2020年8月29日土曜日

蓮如上人旧跡


「浄土真宗」の中興の祖である「連如上人」の旧跡です。

一言で旧跡と行っても、布教範囲が広く伝説も多いお方なので数多くあり、城巡りのついでに偶然にも立ち寄ったここは、ネットではっきり検索すら出来ませんでした。

福井県と石川県の県境にある一大拠点だった「吉崎御坊跡」の近くで、その以前には北陸布教の拠点にもなったようです。

今は普通のお寺ですが、「教団」としてガチガチに身構えられた様子がなく、各地でのスタートはこんな感じだったのかなあと思いました。

戦国時代には廃れてしまっていた「浄土真宗」の地位を回復したのはこの方で、「延暦寺」を筆頭とする他宗派の迫害に耐えながら、闘争の中で活動を展開していきました。

そのため宗教勢力でありながら、「集団化→町化→武装化→教団化」していくのは必然的な流れかもしれません。

「城郭化」したお寺も多く見受けられ、この布教スキームは見事だと思います。

全く別の視点で、この方に対してすごいと思うのは、奥様の死別を4回に渡り経験しつつも、男子13人、女子14人の計27子を儲けられていることです。

何度も焼き討ちとかに会いつつも、各地を転々としながらの布教活動と併せて、本当にタフな方だったんだと感服します。

2020年8月22日土曜日

滑川渓谷


愛媛県には「滑床渓谷」と「滑川渓谷」があります。

前者は南予にあり、後者は桜三里の途中にあります。

恥ずかしながら幼少の頃から数え切れないくらい「国道11号線」を通っているのに、伺ったのはつい最近です。

嫁さんの友達から評判が高いのを教えてもらい、細い脇道を向かいました。

牧歌的な雰囲気が良いです。

行き止まりから、家族と歩いて行ってビックリしました。

岩盤ような幅広い床をサラサラと流れる川はなんなんでしょう。

こんなの初めてです。

更に奥に進んでいくと、深山幽谷な気配がどんどん漂います。

心細いモードになる展開だったので家族と一緒で助かりました。

行き着いた終点の「龍の背」には、ラスボス的な巨大生物がとぐろを巻いている趣すらあります。

例えというより、本当に実物がいるようです。

下の写真にある周囲の崖の上に茂る木々も際の際まで生息していて、断面図のように見えました。

龍の爪でバッサリやられたのでしょうか?

そよぐ風といい、全てにパワーを感じました。

しかも、戻りで川遊びをしているとクワガタを捕まえました。

ラッキーも起こりそうなスポットです。

近場は侮れません。

旅好きとして猛省です。


2020年8月15日土曜日

八上城


「今回は、石川さゆりか。前は野際陽子だったなあ。」

大河ドラマにて「明智光秀」の母親が、人質として殺されてしまうシーンが浮かびます。

和議の流れを「織田信長」が反故にしたためです。

「本能寺の変」の一因とも言われますが、どうも史実ではないそうです。

とは言え、その舞台設定は兵庫県篠山市にある、この「八木城」でした。

織田方(丹波・丹後攻略の司令官が光秀)の総攻撃で「波田野一族」はこの城を枕に滅亡します。

写真は本丸付近で、「波多野氏」を祀る石碑が見えます。

また下の写真は、その本丸からの「丹波篠山城」方面の眺望で、天気も良く素晴らしい眺めでした。

コロナの時期だったのですか、京都へ車を引取った帰りに、ここなら誰もいないだろうと立ち寄りました。

以前に大阪に住んでいたとき、寮のあった「豊中市」から「丹波篠山城」へ向かうのが、一つのドライブコースでした。

交通の要衝にあるので、毎回城の麓を通るのですが、国史跡なのに一度も登城する気になれず、今回が初登山の初登城でした。

道は「保存会」のご尽力で整備され、本丸界隈は石垣も一部使用されていました。

適度な伐採もされていて、郭(くるわ)の配置もわかりやすく、中世城郭の形態であることが非常に理解できました。

もともと山登りは好きなのですが、本格登山を目指す気合はありません。

しかし、今回のように「登城=登山」になることは必然で、一時間以上かかることもしばしばです。

今までに訪れていても、完全登頂が出来てない「山城」は結構あります。

新しい目標設定になりそうで、「城山トレッキング」をやるべき「候補地」選定は、早めに準備しておこうかな思いました。

今後の運動解消法として凝ってしまいそうです。


2020年8月8日土曜日

魯山人


以前取り上げた「山代温泉」に滞在した有名人の一人に「北大路廬山人」がいます。

彼が滞在した寓居跡があり、そこに伺って非常にいい勉強が出来ました。

漫画「美味しんぼ」に登場する主人公の強烈な父親のモデルだったので、結構お坊ちゃんだと思っていたら全然違いました。

生まれは京都の加茂神社「社家」の出身ですが、明治初期の混乱期で父母ともに不幸な別れ方をし、里親の不遇も重なって悲惨な幼少期を過ごします。

そんな中炊事をすることで、料理の味覚と基本を学んだそうです(本当かなあ?)。

画家・書家を目指しつつも、食えないため職を転々とし、朝鮮に行ったりもしています。

素封家の食客として転々とする中で人脈を築き、ここの生活でも食器や美食に対する見識を高めたそうです。

ビデオでも蟹に代表される北陸の幸が紹介されていて、その後の高級食材路線に繋がっていく流れが説明されていました。

陶芸の世界でも「器から出汁が出るようだ。」とはよく言ったものです。

写真は廬山人が作庭したここの庭です。

供された「加賀棒茶」を飲みながら眺めていると、意外だったのは華やかな側面よりも苦労人としての世界観が出ている気がしました。

石の周りにびっしり生えた木々を丸く刈り上げていて、何かに寄り添っていくように見える感じがしました。

家族に寄り添うことの大切さを教えてくれているようでした。


2020年8月1日土曜日

日奈久温泉


熊本県八代市にある温泉で「ひなぐ」と読みます。

写真の木造三階建旅館「金波楼」が紹介されているのを雑誌で読んで、その存在を知りました。

「九州新幹線」が出来た都合で、「鹿児島本線」から第三セクターになった「肥薩おれんじ鉄道」に乗り、「日奈久温泉駅」を下車、とぼとぼ歩いて温泉地に向かいました。

目的の「金波楼」は立派で、それ以外の古い町並みやなまこ壁も結構残っていて、特に明治以降に鹿児島街道沿いに栄えた面影は十二分に感じました。

今回は宿泊ではないので共同浴場を伺うと、その一つ「東湯」が近いと教えてもらい向かいました。

ここの源泉は共同管理されていて、ほとんどが弱アルカリ単純泉の掛け流しです。

共同とは言え、びっくりするくらい清潔に保たれているのが分かります。

湯船に浸かって水面がキレイだと感じたのは初めてでした。

非常にさっぱりした気持ちになり、次の目的地に向かうべく駅に戻る途中、閉めかけてた商店で缶ビールとつまみを買いました。

店のおっちゃんに何処から来たのかと聞かれたので「松山」と答えると、「俺は種田山頭火の生まれ変わりなんだ。」と笑顔で言われました。

ここも「松山」も山頭火ゆかりの地であるからです。

下の写真は、そのネタで雑談したあとに駅に戻るときの夕暮れの景色です。

なんかすごくほっこり出来た旅でした。