2021年9月25日土曜日

繫敷教会(しげしききょうかい)


「長崎県五島列島」の中心島「福江島」にある教会です。

キリシタン関連遺跡として、世界遺産に認定されている教会群をさておき、自分に一番刺さったのは、この「繁敷教会」でした。

何と天井板が、リフォーム前の我が実家と同じでした。

建設時期も1970年代で一致します。

リフォーム前に、母親が当時を振り返って「石油ショックの影響で、家の素材を選ぶ選択肢がなかったのよ。」と話していたのを思い出しました。

同じ事情かと推察します。

失礼ながら祭壇も、キレイに手入れはされてますが、はっきり申し上げてショボいです。

説明板には、近くにあるダムの建設で、湖底に沈んでしまう村にあった教会を移転したそうです。

しかもそのときの現場事務所をそのまま活用したらしく、2枚目の写真にある通り、公民館のような外観の入口正面に、十字架を張り付けただけです。

そもそも道中はずっと山道で、集落の中にありません。

島を一周した限り、最も辺鄙な地域だったので、どれくらい信者の方がいらっしゃるのかなあ、とこれからの存続を不安に思いました。

しかし誰もいない空間にしばらく佇んでいると、飾り気が全くないその様が、「信仰の強さには関係ない」と迫ってくるようでした。

新規加入を目的とした布教には、華やかさは重要でも、信仰自体には必要ないのかもしれません。






 

2021年9月18日土曜日

水島列車


名前の通り、岡山県の水島工業地帯に向かって走る路線で、「倉敷駅」から「三菱自工前駅」を結びます。

実はその先にも駅と別路線があるのですが、貨物線となるため民間人は乗車出来ません。

まだその先に線路が見え、鉄道が必要とされる目的があるのに、降ろされてしまう不完全燃焼。

正直この手の路線は楽しくありません。

「乗り鉄」として、マニア度が問われるために乗るだけで、自身も全線制覇の野望がなければ行かなかったと思います。

目立つといえば、写真の列車「MRT300形」で、ここのオリジナル車両です。

水色の車体にひまわりの絵がラッピングされていますが、妙に殺風景な印象を持ちました。

その花の香りも、ダイレクトな芳香剤なんだろうと、勝手なイメージを抱いてしまいます。

ローカル線だと、中古車両とかを購入して更に使い回す印象が強いのですが、新車両を活用出来るあたりは、大企業をつなぐ路線だから支援とかもあるのでしょう。

確実に通勤客を確保出来るし、採算が高いと思われます。

自分の好みとして、この列車がいい味を発揮するのは、他の鉄道に払い下げされた後かもしれません。

そのときには、このひまわりにどんな香りが漂っているのか興味が少し沸きました。

2021年9月11日土曜日

金沢の神社


鳥居から階段を上がったところに立っているのは、石川県金沢にある「尾山神社」の「神門」です。

国重要文化財に指定されています。

金沢には複数回来てますが、「金沢城」の脇にあるにもかかわらず、恥ずかしながら全く知りませんでした。

たまたま嫁さんの女性誌か何かを眺めていて、偶然見つけた次第です。

とにかく見た目が変わっています。

奥にある本殿は一般的な神社のデザインなのですが、この門に関しては天を崇めるような尖塔ですし、最上部の窓にある色はステンドガラスです。

素人目には「神道」ではなく、「キリスト教」の教会のように見えます。

しかし祀られている方は藩祖「前田利家」と奥方の「まつ」ご両人です。

そのためか、明治初期に旧藩士が集まり、建立されました。

時代的な流れとしては、経済的に困窮していく士族の負担は大変だったと推察されます。

しかし時代的には文明開化の気風を取り入れてか、こんなフリーダムな形になっちゃったのかな、と妙に感心してしまいました。

この後の時代になると「国家神道」が幅を利かせてきますから、誤解を招くような建築は難しくなります。

このタイミングだからこその、肩の力が抜けた設計者の挑戦が、いい意味で伝わってきました。

タイルの色目とかも独特で、直接見学されることを強くお勧めする建造物です。

2021年9月4日土曜日

庭瀬城・撫川(なつかわ)城


城巡りに際して、一番想像力を使うのは、城が活用されていた当時の姿をイメージするときです。

特に歴史小説で、城を舞台に戦場の描写があった場合です。

事実はどうかは別として、自身の想像におきかえて検証してしまいます。

そのときやっかいなのは沼地とか湿地帯の存在です。

現在は、埋め立てと排水工事がしっかり行われているため、消えているケースかほとんどです。

往時とは全くかけ離れていて、石垣・土塁も残ってないと、ただの公園にしか見えません。

ところが、今回取り上げるこの二城(隣り合うように近いので実質一つ)は、希少な事例といえます。

時代を超えて、「水城」を感じることが出来ました。

住宅地になっているのですが、堀はかなり残っています。

水をうまく取り込んで、江戸時代も「陣屋」として、防御と交通に活用していたことが伝わってきました。

写真のように、複数の石垣で囲まれた郭が、水辺にぽっかり浮かぶように存在してます。

折りたたみ自転車を活用して、堀沿いの路地裏をウロウロしたりして、相当楽しめました。

「備中国」と「備後国」の国境に近く、戦国時代は、「足守川」沿いを守る「毛利氏」の「境目七城」の一つでした。

この防衛ラインの主戦場が「豊臣秀吉」に水攻めされた「備中高松城」です。

「本能寺の変」が起こったことで、ここから豊臣軍は引き返すわけです。

その城跡の周辺は田畑になっていましたが、あらためて、近くの「足守藩」であったエリアを、川沿いを中心にゆっくり探検したいと考えています。

この藩は、秀吉の正妻「おね」の兄である「木下家定」が初代です。

一度所領没収となりますが、幕末まで存続します。

いろんな発見が出来そうです。