2017年12月30日土曜日

門司港


年末に旅したときの福岡県「門司港駅」です。

ここほど「近代の日本」を象徴する雰囲気の駅舎もないと思っています。

2代目で大正3年に完成し、重要文化財の指定を受けています。

もともとの名称は「門司駅」でした。

鹿児島本線の起点駅として「関門連絡船」で本州の鉄道と繋がっていました。

しかし「関門トンネル」が出来てしまうと、本州との接続の起点が変わってしまい、「門司駅」は新しい起点駅の名称になってしまいました。

それで「門司港駅」と改称されたのです。

更にややこしいのですが「門司港駅」も、もともと別駅の名称であったため、名前を獲られたその駅は「門司埠頭駅」に改称する羽目になりました。

産業インフラの発展における大いなる変遷を感じます。

(個人的には、サラリーマンの玉突き人事のようで身につまされますが・・・)

メインの交通網から外れることになってしまったのですが、結果的にはこの駅舎を中心に周辺の歴史建造物が多く残ることになり、「レトロ美観地区」としての存在感を今に放っています。

B級グルメの「焼きカレー」も火付け役はこの地であり、新しいトレンドも何気に起こしています。

来年は果たしてどんな「トレンド」が生まれてくるのか楽しみです。

いつも大晦日が近いと、根拠のない期待が膨らみます。

2017年12月23日土曜日

赤の世界


嫌いな色はありませんが、一番好きな色は「赤」です。

しかしこれまで「赤の車」を所有していたことはありません。

いつか乗りたいと思っていましたが、どこかに制約を感じていました。

嫌いな国の車もありませんが、一番好きな国の車は「イタリア」です。

「ゆくゆくはフェラーリなの?」とよく聞かれますが、基本的に小さい車が好きなので違います。

先ず高くて買えませんが、仮にお金があっても選ばないと思います。

また「スポーツカー」が憧れですが、「F1」のようなサーキットを走る車ではなく、大自然をコースとする「ラリーカー」のほうが好みです。

でもステッカーをベタベタ貼るのはイマイチです。

と、いろいろと注文が多いのですが、全ての条件が満たされたのが、この田園調布にある外車専門店での「デルタ」の写真です。

(くれぐれもですが、住めるわけではありません。お金持ちが多いのでマニアックな車のタマ数が多く、わざわざ探しに遠方から出向いています。)

後ろにこれだけ「フェラーリ級」の車が控えていても、自分には「デルタ」でした。

このとき結構な無理をして購入しましたが、車好きの嗜好としての「足る。」を知った瞬間でした。

周囲からも相当あきれられましたが、これが「デルタカフェ」のコンセプトにおける一番最初の「芽」になったかと思うと、これからも人生何が起こるかわかりません。

かなりの時間が経過してですが、「メリークリスマス」となりました。

2017年12月16日土曜日

ブルトレホテル


東北の日本海方面へ向かうとき、「青春18切符」を使用して「ムーンライトえちご」に乗車することが多かったです。

まさしく「川端康成」の小説「雪国」と同じ展開で、トンネルを抜けて越後側に入ったとき本当にワクワクします。

そのときにいつも気になるのが、この「ブルートレイン」の車両でした。

「何の目的でここにあるのか?」が不明で、あとで調べようと思っていても、旅を終えて家に帰っていくる頃には、忘れてしまっていました。

この写真は深夜の旅ではなく、日中に新潟から東京方面へ戻っているときのもので、周囲の地元らしき方に聞いてようやくわかりました。

なんと「越後中里」のスキー場にて無料開放されている休憩所だそうです。

遠くから見る限りにおいては、なかなかお洒落に見えます。

実際に寝台列車の車両を使用した「ブルトレホテル」も全国に何か所かあるそうですが、マニア度が高過ぎてリピート率は期待できないと思われるので、需要は限られそうです。

以前に「終末車両」なる雑誌が刊行されていて、家内の実家である「埼玉県熊谷市」にある、なんと豪快にも車両を真っ二つにして強引にエル字型にした「バー」も載っていました。

帰省の際に真っ先に伺って以降、その近くの映画館に行くときに寄ります。

だるそうな感じですが、「生のギネスビール」が飲めてなかなか乙な雰囲気です。

しかし車両の活用は難しそうです。

自分も何とかしてみたいものですが・・・・

まだまだ鉄道模型で十分だとよく思い直します。

2017年12月9日土曜日

鞠智城(きくちじょう)


古代城址の「鞠智城」です。

福岡県と県境の熊本県側にあります。

菊池一族の居城「菊池城(隈府城)」ではなく、市内から高台に上がったところにあります。

既に田畑となってしまった状態から、平成になって復元されました。

写真の「八角楼」や「倉庫」も発掘調査に基づいて復元されているそうです。

現在の建物があまり周囲にないので、真新しい木造建物の雰囲気がかえって当時の臨場感を演出しているように感じます。

663年に「大和朝廷」は、朝鮮半島での「白村江の戦」において、「唐・新羅の連合軍」に敗れてしまい大陸への足場を失ってしまいます。

それ以降、恐怖にかられた「天智天皇」は侵攻に備えて九州・瀬戸内海を中心に「大防衛ライン」を構築します。

この城も7世紀後半には作られていたそうで、最前線の「大宰府」付近にある「水城」や「朝鮮式山城」の「大野城・基肄城」への補給基地としての役割を担ったようです。

そういえば「兵站業務」を重視してか城にしては平面的です。

この時代は、日本の国土全体での防衛構想が垣間見え興味深いです。

明治維新以降における近代「要塞」の戦略配置と似通っているように思えます。

ちなみにデルタカフェ周辺にも、なんと「東予休暇村」近くの山に、同構想のもと築城された「永納山城」があり、登ると瀬戸内海がよく展望出来ます。

香川県の「屋島」と同様に四国側の防衛ラインであり、もう少し注目されても良いように思います。


2017年12月2日土曜日

塔のへつり


ご多分にもれず、紅葉スポットは大好きでよくウロウロしています。

その中で「紅葉は赤に限る。」と自分の好みを確信していましたが、それをあっさり打ち砕いたのが、この写真の車窓からの景色です。

「塔のへつり駅」到着と同時に不意打ちするかのように、この「黄金色の世界」はやってきます。

色覚が直感に与えるインパクトは、積み重ねた経験を簡単に凌駕してしまうとつくづく思います。

「へつり」という言葉は会津方言で、川の険しい断崖のことらしいです。

河食地形の特異例として国の天然記念物に指定されており、下車して散策しても、奇岩・吊り橋・紅葉のコントラストが大変美しいです。

東京「浅草」と福島県「会津若松」を結ぶ通称「会津線」と呼ばれる「東部鉄道」・「野岩鉄道」・「会津鉄道」・「JR線」を連結する路線の途上にあります。

他にも「尾瀬」や「湯西川温泉」等の秘境スポットが多く、東北道より更に山奥を走る街道として、鉄路・ドライブともお勧めです。


2017年11月25日土曜日

もみじ弁当


京都の長岡京市西山の麓にある「光明寺」。

広義には「鎌倉仏教」全般の開祖と言っても過言ではない、「浄土宗」開祖の「法然上人」が43歳のとき、最初に念仏を唱えた立教開宗の寺だそうです。

「比叡山延暦寺」で「天台宗」の修業をされていたので、地理的には京都の「洛中」を挟んで対角線上の一番遠いところとなります。

何となく気がひけたのでしょうか?

新規オープンに際し、様々な妨害があったと推察されます。

このように由緒正しく、しかも紅葉の名所でもあるのですが、何故か弁当を食べた記憶しかありません。

しょうもないことでも、それはそれで結構覚えているほうなのですが、記憶はハッキリしません。

ひょっとしたら行っていないかもしれない不安はあるのですが、庭先で弁当を広げた記憶はあるので間違いない前提で話を進めます。

実際の景色も見事だったと思うのですが、写真の「もみじの天ぷら」に心が奪われたのか記憶がありません。

よっぽどお腹が空いていたのかもしれません。

よく見ると仕切りごとに「もみじ」が入っていて、包装の布も「もみじ」です。

さすが京都において、あつかましく「もみじ弁当」を名乗るだけのことはあります。

懐石料理全般の味もおいしく、これだけで「京都の紅葉」が凝縮されている気がしました。

以上なのですが、ずっと気になっていたので書いたことでスッキリしました。

もう一枚、証拠となりうる写真です。



2017年11月18日土曜日

会津若松城


最近は伺えていないのですが、いつも毎日拝める「伊予松山城」を除いて、きっちり四季の景色を満喫しているのがこの「会津若松城」です。

紅葉した木の隙間にちらっと天守閣が見えるのがわかるでしょうか。

明治維新の「会津戦争」が、この城での籠城戦を軸として展開されたので、周辺を何度も散策しました。

その中で「会津若松駅」の隣「七日町駅」の前に、当時唯一の遺構で小天守にあたる「御三階(内部は四階建)」を移築した「阿弥陀寺」があります。

この戦の死者をまとめて埋葬したそうですが、官軍が翌年まで遺体の埋葬を認めませんでした。

ひどい話で野犬に食べられてもそのまま放置させたそうです。

諸国列強の脅威に対抗すべく「日本」という国体が強く認識されている時代にしては、時代錯誤な感覚が否めません。

むしろ「弔う。」ことに関して比較的寛容な日本においては珍しく、当時の現地司令官の感性はひどかったのだと痛感します。

おかげで「会津」と「長州」は未だに和解出来ておらず、「萩市」からの友好都市としての持ちかけを「会津若松市」は断ったままのはずです。

「恨みを残す。」ことの空しさの教訓となります。

ただし、外国の歴史と比べると、こういった「屍に鞭打つ」ような事例は日本において極端に少ないといつも思います。

「和する。」ことを大事にするからこそ、危機管理能力がないと言われても、危機後の復活が早いことに、日本の強みを感じます。


2017年11月11日土曜日

十石峠


埼玉県秩父方面から群馬県を経由して長野県へ続く武州街道。

今は国道299号線ですが、その群馬県と長野県の県境が「十石峠」です。

嫁さんの実家から愛車「フィアットパンダ」にて、単身トコトコと大阪へ向かいました。

この街道沿いに「御巣鷹山」があり、「日航機墜落の慰霊碑」があります。

当初立ち寄るつもりだったのですが、なんか怖くなって行かずに通り過ぎました。

そのまま峠に着いたとき、ポツンと佇んでいるのを見つけて撮らせてもらいました。

ここから先の長野県には「道祖神」が多く、基本的には二体で愛らしく鎮座されています。

ただこの仏様は一体。

枯れ葉に埋もれ、空き缶が花差し代わりです。

寂しい形ですが、「孤独」が「強さ」に変わっている気がします。

決して意固地になっているわけでもなく、来るものを拒まない自然体の清々しさを感じます。

日航機の慰霊も込めて手を合わさせてもらいました。



2017年11月4日土曜日

光ヶ原高原


パンダを購入したときの最初の遠出が「新潟県上越地方」の山岳地帯にある「城巡り」でした。

「越後国」は「上杉謙信」がまとめ上げていた時代ですら、地方領主である「国衆」の力が強く、「国」といってもその集合体に過ぎませんでした。

そのため「春日山城」に代表されるような大規模な山城が各地域に存在し、しかも個性的な「縄張り」を持っている魅力的なものが多いです。

麓までは行っていても、しっかり登れていない「城」というか「山」も多いので、改めて時間をかけて巡ってみたいと考えています。

ただドライブメインのため、早朝で「城巡り」は切り上げて、「新潟県」から「長野県」の「野沢温泉」方面へ向かうことにしました。

今回は「秘湯めぐり」なのです。

そのときの県境越えで通りがかったのが、ここ「光ヶ原高原」でした。

あまりの神々しさに思わず車を止めて見入ってしまいました。

眼前の山々から霧のような薄い雲が、山の斜面を滑り降りてキラキラ光っています。

更に、景色全体がベールのような薄い膜に覆われていて、華やかに淡く、その光を攪拌しているのです。

この先「パンダ」で旅を楽しめると強く実感した、幸先の良さを感じる朝でした。

今のところ当たっています。


2017年10月28日土曜日

雷滝(かみなりだき)


車で長野県北部の「城巡り」をしていて、「万座温泉」経由で「群馬県」へ向かおうとしていた道中でした。

「雷滝」なる看板を発見しました。

名前が格好良く興味が湧いたので立ち寄ることにしました。

有料で夕方だったのですが、ギリギリ入れました。

名前とのイメージはともかくとして、別名「裏見の滝」と呼ばれるように滝の裏側に回り込めます。

滝については、時間に余裕があったら立ち寄るレベルなので、詳しくは知りませんが、まれな体験だったと思います。

個人的には「裏音の滝」でした。

人が周囲にいなかったので、ジーっと裏から見ていると、岩と水に囲まれているからか、滝の音が地響きのように反響し、全身に振動が伝わってきます。

濡れてもいないのに「滝行」しているような気持ちの良い錯覚が、「集中力」を高め心を澄ましてくれました。

そのあと近くの「山田温泉」へ立ち寄り、シンボルの「大湯」で入浴しました。

新しい仏閣風の建物でしたが風情というか「風格」があります。

硫黄臭が漂う中、湯船に浮かぶ大量の「湯の花」に驚きつつ、素晴らしい泉質を堪能しました。

2017年10月21日土曜日

松本城


家内の実家「埼玉県熊谷市」に帰省する際に、車で旅を兼ねて帰ることが多いのですが、長野県を通過するとき、かなりの頻度で「松本市内」は通ります。

昔から交通の要衝であり、信濃守護職もここが拠点でした。

「松本家具」に代表される「民芸品・工芸品」に秀逸な品ぞろえの店も多く、かなり散策が楽しめます。

当然ながら国宝「松本城」はいつも拝んでいます。

この写真は、松本市内の有名な「バー」巡りをしたときに、酔い覚ましで「城の公園」にフラフラ行って、偶然撮影出来たものです。

(松本市は凝った「バー」が多く、夜が「酒とつまみ」だけでいい人はかなり楽しめます。)

秋とはいっても風はかなり冷たく、雲一つない月夜でした。

その天気のおかげで、きれいに「逆さ天守閣」が堀に映えており、びっくりしながらムチャクチャ感動しました。

おそらくこれほど鏡写しになるのは、天守台が大きな堀(池に近い)とつながっているここだけです。

「平城様式」ならではのことで、これほど身近に観れることを入場無料の「城の公園」に感謝した夜でした。

さすがに今の時間に天守閣内には入れませんが、天守閣と連立複合している「月見櫓」からも、こんな月夜を眺めてみたいものです。

いい「つまみ」が堪能出来たので、酒が弱いにもかかわらず、もう一軒行きたくなりました。



2017年10月14日土曜日

榛名湖



「車」漫画で有名な「頭文字(イニシャル)D」に出てくる「秋名湖」は、群馬県にある写真の「榛名湖(はるなこ)」がモデルです。

主人公は愛車「86トレノ」で、毎朝湖畔のホテルに実家で作っている「豆腐」を運びます。

その道中がコースとなり、ドライビングの腕を磨いていくのです。

長い連載でしたが全巻読みました。

基本は決まっています。

深夜に「関東地域の峠族」が集まって、レース情報を聞きつけた観客が道沿いで見守る中、峠道で「上り」と「下り」それぞれの勝敗を決するという、極めてシンプルかつ閉鎖的なストーリーです。

登場する車も高性能の「新車」でなく、やや型落ちの「旧車」を改造して、大切に扱っています。

日頃の生活はほとんど出てこず、主人公ですら地元で何の仕事をしているのかわかりません。

車のある範囲の背景だけで物語が進行していきます。

でもはまりました。

地元開催の「レース」という非日常的なワクワク感は、「祭り」の集まりと相通じるものを感じます。

「旧車」と「太鼓台」はどちらも好きなので当然かもしれません。

実際の湖への道中も快適なドライビングコースですが、ドリフトしたような黒いタイヤ痕が結構ありました。

あきらかにコースアウトしているラインや不自然に新しいガードレールも目立ち、ただならぬ不穏な気配も感じます。

少し悪寒もするので、夜にここは通れないです。

私はあっちに連れていかれかねません。

出来れば漫画かゲームの範囲内で収めてほしいものです。

2017年10月7日土曜日

瑞巌寺 伊達政宗


宮城県にある「日本三景」で有名な「松島」に「瑞巌寺」はあります。

荒廃していた寺を「伊達政宗」が再興し、桃山様式の「本堂」と「庫裏」は国宝指定されています。

「松島」のある海岸線から、長い参道をずっと進むと見えてくるその雄姿は、見応えあります。

他でもそうですが、戦国武将が造らせたものは「歌舞く」からか見栄えが良いものが多いです。

写真は、寺内に展示されている「伊達政宗甲冑像」で、「愛姫(めごひめ)」と呼ばれた正室「陽徳院」が作成させたものです。

公27歳、朝鮮出兵時の勇姿を再現させた等身大の像で、経緯はよくわかりませんが政宗の遺言で、なんとこの像には「両目」があります。

違和感があったのは「眼帯をしていない」からだと、しばらくは気がつきませんでした。

かなりリアルで一人で展示室にいるのは正直怖いくらいです。

実物の甲冑だけに臨場感というか迫力があり、武将としての「威厳」が伝わってきます。

しかし、仙台城の凛々しい銅像よりもこちらが本人のイメージに近いだろうと思いますが、「伊達男」かどうかは微妙です。

当時の「男前」の基準は、現代とは違うので仕方ありませんが、奥方の目が光る中での制作過程にはどのような注文が出されたのか興味深く感じます。

目のことからしても、夫婦間で交わされた「いろんな思い出」を叶えたかったんだろうなあ。



2017年9月30日土曜日

岩泉線


最近の地図を見ていて消えているのを見つけました「岩泉線」。

岩手県の「盛岡駅」から海側の「宮古駅」を結ぶ「山田線」の途中に「茂市駅」があり、そこから日本三大洞窟で、地底湖が有名な「龍泉洞」のある「岩泉駅」を結びます。

短い路線ですがアクセスが悪く、わざわざ「宮古駅」で一泊して早朝出直さないとたどり着けませんでした。

それでも何もない「茂市駅」で、一時間以上待たされての乗り継ぎです。

このときの天候が非常に悪くやや嵐気味でした。

前日も、せっかく泊まる「宮古駅」界隈で海の幸を堪能したかったのですが、予定より早く閉めているらしく何処もやっていません。

かろうじて購入出来た残り物っぽいコンビニ弁当が夕食です。

翌朝も、よく運行してくれたと思うような大雨で、写真のように横なぐりの雨量が尋常ではありませんでした。

「岩泉駅」に到着しても、折り返しにすぐ乗らないと何時間も待たされることになるので、このときは「龍泉洞」にも行けず、おあずけ連続の修業のような旅でした。

ただ、別の機会に訪れていて、湖の透明度に息を飲んだのを鮮明に覚えています。

細い橋桁の上を歩くので水上を空中歩行しているような感覚になりルンルンです。

その状況で、真下に照明に照らされた地底湖のかなり深いところまで拝めるのです。

他の三大である山口県「秋芳洞」と高知県「龍河洞」とは全く異質なものです。

最近の台風で水害被害が著しいとのニュースを耳にしますが、一日でも早期の復興を祈念しています。

今度は家族で訪れたいです。

2017年9月23日土曜日

興国寺城


「興国寺城」跡にある神社からの景色です。

社殿を背にして鳥居から撮影しており、駿河国と伊豆国の境にあります。

ここは、戦国大名のさきがけ「北条早雲」が初めて城持ちとなった記念すべき城です。

「今川氏」に嫁いだ妹の縁を頼って客将になっていたのですが、お家騒動を収めた功労でこの城を与えられました。

彼を初代とする「後北条氏」が関東攻略を始めるスタート地点がここになります。

関東が足利氏(堀越公方・古河公方)や上杉氏(山内上杉・扇谷上杉)の勢力争いで、混沌としていた時期です。

「室町幕府」は地方分権がもともと強いせいか、当初の南北朝時代もあり、三代「足利義満」の一時期以外はすっとゴタゴタの印象があります。

幕府内の権力争いが、そのまま領地にも飛び火しており、関東も同様でした。

彼はそういった情勢を見極め、巧みに勢力を伸ばしていきます。

相手の隙間に入り込んで、弱いところから確実に攻略していく戦略は見事です。

硬・軟・緩・急を絡めていて決して野蛮ではありません。

駿河へ来る前には、八代将軍「足利義政」の弟で、「応仁の乱」原因の一人でもある「足利義視」に仕えていたらしいです。

過去に、中央政権の権力闘争で培われた権謀術数であるからとも思えます。

伊豆の「堀越公方」を滅ぼし、その山間部を越えて「小田原」を新拠点として関東平野に狙いを定めていく展開は、「国盗り」への着実な野心を感じます。

この流れは、戦国時代の終局となる豊臣秀吉の「北条征伐」まで連綿と五代に渡って続くのです。

見事な「事業承継」だと思います。

2017年9月16日土曜日

田沢湖の裏メニュー


旅の目的を「湖」に設定することはほとんどありませんが、無意識にドライブコースには入れていると思います。

秋田県にある「田沢湖」は何回か通っていますが、湖畔がきれいにみえるであろう天候にいつも恵まれています。

その反対が更に北の「十和田湖」で、天気が良くても、何故かいつも靄っています。

写真は「田沢湖」のまあまあ有名な「辰子像」ですが、悪趣味にも金色です。

しかし、深い水色なのに澄んだように見える独特の湖面がそうはさせません。

服装もよく見ると「叶姉妹」なのですが「ゴージャス」ではなく、不思議と「清楚」に見えるのです。

偶然かもしれませんが、この作者の自然を取り入れた色彩感覚には驚嘆します。

すぐ脇の湖畔に佇む「田沢湖プリンスホテル(当時)」は古くて小さいですが大好きです。

かなり割安な夕食がお勧めです。

メニューは限られるのですが、ホテル料理の生命線「デミグラソース」が堪能出来ます。

サラダもホテル特製の「ドレッシング」が2種類あります。

私しか客がいなかったので、お勧めを聞いたら、「行儀はよろしくないですが、実は両方同時にかけたらもっとおいしいんです。」と教えてくれました。

多分シェフは怒るでしょうが、こういう脱線があるから、旅は止められません。

2017年9月9日土曜日

羽黒山


今回の旅は山形県です。

今は廃止となりました夜行列車「ムーンライトえちご」にて、新宿から新潟へ向かい、羽越本線に乗り換えて北上しました。

「鶴岡駅」にて下車、バスにて出羽三山の一つ「羽黒山」を目指し、そこにある「出羽三神合祭殿」をお参りしました。

そのあと担いできた折りたたみ自転車に乗り、山を下って駅まで戻る予定でしたが、やって来た自動車道と違う本来の「長い石段の道」に気がつきました。

非常に魅力を感じてしまい、予定を変更してエッチラオッチラ階段を下りることにしました。

庄内平野がよく眺められ、途中に「水戸黄門」に出てきそうな風情の茶店があって一服したりと、自転車を担いだ肩はかなり痛かったのですが、選択は間違っていませんでした。

写真は、国宝「羽黒山五重の塔」です。

「神仏習合」が普通だったことを象徴するものであり、神式と仏式が共存していた名残です。

普通は、神社に仏塔はありません。

明治初期に「廃物希釈」の嵐が吹き荒れた際、仏教建築はことごとく破壊されました。

その中で、この塔のみが唯一奇跡的に生き残ったのです。

杉木立に制圧されそうですが、周囲の広大な伽藍跡が往時を物語っていて、ポツンと佇んでいる様は孤独というか寂しそうに見えます。

だからこその「凛」とした存在感を強く感じました。

また地域的には密教系の信仰がもともと共存しており、僧侶がミイラとなる「即身成仏」がこのあたりに多いのも特徴です。

大らかに何事も取り込んで、どんどん積もっていくような「日本の信仰形態」の縮図を見る思いがしました。

2017年9月2日土曜日

御茶ノ水


「JR御茶ノ水駅」の改札口を出てすぐにある「聖橋」の下付近から撮影した景色です。

東京は、もともと谷間の多いところを埋め立てて作り上げた都市で、「谷」のつく地名が多いことでも伺えます。

浮世絵でも高低差を感じる景色が多いです。

しかも水路を整備して、水上交通を発展させました。

写真のように「神田川」を船が往来しているのを見ると、当時の状況は何となく伺えます。

駅の東京よりに「ギリシャ正教」の「ニコライ堂」、橋を渡った反対側に「儒学」の「孔子廟」と、「三社祭」で有名な「神田明神」があります。

何気に「露・中・日」の宗教施設が交錯している地域です。

宗教紛争が発生してない、稀有な日本ならではのまったりした現象だと思います。

現在の世界情勢において、他の国ならお互いが怖い距離感かもしれません。

中でも「ニコライ堂」ですが、正式名称は「東京復活大聖堂」だそうです。

安直なネーミングだと、失礼にも笑ってしまったのですが「東京にてイエスの復活を祝う大聖堂」の意味らしいです。

「復活」という言葉は「関東大震災」と勝手に想像していたのですが、なるほど神の領域かと、「一神教」の強さを思い直しました。

しかし日露戦争以降、信者は迫害を受けており、ずっと苦難の歴史を刻んできた建物です。

日露両国の関係が更に改善すればいいなあと思います。

2017年8月26日土曜日

男鹿半島 入道崎


これは旅行ではなく、出張の延長でした。

担当企業の従業員様への説明会があり、秋田県の事業所へ伺った際、そのまま帰るのももったいなかったので、少し寄り道したのです。

男鹿半島の先端にある「入道崎」付近で撮影したものです。

いくつかの城跡があったので目的地にしたのですが、それらはイマイチでした。

しかしその道中は起伏に富んだコースで、非常に楽しいドライブが出来ました。

このときスーツ姿だったので、自分自身もいつもの旅と違う感覚で新鮮でした。

休みの「オフ」状態でなく、何かしら「オン」になっているのです。

ふと浮かんだのは車のCMです。

セダンやワゴン系は「家族」ではなく、男性一人の「ビジネスマン」が登場することが多いのに、何故か「大自然」を走っているような気がします。

普通そんな展開ないのですが、それでもそのほうが「ロマン感じるな。」と実感しました。

ここから、自分の「オフ」の服装に「フォーマル」の要素が少し入るようになったと思います。

帰省のたびに母に「貧乏くさい。」と怒られていたのが、少し緩和されたような気がします。

2017年8月19日土曜日

流しそば


岩手県の「釜石線」沿いの「滝観洞(ろうかんどう)」を見学(今後に掲載予定)して、ちょうど昼食を食べるタイミングでした。

辺鄙な場所ですが、食堂があったので「何か食べれれば。」と全く期待しないで入店しました。

すると写真の「流しそば」なる装置を発見。

好奇心が高まり一気にアドレナリンが出てきました。

早速、若い店主に注文しましたが、「あまり期待しないでください。」の一言。

逆に期待値がますます上がります。

店主がいそいそと竹パイプの向こう側へ向かい、上段の窓から「いきますよ~。」の合図。

私は竹パイプの下側で、松岡修造みたいに中腰の姿勢で、箸とそば猪口を持って待ち構えました。

するといきなり「ベシャ!」。

流れてきたというより、地面に落ちた吐しゃ物みたいな音。

かなり黒い太めのそばの固まりがそばザルに引っかかっています。

食べ物というより、本能的には排せつ物に近い感じがします。

「そばが重くてうまく流れないんですよ~。」と店主が説明してくれました。

おそるおそる食べましたが、意外と風味のある美味な黒そばでした。

好奇心は結構満たされましたが、まず流行らないと思います。

味の良さからすると普通に出したほうが売れるかも。

2017年8月12日土曜日

島原鉄道


風が強かったのですが日差しも強い日で、「島原鉄道」の黄色い車体が眩しく輝いていました。

終点「島原外港駅」へ向かう待ち合わせ中の写真です。

すみません。はっきり何処の駅か覚えていませんが、ムチャクチャ「海のキワ」でした。

台風の時は、間違いなく運行停止になると思われます。

本日は本当に迫力のある景色で、左は「島原湾」、右は「雲仙岳」の両方が車窓に迫ってきます。

以前は島原半島を囲むように「口之津」まで線が伸びていましたが、現在は大幅に短縮されています。

今でも十分見応えはありますが、「島原の乱」で有名な「原城」を訪れたとき、「車でなく、列車で行っておけば廃線前に完乗出来たのに。」と、思い出して後悔しました。

しかも今回はいつもと趣向が変わっていて、終点から折り返しません。

「島原外港駅」に着いて、目の前のフェリー乗り場から海路「熊本」へ向かいました。

船が動き出すと、いろんな鳥が飛んでついてきます。

スナック菓子とか投げるとうまくキャッチして食べます。

魚に餌をやるより楽しいです。

その背景にはいつも「雲仙岳」があり、本当に大自然を感じる旅でした。

そういえば、「宇高連絡船」で鳥達と戯れた記憶がありません。

「うどん」を食べることにしか意識がいってなかったのかなあ。 


2017年8月5日土曜日

碓氷峠


関東から信州に抜ける中山道の要衝でもある「碓氷峠(うすいとうげ)」。

戦国時代には、武田信玄の軍勢が上野国(群馬県)を攻略する際、何度もこの峠を越えていました。

近代になると鉄道網の敷設において、この峠が大きな障害となります。

軽井沢側は大きな勾配がありませんので、長野と群馬間の段差をどう攻略するか?

具体的には、釜飯で有名な「横川駅」から「軽井沢駅」までどう駆け上がるかです。

写真の通称「めがね橋」もその急勾配を攻略するためにつくられたもので、ドライブで通るたびに、この大きなアーチに見とれてしまいます。

ただ、列車の馬力向上により路線もどんどん変更されていきます。

とうとう現在は、山中を突っ切る長野新幹線が開通しているため、趣あるこの区間は残念ながら廃線となってしまいました。

細かな変遷の経緯はよく知りませんが、この橋はいわゆる「旧線跡」に属し、今は遊歩道として観光地化されています。

トンネル内も通行可能で、探検しているようなワクワク感と、歴史の重みを感じることが出来て、どの季節もお勧めです。(冬は厳しいなりにですが・・・。)

更に山を越えた奥側に穴場の「新線跡」があります。

本日の目的である秘湯「霧積温泉」が更に奥地にあり、そこへ向かう途中に立ち寄りました。

(宿は、駐車場から30分登山しないとたどり着けませんが、昭和初期の手付かずな情緒が楽しめました。)

長く続く土手の裏側に隠れているのですが、分け入っていくと、線路も頭上の電線もきれいに残っていました。

パッと見は廃線に見えません。

トンネルも塞がっておらず奥まで続いているようで探検出来そうですが、闇から幽霊列車がやってきそうな雰囲気です。

吸い込まれそうで怖くなり、覗くだけにしてそそくさと立ち去りました。


2017年7月29日土曜日

法起寺


奈良で天平時代を最も感じるのが、この「法起寺」です。

「法隆寺地域の仏教建造物」に含まれ世界遺産に認定されています。

写真の「三重塔」は現存で国宝に認定されており、三重塔としては日本最古です。

周囲に大きな建物がないので田畑から眺める風景は、そのまま当時の情景を再現したかのような趣があります。

史跡巡り中に妄想でタイムスリップすることは結構ありますが、ここだけは風景ごと向こうから現代にやってきた感じがします。

周囲の環境も含めて歴史遺産を残す取り組みは本当に大切と思います。

但し、観光面を視野に入れた場合、当時の再現だけでは面白くありません。

「和風」と「洋風」が、建物や食事を筆頭に様々な分野で溶けあい、その中庸が多く存在する日本としては、そのバランスがセンスの見せどころです。

何故そんなことを思うのかと言うと、空腹なのに朝食を食べるところが何処にもないからです。

「一軒くらい何かないの?」と、つい愚痴っぽくなってしまいました。

しかしこの閉塞感を、突然リヤカーを引いてやってきた「いちじく」売りのおじいさんが吹き飛ばしてくれました。

朝一番に収穫した大きな「いちじく」です。

買ってかぶりつくと、香り高くむちゃくちゃ甘いです。

「昭和」を感じつつ、「やっぱりこのままが一番だ。」と思い直しました。

空腹が満たされると何事も解決できる気がします。


2017年7月22日土曜日

秋田城


古代城郭として再現された「秋田城」の「外郭東門」です。

再現された建物が多く、喧騒がない早朝に撮影したため、往時の雰囲気が満点でした。

特に赤の柱が印象的です。

「赤」って強さの象徴なんだとつくづく感じます。

面白い遺構では水洗トイレの跡もあります。

丘陵地帯に築かれて防衛を前提にしてますが、「平城京・平安京」のような「都城制」の小さな町を、都よりも強固な堀や塀で囲ったような構造です。

秋田市北西端の海側にあり、奈良時代の「聖武天皇」の頃に築かれたようです。

当時の奥羽地方は「蝦夷地」であり、「大和朝廷」は北方攻略を進めていきます。

太平洋側の仙台市にある「多賀城」と同様に、海へすぐに脱出可能な場所として、日本海側の中心拠点だったようです。

そのせいか周囲の拠点とはかなり離れて、前線に位置します。

このあと朝廷は「天武系」から「天智系」に変わっても、北方政策は引き継がれ、「桓武天皇」の時代に「坂上田村麻呂」が「阿弖流為(アテルイ)」を攻略します。

秋田のある「日本海側」はあまり注目されてませんが、大陸側の国「渤海(ぼっかい)」との外交窓口でもあったらしく、更に勉強していきたい領域です。

もともと長い日本の歴史で文化がやってくる大陸側は、本来「日本海側」でした。

日頃の生活の中で、無意識に「太平洋側」を基準に考えている節が自分にはあります。

今後は地図を逆さにして考えるような発想を大事にしていきたいと思います。

2017年7月15日土曜日

原子力の村


東日本大震災後に初めて房総半島より北の太平洋を訪れました。

茨城県水戸市の海側にある「ひたちなか市」の海岸「阿字ヶ浦(あじがうら)」から北に向かって撮影したものです。

砂浜に何組かのカップルが繰り出しており、夕方のムードある光景です。

震災前後の変化はここでは何も感じませんでした。

しかし車の先に霞んで見える巨大な煙突は発電所のものです。

これは「火力」ですが不気味に見えます。

長い海岸線に突き出すように造られた埋立地にあり、ここから「東海村」の領域となります。

原子力発電がスタートした地で、現在も多くの原子力関連施設があり、日本の原子力産業の一大拠点となっています。

ここから東北へ向かう海岸線は「おいしい魚の獲れる良港」と、「エネルギー関連施設」が交互に存在する印象があります。

その中には「福島原発」も当然ですが含まれています。

今しがた海鮮丼を食べてきた「那珂湊おさかな市場」とあの煙突がオセロゲームを闘っている気がしました。


2017年7月8日土曜日

奥入瀬渓流


青森県にある「奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)」です。

あまりに有名な渓流なので、観光整備も進んでいると想定し、歩く前提の準備をして訪れたら、川のすぐ脇にある素朴な道路をずっとドライブ出来たので驚きました。

山口百恵さんの「緑の中を走り抜けてく真っ赤なポルシェ~」の歌詞が、車は黒で車種も違うのですが、頭の中でずっとリフレインされてました。

渓流といっても「十和田湖」から太平洋まで注ぐ「奥入瀬川」の上流で、れっきとした川の本流です。

しかし意外なくらい川も浅いので、足を浸して遊べました。

この写真も川の中に立って撮影しています。

ルートとしては弘前方面から「八甲田山」南側を通り、「谷地温泉」の効能を楽しんでから渓流を遡り、十和田湖畔へ到着しました。

天気も良くオープンカーでここまで楽しめるコースはなかなかないと思います。

木漏れ日が大変素晴らしかったです。

でも好奇心を満たしてくれたのは、道中の黒石市で売り出し中のB級グルメ「スープ入り焼そば」でした。

見た目はキモいですが、焼きそばなのにコシもまあまああり、ソースとカツオ出汁が微妙に混ざって旨かったです。

その後ブレイクしている噂は聞きませんが・・・・・。



2017年7月1日土曜日

一向衆の最後


写真は「鳥越城」の再建された「石垣・門・櫓」です。

北陸地方の「一向衆」による最後の拠点がここで、旧鳥越村(白山市)にあります。

中興の祖「蓮如」が、応仁の乱頃に福井と石川の県境にある「吉崎」の地にて御坊を構えたところが本格的なスタートで、「惣村」単位での発展策を推進します。

「個」は先になく、「坊主・年寄(としより)・長(おとな)」を運営者として、村ぐるみで門徒化していきました。

これに武士門徒も加わり、短期間で「教団化・武装化」が進み、自己の政治的・社会的地位の保持を求めて、領主・他宗派との武力闘争が展開されます。

最終的には守護大名「富樫氏」を滅ぼし、その後「加賀国」を合議制にて約100年間支配しました。

布教の拠点が出来てから支配体制確立まで、たったの約17年です。

「金沢城」も途中から北国総本山となった「金沢御坊」が基礎となっています。

(ちなみに総本山は大阪の「石山本願寺」で、現在の大阪城があるところです。)

しかし末期には、織田方の北陸方面総司令官「柴田勝家」の軍勢に攻略されていきます。

手取川上流の白山方面へと、どんどん奥地に追いやられていく中、この地にて軍事力としては収束してしまいました。

撮影ポイントに立つと逃げ場のないもの悲しさが漂っているような気もしましたが、基本的には「戦い」の気配しか感じませんでした。

宗教施設としての要素はなく、単純に城の遺構です。

「宗教存続」と「武装解除」は戦国史において別物と思いました。

2017年6月24日土曜日

平城京


世界遺産の「平城京」ですが、敷地内を近鉄電車が走っています。

今ならあり得ない光景ですが、当時は歴史遺産としての認知がいかに低かったかの証左でもあります。

しかし「乗り鉄」として早朝に乗ったとき、写真の「平城門」のかなり近くを通りました。

少し靄っていたこともあってタイムスリップするような錯覚があり、妙な心地良さがありました。

まさしく古代奈良の都へ、電車型の「タイムマシン」でやってきた、SFの主人公にでもなったような感覚です。

話は全く変わります。

奈良の方に怒られそうですが、ここに来るといつも抱く感覚があります。

教科書レベルで貴重な文化財ですら、かなり雑に扱っている感じがするのです。

京都とえらい違いです。

例えばですが、怨霊となったことで有名な「長屋王(ながやのおう)」の邸宅跡に某百貨店が店舗を強引に建てたことがあります。

「凄いことするな。」と思っていたら、すぐに某百貨店は不祥事で経営が傾き、その店舗は整理統合の流れで閉店となってしまいました。

迷信も含めてそういった霊感ポイントも多い場所ですが、何故かほっとかれている気がします。

ずっと住んでいると鈍感になるのかもしれません。

人間にも言えることですが、もともと持っている長所とか魅力を再認識する工夫も、日常生活で大事と感じます。

何事にも没頭しやすい自分は、特に「家族とのやりとり」が要注意です。

2017年6月17日土曜日

廃線跡


廃線になるまでに乗れなかった路線が結構あります。

今回の「のと鉄道」もその一つです。

「JR七尾線」と接続の「和倉温泉駅」から「穴水駅」までは今も存在します。

ただ以前は、北岸の「輪島」と東岸の「珠洲(すず)岬」の手前「蛸島(たこじま)」に、更に続いていました。

それぞれ2001年・2005年に廃止になったそうです。

写真は廃止直後の「珠洲駅」です。

まだ駅舎も線路も残っていて、至る所に痛々しく雑草が生えつつも「鉄道遺産」としての風情を感じました。

しかしたまたまですが、最近の写真を見つけてしまいました。

ホーム以外は線路も撤去され、周辺が真っ平らに舗装されてしまい、妙に浮き上がった景観となってしまっていました。

どうせ残すならもう少し風情を考えられないのかなと非常に残念な気持ちになりました。

鉄道に興味ない方でも「駅舎の周辺」に関しては、多少なりとも地域の思い出としての要素はあるはずです。

倒壊の恐れもあるので安易な放置は出来ませんが、今後老朽化した住宅等の撤去はますます増えていきます。

只の取り壊し作業ではなく、その後の景観を少しは考える方も、行政側でもっと登場して欲しいものです。

人口減による縮小傾向は、地方において逆らえない掟でしょうから、地域再生の視点として、民間・行政両面からの「断捨離」的な「美意識の構築」はより重要になってくると思います。

2017年6月10日土曜日

軍艦島


最近、長崎県の世界遺産に認定された「軍艦島」が話題です。

映画「007」の最近の作品でもロケ地になっていました。

が、私にとっての「軍艦島」は写真の「見附島」です。

石川県能登半島の東端にあります。

初夏に訪れて初めて観たとき、朝日が海に反射して岩肌を照らしていました。
(写真は、眩しすぎたので光りを抑えて撮影しました。)

それが金属っぽく見えてリアルなのにビックリしました。

橋桁に見える石の連なりは、実際に歩いて島の近くまで行けます。

上部には艦橋とか主砲とかの建造物をイメージするものがあるわけではないので、「船島」と呼ぶのが妥当なのかもしれません。

しかし悠然と構えている雰囲気に、「海の男だ艦隊勤務、月月火水木金金」の歌が聴こえてくる気がします。

何故かそのとき、学生時代にバイトしていた飲み屋で、右翼のオッチャンがカラオケを熱唱していたのを思い出しました。

今は残業に厳しい社会になりつつありますが、当時は「24時間働けますか?」が流行歌でした。

この海岸は「恋路海岸」と呼ばれ、よく知りませんが「鍋乃と助三郎の非恋物語」の逸話があるそうです。

風光明媚であり、温泉・魚も揃っています。特に個性的な宿は最高です。

今回はリッチにも「湯宿 さか本」に泊まり、地元料理を堪能しました。

さすがの一言でした。