2023年12月30日土曜日

浅草寺


コロナ中に訪れた浅草の「浅草寺(せんそうじ)」です。

最終便で東京に着き、宿をこの近辺に手配していたので、向かう前に立ち寄ってみました。

何の目的もなかったのですが、人がいない「雷門」を、テレビで最近目にすることがあったので、どんなものかと足が向きました。

日中と比較できない時間帯であることはわかってますが、それでも飲み屋も多い地域です。

それなりに人が多いし、写真の参道は今までなら周辺を行き来する方々の通り道になってました。

が、やはりなのか人影がありません。

目の前のカップルのみです。

雷門からずっと前方を歩いていて、思いのほか歩速が早いので、追い抜くこともなく、ついていく形となりました。

こんなにシーンとした境内は初めてで、次の写真の五重塔も何やら不気味です。


この塔の脇口の通りに入り、飲み屋の多い辺りに向かいました。

一杯引っ掛けて、ホテルに行きたかったのですが、どこもやってません。

シャッターが全部下ろされていて灯がない様子は、この通りに拒まれているようで、進むのが少々怖くなりました。

来た道を引き返しましたが、「仲見世通り」を過ぎる辺りまで、人に出会いませんでした。

自分のプラプラ旅行を否定されたようで悲しくなりつつ、コンビニでビールとつまみを買い、ホテルに入りました。

少し救われたのは、ホテルの配信チャンネルで「機動戦士ガンダム」映画版をやっていたことです。

小学生のとき、3部作を全て映画館で観た記憶があります。

少しテンションが回復し、明日の会議もあるので2部の後半だけ観ました。

今、「シャア専用ズゴック」を作成しているからです。

ジャングルに隠されていたジャブロー基地の攻防戦を観て、かなり気分が持ち直しました。

よりイメージが膨らみました。

小学生3年生と、家族にバカにされるのもしょうがないです。

2023年12月23日土曜日

三陸鉄道リアス線


過去の写真を眺めていて見つけました。

「東日本大震災」前の「三陸鉄道」です。

少しショッキングな色調の車両となっています。

「全線制覇」に向けて旅をしていた自分にとって、最大の難所が「東北地方」の太平洋岸を走るこの路線でした。

西日本の方には、分かりにくいのですが、「東北地方」は、「中国地方」と比較すると、遙かに大きな面積を有しています。

そのため、長い走行距離を有することになり、時間が余計にかかります。

しかも連結が良くないのです。

サラリーマンの限られた休暇では、何度も「東京」から行ったり来たりの行程を強いられました。

その分費用も嵩みます。

結局、この路線の完乗に約3年かかりました。

この日は、新幹線で青森県「八戸駅」まで行き(料金が高い!)、「八戸線」を制覇した後、更に南下していきました。

当初は天候が悪く、雨が降っていましたが、徐々に回復して晴れやかな日差しとなりました。

写真は確か「釜石駅」だったと思います。

フォームをブラブラするだけでしたが、鋼材か木材の集積地なのか、広大な待避線の跡地がありました。

雨が止んだ直後らしく、山々から霞が垂れ込めていて、幻想的な雰囲気が醸し出されていました。

この約7年後に大悲劇が起こります。

ここも今はどう復活しているのか?

行ってみたいとも思いますが、なかなか勇気が沸きません。

 

2023年12月16日土曜日

毒ガスの島


瀬戸内海にある「大矢野島」。

「毒ガスの島」とも「ウサギの島」とも呼ばれます。

両極端な呼称ですが、毒ガスの実験体として飼われていたウサギが、施設廃止後も繁殖したためで、密接な因果関係があります。

終戦で廃止されましたが、毒ガスは15年間ほど製造されたそうです。

基本的な防疫体制は取られていたそうですが、当時の水準として、微量な漏れは防ぎようもありませんでした。

約6000名台の人々が働く中で健康障害等の影響を受けたようです。

土壌汚染も含めて、全体を包括した被害状況は明らかになってません。

現在ここには休暇村があります。

夏に向かおうとしたときは、フェリーが満杯で乗れませんでした。

今回は、年末の帰省時を狙ってチャレンジしました。

山口県下関市から車でスタートし、広島県三原市の西寄りにある「忠海港」から、車と一緒にフェリー乗船しました。

始発の2時間前に着いていたのでトップです。

帰りはここに戻らず、愛媛県大三島の「盛港」にフェリーで向かい、そのまましまなみ街道にて、松山へ帰省しました。

そのため、フェリーからフェリーへの乗り継ぎ時間が島の滞在時間となります。

約1時間半で、島の周囲は約4キロ。

早歩きで何とかなりそうですが、関連施設が点在しているうえに、「芸予要塞」の遺跡もあります。

見惚れてる時間が確保出来るのか心配でした。

時計回りに一周しましたが、写真の「長浦毒ガス貯蔵庫跡」を始め、見応えある施設が数多くありました。

壁が黒くなっているのは、毒ガスの残留物を焼却するため、火炎放射器で焼いたからだそうです。

それなりのペースで進めたのですが、何と障害になったのは、立ち塞がる「ウサギちゃん」達でした。

私を発見すると一斉に寄ってきますが、手前30センチほど(かなり近い!)でピタッと停止します。

エサをもらえないと分かると、そそくさと散らばっていくのです。

その一連の仕草が、動物好きでない身でもキュンときますし、かなりの急接近なのでついつい立ち止まってしまいます。

フェリー乗り場に近づくにつれて、その数が増えてきます。

少しゾンビゲームみたいです。

時間が厳しくなってきたので、走ることにしました。

読み通り、エサをくれる人に見えないので寄って来ません。

無事に乗船出来ましたが、周囲が和んでいる公園に迷惑な奴だったと思います。

少しは愛でる時間が欲しかったなあ。


 

2023年12月9日土曜日

富貴寺


大分県国東半島にある「富貴寺」です。

教科書にも載っていて、平安期の建築物で国宝に指定されています。

素朴な風合いが素晴らしいと評価されてました。

学生の頃からずっと行きたかったのですが、機会がなくて訪れたのは30代半ばだったと思います。

実際に行くと、駐車場から道路を挟んだ上り端に階段があります。

上がっていくと山門を経て、すぐに「富貴大堂」がありました。

・・・国宝ですが、何とも普通です。

8世紀建立の楼閣風寺院とか、何とかの説明がありましたが、正直なところピンと来ません。

私のそんな雰囲気を察したのか、ガイドらしきおじさんが寄ってきました。

言われるには、今でこそ国宝指定されて整備されたが、ずっと荒れ放題で住職もおらず、近隣の農民が使う寄合所、いわば公民館の位置づけだったそうです。

建て直すお金もなかったので放置されたままでしたが、崩れずに何とか持ち堪えていたら、国宝になったとまで言い切られました。

周囲の関係者が聞いたら、クビにならないか心配なくらいでしたが、あきれるくらいのストレートな説明に、思わず楽しくなってしまいました。

実際のところ、木造建築物である以上、国宝や重要文化財クラスでも、大改修のときには、多くの木材が入れ替わります。

一度に消滅しなければ、命脈を保てるのが文化財の面白さかもしれません。

改修に尽力された方々の存在も、文化財を彩る歴史です。


一番印象に残ったのは、山門に鎮座していた石像です。

国東半島らしい愛嬌を感じます。

誰かが適当に作って置いたように思いました。

 

2023年12月2日土曜日

種子島基地跡


軍施設の風呂場跡です。

コンクリートの土台がかなり残っていて、当時をリアルに偲ぶことが出来ました。

溜まった雨水が臨場感出してます。

ここは種子島で、レンタカーを借りて一周してます。

夕暮れ近くでしたが、「種子島基地跡」の看板を発見。

どうも気になり立ち寄りました。

太平洋戦争で種子島の話を聞いたことがありません。

予備知識がないので、好奇心が膨らみます。

行ってみると、基地と呼ぶより飛行場跡でした。

下の2枚目の写真を見て頂きたいのですが、道路が一直線に続き、隣の畑となった飛行場跡も合わせて真っ平らです。

今までドライブしてきた印象として、高い山こそありませんが、起伏はかなり激しい地形でした。

極めて人工的で、異常な光景です。


説明板を読むと、敗色濃厚になってきた戦争末期に、急拵えで整備した飛行場らしく、島民を総動員して、岩とかを削って整地したそうです。


結果的には、ほとんど使用されることもなく、戦場にはなりませんでした。

この手の話は、戦争末期に構築された施設でよく聞く話です。

その後、栽培されているサトウキビが伸びやかに育っているのが、過去の歴史と対照的に写りました。

そのまま直線道路を進みましたが、良い道なのに爽快な気持ちにはなれませんでした。

 

2023年11月25日土曜日

油壷湾


神奈川県の三浦半島にある湾です。

噂には聞いてましたが、ヨットハーバーとして有名な場所で、ヨットの数にビックリしました。

渋滞しているように見えます。

ちゃんと海に出ていけるのか心配になりました。

余計なお世話でしょうが、ここに来たのは湾の北部が「三浦氏」の本拠地「新井城」だったからです。

地名の「油壺」の油、実は〝血〟です。

「三浦氏」が滅亡するとき、この戦で討ち死にした方々の、水面に浮かび上がった血が〝油〟のようだったから、この名称になったそうです。

怖い話です。

湾から城に向かっているので、その惨状があった近辺を通過するはずですが、私の心霊センサーは反応しませんでした。

「三浦氏」については、「鎌倉殿の13人」で有名になりましたが、2世代後の「宝治合戦」にて、結局は「北条氏」に滅ぼされます。

とは言っても大きな一族です。

その後も命脈を保って、混戦の多い室町時代を生き残ります。

しかし戦国時代初期に伊豆から関東を狙って進出してきた「北条早雲」と対峙することになりました。

このときの当主は、「扇谷上杉」からやって来て内紛に応じて乗っ取りに成功した「三浦道寸」。
(諸説あります。)

3年間も、ここに立て篭もって戦いますが、とうとう滅亡します。

城跡は散策路を進むも、この山の手側がそうだと地形から判断出来ますが、ポイントになるようなモノは発見出来ませんでした。

それでも収穫がありました。

「北原白秋」の句碑です。

外海は荒いて月の油壺

ドロドロとした雰囲気に覆われていた感覚が、一気に雄大な心持ちになりました。

 

2023年11月18日土曜日

糸数城跡


沖縄県の本島南西部にある城(グスク)です。

あまり知られていませんが、琉球石灰岩の丘陵に位置し、高石垣の規模は沖縄屈指です。

日本本土とは石の材質が全く違うので、単純比較は出来ませんが、荒々しく積み上げられた野面積みの様相は圧巻でした。

写真の斜めに伸びる石垣を実際に登り、一番高い所まで向かいました。

周囲が見渡せて、紺碧の海が美しいです。

本当に高い所に築かれたんだと実感します。

国指定史跡に認定されていて、近くの同様に指定を受けている「玉城城」と連携を取って西の守りを固めていたようです。

この地域の海側には「斎場御嶽(セーファウタキ)」もあり、信仰的な要素を他の地域よりも何となく感じます。

南山王朝の流れがあるかと思いますが、ほとんどの城(グスク)を〝完城〟しても、成り立ちがほとんど分かってないことに気がつきました。

設置された看板を読んでも、どこのグスクも歴史的な経緯があまり説明されてないのです。

このブログを書きながら、グスクの攻防史をもっと勉強しようと反省しました。


 

2023年11月11日土曜日

寝台付き列車


記憶がおぼろげなのですが、北陸方面から「名古屋駅」に向かう途中でした。

福井県「敦賀駅」にて、「琵琶湖」東岸を走る「北陸本線」の各駅停車を待っていました。

やってきたのが写真の列車です。

真一文字の運転窓に、ゴツゴツした無骨なボディ。

薄汚れた白色にブルーのライン。

いかにも歴戦の強者といった風情でした。

乗車すると、上段の部分は飛行機の収納ケースを、大型にしたような構造になっていました。

また、座席ボックスの背後が分厚くなっていて、寝台列車に変身出来るようでした。

今は時代が許しませんが・・・。

「米原駅」で乗り換える間の小一時間ほどでしたが、寝台列車になっている姿を想像して、妙にワクワクしたのを覚えています。

しかし「乗り鉄」の悲しいところで、この車両の名称がわかりません。

どなたか知っていたら教えて欲しいです。

最近は、「模型鉄」になってジオラマを作成しているので、模型車両の購入も検討することになります。

有名な特急列車とかは知っていても、型式とか本当に無知なんだなと、劣等感を覚えつつ、知識を広げている状況です。

これはこれで楽しいのですが、なかなか覚えられません。

奥が深いし、きりがないと徒労感も少々感じています。

誰かにとやかく言われることでもないので、ほどほどにしてればいいのですが・・・。



 

2023年11月4日土曜日

那須塩原


 どの道だったか細かいことは覚えていません。

東京方面から東北道を3、4時間ほど北上し、どこかの料金所で降りて、那須塩原方面の道に無作為に上がって行きました。

当時の愛車は、写真にあるフィアット社の「クーペ・フィアット」です。

東日本のほとんどは、この車で走ったと言っても過言ではありません。

車名が、会社名を冠しているところに、100周年を記念して作られた意気込みを感じます。

もともと伝統的なデザインを、とことん前衛的にオマージュしてます。

それと、イタ車特有の濃い黄色の組み合わせは、とにかく強烈でした。

以前のブログで、福島県にある「塔のへつり」の黄色い紅葉を取り上げたことがあります。

那須塩原のすぐ北側に位置し、この辺りは黄色系の紅葉が多いと感じます。

これに魅せられてから、この方面へのドライブが増えました。

車のインテリアにも、ボディと同色のラインが奢られていて、常に黄色が視界に入ります。

写真のような道を走っていると、周囲の黄色に車の黄色も同化して、溶けていくような錯覚になりました。

まさしく恍惚です。

さすがに黄色の服は着ませんでしたが、最近子供と一緒に「お猿のジョージ」を観ていると、「黄色のおじさん」を一回くらいやってみても良かったかなと、少し後悔してます。

帰り際には、周辺の温泉に浸って帰りました。

どこも全国で指折りの温泉地帯です。

1日ドライブコースとして最高のパターンだったと思います。

2023年10月28日土曜日

新幹線500系


いつ見かけても、歴代新幹線の中で異彩を放っている「500系」です。

悪そうな目つきのライト、紫がかったような青と黒を貴重とするラインアクセント、白い部分もグレーです。

車に例えるとヤンキー仕様としか思えません。

「乗り鉄」のくせに、「車両の型式」を覚えるのが苦手な私でも、名称の区切りも良く、一発で覚えました。

最近の新幹線は、先頭車両こそ多彩なデザインですが、真正面から見ると、全てスクエアな形状をしています。

車両は四角いだけで、ボテっとしていて抑揚がありません。

しかし「500系」は、写真の通り円形になっており、ボディラインがくびれてシャープな印象が与えられてます。

乗り込むときにも、この形状がわかり、ワクワクします。

運行開始は1997年です。

もっと最近のような気がしましたが、バブル時代から開発が始まったと思えば、ここまでデザインを攻めることが出来たのも、時代のなせる部分も多かったと思います。

しかも当時のコンセプトは「スピード重視」で、移動時間の短縮が大きな開発目的でした。

時速320キロで走行出来るように設計されています。

このあとは「静粛性」とか「快適性」に重きをおかれますから、この車両が「エヴァンゲリオン」のコラボに選ばれるのも納得です。

まあ選択肢はこれしかないか。

いつまでも現役で頑張って欲しいですが、いつかはやって来る引退セレモニーは、人気の高さもあって、すごいことになるような気がします。


 

2023年10月21日土曜日

四万温泉


 群馬県北西部にある「四万温泉」。

平安時代の桓武天皇頃に開湯したと言われ、
国保養温泉地の第一号の一つに選定されました。

赤い橋は「慶雲橋」、奥に「積善館本館」があります。

確か文化財の指定を受けているはずです。

本当はここに宿泊したかったのですが、仕事に関連しての訪問だったために、この手前の旅館での宿泊でした。

泉質は「ナトリウム・カルシウムー塩化物・硫酸塩温泉」。

よくわかりませんが、効能は間違いなく高そうです。

実際に入浴したところ、肌にまとわりつくような泉質で、皮膚が喜んでいる感じがしました。

強酸性の「草津温泉」で湯治した後、肌を整えるのに適したらしく、「草津の上がり湯」と呼ばれただけのことはあります。

料理も美味しくて良かったのですが、温泉好きとしては、写真の右脇の木造建築にある「元禄の湯」に入りたくてたまりませんでした。

昭和初期に作られて、大浴槽でなく四角の湯船がいくつも埋められたようにある、大正ロマンが漂う浴場です。

雑誌やテレビにもよく取り上げられています。

朝方の出発前に、周辺をウロウロしてみました。

覗きと思われると困るので、張り付くようには近寄れませんでしたが、遠目に湯船の一部とタイルが拝めました。

しかし余計に想いが募ります。

必ずリベンジ入浴したいものです。


2023年10月14日土曜日

瑞龍寺


 富山県高岡市にある「瑞龍寺」です。

以前「JR城端線」を完乗した際に、高岡駅から大きくカーブする線路脇にあったので、何となくお寺がある印象が残っていました。

あるとき雑誌に、富山県の国宝第一号と認定されたと、記念掲載されていました。

先ず、富山県に今まで国宝が一つもなかったことに驚いたのですが、写真からでも伝わってきた豪壮な雰囲気に是非とも行きたくなりました。

それから一年後くらいだったか、市内の「高岡大仏」にがっかりしながら向かったかと記憶してます。

前田藩2代目の「前田利長」の菩提寺として建立され、写真の印象よりも更に大きく感じました。

江戸時代初期らしく、戦をしていた武士の威風堂々とした迫力が、どの建物にも残っているようです。

一番印象に残ったのは、それぞれの建物をつなぐ回廊です。

天井も高くて幅もあり、通路としては規格外でした。

何故か映画「少林寺」を思い出しました。

ここで、修行僧が掛け声に合わせてやっていた型の稽古が出来そうです。

誰もいないので、一人でやってみようと一声出してみましたが、いきなりの発生で裏返ったうえに、音響がすごぶる良く、構内に響き渡りました。

ただの変態の喘ぎ声です。

慣れないことをするものではありません。




2023年10月7日土曜日

特急「水上(みなかみ)」


改めて調べてみると、「東京:上野駅」と「群馬県:水上駅」を結ぶ特急列車になっています。

しかし写真は「新宿駅」で撮影したはずです。

臨時列車か何かだったのでしょうか?

少しモヤモヤした感じで話を進めさせて頂きます。

この列車は「バブル崩壊」以降の日本の景気後退局面を象徴しているように思われます。

「水上駅」は、地理的には群馬県の北限にあり、ここから先のトンネルを抜けると、新潟県になります。

「川端康成」の有名な小説である「雪国」の、冒頭「トンネルを抜けると雪国だった。」の、そのトンネル手前の地域です。

そこには「水上温泉郷」という、一大遊興地としても有名な温泉があったのですが、需要がどんどんなくなって、10年近く前に伺ったときは、ゴーストタウンになっていました。

そこへの観光客輸送が大きな目的だったので、乗車客減少に伴なって、定期運行から季節運行となってしまいました。

その後、何とかリゾート列車としての名目は保っていますが、相当厳しい状況です。

同県の北東部にある「草津温泉」も、コロナの今は相当厳しいでしょうが、観光地としての存在は保っており、雲泥の差が発生しています。

人口減少が避けられない中、外から人を呼びこむ運営は更に厳しくなっていきます。

ゆくゆくは死ぬまで地元で暮らしたい者として、強烈な示唆を与えられていると感じました。

とはいえ、写真の横長い顔立ちの「185系」は、自分には「リゾート列車」のイメージが強く、いつまでも目にしていたい存在です。 

2023年9月30日土曜日

軍師「竹中半兵衛」とその後


写真は「竹中半兵衛(重治)」の像と、「竹中氏陣屋」の櫓門です。

「豊臣秀吉」の軍師として名高く、もともと麓(ふもと)の陣屋の山頂にあった「菩提山城(ぼだいやまじょう)」を居城としてました。

「岐阜県」の最西部に位置し、戦国大名「斉藤氏」の時代から、この一帯を所領としていました。

「秀吉」に「三顧の礼」で迎えられて家臣となり、有能ぶりを発揮されていましたが、残念ながら「播磨攻め」のときに陣中にて病没します。

享年36歳。

その後を一人息子の「重門」が6歳ながら、叔父の後見を受けて家名を保ちます。

「秀吉」が天下統一を進めていく中で、領地はこのまま据え置かれます。

そして「秀吉」の死後に、何と天下分け目の「関ヶ原合戦」が、自領の「関ヶ原」で展開されることになりました。

ところで、「秀吉」の軍師で有名な方は二人いて、「両兵衛」と呼ばれます。

彼と、そのもう一人は「黒田官兵衛」です。

実はその息子同士「黒田長政」と「重門」は幼なじみで、「播磨」からのつながりがあります。

その声かけもあってか、「長政」の傘下で東軍として合戦に加わり、勝ち組として本領安堵されました。

石高は6000石であるため、大名にはなれませんでした。

それでも江戸時代は「参勤交代」をする格式を与えられた旗本である「交代寄合」として、無事に幕末を迎えます。

戦国から幕末にかけ、しかも天下統一に向けて戦場となることが多かった地域にあって、領地が変わらなかったのは奇跡としか言いようがないです。

一族は現代まで続いているそうです。キープ力の凄さをつくづく感じました。

 

2023年9月23日土曜日

大湯(山田温泉)


群馬県との県境に近い長野県「高山村」にある「山田温泉」。

写真はその象徴的な存在である「大湯」の外観です。

入り口の大きな「唐破風」が特徴的で、桃山時代の建築様式を取り入れているそうです。

無色透明でしたが、硫黄の香り漂うエキスの詰まった素晴らしいお湯でした。

しかし気分が浮かばれません。

実は「志賀草津道路」をドライブし、群馬県から東京方面に戻る予定でしたが、最も標高の高い「渋峠」が通行止めになっていました。

結構な距離を走ってきたので、むちゃくちゃ残念です。

そのため、やむなく高速の「上越道」を使って帰京しようと引き返した際に、折角なので立ち寄ったのです。

ぼーっと湯に浸かってましたが、もう一人入浴していたおじさんと会話が始まり、今回の顛末を説明しました。

すると「万座温泉」に抜ける脇道があるとのこと。

このルートを通れば、100キロ以上短縮出来ます。

超ラッキーな展開です。

しかし全く明かりがなく、40分位は不安が続くと、丁寧な説明まで頂きました。

実際その通りでした。

明かりが見えたら万座の町と、補足がなければ、この夜道は怖くて進めなかったと思います。

無事帰途に着けました。

おじさんありがとう。


 

2023年9月16日土曜日

鉄砲伝来の地


鹿児島県「種子島」の南端に、この地はありました。

説明看板の記述を読むと、南蛮人が上陸する様子は、かなり細かく記録に残っているようです。

写真の階段を降りた海辺のココだと、矢印の如く具体的なのにビックリしました。

いったんここに上陸した後に、島の領主である「種子島氏」がいる北部に連れていかれます。

ここで「二丁の鉄砲」が伝わるのです。

日本がすごいと思うのは、こんな辺鄙な場所で入手したにも関わらず、たった2年で鉄砲製造を「国産化」してしまったことです。

世界史においては、16世紀前半から、ヨーロッパの世界侵略が始まります。

メキシコにあった「アステカ帝国」や、ペルーの「インカ帝国」は、ポルトガル・スペインに短期間で滅ばされ、キリスト教化されていきます。

その約10年後くらいの同時期です。

しかし日本では、天下統一に向かって激化する戦国時代において、使用される鉄砲は「国内産」で、戦法も独自に進化していきました。

そのためか、「宣教師」がやって来ても、付随している「武人」や「武器商人」が主導権を握るような展開はあまりありません。

活用方法も含めて「内製化」したことが、外国の力を借りる必要を減らし、国内の綻びから展開されていく侵略の目を詰んだと思います。

海原が美しい海岸線を散策した後、記念碑がある最南端の「門倉岬」に向かいました。

最後の写真は、そこにある神社本殿を背にして、海原に向かって鳥居を撮影した一枚です。

「外敵」に対して睨みを効かしているように、非常に頼もしく感じました。


 

2023年9月9日土曜日

赤木城


三重県の城巡りは、以前大阪に住んでいたときに相当押さえていたつもりでしたが、「続100名城」に選定されるまで、この城の存在自体を知りませんでした。

しかも築城者は、城造りの名人で有名な「藤堂高虎」です。

不覚でした。

慌てて、時間を都合して伺った次第です。

写真は本丸周辺に向けて、石垣が被写体として移るようにアングルを定めて撮影したものですが、小規模ながら総曲輪であるためポイントが多くて決めるのに苦労しました。

場所は三重県熊野市で、和歌山県と奈良県の県境に近く、かなり辺鄙な地です。

しかし山中でも海に出やすく、熊野大社も近いことから、海路の視点で見ると状況は随分違うのかもしれません。

当時の「高虎」は「豊臣秀吉」の弟「秀長」の家臣でした。

その「紀州攻め」に随行して、この地域の一揆鎮圧を任された際に、ここを拠点にしたそうです。

11年間の長期にわたって在居し、ここから「秀吉」の天下統一に関わる戦に、「秀長」の配下として出陣し、数々の戦功を立てて大名となります。

そして「秀長・秀保」の死後に、「秀吉」直属の配下となり、伊予三郡を与えられて「宇和島城」を築きます。

その後も数々の名城を築城していきますが、「高虎」の出世城はまさしくここが原点だったのです。

学ぶことの多い、大好きな武将であるにも関わらず、肝心の拠点が何処かを押さえてなかったのは、本当に恥ずかしいです。

夏でしたが、夕暮れ近くだったので、本丸跡に立つと、いい感じで風がそよいでいました。

汗が引くのを待ちつつ、いい勉強になったとつくづく思いました。


2023年9月2日土曜日

姫神山砲台跡


長崎県「対馬」にある砲台跡です。

国境の島であることから、国防と大陸への最前線基地として島の要塞化が進められました。

明治から昭和にかけて30カ所を越える砲台が建設され、ここは「日露戦争」が始まる直前に完成してます。

ここの存在を知らなかったのですが、レンタカー会社でもらったパンフレットに、お勧めポイントとして記載されていました。

旅程では最後半に行けるかどうか微妙でしたが、何とか間に合いました。

主要道路からの看板はあったものの、そこからはかなり険しい雑草が生い茂る道で、レンタカーに傷がつかないか心配でした。

かなり日が暮れていて、自分の心霊レーダーが機能しないか不安になります。

しかし無理にでも訪れてよかったです。

写真は一番高い箇所にあった砲台跡からの景色で、夕焼けの日差しにリアス式の海岸がくっきりと浮かび上がっています。

大きな貯蔵庫跡は、暗くなると特に怖いので、先に伺いました。

迂回してから登ったのでゼエゼエしてましたが、息をするのを忘れるくらい、ウットリ眺めてしまいました。

まさしく「神々の黄昏」です。

数分だと思いますが、夕日が沈んでいく陰影の変化が、より神々しさを増します。

軍事技術の進展で、砲台の射程距離が大幅に向上していったことから、明治・大正期の砲台は、すぐに機能不全となっていきます。

そのためここは戦場になることはありませんでしたが、来るべき「ロシア帝国」に備える崇高な使命みたいなものが伝わってきて、オペラが聞こえてきそうでした。


 

2023年8月26日土曜日

わたらせ渓谷鐡道


始発の「桐生駅」で出迎えてくれる小豆色の車体が、いつも上品に見えます。

別の車両でしょうが、天皇陛下も乗車したらしいです。

「渡良瀬川」沿いを走りますが、川に対して近いところを走ってくれるので、非常に渓谷が美しくみえる車窓が続きます。

「神戸駅」に途中下車して、車両をそのまま店舗にしたレストラン「清流」にて、きのこカレーを美味しく頂きました。

車両シートでカレーを食べたことは今までになく、不思議な感覚でした。

あいかわらずビールは旨いです。

写真は、乗れなかった「トロッコ列車」がやってきたので、せめてもの想いで撮影しました。

都内からの、家族での日帰り旅行には、最適の路線ではないかと思います。

もともとは、国鉄「足尾線」でした。

日本有数の銅山「足尾銅山」からの採掘輸送を主たる目的です。

「足尾本山駅」まで開通してましたが、銅山が閉山したため、現在の終点「間藤駅」から先は、廃線となっています。

地元の雰囲気として、「足尾銅山」の存在は控えめにされているようにに感じます。

教科書での「鉱毒事件」問題の印象が強いからでしょうか?

どうしても地元の「別子銅山」と比較してしまうのですが、煙害で周辺が禿げ山になってしまうなど、同様の問題は発生してます。

別の機会にも、渓谷沿いを車で通ったこともありますが、目につくものはあまりなく、近代遺産としてもう少し再評価してもいいように思えました。


 

2023年8月19日土曜日

金太郎


この赤い電気機関車の愛称は「ECO POWER金太郎」です。

側面に「金太郎」のイラストが描かれています。

彼の出身が、「足柄山」ということもあり、主に東日本を担当するそうです。

ちなみに西日本は、青いボディの「ECO POWER桃太郎」が同じ役割を担っており、対をなしています。

こちらは「桃太郎」の大きなロゴが入っていて、よく目にする印象があります。

写真は、「青春18切符」を活用して、東北本線のどこかの駅で、乗り換えを待っていたとき、時間つぶしにウロウロしていたときだったと思います。

最初目にしたとき、あまりに上品に見えたので、寝台列車を牽引する機関車だと思いました。

黒く縁取られた窓は、水平ラインがうまく強調されています。

「EH500-34」と記されたシルバーのバッチと、すぐ下にある白枠のライトも、全体のバランスを考慮してか横長になっていて、非常に端正な顔立ちとなっています。

しかしこちらについては、このとき以降一度も出会えていません。

運用される台数も減っているようですが、今度会ったときは、撮り損ねていた「金太郎」のイラストを、しっかり収めたいと思います。

2023年8月12日土曜日

福島城跡


青森県の日本海側に位置する「十三湖(じゅうさんこ)」。

海水が少し混じる「汽水湖」であり、シジミの産地として有名です。

古代から港として機能しており「十三湊(とさみなと)」と呼ばれていました。

交易港の遺跡として国の史跡となっています。

どうも国内の流通がメインだったらしいのですが、今後の調査において、海外との貿易による交易品とか発掘されないか、どうしても期待してしまいます。

「蝦夷地(北海道)」や、大陸側の「朝鮮半島北部」や「沿海州」からの交易には、もってこいの立地です。

特に8~9世紀にその領域を支配した「渤海国(ぼっかいこく)」との交易においては、外すことが出来ないように思えるのですが・・・。

朝廷と「朝貢」するための貿易船は、能登半島辺りをめがけて向かったようですが、それとは別に民間交易とかもありそうに思います。

「福島城」はこの湖の北岸に位置します。

写真は、推定で復元された「櫓門」ですが、ここから奥に展開される縄張りの巨大さには唖然とします。

外郭の一辺は1キロからなる三角形であり、縄文時代の防御性集落からの発展形とも言われます。

現地に立つと、「平城京・平安京」のような、都市自体を城郭で囲む「都城制」に近い印象を受けました。

東北地方では、古代城郭の「多賀城・秋田城」がそうです。

中世に、安藤(安東)氏から、安部(安藤)氏の居城となりますが、近世に衰退するまで、ここでどのような歴史が刻まれたのか?

個人的には最もロマンを感じる地域なので、引き続きフォローをしていくことになると思います。



 

2023年8月5日土曜日

ムーンライトえちご


自身の人生において、一番多く乗車した夜行列車は、この「ムーンライトえちご」です。

「快速」であるため、何と「青春18切符」が使用出来ます。

下りは「東京:新宿駅」を23時10分に出発し、「新潟:新潟駅」に早朝の5時前に到着します。

国内鉄道の全線制覇を目指す自分にとって、日本海側の路線を攻略するために欠かせない存在でした。

パターンとしては、休日前の金曜日に乗ります。

当時は「千葉:西船橋駅」の辺りに住んでおり、仕事の後、旅支度を整えてから向かうので、ゆっくり飲みながら乗車を待つようなことは出来ません。

乗車してから遅い夕食となります。

スタート直後の日付が変わる小一時間で、「18切符」の一枚分を使用するのはもったいないので、使いません。

別途実費(600円位)を埼玉県内を走行中に精算し、0時を回って翌日になってから、一枚目を発動させます。

その一枚(=一日)で、つまり約2200円で青森県の果てまで到達出来るのです。

今は臨時列車になってから、2014年以降は運行が設定されていません。

写真は「485系」の列車ですが、我が家では、同型の鉄道模型がたまに走っています。

 

2023年7月29日土曜日

大歩危駅


「青春18切符」を活用して、四国を各駅停車でウロウロしていました。

久しぶりの「土讃線」は、究極の「山線」の一つと感じました。

車窓からは「四国山脈」の高さを山々の勾配で実感しつつ、足下に目をやると、多くの清流を堪能出来ます。

決して見飽きることのない光景です。

写真の「大歩危駅」が、路線上の中継地として停車時間が長いため、途中下車可能な切符の特性を生かして、改札を出て散策します。

秘境感が漂う無人駅が続く中で、この駅前のいくつかの商店には、ご当地モノが売られています。

普段、そのジャンルにあまり関心はないのですが、長時間乗っている中、久々に買い込みが出来る嬉しさに、つい余計なモノまで買ってしまいました。

とは言っても、アルコールに伴うつまみの類ですが・・・。

また外国の方々、特にヨーロッパ系が多いのにビックリしました。

ツアーではなく、個人旅行の単位でのそれぞれがやって来ている印象です。

日本の中で、わざわざここを訪れる目的を伺ってみたいですが、私の語学力では不可能です。

「しまなみ街道」も同様の人手です。

「ヨーロッパ」に「四国」は意外なほど注目されているのかもしれません。 

2023年7月22日土曜日

柳井 白壁の町


写真は、「山口県柳井市」の名物「金魚ちょうちん」です。

最近、様々なメディアで目にする機会が増えている気がします。

「全国区」になりつつあるのでしょうか?

「柳井港」が、「松山」とのフェリー航路による玄関口であることから、帰省のためにしょっちゅう向かいます。

しかし時間がなくて、「白壁の町」と呼ばれる旧市街に、立ち寄る機会がなかなかありませんでした。

今回は家族が「山口県」に来ていたので、フェリー出港までの時間に立ち寄った次第です。

コロナのためか、誰もいません。

家々の軒先にぶら下げられた、数多くの金魚の赤が、白壁と強い日差しで生まれた影のコントラストの中に、とても映えていました。

下の子を肩車して通り沿いを歩いていると、少し先に止まっていたワンボックスカーから、年配の方々が5~6人降りてきました。

その一人から「写真を撮らせてもらえませんか?」との一言。

みんな高価な一眼レフを首からぶら下げています。

撮影会か何かでやってきているのに、誰も歩いていなくて困っていたようです。

了解すると、私たち家族の散策に平行するように撮影が開始されました。

普通に歩いてもらえば構わないとのことでしたが、肩車はそのままを依頼されました。

10分近くパシャパシャされて、再び車に乗り込んで立ち去られましたが、その写真はどこかに展示でもされていたのでしょうか?

ネット等で目にすることはありませんでした。


 

2023年7月15日土曜日

東京タワー


東京で会議があり、そのときの会場が「芝公園」近辺のホテルでした。

不案内なエリアだったので、余裕をもって出発したら、乗り継ぎも良く、思った以上に早く到着してしまいました。

季節は真夏です。

地下鉄から地上に出たときの「ヒートアイランド現象」は、ハンパありませんでした。

「サウナ」にスーツのまま入室したような錯覚。

しばらく首都の都心部を離れて過ごしていたので、久々に都会の洗礼を受けたような気がしました。

喫茶店にでも避難しようと思ったのですが、目の前に公園があります。

木陰があって涼しそうに見えたので、とりあえず行ってみることにしました。

あまり期待してなかったのですが、やっぱり土の地面は違います。

暑いことに変わりはありませんが、少しひんやりしていて、湿度が全く違いました。

写真は、そのときに偶然座ったベンチから撮影したものです。

ふっと上を向いたら、木々の隙間を縫うように、くっきりと「東京タワー」が切り抜かれていました。

ウロウロしているときに偶然出会う「感動」です。

ここでの休息が、汗が噴き出しそうになる直前の、クールダウンとなりました。

ここでの30分程度の読書は、「至福の刻」でした。

2023年7月8日土曜日

安曇野(あずみの)


長野県「松本市」の北部にある「安曇野」。

行政上は「市」になっていますが、「癒し」を最も感じる地名と言っても、過言ではありません。

最近は、インスタ映えとか、フォトジェニックとか、いろんな表現方法がありますが、今でも「絵葉書」は最高だと、古風にも思っています。

ここは、北アルプスを背景に、そこからの清流が田畑を流れ、道の至るところに「道祖神」と、四季の花々が咲いています。

どこを切り取っても美しい世界。

その全てが埋もれた冬景色も最高です。

それがよく「絵葉書」の題材になっています。

「そば」も旨いので、東京に住んでいるときは、特にこの地域に憧れました。

写真は、山側にある「小岩嶽城(こいわだけじょう)」からの展望です。

朝焼けの「安曇野」一帯が見渡せて、素晴らしい景色でした。

絵葉書でも観たことのない光景で、早起きして良かったと、しみじみと眺めました。

当時は展望台しかなかったので、出入り自由でしたが、模擬の櫓や居館が建てられたため、入場時間が設けられました。

そのため、もう拝むことは難しいようです。

このあと宿に戻ると、ここで栽培された野菜中心の朝食が用意されていて、とても美味しく頂きました。

最近ご無沙汰しているので、コロナが落ち着いたら、嫁さんの実家への帰省道中に、是非とも立ち寄りたいと思います。

 

2023年7月1日土曜日

八郎潟(はちろうがた)


秋田県にある「大潟村」。

国内で「琵琶湖」の次に大きな湖だった「八郎潟」の大半を干拓して出来た村です。

真ん中から干拓が進められたようで、残った湖が堀のようになって村を囲んでいています。

太平洋戦争の賠償問題も絡んだらしく、干拓が盛んだったオランダの技術供与を受けて進められました。

戦後直後は、食料不足だったことや、田舎の次男三男の働き口がなかったことから、その労働力を活用して、米を増産することを目的として計画されました。

しかしその計画も、日本の高度成長によって、食料事情が安定、労働力も都市部に吸収されたことから、時代錯誤なものになってしまいます。

しかし、米の供給モデルとしては失敗したようですが、農業モデルとしては、高付加価値化に成功したらしく、所得の多い地域となっているそうです。

写真は、そんな村内を車でウロウロして、出てきた入口を振り向くように撮影したものです。

周囲とは水門のような橋でつながっていて、この村が浮島になっていることがよくわかりました。

直線道路を走っても相当な規模であることが実感出来ます。

冬場が近かったこともあり、豊穣の地であるかどうかは実感出来ませんでしたが、どこまでも平面で静かな光景が続きました。

様々な環境問題もあったと思いますが、残った湖の一部は「八郎潟調整池」と呼ばれ、それでも全国18番目の大きさだそうです。

経験したことのない奇妙なドライブでした。


 

2023年6月24日土曜日

湯の花温泉 柳生の家


京都市の北西部にある「湯の花温泉」。

京都を訪れるときに、定宿にしていた旅館がありました。

「丹波地鶏のすき焼き」が夕食の定番で、やみつきになりました。

また、「萩原健一」や「十朱幸代」が主演した映画「夜汽車」に登場します。

昭和10年代を舞台に「蒸気機関車」が疾走するシーンが印象的な映画でしたが、何と、旅先での二人の入浴シーンに使用された小さな露天風呂があるのです。

複雑な形状をしており、なかなか暖まらないのか、冬場はいつも冷た目でした。

それでも、これも余興と割り切って毎回入浴してました。

加えて、先代が骨董品に凝っていたらしく、それらが放置されたように置かれていました。

館内を取り巻く、その雑多な雰囲気も好みでした。

そんな雰囲気なのに、居間にあった巻物だけは、ガラス張りのケースの中で展示されていて、少々不思議でした。

あるときに亭主に伺ったらビックリ。

柳生一族の方らしく、「柳生流の免許皆伝の書」らしいのです。

確かに「柳生十兵衛」が出てきそうな雰囲気です。

俳優の「千葉真一」さんの訃報が流れた日に、このブログを書いているのですが、あらためてはまり役だったと思います。

現在、この旅館はやってませんが、何故やめられたか知りませんので、現状を確認すべく忍び込んでみたい欲求にかられました。

 

2023年6月17日土曜日

普賢寺(ふげんじ)


「山口県光市」にある「普賢寺」です。

大企業の工場が集中している町なので、意外に思われるかもしれませんが、東側の海岸線は非常に風光明媚な地域です。

半島のように突き出た海側の奥まった場所にあり、写真の「仁王門」が迎えてくれます。

塀がないため、周囲との境があいまいです。

仕切りのない、ゆったりとした雰囲気で、お寺にしては、珍しい空間に思えました。

実は、画僧「雪舟」」が手がけた庭園を探してしたら、ここにあることを知りました。

失礼ながらついでに、このお寺の存在を知った次第です。

のんびりと境内を散策すると、妙に空の存在を意識してしまいました。

不思議な感覚でした。

庭は裏手にあるらしく、小さな矢印が目に付きました。

お勝手口のような入り口には、心づけ用の缶がくくりつけてあり、あるだけの小銭150円を入れました。

最後の写真がそうです。

彼の庭をいくつか鑑賞しているのでパターンは似てますが、言われなければわからないレベルでした。

おそらく逗留したお礼に作庭し、その一部が残っているだけかもしれません。

しかし湿気もいい塩梅なのか、手入れされるわけでもなく苔がいい感じで育ってました。

自然と長く伸びてきた木の根っこも、ところどころに顔を出していて、起伏のない庭に良いコントラストを与えています。

亡くなった祖父の庭の手入れに、悪戦苦闘している私にとって、持続可能な庭作りのヒントとなりました。


 

2023年6月10日土曜日

山名宗全邸宅跡



たまたま京都の西陣地区界隈をブラブラしていて、偶然発見しました。

家と家の隙間に作られた記念碑で、邸宅を想像出来るようなものは何一つ感じません。

しかし「応仁の乱」の西軍の総大将である「山名宗全(持豊)」がこの当たりを拠点にしていたのです。

改めて京都の街中で11年も戦争をしたのだと、正直あきれてしまいます。

「三管領」の一つである「畠山氏」の跡目相続が、他家の諸事情に飛び火して、もめにもめたグダグダな戦でした。

いろんな有力者が直接関係ない他家の問題に口だし・肩入れすることで、「大義名分」がはっきりしない戦が延々と続いたのです。

日本史上最大の相続争いだと思います。

しかも当事者が亡くなっていくことで、よくわからないまま収束していきました。

室町時代の上流武士層は、「将軍家」が京都に政庁を構えたことで、公家文化に取り込まれていったと思います。

その課程で公家特有の「無責任体質」も根付き、汚れ仕事をどんどん家臣に任せることで、当事者能力を失い、自然と実権を放棄していく。

これが「下克上」の風潮を生み、戦国時代に突入していったと考えます。

2023年6月3日土曜日

宇和島駅の待避線


「JR四国」の路線の中で、最も終着駅の風情が強い「宇和島駅」。

駅前通りにある、長く伸びたワシントンカシの木を、強めに感じる日差しとともに眺めると、南国にやってきた旅情を強く感じます。

とは言っても、高速道路が市内まで開通したことから、仕事では車で向かうことがほとんどです。

写真は、役所を訪れていたときに、たまたま目にした「操車場」の景観です。

「終点マーク」のあるフォームから折り返すように分岐して、「待避線」の先に、更に隠れるように存在してました。

「予讃線」や、その脇を走る車道からは見えない位置にあったので、偶然の発見に仕事のことを忘れそうになりました。

意外にも、多くの種類の車両が佇んでいるので、思わず見取れてしまった次第です。

この距離からでも、ローカル線独自の鄙びた雰囲気が漂ってきます。

また、折り返した一駅先の「北宇和島駅」から、更にローカル度が増す「予土線」に突入していきます。

高知方面へ向かい、「四万十川」が絡んでくる山線・川線です。

ここには、そこへ向かうワクワク感まで待機していると感じました。


 

2023年5月27日土曜日

安倍川餅


「きなこ餅」の代名詞とも言える「安倍川餅」。

静岡市内を流れる「安倍川」近隣の農民が、領主であった「徳川家康」に献上したところ、いたくお気に召されて、名付けられたらしいです。

今も川のたもとに、「元祖」を名乗るお店があり、「きなこ」好きの私としては外せませんでした。

しかし訪れてビックリ。

写真の通り、「きなこ」と「あんこ」のハーフ&ハーフでした。

別々の単品はありません。

どちらも大好物なので、美味しく頂きましたが、正直意外な感じがしました。

通常、このメニューのみですが、季節限定で「醤油わさび餅」がありました。

確かに「わさび」は、この地域の特産物です。

昼食との感覚が空いていなかったので、結構満腹だったのですが、頑張って注文しました。

口が甘くなっていたので、わさび醤油が非常にマッチングします。

ペロッと平らげてしまいました。

順番の関係もありますが、これが一番のヒットでした。

これ以降、二度訪れたのですが、いづれも定休日に当たってしまい、縁がなくなっています。

次回こそは、全員が「餅好き」の家族総出で満喫しようと、密かに計画してます。

 

2023年5月20日土曜日

能登


489系のボンネットのラインは、いつ観てもほれぼれします。

鉄道模型のコレクションに加えたい車両でもあります。

今は「北陸新幹線」が開通したので、事実上の運行廃止となってますが、以前は「東京:上野駅」と、「北陸:金沢駅」を結ぶ夜行列車でした。

しかも、世の中「新幹線」か「特急」が占める中、「急行」とは。

それ自体が、当時でも珍しい存在です。

下りは、確か23時台に「上野駅」を出発するため、一杯ひっかけてから乗車しました。

この路線が面白いのは、ほぼ同時刻・同区間を寝台列車「北陸」も走ることです。

こちらは赤いボディの電気機関車が牽引しますが、ホームにて並んでいる姿を、酔っぱらった状態で目にすると恍惚としてしまいます。

「昭和」を象徴する圧巻の光景だったのだと、今更ながら思い出されます。

白いカバーが装着された指定席に、進行方向を向いて座り、出発を待ちますが、すぐにウトウトしてしまいます。

途中に「群馬:高崎駅」に停車すると、「東京:新宿駅」からやってきた「ムーンライドえちご」とも出会えます。

懐かしさの三重マルともいえる路線でした。