2017年11月25日土曜日

もみじ弁当


京都の長岡京市西山の麓にある「光明寺」。

広義には「鎌倉仏教」全般の開祖と言っても過言ではない、「浄土宗」開祖の「法然上人」が43歳のとき、最初に念仏を唱えた立教開宗の寺だそうです。

「比叡山延暦寺」で「天台宗」の修業をされていたので、地理的には京都の「洛中」を挟んで対角線上の一番遠いところとなります。

何となく気がひけたのでしょうか?

新規オープンに際し、様々な妨害があったと推察されます。

このように由緒正しく、しかも紅葉の名所でもあるのですが、何故か弁当を食べた記憶しかありません。

しょうもないことでも、それはそれで結構覚えているほうなのですが、記憶はハッキリしません。

ひょっとしたら行っていないかもしれない不安はあるのですが、庭先で弁当を広げた記憶はあるので間違いない前提で話を進めます。

実際の景色も見事だったと思うのですが、写真の「もみじの天ぷら」に心が奪われたのか記憶がありません。

よっぽどお腹が空いていたのかもしれません。

よく見ると仕切りごとに「もみじ」が入っていて、包装の布も「もみじ」です。

さすが京都において、あつかましく「もみじ弁当」を名乗るだけのことはあります。

懐石料理全般の味もおいしく、これだけで「京都の紅葉」が凝縮されている気がしました。

以上なのですが、ずっと気になっていたので書いたことでスッキリしました。

もう一枚、証拠となりうる写真です。



2017年11月18日土曜日

会津若松城


最近は伺えていないのですが、いつも毎日拝める「伊予松山城」を除いて、きっちり四季の景色を満喫しているのがこの「会津若松城」です。

紅葉した木の隙間にちらっと天守閣が見えるのがわかるでしょうか。

明治維新の「会津戦争」が、この城での籠城戦を軸として展開されたので、周辺を何度も散策しました。

その中で「会津若松駅」の隣「七日町駅」の前に、当時唯一の遺構で小天守にあたる「御三階(内部は四階建)」を移築した「阿弥陀寺」があります。

この戦の死者をまとめて埋葬したそうですが、官軍が翌年まで遺体の埋葬を認めませんでした。

ひどい話で野犬に食べられてもそのまま放置させたそうです。

諸国列強の脅威に対抗すべく「日本」という国体が強く認識されている時代にしては、時代錯誤な感覚が否めません。

むしろ「弔う。」ことに関して比較的寛容な日本においては珍しく、当時の現地司令官の感性はひどかったのだと痛感します。

おかげで「会津」と「長州」は未だに和解出来ておらず、「萩市」からの友好都市としての持ちかけを「会津若松市」は断ったままのはずです。

「恨みを残す。」ことの空しさの教訓となります。

ただし、外国の歴史と比べると、こういった「屍に鞭打つ」ような事例は日本において極端に少ないといつも思います。

「和する。」ことを大事にするからこそ、危機管理能力がないと言われても、危機後の復活が早いことに、日本の強みを感じます。


2017年11月11日土曜日

十石峠


埼玉県秩父方面から群馬県を経由して長野県へ続く武州街道。

今は国道299号線ですが、その群馬県と長野県の県境が「十石峠」です。

嫁さんの実家から愛車「フィアットパンダ」にて、単身トコトコと大阪へ向かいました。

この街道沿いに「御巣鷹山」があり、「日航機墜落の慰霊碑」があります。

当初立ち寄るつもりだったのですが、なんか怖くなって行かずに通り過ぎました。

そのまま峠に着いたとき、ポツンと佇んでいるのを見つけて撮らせてもらいました。

ここから先の長野県には「道祖神」が多く、基本的には二体で愛らしく鎮座されています。

ただこの仏様は一体。

枯れ葉に埋もれ、空き缶が花差し代わりです。

寂しい形ですが、「孤独」が「強さ」に変わっている気がします。

決して意固地になっているわけでもなく、来るものを拒まない自然体の清々しさを感じます。

日航機の慰霊も込めて手を合わさせてもらいました。



2017年11月4日土曜日

光ヶ原高原


パンダを購入したときの最初の遠出が「新潟県上越地方」の山岳地帯にある「城巡り」でした。

「越後国」は「上杉謙信」がまとめ上げていた時代ですら、地方領主である「国衆」の力が強く、「国」といってもその集合体に過ぎませんでした。

そのため「春日山城」に代表されるような大規模な山城が各地域に存在し、しかも個性的な「縄張り」を持っている魅力的なものが多いです。

麓までは行っていても、しっかり登れていない「城」というか「山」も多いので、改めて時間をかけて巡ってみたいと考えています。

ただドライブメインのため、早朝で「城巡り」は切り上げて、「新潟県」から「長野県」の「野沢温泉」方面へ向かうことにしました。

今回は「秘湯めぐり」なのです。

そのときの県境越えで通りがかったのが、ここ「光ヶ原高原」でした。

あまりの神々しさに思わず車を止めて見入ってしまいました。

眼前の山々から霧のような薄い雲が、山の斜面を滑り降りてキラキラ光っています。

更に、景色全体がベールのような薄い膜に覆われていて、華やかに淡く、その光を攪拌しているのです。

この先「パンダ」で旅を楽しめると強く実感した、幸先の良さを感じる朝でした。

今のところ当たっています。