見えるところまで辿りたのですが、ここから更に霧と雨がどんどんひどくなり目的地が霞んで消えるようです。

体もだるくてしんどくなってきたので、ここから先はとうとうあきらめました。

でも正解の判断でした。

自分のレーダーが働いていたのです。

なんとここは九州でも指折りで有名な心霊スポットでした。

その後の「波多氏」は朝鮮出兵時の不手際により改易されてしまい、残された家臣団が家族である女・子供を城の崖から突き落としたうえ、集団自決したそうなのです。

城といっても戦がなかったので、文化的な側面でしか見ておらす油断してました。

今でも「岸岳末孫(きしだけばっそん)」と怨霊名までついて恐れられているとのこと。

ネットの話題では、甲冑を着た骸骨が昼間でもうろついているそうです。

くわばらくわばらでした。

でも苔むした石垣見てないんだよなあ。

2019年9月7日土曜日

水窪駅


「秘境駅」なる駅が、最近メディアでよく紹介されますが面白いジャンルだと思います。

今まで制覇した路線上にある大抵の名物駅へは下車したり、別の機会に車で行ったりしてますが、「秘境駅」という発想はなかったので見逃しているケースが結構あるなと思っています。

中でも車で行きづらい場所にはチャレンジ精神がくすぐられます。

ただし今回の静岡県北境にある「水窪駅(みさくぼえき)」ついては、「秘境」の玄関口としての認識がもともとありしっかり訪れていました。

「飯田線」が静岡県から長野県に切り替わるときのポイントになる駅で、ここから北は主要な道路がありません。

写真がその特徴を表していて、だまし絵のように見える部分がありますので説明させて下さい。

この駅は、北に向かうとすぐに山中に突入するので、河岸段丘のような崖の上に有ります。

町は駅の眼下にあり、徒歩なら写真の川にかかっている橋を渡り、登るようにして向かいますが結構な斜面で大変です。

車でもずいぶん迂回して駅の前まで行けますが、スペースがあまりないため「アルファスパイダー」が停車している、崖の先に鉄板で突き出した駐車場に止めることになります。

車から降りても落ちないように前と横は格子ネットで囲ってくれており、下も崩れないようにつっかえ棒で補強されているようですが、車からは全く見えず浮いたような錯覚があるため、高所恐怖症の私にとっては正直怖いです。

駐車場と川が、境もなく重なって見えるのが不思議に見える原因です。

北側の地形が険しい話ですが、以前に北の長野県「天竜村」から南の「水窪駅」に向かい、「フィアットパンダ」にてダムの側道を使って強引に突っ切ったことがあります。

人気が全くない川の際を、いつ行き止まりになるかもしれない恐怖と闘いながら何時間も走り続けました。

完全に夜になってしまい、自分は遭難するのではないかと怯えました。

この両県の県境は「南アルプス」が大きな壁になるためです。

中央高速道ですら「中津川トンネル」で長野県から岐阜県に迂回してしまいます。

現在でも鉄路しか実質交通手段がないのです。

そのためこの路線には秘境駅が点在していて、陸路が全くなく民家数軒のための駅とかがあります。

一度は降りてみたいですが、一日に数便しかないローカル線なので何日かかるかわかりません。

ブームが去った頃、こそこそやって楽しむのかなあ。

2019年8月31日土曜日

唐津くんち


「長崎くんち」と「唐津くんち」があり、県も違うと、長崎県に住んでいた知人に教えてもらっていましたが、どう違うか何となくでも認識出来たのはつい最近です。

他人の祭りなんて所詮そんなレベルの興味でしかないことを、「新居浜太鼓台祭り」と「西条だんじり祭り」の違いを両市外の方へ説明していて、いつも空しく感じています。

特に県外の方からしたら愛媛県民の祭りに対する熱意は異常らしく、「何故、祭りで学校が休みになるの?」とよく聞かれます。

愛媛出身とは言え転勤族でここにいる身としては、他はそうじゃないとわかっていても「普通そうでしょ!」といまだに思ってしまいます。

なかなか納得出来ないのです。

本題に戻りますが、この写真は「5番曳山 魚屋町の鯛」です。

作成順に番号・町名・名称となり、山車を曳山と呼ぶそうです。

14台あり、モチーフも魚以外に獅子・亀・兜・鳳凰・龍・鬼・鯱と多岐にわたります。

たまたま「唐津城」近くの民芸館に寄ったとき、そこに収納スペースがあって、写真のように解体のうえメンテされていました。

レース前にスタンバイするF1みたいでかっこいいなと思いシャッターを切りました。

しかし「太鼓台は50台を越えている。」と、自分の祭りとの比較で優越感が勝ってしまい、それ以上のテンションは上がりませんでした。

やっぱり他人の祭りに多少の興味は持っても、興奮は出来ません。

2019年8月24日土曜日

常滑イオン


旅先でイオンに行くことは先ずないのですが、「常滑焼」で有名なこの地域をウロウロしたときに、子供服の目当てのブランドがこのイオンにたまたまあるらしく、嫁さんの強い主張によって買い物による羽目になりました。

最近出来たようで、入り口といい、通路といい、名古屋圏らしいゴージャスさがありました。

写真の「巨大招き猫」はその極付きで、放射状の通路の中心点に小判を持って鎮座しています。

周囲の照明を受けて、白いボディが更にテカテカ光っています。

「富よ。集まれ!」的な景気の良さを呼び込むようなオーラが出ていて、下品なようでも、あっけらかんとした感じで気持ちがいいです。

子供も大興奮で、招き猫をバックに同じポーズで写真を撮りました。

周囲の家族も同様の行動を取っていて、みんなで盛り上がっていました。

この猫に関しては文字通り「千両役者だなあ。」と思ってしまいました。

今回は全く「一人旅」ではない報告でした。

2019年8月17日土曜日

高千穂鉄道


宮崎県「延岡」から神話伝承の多い「高千穂」を結ぶ「高千穂鉄道」の名物である「高千穂橋梁」です。

正確には「跡」になります。

写真手前の柵から向こうへは行けず鉄橋からの景色を堪能することは出来ません。

九州における鉄道全線制覇の野望に際して、高千穂へ向う熊本側の「大森鉄道」とこの路線は最後になるように残していました。

しかし2005年台風19号による大雨で山岳路線のかなりの部分が被害を受け、地域住民の要望も空しく廃線となってしまいました。

極めて残念です。

しかし新しい取り組みを発見しました。

もともとの「高千穂駅」からこの鉄橋手前までは、車のタイヤを列車の動輪に履き替えたゴーカートのような数人乗りの車両で線路を走って行くことが出来るのです。

「高千穂あまてらす鉄道」と路線の名称まで出来ていました。

下調べすることもなく、廃線の「高千穂駅」に記念として寄ったら結構な人が集まっていてその存在を教えてもらいました。

廃線と思い込んでいて乗車出来るというのは希有な例だと思いますし、このサプライズなラッキーに感謝しました。

また最近嬉しい動きがありました。

なんと延伸されて鉄橋が渡れるようになったとのこと。

また是非行かねばなりません。

萌える展開に感謝です。

2019年8月10日土曜日

伊予松山城


出勤前に自宅マンションのエレベータを待っている間、ずっと眺めている「伊予松山城」。

待つイライラを癒しに変えてくれる私にとって神のような施設です。

このちょっとした毎朝のメンタル面における浄化作用は、健康面の大きなプラスをもたらすような気がします。

写真は夏のイベントで本丸まで登城したときのイルミネーションです。

幻想的な感じは正直しませんが、ハロウィン的で企画としては面白く感じます。

日頃も天守閣はいろんな色にライトアップされていて、帰宅して玄関を開けるときに振り向くと、ピンクだったりブルーだったりしてビックリするときがあります。

二の丸等が平地にあるため城としての分類は「平山城」となりますが、広大な本丸が山頂にあるため実質的には「山城」の風格を持っています。

そのため現代都市のビル群に囲まれても、町中から城を目印に出来るのは全国でもここだけです。

松山城よりも大きい城は、再建天守も含めると数多くありますが、ほぼ平地にあるためビル群で隠されてしまい、なかなかランドマークには成り得ません。

「姫路城」や「松本城」ですらビルの四角に結構隠れてしまいます。

しかも現存12天守の一つで、3つ(他は姫路城・松本城)しかない連立式複合天守。

山頂にあって眺める方角で城の表情が大きく変わる極めて貴重な城郭なのです。

ただ一つ残念なのは一度火災に遭って立て直す際に、五層から三層に変更されてしまったことです。

おそらく高さが低くなったしまったせいか、観る角度で天守閣が連立する櫓の死角になってしまうことがあり、好き故にここだけはどうしてもケチをつけたくなります。

それでも死ぬまで眺めていたい城であることには変わりありません。

2019年8月3日土曜日

石巻009


東日本大震災が発生してから、初めて被災地の海岸線を訪れました。

「青春18切符」を活用してです。

三陸地方の鉄道路線は既に全線制覇しているのですが、本数が少ないためかなりの時間を要したのを思い出しました。

そのとき起点としてよく宿泊したのが石巻です。

ここは漫画家「石ノ森章太郎」氏の出身地で、町中に「サイボーグ009」や「仮面ライダー」のモニュメントが数多くあります。

写真は駅構内にある「009」のアップが描かれたシャッターで、震災前にも撮影しました。

被害にあったのかどうかわかりませんが再会できて嬉しい限りです。

写っている折り畳み自転車に乗って、町中に繰り出すとキレイに整備し直されていますが、所々の壁に定規のメモリみたいなものが描かれていました。

津波の水位を示しているのです。

傷跡をしっかり記憶する意志みたいなものを強く感じました。

町から海のほうへ向かうと真新しく護岸工事された埠頭と何も建ってない原っぱが目立ちます。

再開発するのか微妙な状況で、寂しさが目立ちます。

そこから大きく町を回り込むようにして山側の縁道を通り駅に戻りました。

小高いところなので津波の影響はなさそうでしたが、はっとする光景を目にしました。

山の斜面にビッシリあるお墓に新しいものが非常に目立つのです。

震災で被害に遭われた方々のものでしょうか?

お寺が多い地域とはいえ、計り知れない悲しみの集積を突きつけられたようでした。

不意なことで、ただただ手を合わせるしかありませんでした。


復活した「石ノ森萬画館」です。


2019年7月27日土曜日

最新型999


松本零士原作の「銀河鉄道999」における主人公列車「999(スリーナイン)」は、風貌は古典的な蒸気機関車ですが、中身はなんと最新鋭の車両でした。

写真の「熊本駅」から「人吉駅」までを走破する蒸気機関車「エスエル人吉号」は、蒸気機関車がそのまま現役で使われている貴重な存在です。

しかし、以下に連結される車両は復刻基調でありながらも現代デザインも取り入れた最新型なのです。

しかも「明治・大正・昭和」と時代毎でコンセプトを変えたデザインの異なる車両がそれぞれ連結されています。

更に写真は「展望バージョン」で、ガラス張りの車両が最前頭と最後尾にそれぞれ設置されているのです。

乗ったままの真後ろから、汽笛を鳴らしながら煙を噴き上げる蒸気機関車が拝めるように工夫されています。

他の地域で乗った蒸気機関車の場合、当然車両も古いため夏は扇風機のみでかなりの暑さになりますし、更にトンネルとかに入ると煤っぽさまで加って、体もベトベトした感じがするのですが、この車両の室内はエアコンがしっかり効いていて涼しいです。

窓も開けないことから煤煙の影響も受けませんので、煙を眺めながら音楽コンサートが最後尾の展望車両で開催されていました。

少し不思議な感じというか、これを快適と思っていいのか違和感は少なからず感じますが、本来の移動手段としての快適性を目指す上では大事なことなのかもしれません。

まだまだ長旅が続く途上のことだったので、これはこれで「あり!」だと思いました。


2019年7月20日土曜日

宇都宮城


写真を見て何となくおわかり頂けると思いますが、この天守閣っぽいものは運動競技場のような広場の角っこに建てられています。

土塁のような壁も再現されてますが、昔伺ったときにはなかったと思います。

城好きから観ると侘びしい感じが漂いますが、もともと「宇都宮城」がありました。

個人的には一番可哀想な形で復興された城じゃないかと思っています。

行政的には下野国の中核となる城ですが、徳川将軍家の日光東照宮参拝に際しては宿泊所となる施設でもあったので、本丸は実質城主のものではありませんでした。

そんな事情も踏まえ、この城にまつわる有名な話として「宇都宮つり天井事件」があります。

完全なデッチ上げですが、当時の徳川幕閣の世代交代に伴う権力争いが影響していたため、徳川家康の懐刀であった城主「本多正純」が改易になってしまいました。
(家康は既に亡くなっていて、秀忠が実質的にも将軍となっている時代です。)

その後の明治維新では、新撰組の「土方歳蔵」も加わった「宇都宮戦争」の舞台となり落城、加えてその後に着任した「土木の鬼」である県令「三島通庸(みちつね)」によって徹底的に壊されました。

大抵は規模の大きな城跡の場合、天守閣等の建物が破却されていることはあっても、縄張りの痕跡は何だかんだ残っていることが多いのですが、この城に関しては改装前の公園のときでさえ、名残りらしいと実感出来るようなものは見つけられませんでした。

全く存在を否定された観があり、りっぱな縄張りがあったのを古地図では確認出来るだけに残念です。

どうせ復興するなら、もう少し風情は考えて欲しいとつくづく思います。

2019年7月13日土曜日

ハリーポッター


大阪のUSJにある「ハリーポッター」のアトラクション施設です。

遊園地とかにテンションが上がるタイプではありませんので、自主的に行くことは先ずないのですが、仕事の関係で引率者として伺うことになりました。

しかもハリポタアトラクションのファーストチケット付です。

結構ラッキーな境遇でした。

映画も第1作と2作しか観てなかったのですが、それでも十分内容はわかり楽しめました。

特に話題のアトラクションの動きについては、全く体感したことがない次元で、とても素晴らしかったです。

また町の作り込みも非常にリアルです。

写真の通り、屋根には雪が積もっていますが、訪れたのは真夏でした。

それでも違和感がなかったのが不思議でなりません。

ストーリーを表現した空間が支配する世界観の凄さを感じます。

城好きとしては、ここの「ホグワーツ城」も見逃せません。

遠近感をうまく活用して実物以上に大きく見えます。

石垣というかその役割を果たす岩場を観察すると、本当の苔らしきものが自然に生えていたのにはビックリしました。

最後に行列に並んでまでは買いませんでしたが、「鼻くそ味」のキャンディーを分けてもらって食べました。

何かわかるというか懐かしい味です。

ということは、小さいときに鼻くそ食べていたのかなあ。

自覚はないのですが、不思議な幼児体験をさせてもらいました。

混んでなければまた行ってみたいですが、無理ですね・・・。

2019年7月6日土曜日

佐世保港


民間で使用される港も当然ありますが、アメリカ海軍の基地と海上自衛隊の基地が併設するように大半を占めるのが、軍港「佐世保港」です。

ちょうど北朝鮮関連で緊張感が高まっている時期で、港の背後にある「弓張岳」で町並みを展望しようとクルマで登ってるときの偶然の一枚です。

写真の空母らしきものは、なんと最新鋭の護衛艦「出雲」です。

最近テレビとかで紹介されていた時期でもあったので、実物を拝めてラッキーでした。

とは言え、メカ的なモノに目がない私でも、実戦使用がないことを祈るばかりです。

長崎県第二の都市である「佐世保市」はもともと小さな村でしたが、明治になって九州の軍事上の一大拠点として急速に発展していきました。

同じ長崎県の中でも、文化的歴史遺産の多い「長崎市」とは極めて対照的です。

この後に「佐世保バーガー」を食べました。

有名店だったので持ち帰りにしても30分ほど待たされましたが、手作り感があって美味でした。

日米が混在されたアメリカンな感じを十二分に味わえた風味でもありました。

本当に独特の空気が漂う町でした。

2019年6月29日土曜日

あべのハルカス


大阪の「天王寺駅」にそびえ立つ「阿倍野ハルカス」最上階の展望台からの景色です。

足元がガラス張りの床になっていて、宙に浮いたような感覚を味わえる場所もあるのですが、正直ここまで高くなると下界が小さくなりすぎて、逆に高さを実感出来ません。

少し高所恐怖症の私でも気持ち悪く感じることはなかったです。

飛行機の窓から景色を眺めている状態に近いかなと思います。

遠くには、梅田の高層ビル群や大阪城も確認出来て、大阪全体を航空地図のように一望出来るのは新鮮でした。

景色を眺望するうえで、都市の南端に位置するこのビルの立地は最適かもしれません。

しかし日本一を誇るこのビルの界隈は、いろいろ整備されているとはいえ、大阪のディープさを色濃く残しています。

すぐ下には「阪堺電車」・「天王寺公園」・「通天閣」の昭和の大阪気質を残すインフラや、江戸時代の遊郭がそのまま残ったような「飛田新地」も新しいマンション群のすぐ脇にて健在でした。

ちょっと安心しました。

立て替えで環境がキレイになっていくのは有り難いですが、どうしても時代の臭いがするエリアは引き続き残して欲しいとついつい願ってしまいます。

2019年6月22日土曜日

日田彦山線


福岡県の小倉から大分県の日田を結ぶ路線です。(細かくは違いますが。)

修験道の聖地でもある「彦山」周辺を登って降りる行程になり、起伏を感じる楽しい山岳線です。

そしてこの界隈に「小石川」や「小鹿田」などの有名な焼き物の里があります。

両方とも我が家で好んで使用している器です。

ただ駅から離れているため、どうしてもクルマで伺うことになり、写真のように路線の橋梁を眺めながらドライブすることが多いです。

この景色が大好きで、豊かな自然の中にチラチラ見える橋梁がたまりません。

その数はとにかく多く、「乗り鉄」だけだと見逃す視点なので、「撮り鉄」も兼ねていて良かったとつくづく思います。

しかし皮肉にも、昨今の北九州豪雨災害でその橋梁の多さが仇となり、現在存続の危機に立たされています。

その橋脚が数多く破損したため、復旧コストが格段に跳ね上がっているのです。

JR九州と沿線自治体との間で費用負担の調整が難航しているそうです。

もともと過疎地の赤字路線なので、バスでの振り替え対応が続く中、存続の見込みが立っていません。

最近の気候変動による災害の多さは、想定以上の事象を引き起こしており、永年のインフラに致命的な影響を与える可能性が高くなっています。

「早く復活を。」と言いたいところですが、一回しか乗ってない自分が言えた義理じゃないので寂しく静観するしかありません。

2019年6月15日土曜日

金蔵寺駅


「金蔵寺駅」のすぐ脇にあるゲストハウスに宿泊し、朝方に散歩したときの一枚です。

「多度津駅」から1駅目の土讃線にある駅で、りっぱな駅名がついてますが、ただの小汚い無人駅でした。

撮影ポイントも、すぐ近くの何故か壁がぶち抜かれている廃屋の中からです。

前日に自転車を漕ぎ疲れ、飲み疲れも加わってか相当だるい風景になっています。

実はアスリートの友人と小豆島を自転車でほぼ一周した帰りでした。

「ほぼ」なのは周遊路を途中カットして、わざわざ「寒霞渓」の山頂まで自転車で登ったからです。

勾配がキツくて死ぬかと思いました。

友人は夜中の雨中、新居浜からそのまま小豆島にずっと自転車でやってきて、平気な顔で自転車のペダルを漕いでます。

あり得ません。

一緒の道中を断り、島までクルマとフェリーでやってきて正解でした。

それでもわざわざこの駅近くに泊まったのは、近くに「骨付き鶏」で有名な店があり、そこで一杯やりながら食べたかったからです。

いつも飲めずに食べることが多かったので、アルコールが入るとスパイシーさが格別引き立ち、旨さが倍増しました。

戻ると面白いことに、その宿の運営者が簡素な居酒屋を併設してやっていて、外国のバックパッカーとも、二次会がてら飲みニュケーションが出来ました。

雑な空気なのに、ビールが「ハートランド」で超ウレシイです。

学生時代の海外旅行したときにタイムスリップしたみたいです。

ドイツでグダグダ飲んだとき、ビールはとにかく旨かったなあ。

しかしその反動は年をとった分、じわじわ筋肉通としても戻ってきました・・・。

写真の景色にある電車とパンダをぼーっと眺めながら、次は誘われても断ろうとしみじみ思いました。



2019年6月8日土曜日

閑谷学校


早朝の「閑谷学校」です。

岡山県の備前にあり、講堂が国宝に指定されています。

備前瓦の鈍色が独特の光彩を放っています。

かなり丈夫らしく創建当初のまま大半が使用されているそうです。

開館時間よりも大分早く着いてしまい、私達以外の観光客はいません。

写真の通り駐車場のど真ん中にクルマを止めて周辺をしばらく散策しました。

ここの塀(練塀)は変わっていて石組みです。

しかも小山のようなもっこりした曲線のラインで、それが横にうねうねと長く続いています。

柔らかい朝日が瓦と塀と背景の山々を照らす中、様々な鳥たちのさえずりが聞こえてきます。

せっかちな私も非常にゆったりとした時間を過ごすことが出来ました。

ここなら勉強もムチャクチャはかどる気がします。

とにかく学業一筋の施設です。

江戸時代前期に「熊沢蕃山」がその前身を築き、岡山藩主で名君として名高い「池田光政」が拡充しました。

庶民教育が中心です。

その後閉校・開校を繰り返しながらも存続し、明治・大正・昭和になってからは中学・高校として使用されて、現在は資料館となっています。

次回は子供を連れてこのとき感じた空気を吸わせたいです。

2019年6月1日土曜日

竹林 京都


何故かいつも京都「嵐山」に伺うと通ってしまうこの通り。

青に近い緑の涼しげな色合いに爽やかな気分も感じはするのですが、竹が持つ空間を遮断する力を強く感じでしまい、「魔都」京都への入口ではないかと錯覚してしまいます。

写真のように空を見上げても、美しいのですが逃げ道が閉ざされていくような恐怖を感じています。(私の勝手な感覚ですが・・・。)

場所は意外にも「大河内山荘」から「天龍寺」を結ぶメインストリートです。

日中は多くの観光客がぞろぞろ通行していてそれほどでもありません。

しかし早朝や夕暮れ時の時間的に寂しい頃合いになると、都郊外の独特のもの悲しい風情が急に漂い始める気がします。

無縁墓で有名な「化野(あだしの)」も近くにあり、この周辺は怨念系の要素が強い史跡が多いように感じます。

わざわざ行かなくても思いつつ、雅さの陰に隠されたドロドロしたところに京都の魅力を感じているのかもしれません。

昼ドラと観るのと大差ないのかなあ。

2019年5月25日土曜日

豊橋路面電車


自分が「乗り鉄」であることは疑う余地はないと思われます。

ではその範囲はどの領域までかというと、「JR・私鉄・第三セクター」は、迷うことなく全線制覇の野望に入っているのですが、「路面電車」は当初対象にしていませんでした。

しかし木箱のような古い型から、SFに登場しそうな最新型まで車両の種類が豊富のうえ、建物の隙間を通るような路線に意外な立地に駅があったりと、どんどん興味が涌いてきて完全制覇の対象になってしまいました。

愛知県豊橋市にあるこの路線は、新たな対象とすることでわざわざ行くことになった流れもあり、あまり気乗りがしてなかったのですが、写真の車庫を観てしばらくドキドキが止まりませんでした。

放射状に複雑に拡がっていく路線と地域性の高い看板に装飾された色とりどりのレトロ電車。

加えてスパイダーマンの蜘蛛糸のように張り巡らされた、頭上の電線がたまりません。

箱庭的な趣向の全てが凝縮されているように感じました。

路線が短いので、省スペースでも複雑なレイアウトが作れそうです。

家に帰ってジオラマ作成に挑戦したい意欲にかられました。

このジオラマ作成はどんどん深みにハマっている最中です。

2019年5月18日土曜日

新旧パンダ


この文章を書こうとする直前に愛車の「初代の青パンダ」がそろそろ乗るのが限界の危機になっています。

仕事使用のため走行距離は毎月2000キロを越え、とうとう15万キロを突破したところでした。

夏の暑い日に高速道路でスピードが突然出なくなりました。

停車しようにもトンネル内で、トラックとバスに挟まれる状況でハザードを点灯させながらの減速、正直身の危険を感じました。

背後の追突事故やそれに伴う二次災害も発生しかねない状況だったので、無事レッカーを呼べたのは不幸中の幸いでした。

写真は以前京都で撮った写真で「2代目の赤パンダ」とのコラボです。

「100HP」というスポーツモデルで精悍な顔つきをもともと気に入っていました。

今回の不具合をいつもお世話になっている店に相談すると、同じモノが偶然入荷していると言われました。

赤は選択肢に入れてなかったのですが、これも運命的な何かなのか、しみじみとこの写真に見入ってしまいます。

その後の展開に乞うご期待下さい。

今金欠なのにどうしよう。

(追伸:結局は別の車を購入し、初代の青パンダはデルタカフェにてデルタと仲良く鎮座してます。新しい車はあらためてご紹介します。)

2019年5月11日土曜日

トイレのタイル


前を通るだけで一度も寄れてなかった箱根の「富士屋ホテル」に行きました。

先ず近くに地元で経営している「太閤湯」へ向かい、狭い湯船ですが地元の方により清潔に維持管理されたお湯を堪能しました。

そしてホテルの名物カレーライスに挑戦です。

挑戦と言ったのは値段が5000円を越えるからです。

ありえません。

しかしカレー好きとしてここを外すわけにはいきません。

入り口のメニューを見ると、気が引けるのか「カレーライス」とは表記せず、「カレー・コース」と書かれています。

でもサラダ・スープ・コーヒー・少しのアイスが付いているだけです。

しかも「当ホテルのカレーは伝統的にスプーンではなくフォークを使います。」とウエイターからの説明。

どこまでも挑発的で気取っています。

しかし実際食べてみると2回目はないと思いながらも美味でした。

意外だったのは薬味が8種類も出てきて、どれもカレーへの良いアクセントになりましたし、何より空間です。

外国人を受け入れる日本初の西洋式ホテルとして開業し、未だに人気を維持している雰囲気はさすがでした。

レストランの高い天井とその装飾に囲まれていると何か特別な気持ちにさせてくれます。

一番感動したのは写真の「トイレのタイルの文様」です。

外国人を想定しているからか、トイレが異様に広くその空間をこの文様が埋め尽くしています。

何とも言えない落ち着いた色調と柄で、西洋ではかなり華美にする雰囲気をグッと意図的に抑えています。

トイレまで「ジャパン」を主張しているところが「日本代表」だと感じました。

2019年5月4日土曜日

丸山遊郭


江戸時代の三大遊郭と言えば、「江戸の吉原・京都の島原」そして「長崎の丸山」です。

先の二つはその周辺が未だに歓楽街として残っていますが、「丸山遊郭」は完全に史跡となっているようです。

メインの場所は公園になっていて、周辺に長崎名物「卓袱料理」の有名店が建造物・料理としての伝統を残してはいます。

しかし夕方ウロウロしても民家の気配しかしません。

ただ少しですが痕跡を感じる収穫はありました。

写真の通り「裏路地の壁」です。

石が埋め込まれた独特の文様になっていて、淫靡な風情が漂っています。

奥の道に吸い込まれそうな雰囲気です。

実際に向かうと、遊女の信仰を集めていた神社がありました。

そこの口を開けている「阿」の狛犬に、「厄除け」として甘いものを食べさせる習わしがあるそうで、口の中には飴玉の類がビッシリこびりつくように入っています。

暑いときに溶けたのでしょう。

足元まで垂れ落ちてどす黒くテカテカしていて気味が悪いです。

暗くなりかけてもおり、遊女の怨念チックなものが漂い始めそうな感じです。

足早に立ち去って、「長崎中華街」で酸っぱそうな料理を食べることにしました。

とにかく旅先での厄除けは心掛けるようにしています。

2019年4月27日土曜日

湯布院の森


名物観光列車「由布院の森」を下車した直後に撮った写真です。

この列車独特の色調と格子窓が強調されたデザインは、最近の豪華列車の先駆けだといつも思います。

ローカル線を通るパターンも「周遊」のコンセプトを打ち出したのではと考えています。

また地名が付いたことで、由布院の観光地としてのステイタスを上げることに大いに貢献しています。

温泉地として言えば、泉質はそんなに大した印象はありませんし、近くに西の横綱ともいえる「別府温泉」があるからかなり不利です。

しかし連ドラの舞台になったり、メディア受けの流れをうまく掴んで、ツーリストの人気ランキングで1位とかも獲得しています。

実際歩くと色んな店がどんどん出店されていて飽きさせません。

個人的には「軽井沢」や昔の「清里」みたいな方向に向かっていて雑多な感じが好みではないです。

しかし「インスタ映え」とか、これからの若い観光客の指示を集めようとすると、観光戦略的にはこうなるのかなあとも納得してしまいます。

「こだわり」は必要不可欠ですが、マニアック過ぎる意見はある程度除外しないと、カップルや家族が寄りつかなくなるので、匙加減が難しいところです。

マニア嗜好が強い自分だけに、ここは自重を強いられる気がします。



2019年4月20日土曜日

ザギンのランボルギーニ


銀座から新橋に向かって歩いていました。

飛行機に乗るまで時間があったので、裏路地で一杯飲めそうな店を散策していてラッキーな遭遇でした。

「ランボルギーニ・アベンタドール・スパイダー」を生で初めて眺めました。

希少な「パール系ホワイト」かつ更に珍しい「オープン仕様」です。

しかも写真の通り「V12気筒エンジン」を見せつけるように一部「ガラス張り」で覗けるようになっています。

クルマ好きにはたまらない演出です。
(それ以上の細かな仕様はわかりません。レベルの低い語りですみません。)

輸入車ショーにて拝むように展示されるクラスの車が、無造作に駐車されているのを目の当たりにすると「さすが東京だな。」と感嘆してしまいます。

しかし実はこういったケースはよくあります。

何となくですが仕事をしていて、東京のお金持ちは自慢げに見せびらかせるのを好まない傾向を感じています。

そのため目立つ表通りではなく、裏通りにポツンと隠すように置かれていることが多いような気がします。

また、この手のスーパーカーを発見して、持ち主がどうかまでは断定できませんが、近くに芸能人がいたケースも多いです。

実際動いているスーパーカーで、何人も窓ガラス越しに見かけました。

結構ミーハーな見物をしているかもしれません。

予算があれば「ザギンでシースー」をしたい気分になりましたがあきらめました。

鉄道模型を購入していなければ何とかなったかもですが、完全な予算オーバーでした。

オタクが優先してしまい残念です。

2019年4月13日土曜日

高松城


仕事の会合が高松であり、駅前の大きなホテルが会場と宿泊先になりました。

準備の対応で前泊した際にテレビを見ようとすると何故か映りません。

フロントに申し出ると係りの人がやってきてかなりの時間不具合の対応してもらいました。

結局直らずホテルから「部屋を替わって欲しい。」との申し出。

承諾して向かった部屋はなんと「セミスイート」の豪華な部屋でした。

たまたま会合の運営責任者の一人であり、修理でずいぶん待たせて申し訳ないと思ったからかもしれません。

しかし正直一人で泊まってもどうしようもありません。

2人分以上の広く空間とインテリアがあるため、余分にはみ出して使用したら申し訳ないような貧乏症の性格が出てしまい、かえってくつろげません。

落ち着かないまま寝てしまいました。

しかし朝起きて窓を開けたらビックリです。

眼下に朝焼け色の「高松城」が広がっていました。

ほぼ最上階に近いため城郭全体が拝めました。

天守閣がないため地味な印象ですが、石垣と複数の櫓がきれいに残っています。

もともと海に面していて、海水を堀に取り込んだ「海城」としての縄張りであることが上から見ると非常によくわかりました。

映らなかったテレビに感謝です。

2019年4月6日土曜日

桜道 千葉


千葉で仕事をしていたときに、環状線である「国道16号」をよく利用しました。

そのときに漠然とした判断基準になっていたのが、この道を越えると「田舎度」が変わるということです。

神奈川・東京・埼玉・千葉の4都県を弧を描くように結んでいるので、あくまで千葉県に限定した基準ですが、私の担当地域が特にそうでした。

千葉県自体は人口が多いわりには、どこへ行っても田舎の雰囲気が漂っているのですが、この道を越えると次元が変わるのです。

大きな土地を所有する農家さんが多く、写真はその訪問時の帰りです。

建物も密集してないので川っぱたの桜並木がすぐに目につきます。

田畑の道はあまり舗装されていませんので、車の足まわりの汚れは気になるところですが、童謡の挿入絵に登場しそうな景色です。

飲酒運転になるので叶いませんが、弁当でも広げて一杯やりたいなと思ってしまいます。

仕事でもプライベートでも大変な時期でしたが、こんな何気なく遭遇した景色にずっと励まされていたのかもしれません。

自然を愛でる気持ちは精神面の安定に不可欠と思ってしまいます。

2019年3月30日土曜日

広瀬公園


新居浜市にある「広瀬公園」の桜です。

散った桜が丘を埋め尽くし、上も下も桜満開で素晴らしいです。

桜の名所は数多くありますが、何よりもタイミングが大事です。

この写真もわざわざ観に行ったわけではなく、顧客訪問の帰りにたまたま通りかかっただけの幸運でした。

風が強かったり雨が降ったりしていたらお目にかかれなかったでしょう。

ここは「別子銅山」中興の祖と言われている「広瀬宰平」の邸宅跡であり、建物は国重要文化財の指定を受け、記念館として公開されています。

往事の実業家の賑やかな生活を階間見ることが出来て非常に貴重です。

新居浜に住んでいたときには県外から知人や顧客が来ると、真っ先にここを案内して「別子銅山」の説明をしました。

この銅山は、「住友家」が運営していていましたが、幕府直轄地である「天領」にありました。

そのため「明治政府」になって国に接収されるのを防いだこと、つまり国有化を免れて民営路線を続けられたことは、宰平の手腕が大きかったと言われています。

この難局を乗り切ってなければおそらく「住友財閥」は誕生していません。

その自負がこの公園からは感じられます。

屋敷の2階からは、足元に広がる桜越しに新居浜が遠望出来ますが、まさしくその景色は象徴的です。

昔から新居浜は「鉱都→工都」と呼ばれる所以を感じます。

2019年3月23日土曜日

海津大崎


琵琶湖の湖北を取り上げた「マキノ」の続編です。

やはり「デルタカフェ」のコンセプトに大きな影響を与えた景観を紹介しないわけにはいきません。

湖に接する「近江33ヶ寺」の9番札所「大崎寺」のすぐ近くにあり、湖岸の船着き場両脇にある古民家を改築したものです。

写真は早朝に撮影した一枚です。

「カフェ」になっている古民家のテラスから眺めた琵琶湖です。

湖岸の古くて大きな石垣が美しく長くアーチを描いて続いています。

朝日に少し赤く照らされていて石垣フェチにはたまりません。

この空間に浸ったことで「古民家カフェ」をやりたいと直感的な構想が浮かびました。

カメラアングルの左外には「竹生島」も見えています。

昔から信仰の対象であり、この当たりの風情はずっと変わってないように思えます。

また「カフェ」2階はほとんど改装していない状態で「骨董屋」になっています。

いずれは挑戦したい領域です。

船着き場を挟んだ向こう側にあるもう一つの建物は「住居」となっていて、更に船着き場の石垣と住居の間が、駐車スペースにしつらえています。

そこに屋外ですがオーナーの大きなアメ車が止まっていて、カフェの客席から真横のラインが丁度見えるようになっています。

この距離感も「デルタカフェ」の母屋から、庭を挟んで「デルタ」が眺められる構図に少なからず影響を与えていると思われます。

これで「石鎚山」も借景に活用出来れば最高なのですが、さすがに無理でした。

2019年3月16日土曜日

雲竜院


「いつもどの辺だったっけ?」と独り言をいいながら地図アプリで確認してしまうのが「泉涌寺」です。

「東福寺」の東側で、京都駅から見れば裏側に隠れるような位置関係になります。

実際訪れていてもいつも曖昧になります。

道も車がかろうじて通れるくらいの細い上り坂を通りますが、境内に入ると幅の大きな下りとなり、大きな仏殿(重文)が迎えてくれます。

別称を「御寺(みてら)」と呼ばれ、江戸時代の「後水尾天皇」から幕末の「孝明天皇」まで代々の御陵があります。

その別院が「雲龍院」です。

写真は皇族の位牌を安置する「霊明殿」前の庭で、石灯籠を中心に「菊の御紋」が白砂の隆起で庭いっぱいに描かれています。

「ザ・皇族」という押し出しが半端ないです。

コテコテな感じがしないわけでもありませんが、そこが皇族たる由縁なのか不思議とお上品に見えます。

まあそれ以外に、余分な色彩や造形物は見あたらないからかもしれません。

案外「クール・ジャパン」を体現しているのかもしれません。

外国の方が観たら、こういうのがわかりやすいのかもと思います。

私自身も意外と御紋のオーラに当てられることもなく落ち着いて鑑賞させて頂きました。

2019年3月9日土曜日

青春の門 直方


作家「五木寛之」の作品で有名な「青春の門」。

タイトルに上げてますが、実は映画も観てませんし小説も読んでません。

好きな作家ですし一度読みたいと思うのですが、何故か面倒くさくてチャレンジ出来てません。

そう言えば「坂の上の雲」も読み始めるまでに結構な時間がかかりました。

出来れば複数刊でも「上・下」くらいでまとめて欲しいものです。

話が逸れましたが、地理的には九州の「筑豊地域」が舞台であることは知っています。

炭鉱があっただけに、石炭運搬の必要性から複雑な鉄道網が発達した地域です。

そのため接続路線が多く、「乗り鉄」泣かせでしたが、その分達成感が高かったのを思い出します。

今回は車による旅で、写真は「炭坑博物館」にて入口近くにある展示車両と一緒に撮影したものです。

もう動きませんが、地域で走っていた車両が保存されているのを観ると、妄想トリップがよりリアルに展開出来ます。

日本の高度経済成長を支えた資源供給地として賑わいのあった場所ですが、労働争議を経て今は静かです。

産業の「栄枯盛衰」をまざまざと感じてしまいます。

この地域に関しては気の済むまで妄想が進み、ある程度のイメージに納得しているから、今更読む気にならないのかととも思いました。

2019年3月2日土曜日

佐伯祐三アトリエ記念館


JR山手線の目白駅から1キロほど西の住宅街にあります。

画家「佐伯祐三」のアトリエ付住宅を整備して記念館に仕立て直し、最近公開されました。

佐伯公園とも呼ばれているらしく、テクテク歩いて向かいました。

おそらく日本人の洋画家の中で一番好きです。

どの作品というわけではないのですが、荒いタッチに殺伐とした情景が全体的に好みです。

このアトリエがまだ和風建築だったときの、確かそれを描いた作品がありましたが、どこかのタイミングで洋館に建て直したのでしょう。

この写真とその絵の記憶が、全く同じ空間であることに感動しました。

雨がパラパラ降ってきて、空の色が絵でよく描かれるような鈍色になっており、ますますラッキーです。

東京都心部の山手線界隈でこんな景色がいまだに残っていたのは奇跡だと思います。

その「佐伯祐三」ですが、東京美術学校を卒業したエリートです。

その後パリに向かいました。

しかし、その滞在中に、前回話題に出した画家「ブラマンク」に自分の描いた絵を「このアカデミックめ!」と罵倒されたりして、大きなショックを受けたようです。

その後に描かれた自画像には自身の顔がありません。

有名な画風は、そのときに悶々とする中で確立していったようです。

この辺の展開がファンになっている理由と思われます。

その後、残念なことに彼は結核を患って一度帰国することになります。

でも、再度渡仏します。

そしてそのまま30歳で没したのです。

その時期に描かれた絵は、どれも画家の心情が発露している気がします。

一緒にパリに来ていて、子供の看病をしていた奥さんにも看取られませんでした。

悲しいことに子供も翌年亡くなったようです。

どんな環境で生活していたんでしょうか?

画家だけでなく、家族の悲惨な人生を痛感してしまいます。

だから惹かれ考えさせられてしまうのですが。


2019年2月23日土曜日

マキノ


「近江33ヶ寺」を南側から逆順で巡り始めました。

早朝からスタートし暗くなる頃に半分以上の数が終わりました。

場所は丁度琵琶湖の北限です。

2月で雪景色だったのですが、天気が良くて道路に影響はなく、すごぶる快適にドライブ出来ました。

また今日はここらで終了しようと思っている矢先に、後で後述することになるであろう素敵な「古民家カフェ」を偶然発見しました。

琵琶湖を眺めながらコーヒータイムだけのつもりだったのですが、試験的に宿もやっているとのことだったので、予定外に泊まることにしました。

しかし食事はありません。

夕食にいい店はないかと伺うと、もう少し北西の内陸部に「マキノ」という地名があり、そこにある焼肉屋がお勧めとのこと。

併せて「メタセコイヤ並木」の長い直線通りがあって、その景色が北海道みたいなので通って迎えばいい、と教えてくれました。

で、通ってみたのがこの写真で、運転しながらの撮影でした。

もう日が暮れかかっていたのですが、タイミングよく吹雪いてきて、雪が光りに反射して景色が妙に明るいのです。

光のトンネルを進んでいるような錯覚になりました。

北海道の冬道をドライブしたことがないので例えの理解は出来ませんでしたが、何故か「おニャン子クラブ」の「冬のオペラグラス」が聞こえて来ました。

スピード狂で、ドライブの残像を絵の題材にした画家「ブラマンク」に見せてやりたい景色でした。