2016年12月31日土曜日

興福寺


夜の「国宝:興福寺五重塔」です。

国宝の仏塔の中でも筆頭格と思います。

寺は「猿楽池」の北側に位置し、「東大寺」や「春日大社」以上に「古都奈良」の中心地として地の利を抑えています。

夜でも散歩がてら立ち寄れ、眼前での撮影が可能です。

より身近に感じられて旅を満喫出来ます。

ただ、この寺の実情については何にも知らないので、信者・関係者の方にはご無礼の限りですが、これほど「政治と金」の臭いする寺もないと思っています。

ずばり「悪役」のイメージです。

「藤原氏」の庇護下にあったからか、政治団体化した宗教勢力の代表として「比叡山延暦寺」と双璧をなす気がします。

とは言え、ここの国宝は「阿修羅像」を筆頭として本当に素晴らしいです。

これが常時、観えるのも「国宝館」があり、その運営に必要な人件費が賄えるからです。

滋賀県とかの「古寺」で無住職の寺のため、国宝級の文化財が「秘仏」ではなく、ただの「保管」になってしまっていて、伺っても拝観出来ないケースがあります。

こういう状況に直面すると、「文化財・管理設備・人」のバランスを保つ「金」は大事と思います。

「拝観」は、盗難のリスクが高まる中、「観光」と同義とも言えます。

「風情」も考慮して運営を考えるとなると本当に難しいことです。

2016年12月24日土曜日

本阿弥光悦


安土桃山と江戸初期の文化人の中で、新しい要素を取り組むという意味において、最も「ロック魂」を感じるのが「本阿弥光悦」です。

「琳派」の祖として位置づけられ、書・蒔絵・茶碗等の幅広い分野でプロデュース力を発揮します。

刀を作る「刀工」ではなく、「刀研ぎ」と「その鑑定」を家業とされていたからか、制作に対しては他人の手も借りる「協業」を前提とした柔軟な発想を感じます。

書も「俵屋宗達」とコラボしたり、茶碗も「材料調達」と「焼き」は、千利休ゆかりの「楽家」に依頼して作成しています。

「仕上げ」にエネルギーを集中し、金属の持つ硬さと輝きの要素を取り組んでいる気がします。

「雪峰(せっぽう)」という重要文化財の茶碗がありますが、出来損ないのような割れ目を「金つぎ」で仕上げています。

土と金属の微妙な調和が見事です。

この写真は、彼の墓もある「光悦寺」の入口です。

誰が作ったのは知りませんが、石畳みの構成にエッジが効いていて、「わび・さび」とも違う彼の世界観がうまく表現されていると思います。

「徳川家康」に拝領した京都北側の「鷹峯(たかみね)」にあり、「光悦村」という「総合芸術村」も営み、人材育成にも力を入れています。

彼の作品群は、超一級の「美術品・工芸品」ですが「実用性」を全く損なっておらず、「工芸」を「美術」に近づけても、「生活」をおきざりにしてません。

刃渡りの上を歩くような絶妙なバランス感覚が、本当に素晴らしいと思います。

2016年12月17日土曜日

留萌本線


三連休に有休を一日追加してもらい、冬の北海道の鉄道に乗り続けたことがあります。

その当時は多くの夜行列車が走っていました。

フリー切符で道南の函館から道東の釧路へ、更に北上して網走に、そこから道央の旭川経由で道北の稚内を折り返して札幌に戻りました。

3日間車中泊で鉄道旅行を満喫しました。

その中で一番「はるばる来た」と感じたのが「留萌本線(るもいほんせん)」です。

旭川と札幌の途中にある「深川駅」で乗り越えて、終点の「増毛駅」に到着する間際の海岸線の景色がこの写真です。

「何処に行ってしまうのか」と、自分を偽れない寂しさがあります。

増毛駅にはフォームすらありません。

駅舎からは、雪の中を乗ってきた列車のおかげで、かろうじて線路が見えます。

ここには、高倉健さん主演映画「駅」に登場した「風待食堂(かぜまちしょくどう)」があります。

早朝のため開いていませんでしたが、名の通り必要な存在と痛感します。

周囲の景色に強く「最果ての地」を感じました。

とうとう廃線になり、残念です。

2016年12月10日土曜日

華麗なる一族


場所はタイトルとは全く関係ありません。

ただ宿泊した部屋で山崎豊子作「華麗なる一族」を放映していたので連想してしまいました。

ここは福島県「塩原温泉」の「明賀屋本館」です。

昭和の団体旅行が盛んな時代に、建物を「継ぎ足し」、「継ぎ足し」して無理矢理作られた旅館の典型でした。

部屋も住み込み部屋のようで、料理もイマイチ、ドラマで見る「昭和の下宿生活」を連想しながら泊まりました。

しかしここには有名な「川岸露店風呂」があります。

「継ぎ足し」の隙間を縫うように作られた木造の長い階段を下っていくと、最高の泉質と景色が待っています。

鉄分と塩分が濃厚に混じった緑色の泉質が、川沿いの複数の湯舟をヒダヒダにしており、そこに浸かりながら「鹿股川」のせせらぎと景色を堪能出来ます。

温泉臭も含め五感全てが満たされます。

何となくですが、西日本と比較すると得意領域だけで勝負する温泉施設が、東日本で目立つ気がします。

写真は、帰り間際に撮影した「太古館」と名付けられた、この旅館本来の「本館」です。

車をこの位置にまで無理にバックさせて撮影しました。

何と「帝国ホテル」と同じ人が設計したとのこと。

気を引くだけの風格が漂っていますが、今は入口としても使われておらず、いつからこのような放置状態になっているのか非常に残念でした。

この車の「ランチア」というブランドも長い歴史を有してます。

ただ、築き上げてきた「ラリーにおける栄光のレース実績」や「業界全体に与えたデザイン」等の貴重な歴史的財産を、うまく新車開発に活用することが出来ず、消滅の危機に瀕しています。

何故うまく活用出来ないのか?自分の好みであるだけに本当に悔しいです。

一緒に撮影していて重なってしまう侘しさがありました。

やっぱり「華麗なる一族」の展開と潜在的につながっているかもしれません。


2016年12月3日土曜日

外輪山


「阿蘇」はどの季節に行っても素晴らしい景色を堪能できますが、ドライブするのは何故か冬が多いです。

今回は「外輪山」を回っていて、何気なく車を停めました。

手前に壊れかけたゲートがあったからです。

本来の機能を果たしているのか怪しい存在ですが、怒られることもなさそうなので中に入ってみました。

写真は、そこをくぐって眺めた景色で、「阿蘇山」を囲む「外輪山」の内側に薄日が差し込んでいて、本当に見事でした。

最初は牧場かと思っていたので動物に警戒していたのですが、牛や馬も見当たりません。

奥に進むほど柵らしいものも見えなくなり、どこまでが牧場でどこまでが草原なのか、わからなくなってきました。

不安は募りますが、それとは裏腹に雄大な空間が自分を包んでくれる心地良さがありました。

大いなる安らぎを感じます。

この辺りは何もないように見えて、少しドライブすると結構お洒落な店もあります。

高原のドライブとしては最高です。

他にも濃厚な温泉を有した渋い旅館が多いうえ、食事も地元の個性的な料理が多く、観光地としても楽しいです。

話がとんでもなく飛びますが、これが「シルクロード」ならどうなのでしょうか。

レンタカーもなく、このような景色を移動するのも一苦労でしょう。

日本の国内旅行は、世界で一番便利かと思われます。

更なる未知の「旅」を満喫するうえで、妙なとっかかりを与えてくれた景色でした。

何か新しい「扉」が開きそうな気がします。

2016年11月26日土曜日

人造人間?


最初地名を見つけたとき「人造人間?」と思ってしまいました。

しかしその意味の「フォムンクルス」ではなく「ホルンフェルス」の見間違いで、地質学上の名称でした。

場所は島根と山口の県境に位置し、山口側の海岸線にあります。

「有福温泉」を訪れた際に足を延ばして行ってみました。

国道から人気のない海岸線に踏み込むように侵入していき、すぐに発見しました。

写真の通り、岩肌の灰色と黒色のコントラストが見事です。

が、地球上でも貴重な景観と思いつつも、イメージ通り過ぎて何のサプライズもありません。

大きさも「このぐらい?」と勝手に想像していたのと変わらず、ただの確認作業のようになってしまいました。

結構不便なところで「秘境」を探すワクワク感も高かったのですが、脇道に入ってあっさり到着したこともはしごを外された格好です。

ここまで来たなら、もっと苦労してたどり着きたかったです。

「有難み」の演出は大事だとあらためて実感しました。



2016年11月19日土曜日

印旛沼


千葉県にある印旛沼で撮影した一枚です。

もともと一つの沼だったと思われるのですが、干拓等により今は二つに分かれているようです。

ちょうど自転車の趣味を始めたばかり。

自転車道を走っていてこの風車の景色を偶然見つけました。

突然のヨーロッパみたいな田園風景に出くわし、思わず息を飲みました。

千葉県では珍しい感じがします。

いろいろ奇をてらった建物は多いのですが、商業ベースの発想で作られたハコモノが目立ち、本物志向が弱くてシラけます。

この近くにも成田空港があり、何となくザワザワしたスポットが頭に浮かびます。

しかしあらためて地図を見ると、「成田山新勝寺」や「佐倉歴史民俗博物館(佐倉城跡)」・「宗吾霊堂」などがあり、歴史を感じる場所もまあまああります。

先入観をおいて自転車ぐらいのスピードで動いていると、もっと素敵な場所を新発見・再発見出来る気がします。

「あれ?」と思ったら引き返すことも大事。

反省です。

2016年11月12日土曜日

恐山



飛行機雲がいい感じで写っています。

青森県下北半島の「恐山」です。

「大湊線」の「下北駅」からバスで山上を目指しますが、道中いたるところにおびただしい数のお地蔵さまが鎮座されており、故人を偲んでいるのか人の服まで着ておられます。

バスの中からでも何か漂う気配を感じます。

函館からここに来たのですが、途中でデジカメを編集していた際、何故か消えてしまいました。

「新選組:土方歳三」関連の写真が台無しです。

押し間違いでしょうがタイミングが怖いです。

訪問の目的が少々邪道なせいかもしれません。

目的は「恐山温泉」。

「あの世」でもどちらかと言えば地獄を想像させる「境内」の中に、極楽の泉質を持つ「温泉小屋」があるらしいのです。

行ってみると、硫黄の臭いと灰色の土をかぶったような鄙びた小屋がありました。

中は電球一個で薄暗く、若そうな人は誰もいません。

湯気も手伝って、この世じゃない方々も混じっているかもしれません。

強酸性の白濁したお湯です。

ものすごく神妙な気持ちで入らせてもらいました。

のぼせかけているのか、トランス状態になりかけているのか、やや夢ごこちな感じでした。

いろんな意味で最高でしたが、もう行かないと思います。


2016年11月5日土曜日

南蛮の落日


八幡浜・臼杵フェリーでお馴染みの「臼杵城」からの夕日です。

二重櫓二基と石垣が残っていて、町の中心地にある高台の城址公園ですが、昔は「阿蘇溶岩段丘の島」でした。

ほぼ垂直に切り立った崖になっていて、高さはなくとも海に囲まれていたら要害だったと思います。

戦国時代はキリシタン大名「大友宗麟」の隠居城であり、「南蛮貿易」のみならず、東九州の政治・経済・文化の中心地でした。

海外からの文化は九州経由の時代ですから、「南蛮ファッション」を生で見る「モード最先端」の地域でもあったのかと、勝手に「パリ・ミラノ」のイメージで妄想してます。

ただし、今も三重塔がある寺社・町屋・屋敷が点在していて和む景色は多いのですが、今までの訪問では「南蛮」の名残を感じることが出来ませんでした。

が、この夕日を見て「南蛮」を感じることが少し出来ました。

最終的には「豊臣秀吉」に救われるのですが、「大友氏」は九州統一を目指す「島津氏」に包囲され滅亡の危機にさらされます。

豊臣の援軍を待つ籠城の際に、「大友宗麟」も祈りながら同じ夕日を見たのでしょうか。

2016年10月29日土曜日

旧車の荷物入れ


旧車好きにとっていつまでも眺めていたい一枚です。

この「シトロエン2CV」の斜めに下がる後ろ姿に対し、リアゲートを跳ね上げたままの状態で、逆台形のトランクっぽいモノをはめ込むなんてお洒落です。

ベタベタ貼るのに悩むラベル・ステッカーの類も、旅行用トランクのごとく貼っていて旅上手な演出がなされています。

加えて秀逸なデザインに厳選されていたので、老舗の酒場の雰囲気すら醸し出されていました。

おまけにこの車、シート自体が外せてピクニックの際にはベンチに出来ます。

屋根も幌張りなのでオープンにもなります。風の巻き込みは家族で乗っても大丈夫でしょうか?

気づきがどんどん楽しい循環になってきました。

この収納スペースが増えると更に夢が膨らみそうです。

汚れやすい調理道具や工具類の分別整理に便利だと思います。

ついつい自分が乗っている旧車にも、こんな工夫の余地はないのかと考えてしまいます。

旧車に長く楽しく乗るうえで、大事な大事な妄想なのです。


2016年10月22日土曜日

ぶどう畑


山梨県甲府盆地の「勝沼」のぶどう畑です。

早朝に軽井沢を自転車にて出発し、「小海線」沿いに南下、「小海駅」から列車に乗り、「中央線」の「勝沼ぶどう郷駅」で下車しました。

丘の上にある駅で一面がぶどう畑です。

白いガードレールを除けば日本にいる感じがしません。

ある都内の老舗バーで飲んだときに、年配の渋いバーテンダーが「日本は麹菌が強くて、洋酒が作りづらい。」と言っていたのを思い出しました。

嘘か本当かわかりませんが、戦国時代の甲斐国は土地が痩せていた地域と言われていたし、スコッチ系の銘柄も「余市」、「宮城峡」など稲作が出来ないような地域の地名が多い気がします。

今回の目的は、この山奥にある本堂を豪壮な滝が囲んでいるという「大滝不動」です。

期待値マックスで、ぶどう畑の急斜面をヒーヒー言いながら、一時間以上もかかって自転車で登っていきました。

しかし無事到着したものの、季節柄滝は枯れていました。

ワインでヤケ酒をしたい気分になりました。

2016年10月15日土曜日

みのりの時期


実家のある「新居浜」で偶然撮影した一枚です。

散歩していて「別子銅山」のアイコンである「煙突山」を眺めていると、稲の色が違うことに気がつきました。

稲の種類はわかっていませんが、作付時期はまちまちで複数種のコメが作られているようです。

気候が安定しているからなのか、いろんな農作物が作られているように思います。

転勤族の身からすると愛媛県の「東予」ほど豊かな地域はないと実感します。

不謹慎ですが、「過去に住んだ場所」や「旅した場所」が大災害を被ってしまったとき、「東予」の災害が少ないことに無意識に感謝しつつ、稲刈りして豪快に「太鼓台祭り」へ突入するイメージが浮かびます。

また「温暖な気候」や「うまい水」があるのは「当たり前」ではなく「極めて貴重」なのだと、他に住んでいるとあらためて気づかせてくれます。

別子銅山関連遺跡も、客観的に近代産業遺産として全国的に保存されるべき「貴重」な存在です。

災害が少ないからこそ、ここまで山全体で構造が残っているのだと思います。

これほどの規模は他にはありません。

「保存」のための「観光」は、これから特に必要になると感じます。

2016年10月8日土曜日

みおつくし


写真は銚子電気鉄道の終点「外川駅」です。

電柱からすべてが鄙びていて、ジオラマみたいな空間です。

沢口靖子さんが主演した朝の連ドラ「澪つくし」の舞台となりました。

ストーリーは覚えていませんが沢口さんがすごく美人だったのはよく覚えています。

今回は車でやってきたのですが、人影もまばらで旅先にやってきた充実感があります。

千葉県内でこの感覚は貴重です。

生まれてから愛媛県の次に長く住んでいるのがこの千葉県なのですが、東京の隣県のため、田舎のわりには人があふれている気がします。

そのわりに道路が整備されておらず、ゴルフ場が多いため狭い道でさえ渋滞していることが多いです。

田舎道を走っているわりにはのんびり出来ません。

料理もチェーン店文化に侵食されているせいか、こだわりの個人店が少ないように感じます。

ただし今回訪問の「銚子」は、関東の醤油文化を築いてきた歴史が今も続いており、寂れつつも随所にこだわりを感じます。

醤油関係ないですが、美味しい「オムライス」を出してくれる洋食店もありお勧めです。

近くに水平線が見える展望台があり、雄大な太平洋を臨めます。

島もなく、日本の端っこを実感します。

雑踏のない「静かさ」は「旅情」においてすごく重要な要素であると、つくづく思いました。

2016年10月1日土曜日

ホテルの置物


北欧フィンランドの首都「ヘルシンキ」のホテルで撮った「置物」の一枚です。

北極海を拝みたくて、スカンジナビア半島を縦断・往復するため、車中泊を繰り返す強行日程だったのですが、最終日だけはまあまあ良い宿にしました。

清潔でスッキリした部屋にこの「置物」が風格を漂わせていました。

「チボリのラジオ」はもともと個人的に欲しい銘品です。

何気なく置いていることに先ず感動、聴くとラジオ単独の音響機器としての音質の高さにあらためて感動です。

安易な多機能化への反省があります。

また添え物の「ホテル名入りメモブロック」も、左上にペンを立てられるように穴が開いていて、カタマリ感と高さでラジオとのバランスをうまく取っています。

他は何も部屋に置いてません。本当にサッパリしてます。

フィンランドの方は棚があっても物を並べないなあ。と旅行中思いました。

自身の反省として趣味の中で「並べる。」ではなく「しまう。」で行動を洗練させたいです。

でも中途半端な趣味が多いと、本当にこれが難しいんです。

2016年9月24日土曜日

スタートレック


言わずと知れた「六本木ヒルズ」です。

霧のかかった建物を下から見上げたとき、スタートレックの「エンタープライズ号」を連想しました。

いろんな色の明かりが、艦橋の円盤部分の窓と似ていて、すごく近未来感が演出されていました。

すぐそばに蜘蛛の大きなモニュメントもあり、未開の地に向かう「カーク船長」一行のドラマ設定も彷彿させ、勝手にワクワクしてました。

大江戸線が出来てから多少変わりましたが、日比谷線の六本木駅から周囲のエリアは「陸の孤島」化しているところが多く、新宿のように超高層ビルは少ないせいか、ビル自身の輝きがより強く感じます。

山で例えれば連峰ではなく独立峰のように、単独ならではの美しさと存在感があります。

仕事で行くことが多かった南西側の「広尾」方面は、特に大好きなエリアです。

外国の大使館が多く、上品な外国人が日中闊歩してます。

敷居の高さが車の車種にも出ていて、「ランボルギーニ」とか「フェラーリ」とかの、普段雑誌でしか見たことのない車が普通に路上駐車されています。

よく普段着の芸能人も見かけます。

昼間の飲食店に入るのも、値段的に勇気がいる恐ろしいエリアなのですが、その対価として好奇心が満たされる場所でもありました。

「ハラハラ」と「ワクワク」はいつも紙一重です。




2016年9月17日土曜日

越美北線


福井県にある「越前花堂駅(えちぜんはなんどうえき)」です。

九頭竜湖に向かうため、「九頭竜線」とも呼ばれる「越美北線」の玄関口にあたります。

福井県の奥地へ向かい、岐阜県の奥地へ抜ける旅行でした。

ところで「松花堂弁当」みたいな変な駅名ですが、輪をかけてフォームの形が変わっています。

この写真は自分と同じ過ちをおかしそうだった人を撮影したものです。

この方は「間一髪」間に合いましたが、私は前の便で乗り損ね、2時間以上「九頭竜湖駅」への到着が遅れてしまいました。

なんとこの駅はこの方が走っている通路を底辺として駅のフォームが「二等辺三角形」を描いています。写真で何となくわかるでしょうか?

「北陸本線」と「越美北線」のフォームが二等辺になって分かれており、線路側に向いて列車を待っていると、背後の反対フォームにやってきた列車に気がつきません。

今まで乗り損ねの失敗は少ないと自負していたのですが、やらかしてしまいました。

仕方なく時間が余ってしまうので、「福井駅」の近くにある「柴田勝家」の居城であった「北ノ庄城」へ行きました。

跡形がないくらい前衛的なデザインの公園に変わっていてビックリしました。

前回「柴田神社」だった頃に訪れた際、いちゃついているカップルに出くわしてドキドキしたのが懐かしくなりました。

夜訪れた私が悪いのでしょうが、前のほうがしっぽりした風情で良かったと思います。


2016年9月10日土曜日

フィンランドのバス


北欧フィンランドをレンタカーで縦断しているとき、ハンドルを握りながらも夢中で撮影した一枚です。

前方の年代物のバスを中心に据えて展開されていく景色は、私にとって理想の情景でした。

淡い水色と肌色の車体が、夏とはいえ北欧ならではのやさしい日差しに照らされています。

ほのかにきらめきながら「雲」・「森」・「草原」の間を駆け抜けていきます。

ときおり「鹿などの動物」や「古民家」・「モダンな家」も登場し、心地よいアクセントになります。

おとぎ話の絵本が作れそうなくらいのインスピレーションが得られました。

自分がそのバスに乗っていることや見かけた家に住んでいることも空想し、これからやりたいこと
への着想も漠然としてますが次々に浮かんできます。

運転していたので整理は出来ないままですが、そのとき「洋風の古民家カフェ」と何故か「シルクロード横断」が浮かびました。

多くは埋もれた記憶となってますが、今後の「ひらめきの導火線」となりうる貴重な財産です。


2016年9月3日土曜日

古い教会



北欧フィンランドの内陸部「ペタヤヴェシ」という町にある「古い教会」です。

世界遺産なのですが、そのまま「ペタヤヴェシの古い教会」で登録されていて、教会の正式名称がわかりません。

「とりあえず行っておこう。」ぐらいの気持ちで訪れてビックリです。

無知なだけかもしれませんが、このデザインを見て、日本人の感性とは全く違う世界観で築かれた建物であると思いました。

これほど異質に感じたのは始めてでした。

日本文化は長い歴史において、様々な海外文化を何気なく取り込みつつ、自然に馴染ませていると思っています。

しかし自分の直感として、今まで接点のなかったデザイン様式がここに存在しているのだと素直に驚愕しつつ、偶然出会えたことに感動しています。

こういうとき、「旅」を趣味としていて本当に良かったと思います。

しかし近づいて建物の細かい意匠に注目すると「マリメッコ」や「イッタラ」などの、日本でも人気の北欧ブランドの原点のようです。

北欧といっても、厳密には「ムーミン」も含め上記のブランドは、みんなフィンランド発祥なのだと思い出しました。

そのうちご近所にこんな様式の結婚式場が建つことは十分ありえます。

恐るべし日本と思いますし、このような風土に住めて、あらためて幸せを感じます。


2016年8月27日土曜日

マーケットの風景



北欧フィンランドの首都「ヘルシンキ」は日本から欧州に向かう際、空路としては一番手前に位置し、フランスやイタリアよりも短時間で到着します。

意外に近いです。

小林聡美主演の映画「かもめ食堂」の舞台になった町であり、写真の「港にあるマーケット広場」もロケ地でした。

首都とは思えないくらい小さい町で、東京駅に該当する「中央駅」から町並みを見ても大きなビルもなく、そもそも都会特有の雑踏がありません。

余計なものがないとうか、非常にサッパリしています。

「中央駅」から「港にあるマーケット広場」へも1キロあるかないかの距離で、散策がてらすぐに到着しました。

只、一目見て「日本でのフリマの原点はここなのかな。」と思いました。

別にお洒落でもないのですが、「お金では買えないセンス」を感じます。

はかることなく、たくらむことなく、素直に、健康に生活を営む姿勢がそこにはありました。

母と店のことで話をしていると、デルタカフェにお越し頂けるお客様はそんな方が多いのかなと感じます。

高いハードルですが、そういった方にご満足頂けるような店づくりを心掛けたいです。

現場に立ってもないのにすみません。





2016年8月20日土曜日

カレーかつ丼


岐阜県の長良川鉄道「美濃白鳥駅」の近くにある食堂です。

素朴な街中の風情がよく出ており思わず撮りました。

今回のルートは変わっていて、前日は福井県側の越美北線「九頭竜湖駅」で下車し宿泊、翌早朝に自転車にて「油坂峠」を越えて岐阜県に入りました。

思った以上に峠が険しく、ゼエゼエ言いながら頑張りましたが、予定した時刻の列車に間に合いませんでした。

仕方なく白鳥町内をぶらぶらしているうちに、偶然見つけたこの食堂に入ったら、ご当地名物「カレーかつ丼」なるものを発見しました。

B級グルメはまあまあチェックしている方ですが全く知りません。

煮込みカツをカレールーに浸してから丼にのっけており醤油風味で美味です。

「これはブレイクするぞ。」と確信しましたが、その後メディアで見ることもなく、数年後に訪れたらメニューから消えていました。

でも前もいた元気な給仕のおばちゃんに頼んでみたら「裏メニュー」として残っていました。

こっちのほうが嬉しいかも。

2016年8月13日土曜日

熊野古道


世界遺産に認定される前後ですごく変わったのが「熊野古道」です。

道が整備されてドライブしやすくなっているのに驚きました。

大挙する観光客に対応するために仕方ないとは言え、便利になりすぎるのも有難みが薄れる気がします。

それでも平安時代に、日頃はあまり遠出しない「京都の貴族」がよく行ったものだと感心します。

院政時代の上皇様達は、ビックリするくらい通っています。

ところで写真の「牛馬童子」です。

道中の箸折峠の近くにちょこんと変わらず鎮座されていました。

すましておられますが、並列している牛と馬に跨っています。

結構な力技ですが、構成の斬新さに驚愕しました。

人間より本来大きい牛と馬をわざと小さく可愛くして、その上に仏顔でドンと乗っかっている感じが、清濁併せ呑んでいるようで最高にクールな雰囲気が漂っています。

先人に倣って車で横着せず、一度は徒歩にて海側の田辺市から熊野本宮まで巡り、湯峰・川湯温泉に浸かれば最高だとは思うのですが、城山に登るほどの意欲が湧きません。

「旅情」を求める自分自身が更に「面倒くさい奴」になりつつあると感じます。



2016年8月6日土曜日

ターンテーブル

栃木県「真岡鐡道」の転車台です。

「もおか」と読みます。

茨城県「下館駅」から栃木県「茂木駅」を結ぶ第三セクターの鉄道です。

中心駅の「真岡駅」は鉄道本社も兼ねた近代的な駅ビルで、建物自体がSL機関車の形をしていて気合が入っています。

一般的に第三セクターの路線は資金不足で、朽ちかけた雰囲気を漂わす建物・建造物が多いのですが、この鉄道会社はお金を持っている感じがします。

この写真の転車台は、小型の蒸気機関車2台を走らせ始めてからの「新築」です。

なんと絶滅危惧設備の復活。

設備投資をしっかりしてうまく観光に活用出来ているのか、観光客が多く賑わっている様子です。

沿線沿いには「益子焼」や、有名サーキット場「ツインリンク茂木」があり、地域全体でうまく活性化していく循環が成立しています。

しかし一部の鉄道ファンからは、「転車台を本来の人力(じんりき!)で回していない。」とか「転車台のおかげで機関車の逆機(バック運転)が見れなくなった。」とかのディープなご意見(苦情?)もあります。

こういう話を聞いていると、自分がどのへんのレベルなのか心配になります。

2016年7月30日土曜日

ヘブライ村


青森県と岩手県の県境地域には八戸市・二戸市に代表されますが、「戸」のつく地名が多いです。

その地域の青森県の新郷村に「戸次」という地名があり、「ヘブライ」と読みます。

写真は、なんと「キリストの墓」です。

キリスト渡来伝説がある地域で6月10日にキリスト祭があるそうです。

また近くに「上大石神ピラミッド」と呼ばれ、山頂に人工物に見える巨石のある山が存在します。

実際に行ってみましたが、木々が繁っていてよくわかりませんでした。

何とも怪しい感じが、雑誌「ムー」的で大好きです。

人形系でも津軽・盛岡・石巻と広範囲な範囲で出土された「遮光器土偶」があります。

「古代宇宙飛行士説」という「ムー」な説が楽しく、真偽はともかく世界中でもこれほどSFデザインの偶像は見たことがありません。

子供の頃よく遊んだ人形「ミクロマン」でも、古代文明をテーマにしたシリーズがあり、イースター島の「モアイ」・古代エジプトの「ファラオ」に続いて、第3弾目が何故かこの「土偶」をモチーフにしてました。

キワモノ感が特に際立っており、一番好きな人形でした。

2016年7月23日土曜日

横山家


今は廃線となってしまった北海道の江差線に乗って終点「江差駅」で下車。

ニシン漁全盛時代の面影が残る町並みを散策しつつ、写真の「横山家」に到着しました。

長年の寒風で灰色になった木の壁が渋いです。

廻船問屋を営んだ、現代も八代目当主が住んでいる由緒ある建物です。

手前の道路より先は昔海面であり、大きな屋号は船への大きな目印だったでしょう。

家の中には往時を偲ばせる生活用品も多く展示、特に大好きな「船箪笥(ふなだんす)」がたくさん並んでいてビックリしました。

しかし今回の目的は、ここで「ニシンそば」を食べることです。

暖かいそばの中で一番好みです。

京都が有名ですが、ここから北前船でニシンが運ばれたからで、実は江差が発祥の地です。

「ウナギの寝床方式」の部屋に通され、昔のままの佇まいで念願のそばを頂きました。

何も奇をてらうことがなく、素朴な味わいが何とも言えませんでした。

自分でそばを打つくらい好きなので、「原点」を味わえて本当に来てよかったと思います。

また、港には明治維新に登場する幕府軍の旗艦「開陽丸」も復元されて鎮座しています。

船が交通手段の中心だった時代、ここがその要衝だったと町の雰囲気が存分に伝えてました。

2016年7月16日土曜日

余部鉄橋


建て替え前の余部鉄橋(あまるべてっきょう)です。

何度も鉄橋を鉄路で渡りましたが、今回は下から拝みたくて車で訪れました。

先ず全景を入れたくて遠方で撮影しましたが、そこからでも高さ・長さを十分実感出来ます。

そのあと鉄橋の真下へ行き撮影した一枚です。

斜めの角度で撮影したためわかりずらいですが、鉄骨の骨組みと上への奥行きが見事でした。

補修の積み重ねで幾何学模様になりきれない感じが素朴で、逆に落ち着きます。

昔ですが強風でこの高さから汽車が落ちた事件があり、現場で見上げるとビックリです。

もう少しでこの風景は消えてしまいます。

この路線の主人公ともいえる寝台列車「出雲」も既に廃止されており、ブルートレイン時代はとうとう終焉しました。

「ブルトレ出雲・山陰本線・出雲神話」の3要素は鉄道ミステリー小説の中核と言える存在でした。
数々の作家が取り上げ、昭和の面影を強く演出してきました。

推理小説好きにとって、利便性と引き換えに旅情アイテムが失われてしまうのが残念です。

2016年7月9日土曜日

黒部峡谷


「黒部に行った。」と言われると「黒部ダム?それとも黒部峡谷?」と伺う必要があります。

一般的にはどうも「黒部ダム」のイメージが強いのですが、鉄道好きの私としては、「富山地方鉄道」で「電鉄富山駅」から「宇奈月温泉駅」まで行き、そこから「黒部峡谷鉄道」に乗り換えて「欅平駅」までの「黒部峡谷」こそが、黒部を象徴すると思っています。

山奥に向かう鉄道としては、静岡の「大井川鐡道」と双璧だと思います。

写真は車窓から撮ったものですが、見上げる角度がその峡谷ぶりを表しています。ぎりぎり山頂がフレームに収まりました。

ほとんど仰向けの状態で撮影。

スカート履いている女性が居なくて本当に良かったです。

四国山脈の谷間をもってしても、ここが険しさ日本一だと感じました。

このあとJR富山駅で買った駅弁「鱒寿司」とビールでトロッコ列車からの車窓を楽しみ、ほろ酔い気分で名湯「名剣温泉」を堪能するのですが最高でした。

しかし偉そうに語ってしまいましたが、まだ「黒部ダム」には行ってません。

実際のダムからの景色を見たら、あっさり前言撤回するような気もします。

2016年7月2日土曜日

にしん御殿


北海道小樽の郊外から赤い屋根のにしん御殿を撮った写真です。

にしんそばが大好きな私としては是非訪れたい場所でした。

手前の笹の丘から海へ突き出る陸地の傾斜が、遠方の海に浮かぶ敦賀・小樽を結ぶフェリーの航路と交錯し、水平線がほんの少し弧を描くため、地球の丸さが実感できます。

天気とタイミングの良さに感謝です。

先に見たにしん御殿は、風雪に耐えた何とも言えない重厚感があり、菅原文太主演の大河ドラマ「獅子の時代」北海道編に出てくる女豪商の屋敷を彷彿させます。

にしん漁の最盛期には、陸に押し寄せるにしんが光り、海が銀色に見えたそうですが、ある年から突然来なくなったそうです。

人間社会としては恐ろしいことで、多くの人が働いていた産業基盤が一瞬で消滅したことになります。

再びやって来る可能性も十分期待されたでしょうから、あきらめるに至る過程は壮絶だったと思います。

当時のものは御殿以外何もなく、さっぱりした景色でした。

2016年6月25日土曜日

トワイライト&カシオペア


鉄道旅行はいつも貧乏な話ばかりですが、今回は違います。

この写真は、念願かない「大阪」と「札幌」を結ぶ豪華寝台列車「トワイライトエクスプレス」に乗車して、早朝に「函館駅」の手前で、「東京」方面に向かう同じく豪華寝台列車「カシオペア」とのすれ違いを撮影したものです。

とうとう両方とも定期運行が終わってしまい、「カシオペア」はタイムアップ、乗車出来ませんでした。

豪華周遊旅行の企画では、まだ運行されるそうですが、イマイチ興味が持てません。

「ブルトレ時代」も終焉を迎え、「夜行列車」を中心に旅を組み立ててきた「鉄道の旅」も大きな転換点を迎えました。

個人的には、イギリスのEU離脱に匹敵するレベルです。

このときは大阪在住で、夏休みに嫁さんの実家がある埼玉に帰省する予定でした。

しかし「トワイライト」往復チケットが奇跡的に手に入ったので、わざわざ北海道一泊で大阪に戻ってから、再び車にて埼玉に向かいました。

疲れましたが、くだらなくて楽しい旅でした。

が、この写真を見るたびに、「翌日はカシオペアに乗っていれば。」と、予約困難で乗車はほぼ無理なのに、勝手に夢想してしまいます。

しかし往復も絶対外せませんでした。

これからも思い出しては、イチイチ悩む光景だと思います。


2016年6月18日土曜日

船上山


鳥取県伯耆大山を中心とする山々の一部に「船上山」があります。

鎌倉時代末期に「隠岐島」へ流された「後醍醐天皇」が、打倒鎌倉幕府の名の下に島を脱出し行宮を構えたところです。

下から見ると山の上に船があるように絶壁が見えます。名前の通りの光景で驚きました。

ここに自陣の幟(のぼり)が立つと押し寄せた相手への威圧感は抜群です。

このあと始まる南北朝時代も含め、この時代の山城は皇室の威光を受けて、非常に華やかに感じます。

京都・奈良県境の「笠置山」や「吉野山」、福島県の「霊山」などは、辺鄙な山奥でもここが中心地であることを主張しています。

石垣とかほとんどありませんが、政治を前提に行宮が置かれているせいか、縄張り以上の奥ゆかしい配置を感じます。

この山から海辺へ降りたところに、忠臣「名和長年」を祭る「名和神社」があります。

更に海の「隠岐島」に続く地理的な展開がダイナミックです。

ここから鎌倉幕府は滅亡に向かいます。

2016年6月11日土曜日

パンダのある風景


主役として撮影してませんが、日頃の仕事や単独行動の足となっているのがこの初代「フィアットパンダ」です。

イタリア人の「ジウジアーロ」という人がデザインした車で、デルタカフェに鎮座している「ランチアデルタ」も、デザイン上はこの派生モデルに過ぎないと思われます。

イタ車の良い・悪いは、マシンとしての性能よりもデザイン評価によるところが大きいです。

この写真はたまたま鄙びた城跡の景色ですが、どんな場所でも洗車さえしていれば、まあまあ絵になり車の普遍的な機能美を感じます。

セレブな人にも「あきれている人」と「敬意を示してくれる人」に極端に別れますが、概ね良好です。

大好きでずっと乗っていたいのですが、もう「ある部品」がありません。

そこが壊れたらこの車は終わりと余命宣告されています。

先日そこの調子がとうとう悪くなって終わりかと覚悟したら、なんとか回復しました。

それ以来、エンジンをかける度に祈りながらキーを回します。

「わび・さび」は大げさかもしれませんが、「一会一期」を実践しています。

あ、「さび(錆)」は車にいっぱいありました。


2016年6月4日土曜日

復興の象徴


早朝の「広島城」です。朝日に輝いています。

コンクリの再建天守で、文化価値が乏しいせいか意外と知られていません。

しかし原爆で失ったかつての面影は明確に再現してします。

広島は宮島も含めて、古くから西国の要として現在に至っている気がします。

戦国時代を勝ち残って、山間部から平野に進出してきた「毛利氏」の居城であり、近代になっても「大本営」が設置された場所でした。

城内を訪れると本来の縄張りよりも、帝国陸軍の印象が強いです。

ここで痛ましいのは、原爆の熱線で溶けて丸くなっている石垣です。

焼けるのはわかりますが、正直なところ石が溶けるという凄まじさを実感出来ません。

いろいろ妙なところへ行っていますが、原爆ドームだけはまだ勇気がなくて行けません。

しかし壊滅時、草木が100年は生えないとまで言われた状態からの復興、古写真と変わらない形で復元された「広島城」はその象徴なんだと眩しく感じます。

2016年5月28日土曜日

青春18きっぷ②


無人駅で一番好きなのが、山陰本線にある「鎧駅(よろいえき)」です。

有名な余部鉄橋(あまるべてっきょう)を「餘部駅(あまるべえき)」と挟む位置にあります。

先日、鉄道模型で購入した寝台列車「出雲」も、廃止されるまで通っていました。

ホームと庭が同化したような場所に立つと、写真のように日本海に続く入り江がのぞき込むように拝め、イームスの壊れた固定椅子が侘しさを誘います。

青春18切符のポスターにも起用されましたが、登場が遅いと思ったくらいです。

ここほど「青春」という言葉が似合う駅もないと思います。

崖の上にあるため民家が近くにないので、一人でいると孤独感が際立ちます。

自分の中に何かを見つけないといけないとき、かなりお勧めのスポットです。

しかし山陰本線でも特に辺鄙な地域で、特急もほとんど走ってないので、時間の確認は大事です。

プチ遭難しかねません。

2016年5月21日土曜日

青春18きっぷ①


言わずとしれた予讃線の「下灘駅」です。

青春18切符のポスターに3回登場し、日本で一番有名な無人駅と言っても過言ではありません。

四国の鉄道路線は基本単線なのに、特急が行き交うため待ち合わせ時間が多く、各駅停車専門の「青春18切符乗り」にはかなりの難所となります。

実は国内の路面電車・私鉄も含めた鉄道全線制覇を目指しており、四国制覇のためにはかなりの時間を労しました。

9割がた達成して完遂までもう少しですが、最近鉄道趣味の中でも「乗り鉄熱」が醒めてきて困っています。

一日当たり2,200円で、各駅停車なら24時間どこまででも乗れる「青春18切符」は、学生の頃から愛用しています。

社会人になっても使用していると、周囲に(特に家族に)「貧乏臭い」とバカにされました。

しかし、それでも使用するのが妙な「快感」であったのですが、近頃18切符が市民権を得てしまったような気がします。

一般の方々が日常、普通に使用している光景をよく目にします。

アングラな雰囲気がなくなり、どうも面白くないのです。

また、夜汽車運行もほとんど消滅してしまい、旅情を感じながら一日中乗り続ける機会が減ってしまいました。

寂しいのか、先日廃止された寝台列車「ブルートレイン」の鉄道模型を買う有様です。

趣味が記念事業になりつつあり危険です。

2016年5月14日土曜日

八墓村


岡山県の奥地、「吹屋」にある「広兼亭(ひろがねてい)」です。

俳優の「豊川悦司」が「金田一耕介」役を演じた「八墓村」の舞台になった屋敷です。

高石垣が見事で城のようですが、銅山・ベンガラで栄えた大庄屋の邸宅です。

本日は晴天ですが、雨の日伺ったときは、周囲の山奥感が半端ありませんでした。

作者の「横溝正史」はおどろおどろしい作風で有名ですが、戦時中の疎開先を岡山で過ごした際に、その地域の伝承を聞いた影響が大きいと言われています。

映画冒頭の大量殺人事件も、近隣の「津山」での実話がベースです。

ちなみに「渥美清」が金田一耕介を演じた最初の「八墓村」の舞台にも洞窟が登場しますが、ロケ地は岩手県にある「安家洞」です。

偶然訪れて知ったのですが、大きい割には鍾乳石はあまりきれいではなく不愛想な空間が、映画の作風に似合っていました。

近くに「井倉洞」、「満奇洞」がありますが、ロケ地にならなかったのはきれい過ぎたのでしょうか。

映画の背景を選定するのは、地元の協力も含めて本当に難しいと思います。


2016年5月7日土曜日

ドクターイエロー


とうとう出会えました。見た人に幸福を呼び込むと評判の新幹線「ドクターイエロー」です。

新幹線の路線点検のため独自運行されており、時刻表に乗っていません。

偶然出会うしかないのです。

「新大阪駅」にて岡山方面の新幹線を待っているとき、背後から小さな歓声が聞こえてきました。

振り向くとこの写真のアングルで初のご対面です。

一瞬ロボットの横顔にも見え、ただでさえ大きい自分の童心が鷲掴みにされました。

始めて「マジンガーZ」と対峙した主人公「兜甲士(かぶとこうじ)」のシーンを思い出します。

この光景を、もし小学生以下の年齢で見てたなら、「新幹線の運転手」を志したと思います。

それほど強烈でカッコ良かったです。

幸い自分の乗る新幹線が来るまで時間があったので、先頭車両から最後尾まで2往復しました。

でもその後、特にラッキーがあったようには思えません。

フォームに早く上がったのは目当ての駅弁を買うためだったのですが忘れてました。

まあ出会ったことで十分ですが・・・・・。


2016年4月30日土曜日

悟りの窓


京都郊外の鷹峯(たかみね)にある「源光庵」の「悟りの窓」です。

「少年ジャンプ」の不良漫画で知りました。

画家志望の準主人公が不良仲間を連れていきます。

実際伺うと、行ってみたいと思わせたイメージ通りの空気感があり、「漫画家」と「窓の作者」双方の力量に感服しました。

隣には「四角」の「迷いの窓」もあるのですが、説明なしでも直感的に「円」の方を悟りと感じます。

「本阿弥光悦」ゆかりの地域でもあり、他の意匠にも丸・四角を組み合わせた幾何学模様が多い気がします。

話を戻しますが、実際に伺う前から気になっていたのは「悟りの窓」から見た「庭」です。

気になる時点で全く「悟り」を感じてないと思いましたが、一応デルタカフェの「坪庭」を自作した身としては、どんな庭なのか気になってしょうがありません。

しかし、覗くように見てみると庭の端っこみたいな感じで、中心を感じるものがありません。

「窓を見ることで感じてもらう・考えてもらう」ことがあくまで目的なのかなあと思いました。

庭は別に見なくても良かったような印象で、作者の割り切りみたいなものを感じます。

いろいろやりたい「欲」を出すと逆にうまく伝えられないというか、「思い切り」が足りなくなってしまうと理解しました。

なかなか出来ないですが・・・。

庭って、奥が深いです。