2022年9月24日土曜日

壬生寺(みぶでら)


幕末において、京都の治安維持を目的に活動した「新撰組」。

その最初の本拠地であり、当初の隊名が「壬生浪士組」であったことからも縁の深さが伺えます。

写真の通り、「誠」の旗印が異様に目立ちます。

お寺に伺う感じとは、随分と印象が違いました。

屯所が「西本願寺」に移転してからも、当時の境内は兵法調練場に使用されたいたようです。

その縁で隊士の墓である「壬生塚」があり、訪れたときも若い女性の姿がかなり目立ちました。

漫画「鬼滅の刃」で鬼と闘う「鬼殺隊」は、「新撰組」をおそらくモデルにしています。

ここでも、羽織に使用された「緑と黒の市松模様」のグッズが、本家を凌ぐように売られていました。

まだ映画が大ヒットする前の訪問だったので、今は「聖地化」して、原宿の竹下通りのようになっているかもしれません。

今のうちに行っといてよかったと思います。

お寺としては、京都では珍しい「律宗」で、奈良の「唐招堤提寺」を本山としています。

開祖が「鑑真大和上」の宗派と関係があるのが、何かしっくりきません。

幕末期のドラマティックな展開には事欠きませんが、その後に「廃仏希釈」や、放火による本堂消失の被害とかも受けています。

最期の写真にある、本堂と並ぶようにあったストーパのような「千体仏塔」が独特の雰囲気を醸し出しており、いろんな因縁を吸い込んでいるように見えました。


2022年9月17日土曜日

韓国国境


「対馬島」の最北端にある「韓国展望所」です。

いかにもコリアン風の建物でしたが、作りはウレタンみたいな素材が風化したようになっていてボロボロでした。

大きいわりには土産物の店舗も入っておらず殺風景です。

海も天気は良かったのですが、少し霞んでいて朝鮮半島は見えません。

しかも入口にあった大きな門は期待値を上げただけで何だったのかと、複数の悪条件が重なって興ざめしました。

しかし国境であることを感じるのは十分でした。

展望所から目の前に小さな島があり、そこは自衛隊の「レーダー基地」でした。

そもそもこの島は、日本本土よりも半島に近いわけですから、有史以来ずっと日本の領土であるのは、世界的に見ると希有な例なのかもしれません。

そして近くに「豊砲台跡」があります。

以前に取り上げた「黒崎砲台跡」と同時期の昭和初期に築かれました。

2枚目の写真の通り、戦艦の主砲が備えられた跡が、空に向けて大きな口を開けていました。

実は上からだけでなく、側面から基地内を見学出来る入口があったらしいのですが、このときは知りませんでした。

またあらためて訪れたいと思います。

「対馬」は神社巡りが十分に出来てないので、再訪問の機会があるような気がします。



2022年9月10日土曜日

周山城跡(しゅうざんじょうあと)


「京都市」北部の山奥にある「周山城」です。

恥ずかしながら全く存在すら知りませんでした。

大河ドラマによる「明智光秀」特集の雑誌で知ることとなり、すぐに伺った次第です。

特にこの辺りは以前大阪に住んでいたとき、結構ドライブで走ったことがあったので意外でした。

実際に近くまで行っても看板すらありません。

当たりをつけて入った何本目かの山道で、漸く登城入り口の看板を発見です。

駐車場もないので、空き家のスペースにおそるおそる停車して登城しました。

しばらくは普通の登山道だったのですが、ゴロゴロ大きめの石が増えてきました。

過去に訪れた「織豊時代」の城郭が破却されたときの崩れた石垣と同じ雰囲気が漂います。

しかし写真の通り、今は杉が植林されて、山の主は誰なのか誇示しているようです。

「本能寺の変」を起こす数年前に「丹波」を平定した「光秀」が、その東領域を支配するために築いたそうですが、彼が築いてきた他の城と比較すると、何となく彼らしい趣が感じられませんでした。

実は不思議に思っていることが一つあります。

彼が「山崎の合戦」で破れた後に、どうして琵琶湖の「坂本城」にわずかの手勢で向かったのかということです。

既に本拠地となっている「丹波方面」へ向かったほうが安全のように思うのですが・・・。

そういう意味ではココは籠もるうえで、適当な場所のように感じました。


2022年9月3日土曜日

金田城跡(かねだじょう・かねたのき)


長崎県の「対馬」にある、古代の朝鮮式山城「金田城」です。

「天智天皇」の時代に、「白村江の戦い」で敗れた後、「唐・新羅連合軍」の侵攻に備えて築かれました。

幸い侵攻はなく、戦場になることはありませんでした。

続100名城の中で、最も訪れたい城でしたが、島嶼部の辺鄙な場所であり、ついでに寄るなんてことはかなわず、結局99番目の訪問となりました。

「対馬」を訪れた際に、レンタカーで真っ先に向かったのですが、入口の案内図を見ると想像以上に大規模でした。

そのため、この後の予定が見通せなくなることから、明日の早朝に出直すことにしました。

島の中央部を分断する「浅矛湾」に面して、山の斜面に築かれています。

全周は、2・8キロの石垣(崩落部分が相当多い)に囲まれていたそうです。

翌日の早暁に現地に向かいましたが、それでも帰りの船便に間に合うか不安でした。

また明治末期には、この山頂に砲台が築かれ軍事施設となっており、麓から中腹の古代城壁とは別に、物資輸送のための車道として整備された石垣も築かれていました。

これはこれで見応えありでした。

先ずはこのルートを使って山頂まで、3キロ近く登りました。

かなりハードです。

砲台跡の施設はしっかり残っていました。

そしてここから、古代城壁と重複する箇所となり、城壁に沿うように山の斜面を、海に向かって下りました。

写真はその途中に撮影したもので、湾の美しさに見とれながらしばし休憩しました。

城壁は、海からやってくる敵への防衛が前提のため、頂上から尾根沿いに下りながら続き、海側に面すると一定の高さで、海岸線を水平にぐるりと築かれました。

最期の写真は、古代城壁の「一ノ城戸」と呼ばれる張り出した石垣で、海から最前線の防衛ラインになります。

キレイに修復されていましたが、近代城郭と大差ない規模で、防人達がいた往事を偲べた気がしました。

ここで所持していた水が切れます。。

8月の終わり頃だったので、カンカン照りの日差しに相当体力が奪われました。

ここまで約5キロ、あと約2キロ近く駐車場まで残っています。

クラクラする感じがあったので、恐怖を感じました。

脱水症状で倒れたら誰か来るとも思えず、野垂れ死にです。

ビビりながら何とか辿り着いた次第です。

車の中で、飲みかけの温いポカリスエットがこんなにうまいと感じたことはなく、まさに命の水でした。