2018年12月29日土曜日

塔婆の碑文 群馬


利根川より北に対しては、何かしら「北限」みたいなものを意識して旅行している気がします。

歴史的には「古墳」の形態であったり、「律令体制」の影響だったりします。

この写真も、りっぱな瓦付きのガラスで覆われているので見にくいですが、中にある「石造三重塔」が主役です。

埼玉県北部から群馬県南部の「赤城山麓」にかけて「城巡り」をしている最中に、偶然地図上で発見したものです。

「塔婆の碑文」と記されていました。

なんと国の重要文化財の指定を受けていて、文化財が比較的少なく感じるこの界隈では、失礼ながら貴重な存在です。

それで寄ってみたら「はるばる来たぜ。」感が最高でした。

一面の雪景色を、背景の赤城山が寒そうに盛り上げてます。

妙に澄んだ青い空も余計に冷たそうです。

通称は「山上多重塔(やまがみたじゅうとう)」と呼ばれるらしく、平安時代初期に「道輪」という「法華宗」の僧侶が、地域安楽のために仏教教典をこの中に納めたそうです。

そのため塔身は一石を削られて作られています。

よくぞ今まで「赤城おろし」の強風に耐えてきたと、僭越ながら労いたい気持ちになりました。

何事もかくあるべしです。

2018年12月22日土曜日

栃木の朝日 


少し掲載の時期が早いのですが、元旦から青春18切符を使って北方に向かいました。

福島県の「米沢」へ向かう途上、「小山駅」で乗換え列車を待っていたときに、タイミング良く出てきた朝日を撮影したものです。

だんだんと空が赤焼けしてきて、神々しい見事な登場でした。

間違いなく今年は良い年になると直感させてくれました。

実際どうだったかははっきり覚えていませんが・・・。

昨年も同じようなことを言ったかもしれませが、クリスマスの少し前、今年もあと10日前後の時期は、新年の期待と今年の後悔が入り交じります。

やれたことよりも反省することが多いので、新しくなる手帳に必ず「やりたいこと」を列挙書きするようにしてます。

手帳は就職してから変わることなく、同じ種類の同じサイズを使っていて、終わりかけた年の手帳に書いていた「やりたいこと」に「○か×」をつけます。

「喫茶店をやる。」という項目も、過去にはずっと書いてあって何回か「×」の後、ついに項目から消えました。

周囲からは器用そうに言われることが多いのですが、自身は不器用だと思っています。

「執念」とか「根性」のようなご大層なものではなく、「忘れてしまわないこと」が大事だといつも心がけています。

そういう意味で、このブログを書く行為は、自分にとって年々重要度が増しています。

2018年12月15日土曜日

不忍池


上野にある「不忍池」の景色です。

学生時代に同じ場所で眺めていたら、自衛隊に強引に勧誘されたのを思い出します。

枯れて茶色に変色した「蓮の花」が、水面が見えないほど一面に広がり、圧巻の冬景色です。

「蓮」は極楽に咲くと言われてますし、写真のように天気の良い日だと、光の反射で茶色でも仏壇のくすんだ金色に見えます。

一人で佇んでいると、遠方に弁天島が見えて「極楽浄土ってこんな感じかなあ。」と錯覚してしまいそうです。

ここに来るとき不思議なのですが、「爽快なときか」、「落ち込んでいるときか」の両極端な気分のときが多いです。

このときは前者の気分でした。

「上野」は美術館が多いので「東京」が出張先になると、そのときの「企画展」をチェックしてよく訪れます。

たしかその流れの帰りでした。

ちなみに後者の気分のときは何もかも忘れて、上野発の夜行列車に飛び乗って、北へ向かいたくなります。

残念ながら今はもう夜行列車は「廃止」されてありません。

だんだん寂しくなってきました。

2018年12月8日土曜日

首里城


全国の都道府県の中で唯一行けてなかったのが「沖縄県」でした。

城好きなのに、恥ずかしながら「城(グスク)」巡りが全く出来ておらず、沖縄到着後真っ先に向かったのが「首里城」です。

復元された本殿や周辺の構造物も「世界遺産」だけに見応え十分ですが、何といっても素晴らしいのは「石垣」でした。

独特の滑らかな積み方は石と石の隙間がありません。

また写真に見える石垣上部の少し突き出した部分は見張り台で、こうすることで死角をなくせるようです。

少しずつ滑らかな弧を描いて反り上がっており、特に見事な曲線美です。

下から見られることもかなり計算された「威厳を示す」演出だと思います。

この後ぐるりと城壁を一周しましたが、カーテンレースが波打つようなうねりがバランス良く展開されていました。

日本の「近世城郭」の発展経緯とは異質な文化の中で、進化していったのだと思います。

まだ訪れてない「城(グスク)」がどのような風情なのか大いに興味が湧き、次回の計画を考えながら、今の観光を楽しみました。

2018年12月1日土曜日

四国村 灯台の庭


香川県屋島の麓に近い「四国村」に行ってきました。

船橋に住んでいたとき、通っていた「首都高」脇にある大きな倉庫の壁に、何故か「四国村」と描かれていたのが、気になるキッカケでした。

愛媛に戻ってからも「松山道」で松山方面に向かうとき、倉庫の壁に同じ字体のロゴを発見。

漸く調べて具体的な存在を確認し訪れた次第です。

昔ながらの伝統建造物がたくさん移築されており、どれも興味深く拝見させてもらいました。

全部取り上げたいくらいなのですが、あえて選ぶとしたら「灯台の住居部」にあった玄関前に横たわる「池」です。

玄関通路を橋に見立て、その下もつなげて左右に広げた「ヒョウタン形の池」が作られていました。

複数ある住居部のどれにも同様のものがあり、生活様式として定番化されていたのだと推察されます。

しかもコンクリート底の浅い池です。

実際のところ、どう使われていたかは全く知りません。

勝手な想像ですが、もしここに金魚とかが飼われていたのかと思うと微笑ましいです。

一般的に灯台の周囲は人里から離れ、ジャングルに近いくらい木々が茂っているので、普通にある自然に対して、愛らしい要素など感じない気がします。

孤立した中で、人工的な「観賞魚」の色彩は、唯一の「癒し」だったも。


2018年11月24日土曜日

妙義山


「妙義山(みょうぎさん)」。

近隣の「赤城山」、「榛名山」と共に「上毛三山」の一つに数えられます。

奇岩ばかりの山々の集合体で、その荒々しい山容の景観から、「日本三大奇景」にも選出されているそうです。

ただ恥ずかしながら、以前取り上げました漫画「頭文字(イニシャル)D」で初めて認識しました。

この山をテリトリーにしている峠族のリーダーが「スカイラインGTR(通称R32)」で主人公に挑みます。

その「まがまがしさ」が、山と車の両方の雰囲気に似合ってました。

確かに「群馬県側」から「軽井沢バイパス」で向かう道中に、この山が見えてました。

しかし「浅間山」近く「鬼の石出し」を演出する溶岩石の奇観にイメージが流れてしまい、希薄な印象しか残ってなかったのです。

(ちなみに、ここは三大奇景ではありません。)

急に興味が出てきたので、山界隈の「城巡り」も兼ねてドライブしました。

この写真は、一番尖がって観える場所をわざわざ選んで撮りました。

別の角度で見ると、もっとギザギザが際立って観えます。

さすがに登山をしようとは思いませんでしたが、自分の地元に象徴的な山が見えるのは「いいものだなあ。」と思います。

実際、このあたりの地域では、3チーム対抗戦のとき、「赤城組」・「榛名組」・「妙義組」に分けたりするそうです。

また漫画は、日常生活に全く触れないのに、峠族をそのテリトリーの山で表現するあたり、作者の力量に感服します。

多分地元なんだろうなあ。

2018年11月17日土曜日

大山 ハスラー


この時期「デルタカフェ」開店に向けての最終段階でした。

コーヒーの総代理店が、何故か島根県「石見銀山」を本拠としており、歴史地区の町並みの一角にお店を構えていました。

この写真は詰めの打ち合わせのため、母親と一緒に伺った帰りに撮影したものです。

「蒜山高原」へ向かう途中の「奥大山」です。

「大山」は眺める場所で全く趣が変わります。

「松江市」から「米子市」に向かう日本海側から眺めると、「伯耆富士」と呼ばれるにふさわしい見事な円錐形ですが、そこから横の位置になる「奥大山」の要望は全く異なり、ゴツゴツした岩が剥き出しの尾根が連なります。

以前に「松江市」に住んでいたとき、流行り始めたばかりのスノーボードを始めました。

滑走可能のスキー場が「奥大山」にあったので、当時開通したばかりの「米子道」を活用して毎週のように行きました。

もともとは「雪国」に縁のない自分でしたが、おかげで雪の中での行動に慣れることが出来、その環境をそれなりに楽しめました。

しかしときどき天候が急変して、牙をむかれたこともあります。

峠を越え日本海側に入った瞬間から大吹雪で、雪がどんどん積もってきたため、慣れないタイヤチェーンを埋もれながら慌てて装着したことがあります。

直感的に「死」が浮かんできたあの感覚は鮮明に残っていて、一度だけした装着練習がもしなかったら、本当にどうなっただろうかと未だにゾッとします。

「雪山」に対しての油断は禁物です。


2018年11月10日土曜日

鼠ヶ関


東北の「三関」の一つで、日本海側にある交通の要衝「鼠ヶ関」です。

近くに魚市場があり、そこの食堂で夕方近くでしたが新鮮な魚料理を堪能出来ました。

いい腹持ちでウロウロしつつ気持ちよく撮った一枚です。

他の「三関」の太平洋側が「碇ヶ関」、真ん中が「白河城」の近くにある「白河関」です。

東北地方は地形的に山が険しいせいか、太平洋と日本海を横断出来るルートが少なく、必然的にこの「三関」のどれかを通って、縦の北方へジグザグに向かうことになります。

古代においてはこれらから北は「大和朝廷」の領土外でした。

「桓武天皇」以降、本格的に朝廷側からの侵略行動が開始されます。

反対に「蝦夷地」は北へ追いやられ、だんだん縮小されていきます。

ただアメリカの「西部劇」と違うのは、その課程において、有史以来の流れかと思いますが「日本民族」は西から東に向けてどんどん混血化が進んでいきます。

「単一民族」という言葉が何を定義とするのかよくわかりません。

以前にどこかのビール会社社長が「蝦夷発言」で不買運動の憂き目にあいました。

しかし実際のところおかしな話です。

古代末期には、「奥州藤原氏」が統治した約百年にわたる平和な時期という、他の地域では考えられない稀な時代が存在しました。

交易が盛んだったと思われ、「みちのく」が大きな統一単位として、地域交流がより一段と進んだに違いありません。

更にこの後も、鎌倉時代の「守護・地頭」の設置から始まって、室町時代の「守護大名」、安土桃山時代の「戦国大名」、江戸時代の「藩」単位による現代の転勤族も真っ青の「国替え」によって、領地の人民もかなりガラガラポンされています。

偏見を踏まえた事実としても、ずいぶん違うと思うのですが・・・。

まあ、ある程度混ざって均質性が出てくるという点では、「単一」に近いのかもしれません。

2018年11月3日土曜日

出石の庭


写真は、兵庫県「出石(いずし)」の「宗鏡寺」にある苔庭です。

別名「沢庵寺」とも呼ばれ、剣豪「宮本武蔵」の「心の師」的な存在であり、漬け物の「たくあん漬」の由来でも有名な「沢庵和尚」に縁の多い寺です。

ここでは、和尚が作った「鶴亀の庭」や「心字の池」が有名なのですが、個人的には入り口近くの鐘楼下にある写真の庭に惹かれました。

奥に進むに対して微妙に上り斜面になっているためか、かなりの奥行きを感じます。

そのため全体が鳥瞰しやすいので、大きくない石でもより立体的に見えます。

うまい工夫だなと感心しました。

また、風の通り道にもなっているのか木々が少しそよいでいて、「枯山水」庭園なのに「動」の気配を感じます。

構成だけでなく、取り巻く周囲への配慮が、庭に「何か」を生み出しているのだと教えてもらえました。

庭への興味は年々増していて、「庭園」巡りは「旅の目的」に無意識に織り込まれるようになっています。

これからも、更に「わからない何か」を見極めていきたいです。

2018年10月27日土曜日

白河城


福島県にある「白石小峰城」、別名「白河城」です。

東北本線に乗っていると、「白河駅」のフォームから全体の威容が綺麗に見えます。

この日はあいにくの雨で少し霞んでますが、ベルナールビッフェの風景画みたいで気に入りました。

石垣の総構えで、堀も残っており、天守閣も貴重な「木造再建」です。

「石垣・堀・天守閣」の三拍子揃っているのは、東北地方では、青森県の「弘前城」・かろうじて以前に取り上げた宮城県の「白石城」と、おそらくここだけです。

城に関してはどこも興味深くて好きですが、観光の視点では明らかに「西高東低」を感じます。

ここが面白いのは、城内庭園は「バラ園」となっていることです。

日本の城郭なのに不思議な趣を醸し出しています。

天守閣から「ベルばら」の「マリーアントワネット」か「オスカル」でも出てきそうです。

実際の「白川藩」の藩主であり城主で有名な人物は、教科書で習う「寛政の改革」の立役者「松平定信」です。

「儒教」思想の強い彼が、この光景を見たらどう思うでしょうか。

前例・伝統を重んじ、近くに中国風の「南湖園」を造っている感性からすると、多分激怒するのではと思います。

「改革」を遂行して良さそうな印象が教科書では感じられますが、彼の政策は「質素倹約」という名の「財政緊縮政策」であり、経済政策としてはデフレを招いて大失敗でした。

歴史の教科書全般に言えることですが、政治的に取り組んだ政策の列挙のみならず、効果的にどうだったのか、各論併記でも、考察はもう少し加えて欲しいものです。

この辺りを生徒が賛否分かれて討議するような経験をすることで「使える歴史」の勉強になる気がします。

「経済」に疎い方々が教科書を作っていたんだと、大人になってから感じます。

2018年10月20日土曜日

麦畑


「埼玉県熊谷市」にある家内の実家近郊の風景です。

地域的には稲作もやってるのですが、麦畑がかなり多いように見えます。

車で走っていても何か勝手が違います。

少し異国のようです。

日本三大うどんの一つ、群馬県「上州うどん」が近いこともあり、この地域でもうどんはよく食べます。

香川県と接する愛媛県東予地域となんとなく似た境遇です。

帰省の際には義父が、実家の畑で栽培したうどん粉で、自ら手打ちしたうどんを振る舞ってくれます。

何となく小麦を使った料理が多いように思います。

しかし他の香川県「讃岐うどん」・秋田県「稲庭うどん」と比べると明らかに知名度が低いです。

正直なところあまり腰もなく、イマイチ個性を感じていませんでした。

しかし最近嗜好が変わったのか、うどんに対して「歯ごたえ」よりも「すすりやすさ」を重視している自分を発見しています。

最近、埼玉や福岡のうどんが妙にマッチするのです。

日頃のお昼どきに立ち寄るうどんの店にも、「コシ」を求めなくなりました。

どちらかというと、「出汁」重視で細目が好みになりつつあります。

別に歯が悪いわけでもないのですが、年をとってきただけなのかもしれません。

仕方ないこととは言え、今後は「環境の変化」よりも、「自身の変化」にもっと敏感になる必要があるかもしれません。

「天動説」なのか「地動説」なのか、わからなくときが来るのでしょうか。

2018年10月13日土曜日

大和ミュージアム


行きたいと思いつつも、広島県呉市にある「大和ミュージアム」に縁がなかったのですが、愛媛在住の間に是非と思い立ち、早朝着くように向かいました。

ご存じの方も多いでしょうか、写真は展示されている「16分の1戦艦大和」で大迫力です。

子供みたいな無邪気な気持ちで、いろんな角度で撮りまくりました。

展示も沈没した経緯など、図解の多い解説は非常にわかりやすかったです。

特に、当時建造した技術者からの解説には「その魂」を多少なりとも感じることが出来て、うるっとしました。

戦略上は時代錯誤になりつつあったとはいえ、「世界最高の戦艦」を造り上げるという熱意に対しての、しびれる話ばかりでした。

話は変わりますが、最近「乗り鉄・撮り鉄」から「作り鉄」へと、鉄道模型・ジオラマ作成の領域へとシフトしつつあります。

大和の異次元サイズの模型に興奮したのはそのせいかもしれません。

実際に動く鉄道模型として「Zゲージ」という最小サイズが好みで、縮尺は「220分の1」です。

これに「城」・「船」を加えようとすると遠近法の関係で「350分の1」が具合よくなります。

それでも「大和」クラスの戦艦・空母になると大きくて持て余しますが、凝縮した世界観を表現出来るように、鉄道とセットで更に「テーマ」を考えてチャレンジしてみたいです。

最近は潜水艦「伊400」を作成中です。

2018年10月6日土曜日

美保関


島根半島東端に位置する「美保関」です。

「世界灯台100選」にも選定され、ドライブコースとして一番訪れている灯台でもあります。

岬としての高さが十分なためか、写真の、「高くない灯台」に併設された「灯台守(灯台の操作手および管理人)」のための生活施設が大好きです。

煉瓦で組まれた「白」にいつも見とれてしまいます。

いつもこの周囲をぐるっと散歩して、岬の景観と建物をいろんな角度で堪能した後、施設内にあるカフェでコーヒーを飲みます。

もう少し前には「岬レストラン」として食事が出来たのですが、今は有志に近い方が番をしているようです。

幸いにも強引な改築等であまりイジられてないので、ぼろいなりに昔の風情が残っていて良いことだと思います。

この空間には、他の「世界灯台100選」の写真パネルが展示されていて、いつも見入ってしまいます。

近くに「美保神社」があり、「後鳥羽上皇」や「後醍醐天皇」に代表される皇族が「隠岐の島」に流された歴史もあるせいか、歴史の趣を非常に感じる地域です。

ドライブコースとして飽きないのも、そういった深さを感じるからかもしれません。

お勧めです。

山陰方面に行かれる際は、「カニ」だけでなく是非どうぞ。

2018年9月29日土曜日

高桐院


以前「小倉城」を取り上げた際、少し話題に出しました「高桐院」。

行ってみたいと思いながらも正確な場所を押さえておらず、「大徳寺」にある別の塔頭に向かっているとき、たまたま見つけました。

最初通り過ぎたのですが、入り口の手入れされている苔の雰囲気が半端ないのです。

どうしても入りたくなって引き返し、パンフレットを貰って初めて気づきました。

しかも家族一緒の「偶然」にちょっと感激です。

冬なのに雨が降っていて、苔の緑が透き通るような新鮮な輝きを放っています。

家族みんなでデトックス出来た素晴らしい空間でした。

写真は本庭園の有名な石灯籠です。

平面の苔庭にぽつんと立っていて、周囲に石畳等の境界線がありません。

薄目の苔が周囲に広がっていく中だんだん土っぽくなっていく感じです。

幽玄さが漂います。

又、「松向軒(しょうこうけん)」という有名な茶室もあり、「細川忠興」の「わび・さび」へのこだわりが伝わります。

茶道の世界は全くの無知ですが、「利休」高弟の中で最も純朴に「利休らしさ」にこだわっていたと言われることに納得出来ます。

しかし一番感心したのは、この状態を管理している方々の努力です。

まだまだ創建当時を凌駕して発展しているのかもしれません。

生きている気がしました。

2018年9月22日土曜日

剣山スーパー林道


過去に何度も走破したくて行っていました。

しかし台風だったり、まだ向かう道中なのにパンクしたり、突然通行止めになっていたりと、ドライブ運が悪くずっと断念していました。

今回は気持ちを持ち直して、通行止めの標識があっても行けるところまで行ってみようと、徳島「四季美谷温泉」一泊の家族旅行として腰を据えて、再チャレンジしました。

宿の方に道路状況を教えてもらうと、今まで通ろうとしていた高知・徳島県境の「四ッ足峠」近くの西側入口は通行止めのままで、再会の見込みが立っていないとのこと。

実際のところ、宿に行く前にチャレンジした「四ッ足峠」ルートは、通行止の標識を強引に進むも、大きな柵に阻まれて引き返す羽目になりました。

しかし翌日は、写真の東側入り口から剣山の手前までは、頑張って走破出来ました。

舗装路はごくわずかで結構ぬかるみも多く、前輪駆動の車でよく乗り切れたと思います。

道中ではバイクのオフローダーが多く、背後に気がつけばすぐに避けたりしたのですが、タイムでも計っているのか「遅えんだよ。」と怒鳴られる始末。

別の意味で厄介な道だと痛感すると同時に、どうも嫌われている旅路のようでした。

まあ何とか曲がりなりにも達成感が得られたので、これで気持ちが沈静化しました。

あとは、後部座席にいる車酔いの奥様の気持ちをどう収めるかです。



2018年9月15日土曜日

格納庫


松山空港の近くに、戦時中の飛行機用の格納庫を兼ねた防空壕があります。

戦闘機が見えていれば、空襲の際に標的になってしまうため全国各地で作られたようです。

旅をしていて偶然見つけることがありますが、ほとんどが朽ちかけています。

良好でも空間に農機具が放り込まれて、土まみれ埃まみれに雑に使われている感じです。

当時飛行場であったであろう周辺は農地に転用されており、そのまま仕方なく活用されているのだと思います。

しかしここのは、写真をみると空間をうまく塞いで小屋として活用しています。

壁の色合いも良くお洒落です。

農機具や作物を収納しているのかと思われますが、実際のところはわかりません。

想像がむやみにかき立てられます。

私なら絶対に車のガレージとして使用したいと思いました。

思ったより空間が大きければ、「デルタカフェ松山店」でいけるかもしれません。

松山は太平洋戦争末期に、最新鋭機「紫電改」が開発され飛び立った場所です。

「ひょっとしたらここに格納されてたかも。」と考えると、自分も田畑で何か面白いことが出来ないかとワクワクしてしまいました。

この好奇心をフル活用して、実家の農地で今後負けじと何かやってみたいです。

2018年9月8日土曜日

淡路要塞


春先か秋晴れのとき、ピクニックにでも使用すればよさそうな円卓ですが、軍の砲台跡をコンクリートで固めたものです。

上から見ると円の形が、明瞭にその痕跡を残しています。

イスも加えると十字架みたいな配置で墓標にも見え、静かな太平洋を背景に空虚な雰囲気が漂っています。

ここは「由良要塞(ゆらようさい)」跡です。

淡路島の東南端に位置し、紀伊水道から大阪方面へ侵入する敵艦隊を阻止すべく築かれた近代要塞です。

淡路島は瀬戸内海での防衛上、重要な位置にあるため、どの先端にも本州・四国と海を挟む形で両岸に要塞が築かれました。

しかし交通の要衝でもあったせいか取り壊されているものが多いです。

例外として辺鄙な場所にあるため、この要塞だけはかなり綺麗に残っています。

赤レンガで築かれた武器庫等の遺構は見事です。

ここのみならず「大日本帝国」は海防の危機意識から明治・大正期に全国各地に同様の要塞を築きました。

しかし幸いにも太平洋戦争まで本土が攻められることはなかったので、実戦での活用は一度もありませんでした。

昭和の時代になると、明治・大正期の設備は旧式過ぎてそのまま使用を放棄され土に還っていく雰囲気が漂います。

自分の大好きな閉鉱された鉱山に似た風情です。

今後、本格的に「城巡り」に続くジャンルとして取り組みたいと思っています。

2018年9月1日土曜日

神岡鉄道


今は廃線となった「神岡鉱山鉄道」の終点「神岡駅」からの夕暮れです。

以前に完乗していたのですが、すぐの折り返しで戻ってしまったので「駅」自体をしっかり見学出来てませんでした。

それで今回は、あえて車で立ち寄ったのです。

駅のフォームに向かう際、学校のプール場とかで見かける半地下の薄暗い着替え室のような、長い通路を通りました。

湿ったコンクリートのカビた臭いと何故か塩素のような薬品臭も漂っていて、ただならぬ雰囲気です。

個人的なレーダーも少し反応しています。

ただヤバいほど感じなかったのと廃線が決まっていたので、ここが見納めと勇気を出して進みました。

何とか無事フォームに到着しました。

・・・よかったです。

今こそ「ニュートリノ」に関する光電子倍増装置の「スーパーカミオカンデ」で有名な土地柄ですが、一昔前は教科書に登場した公害「イタイイタイ病」が発生した地域です。

「神岡鉱山」が流れ出たカド二ウムが「神通川」流域を汚染したのです。

工場より立ち上る煙を眺めつつ、怨霊がついてこないようにと、何故かフォームに祀られている写真の「大黒様」に手を合わせました。

「鉱山」・「公害」・「廃線」。

かなり怖い組み合わせかもしれません。

2018年8月25日土曜日

北の果て


この写真は、自分が地球上の一番北まで行った場所です。

「フィンランド」を突き抜けた「ノルウェー」の北、つまり「スカンジナビア半島」北端近くの島で、眼前の海は「北極海」です。

この先に「北極点」があります。

「フィンランド」の首都「ヘルシンキ」から約1800キロを、レンタカーで車中泊をしながら向かいました。

「はるばる来たぜ。」と心の底から思いました。

よく行けたものだと。

削られた岩肌に立つ、石組みらしき素朴な構造物は何のためにあるのかわかりません。

しかし漠然としているのに、道中どんどん高い期待値となっていった「北の果て」のイメージを全く裏切りませんでした。

この景色にずっと待ってもらっていたようです。

何故行ったかというと、突然芽生えた強い好奇心からでした。

「フィンランド」に行く計画を立てるべく地図を拡げていたら、北端に橋がかかっている小島を偶然見つけました。

「何故こんな最果ての島にわざわざ橋を?」と考え出すと気になって仕方がなくなったのです。

しかし実際行ってみると、「橋」ではなく「海底トンネル」でした。

なんと島は、軍の「レーダー基地」なのです。

よく考えれば、田舎の道中なのに何車線にもなることが何度もあり、おそらく緊急用の「飛行機の滑走路」でした。

トンネル内にも秘密のゲートらしきものがありました。

対「ロシア」防衛であることは明らかで、北欧は過去に侵略を受けた歴史があります。

未だに「ロシア」は、「バルト3国」および「フィンランド」周辺を、「ロシア帝国」の歴史的な流れからか、自国の一部と思っている節があります。

清楚なイメージの北欧ですが、実際に動かないと理解出来ない厳しい現実を突きつけられた思いがします。

貴重な体験の出来た道中でした。

2018年8月18日土曜日

磐越西線


東北地方を走る線で一番「花」のある線だと思っています。

福島県の「郡山」と「会津若松」、更に新潟県の「新津」を結び、東日本における列島の大半を横断する大動脈です。

また豪雪地域なので冬場にはよりライフラインとしての重要性が増します。

幹線であるにもかかわらず、観光列車「SL磐越号」が走っているので、沿線の風景は旅情に満ちたものです。

それに関連する専用駅弁等のグッズも充実、観光マップも各駅の歴史的な変遷がわかるように丁寧に作られていて、沿線の地域全体で「町おこし」ならぬ、「線路おこし」を一生懸命やっている印象があります。

ここ「会津地方」は山間部になるため、列車が険しい勾配を上っていく様は迫力があります。

しかも鉄橋が多く、列車が渡る度に山と川が左右で入れ替わるので、目まぐるしく景観が変化して非常に刺激的です。

しかし「乗り鉄」としてはワクワクが続いて楽しいのですが、「撮り鉄」としては変化が激し過ぎて撮影ポイントを見逃すことも多く、少々ストレスが溜まります。

写真のような大きな鉄橋を始め、魅力的な被写体となる構造物が多いのでゆっくり構えて撮影したほうがしっくりくる感じがします。

次回訪れたときには、列車の勇姿をこの橋の下からキッチリ収めたいなと狙っていきます。

今日はこのまま帰ります。

2018年8月11日土曜日

地球岬


アイヌ語での地名の語感と、岬から見える水平線がかなり丸く見えて「地球」を実感出来るため、この名前がついたそうです。

北海道の「室蘭」にあります。

写真のように海岸線に続く断崖絶壁の一番先端かつ高いところに位置します。

パノラマビューになっていることは勿論ですが、「ドローン」の空中カメラから覗くような下方への広角感が半端ありません。

確かに「地球」が実感出来ます。

希に見る絶景でした。

またここは「恋人岬」としてチャペル風の鐘が設置されており、天気も良かったせいか「岬」独特の暗さがありません。

個人的には暗いのもそれはそれで好きですが、最果ての景色をみて「未来」とか「希望」を感じるのは新鮮でした。

もともとは寂しいところで違ったのでしょうが、いい意味での「観光整備」が出来ているからだと思います。

そういえばこの地域に「宇宙軒」なるラーメン屋さんがあったはずです。

寝台列車に乗っていて、変わった暖簾を発見したので興奮しました。

味は全くわかりません。

とにかく立ち寄りたかったのですが、旅行の行程が過密スケジュールだったので忘れてしまいました。

今この文章を書いていて思い出した次第です。

また行かないと。

2018年8月4日土曜日

蕎麦遊学


船橋に住んでいた頃、お取引先の縁があって「そば打ち」の同好会に入ることになりました。

「蕎麦遊学」という名称で、月2回横浜にいそいそと通っていました。

私以外は全員年金生活者でした。

といっても、間違いなく副収入のほうが断然多いであろう「有閑じじい」様達です。

蕎麦好きが高じて名店巡りでは飽きたらず、旬な各地の蕎麦粉を取り寄せて、自分好みを打つ。

私が言うのも何ですが、非常にマニアックな方々です。

ツユまで作ります。

ある意味贅沢な老後を彩る会ですが、みんなド真剣で体育会系です。

独自の昇段試験も定期的にありました。

ちゃんと打てないとランクダウンもあるのです。

仕事以外でのランク付けは勘弁して欲しいと思いつつも、もともと蕎麦好きなので何とかついて行きました。

この写真は、夏合宿の舞台である山荘に向かう道中に、少し寄り道した山頂からの景色です。

東京から箱根に向かう少し手前にある「丹沢山系」の「山北」という行き止まりの地域で、眺望は抜群でした。

すぐ下には牧場もあり、搾りたての牛乳が飲めて最高です。

山荘では「有閑じじい」様達のコネクションをフル活用して、雑誌に出るような名店の大将まで招きました。

そして実演してもらい、その後練習、〆はみんなの蕎麦に酒のつまみを加えての宴会です。

私の担当は何故かカラオケの選曲係でした。

ちょっとしたDJ役で、勝手に曲をどんどん入れておいて、歌いたい曲をみんながめいめい群がって唄うのです。

思い出せない曲名を、印象だけで選曲してビンゴしたときはかなり盛り上がります。

しかし転勤してからは蕎麦を全く打っていません。

そば打ち道具も一式揃えているので、何処かのタイミングで復活出来るキッカケが欲しいと、テレビの懐メロを耳にして最近よく思います。

2018年7月28日土曜日

有明


東京湾岸の「有明埠頭」の橋から見た東京方面の景色です。

「有明コロシアム」と「フジテレビ本社」の間にかかる橋あたりから撮影しました。

普通に行くことはあまりない場所ですが、船橋に住んでいたときに車のメンテナンスをしてくれる整備工場がここにあったので、何か問題が発生する度にこの付近を通ってました。

ここでは首都「東京」のウォーターフロント全域が眺められ、毎回圧巻の光景です。

常に変化しているのです。

写真のフレームワーク外で右側にある豊洲方面の開発はもちろんのこと、毎回何か新しい建物が生まれている感じです。

首都「東京」のエネルギーに、何でも飲み込んで突き進んで行く貪欲さを感じます。

更に夕暮れが近づいてくるとライトアップされて、より光景の凄みが増していきます。

首都「東京」と、その他の大都市では決して越えられないスケールの「差」というか「壁」があると、ここに立つと思ってしまいます。

エネルギーを持て余す若い方には、一度は東京で生活することをお勧めします。

ただし「魔物」も多いので責任は持てませんが・・・。

2018年7月21日土曜日

蒲郡プリンスホテル


今はオーナー変更に伴い「蒲郡クラシックホテル」と名称が変わっていましたが、おそらく雰囲気はそのまま残っていると思います。

静岡県の蒲郡市内を通るとき、ホテルの望楼風の緑っぽい屋根が見えて、いつも気になっていました。

写真はようやく念願かなってホテルのレストランのラウンジから撮影したものです。

橋のかかった小さな島が眼下に見えて、「海のホテル」が求められる風光明媚な景観がより濃く演出されています。

戦前の話ですが、観光地が紹介されるとき「錦絵」のような鳥瞰図の絵に、少し解説的な文言を加えたガイドが出版されていました。

景観と娯楽の要素がうまく合わさっていて、資料館とかで見るたびにいつもワクワクしています。

実際にこのホテルが取り上げられた現物がフロントに展示されており、今も変わらぬ歴史を刻んでいるのだと感心しました。

料理もお勧めで、「伝統的ビーフカレー」はもちろんのこと、「透明なルーのシーフードカレー」が名物です。

しかし確かに旨いのですが、「カレー風味のあんかけパエリア」と言った体裁です。

「カレー」と言い切るにはかなり微妙な表現ですが・・・。

2018年7月14日土曜日

熱海城


りっぱな天守閣ですが、この断崖に歴史上存在することがなかった城です。

その名も「熱海城」。

本来なら「熱海温泉城」とでも名付けて欲しいところで、「俗」な雰囲気満点です。

団体旅行が全盛だった「昭和」の時代、「熱海」はその代名詞でした。

その町の看板的役割を担っていたのが、かなり怪しい「秘法館」とこの城のように思えます。

しかし実際のところは、何の目的で建てられたのか、建物の中には何が展示されているのか、全く知りません。

この文章を書いていても、調べようという気が全然起こりませんでした。

おそらくですが「観光」を前提に縄張りが配置されているのか、熱海界隈の道路を走っていると、意外と良いアングルで見えます。

何もなかったところに建築するのって効率いいんだと改めて思います。

この写真もウロウロしていてあまりに目につくので、何か所かで車を止めて撮影しました。

何の感動も湧き上がりませんが、無意識に視界に入ると、ふいにもテンションが上がってしまうのは「城好き」の悲しい性だと実感しました。

2018年7月7日土曜日

津和野線


「津和野線」にて乗るべきSL列車を待っているときの一コマです。

この写真は、「撮り損ねた~。」とずっと思っていました。

実はこのあとデジカメトラブルのため、入線直前の近距離撮影がままならず、「撮り鉄」として不完全燃焼のまま、SL列車に乗り込む羽目になりました。

しかも翌年は台風被害による路線の一部崩壊があり、SL列車の運行はしばらくお預けとなってしまいました。

撮り直しにも行けません。

しかし数年たって写真を観てみると、年を取って多少なりとも価値観が変わってしまったのか、恥ずかしくも「青春」を感じてしまいました。

大学生になって始めて「青春18切符」を使い始めた頃を思い出します。

今でもそうですが、列車が来る直前に何故こんなに待ちわびた気持ちになるのか不思議です。

映画においても、鉄道関連の景色はストーリの旅情を作るうえで重要なアイテムです。

殺風景な景色の中にポツンとある駅に、列車がやってくる。

「人」だけではなく、「異文化」も一緒に乗せてくるのが、鉄道における「原風景」かもしれません。

何かしら想像が膨らんでワクワクします。




2018年6月30日土曜日

水陸両用車 ハウステンボス


写真は長崎県の「ハウステンポス」にある「水陸乗用車」です。

陸に上がると厚底になってしまうので、デザイン的にイマイチではありますが、
子供の頃から「両用型」や「可変型」のギミックな感じが大好きでした。

プラモデルでも軍用モノは「水陸両用車」や「水上飛行機」、ロボットでは「合体型」や「変形型」をいつも買い求めていたように思い出します。

ジオラマでもそういった「海辺」や「トンネル出口」のような「際」の部分にいつも
惹かれています。

おそらくですが、クオリティの善し悪しが一番わかるからかもしれません。

過去に経営破綻したときの「ハウステンポス」を立て直すとき、その再建の代表者が
「よく出来ているが本物の香りがしない。」とインタビューに応えていたのを覚えています。

再建前後で訪問した比較をすると、確かに「こだわり」の変化が来場者のプラスに働いていると感じました。

しかし、この両用車の広告をやみくもにペタペタ貼っている感じは感心しません。

しっかりモノ本来のデザインに仕上げたほうが、乗ってみたいと人を惹きつけるように思うのですが・・・。


2018年6月23日土曜日

陸羽西線


同じ東北地方を横断する路線だと、SL列車を運行する「磐越西線」のほうが目立ちますが、「陸羽西線」も負けていません。

「奥の細道最上川ライン」とも呼ばれ、「松尾芭蕉」の「五月雨を集めて早し最上川」の一句を実況中継するかのように、最上川沿いを走っています。

この写真は車にて山形県内陸部の城巡り中に、突如線路の警笛が鳴り始めたので、待ち構えて撮影しました。

早朝の曇り空に加えて靄が立ち込めており、幽玄な雰囲気が漂っています。

遮断機の点滅に対してまで、靄が膜を作って残像を残すような余韻があります。

しかし俳句センスが全くない私には、いくら句嚢を肥やされても何も出てきません。

今までに素晴らしい景色は相当観てきているはずなのですが、一句閃いたことは一度もありません。

これも苦手なゴルフ同様、向き不向きの領域だと観念しています。

人それぞれに「光」が指している天性の領域というものは、果たして生きている間に発見出来るのかどうか、不安に思います。

「見つけられるか!」また「見つけても認めてもらえるのか!」

もっと言うと、「見つけているのに、気がついているのか!」

考え出したらキリのない話です。

死ぬまで自問自答することなのかもしれません。

意外と「見つけてもらう?」のが正解かもと最近思います。

2018年6月16日土曜日

剣山 ハスラー



「デルタカフェ」の看板娘「ハスラー」の漸くの登場です。

この娘がいるかどうかで店が開いているかどうか判断する方も多いのではないでしょうか。

出店と同じ年に購入し、青と黄色のラインも自分で貼りました。
通称「コレチ・ライン」と呼ばれます。

店で使用するシールと、このブログの背景にも同色を当てています。店に鎮座する「ランチアデルタ・コレチオーネ」の専用ラインで、もともとはランチアのラリー車に伝統的に使用されていたものです。

名称もおそらく映画「ゴッドファーザー」のファミリー名「コレチオーネ家」から採用しているようで、「血の色」のボディーと「ガンメタ」のホイールも専用色です。

何故かこの娘もほぼ同系色だったので、派手なラインを思い切って貼りました。

この後の「ハスラー」の大ヒットとバリエーションの展開を考えると早めの「差別化」は成功だったと思っています。

しかし母は気に入っているのかは怖くて聞けませんが・・・。

あ、写真は「剣山」界隈をドライブしたときのものです。台風の直後ですごい光景が広がっていましたが、紅一点が構図に映えていました。

2018年6月9日土曜日

四国カルスト


「四万十川」から北上し、漸くたどり着きました。

近くを通って寄れそうでもなかなか行けなかった「四国カルスト」です。

素晴らしい快晴で白い石灰岩が見事に輝いています。

緑の牧草も光のおかげで少し黄緑色に映えます。

それを美味しそうに黒牛達が食べています。

どこかで山口県の「秋吉台」を想像していましたが、平坦な台地ではなく、山の頂上から尾根に沿ったような地形なので、はるかに立体的に迫ってくる力強さがあります。

せっかくなので往復して「上り」と「下り」両方の景観を楽しみました。

上に突き抜けていくような青い空、眼下いっぱいに広がる山々、ともに「四国」の豊かさを体中で感じます。

話は変わりますが、限られた日程の中で「日本」をいろいろ満喫したい外国人観光客に対して、「四国」の狭さはかえって武器になると思います。

「日本」の多様性は世界に誇るものだと確信していますが、逆に伝えるのが難しい。

「四国」は工夫すれば、そのニーズを十分に満たせると思います。

2018年6月2日土曜日

脱藩の道


写真は、「坂本龍馬・脱藩の道」で有名な「檮原街道」にて撮影しました。

このまま標識を辿って行き、県境(当時は国境)である「韮ケ峠」まで無事到達出来ました。

ここから長浜まで出て九州へ向かい、「龍馬」は大いなる決意を秘めて「明治維新」に向かっていくわけです。

その偉大さを十二分に感じた旅でした。

と、言いたいのですが正直なところ、この方の「人物像」が未だにわかりません。

数年前に戦争をした藩同士が「倒幕」を目的として手を結ぶ「薩長同盟」は、「明治維新」の数々の局面の中で「神の一手」だと思っています。

当然その仲介役としての立場は歴史に名を残すにふさわしいです。

しかしその「成果」が、本来先にあるべき「人望・人格」を後付けで決めている気がしてなりません。

成功した例がほとんどないケースでも、そのわずかな「成功」の行動原理だけが、絶対的な秘訣のようにクローズアップされてしまう最近の風潮で、更にバイアスがかかってきているように感じます。

数多く出版されているノウハウ本にも同様に感じていて、あの妙な脅迫観念は何とかならないものでしょうか。

正直怖いです。

何故撮影ポイントをここにしたかというと、山影の湿った雰囲気に「龍馬の心細さ」を何となく感じたような気になったからでした。

(当時は舗装道路でもないので街道の雰囲気自体が全然違うはずで、これもかなりいい加減な見解ですが・・・・。)

ファンの方すみません。

同じ四国出身の身としては恐れ多いことと重々承知しているのですが、「長崎」や「京都」の龍馬関連の史跡をウロウロしても、未だに実感出来ていないことなのです。

2018年5月26日土曜日

青の世界 パンダと夜空


以前「デルタ」を題材に「赤の世界」というブログを書きましたが、対極の「青の世界」はパンダになります。

ボディカラーのままと言われたらそれまでですが、嫁さんの所有車であったのを譲り受け、かれこれ仕事で7年も使っています。

淡々と仕事に付き合ってくれる頼もしい相棒です。

「派手さ」はありませんが、使うほど「渋さ」を増してきたような気配すらします。

写真は「石鎚スカイライン」から「寒風山トンネル」へ向かう「尾根沿いルート」で撮影したものです。

このときも「久万高原町」にて顧客対応があった際、帰社が中途半端な時間となったので、閃いて向かったのです。

ちょうど海外では「ミルキータイム」と呼ばれる時間帯であり、青系のグラデュエーションが見事な空間に、月がやや控えめに小さく顔を出していました。

ただの四角ですが、絶妙なバランスで構成された車のシルエットが、景色に溶け込んで「クール」を体現しています。

周囲には「いつ買い替えるのか?」と心配そうに聞かれることもありますが、「動かなくなるまで乗ろう!」と思いを定めた瞬間の情景でもありました。

2018年5月19日土曜日

京都タワー


京都を去るときに、いつも駅前からしみじみと眺めてしまう「京都タワー」です。

宵の口に光の膜に包まれた感じが、より曲線美を引き立てます。

デザイン的にも水平ラインが強調されているので、くらげ的というか生物的な「なまめかしさ」が漂っています。

最初の出会いは中学2年のときの就学旅行です。

タワー内の観光地にありがちなお店で、ありがちなサーフボード形のキールダーに名前を彫ってもらったのを覚えています。

それで友達と盛り上がっていたせいか、タワーから展望したであろう景色は全く記憶にありません。

改めて観てみたいなと思っています。

寺院などの歴史的建造物の陰影がよくわかる夕暮れ時なんかに昇ると最高かなと、まだ見ぬ景色を想像してしまいます。

この写真を撮っている今こそチャンスなのですが、電車に乗る時間が迫っていて無理です。

毎回この繰り返しです。

このタワー建設に際しては、賛否両論が吹き荒れ、やや騙し討ちに近い経緯で完成したそうです。

古都としては、おそらくラブホテル建設どころの次元ではなかったと推察されますが、今では「レトロ」の領域で意外になじんでいるように感じます。

目新しいものを取り組んでなじませていく空気は、「都」としての大事な要件なのかもしれません。

2018年5月12日土曜日

ゲームセンター「ミッキー」


ひょんなことに、たまたま聴いていたラジオ番組で閉店を知りました。

神保町にあったゲーセンです。

東京出張のとき寄ってみたら、写真の通り人気のない状態でした。

取引先が駿河台にあってその通り道にあったのと、そこの顧客の大半が「駿台予備校の生徒」だったので、感覚的には駿河台の下という印象です。

アポまでに時間があると、いつもここでゲームをしていたので、少し中毒気味だったと思います。

一般的な100円ゲームが最新式でもなんと50円だったので、得した気分になってかえって使い込んだかなと反省もしてます。

はまった原因は「対戦型ゲーム」の存在です。

普通は対戦希望者と闘うかどうかを選択出来るのですが、ここは選択権がありません。

問答無用でいきなりバトル開始です。

そうなると予備校生の強いこと強いこと。

同じロボットを使っていても観たこともない技が繰り出され、瞬殺されます。

「お前らゲーセンで油売ってないで、もっと勉強しろよ。」と心の中で捨てゼリフを吐きつつ大抵帰る羽目になります。

しかし浪人生のストレスがここで発散されていて、とにかく強いエネルギーに転化されていました。

当時はわかりませんでしたが、その異常な熱気に毒されて、負けるのがわかっていてもついつい足を運んでいたのかと、寂しくなった店舗を前にして感じます。

何だかんだ元気をもらっていたのかもしれません。

そう思うと、むかつきつつも少しは応援してやったらよかったな、と大人目線でなかった自分に反省です。

今更ながらですが、がんばれ!

2018年5月5日土曜日

沈下橋


ご存じ「四万十川」の「沈下橋」です。

川沿いを走ると数が多いのに驚きました。

観光目的であえて残しているのではなく、今も生活に根差していると実感します。

社会人となって東京や大阪に住むまでは、全国的に「超」有名な川なのだという認識が全くありませんでした。

上京するまで「ポンジューズ」が全国区であると知らなかったのと同じレベルです。

「自然」のイメージがこれほど強い川も日本全国を見回してもなかなかありません。

都会の方々の「憧れ」が尋常でない気がします。

私自身もその価値を再確認すべく再訪したかったのですが、愛媛に帰省したときでもなかなかここまで足を延ばせませんでした。

この写真は、漸く河口から上流までドライブしたときの一コマです。

思っていた以上に川沿いの道も整備されていて快適でした。

中村市内の食堂で食べた「天然うなぎ」が美味だったことも思い出します。

実はほぼ同じ構図で描いた「白黒の絵」を店のトイレにしばらく飾っていました。

描きたいくらい魅力的だったのだと振り返りつつ、また新たな「再発見」に訪れたいです。

2018年4月28日土曜日

洲本オリオン


「淡路島」の「洲本市」にある映画館「洲本オリオン」。

残念ながらもう閉館しています。

大胆にも車を正面入口へ横付け出来るのもそのためです。

毎週聴いていた映画特集のラジオ番組で、公開上映する企画があり、その第1弾にここが開催地として選ばれました。

(ちなみに第2弾開催地は「佐渡島」の閉館した映画館でした。)

何となく映画「ニューシネマパラダイス」を彷彿させます。

後日取り上げると思いますがその映画が好き過ぎて、主人公「トト」の故郷「ジャンカルド村」となったイタリアのロケ地を訪れたくらいです。

光をいっぱい浴びた背景なのにいつも漂っている「侘しさ」。

人生における「耐性」のようなものをこの映画は教えてくれたと思います。

写真の奇抜なオレンジ色の外観も、この映画館が存続するための「苦悩」を体現していると感じます。

旅先の飲み屋とかで、地元の方々と偶然会話する機会があるとき、映画が話題になるときがままあります。

その際に地元にあった「映画館」の話を聞くことがあります。

私も好んでよく聞き返します。

昭和のもっともっと盛り場に活気があった時代の話はもう儚い昔話とわかっていても楽しいです。

大抵は映画館自体がもう消滅しているので、出来るモノなら「箱」としてだけでも残して欲しいものです。

昭和生まれにとって、地元における「ノスタルジー(望郷心)」の源泉かもしれません。

2018年4月21日土曜日

水草水槽


「東京スカイツリー」に併設されている「墨田水族館」の目玉である「水草水槽」です。

薄暗い入口から上っていく階段の視線の先に、お客様を迎えるべく鎮座しています。

明かりが水槽の水を通じて私達に届くので、視覚的に優しく感じます。

トリッキーな魚の動きが少ない分、水草のたわやかな動きがしっかり観てとれ和みます。

少し前までは、「珍しい魚」や「水槽の大きさ」等の規模で競うような風潮があったと感じていますが、「癒し」を軸に、「水族館」・「顧客」ともに基準が再構築されていっているような気がします。

かく言う私も「めだか」を数匹飼っています。

しかしここからのグレードアップ(=循環器や照明、本格的な「水槽」の購入)は、家のスペースのなさや、恒常的に発生するメンテ、維持するためのコストも考えると、憧れつつも正直気が重く手を出す気になれません。

そのかわり、水槽とすべき「器」に凝りつつあります。

また苔・石・砂・流木を使ったレイアウトを考えることで、何となく新しい境地が開けそうで結構楽しいです。

少しずつですが新しい趣味として育てていっている最中です。



2018年4月14日土曜日

秋山神社の桜


近所にある「坂の上の雲」の主人公「秋山好古・真之」兄弟を祀った神社です。

しかし仕事帰りにこの前を通ると、よく合気道や柔道の教室をやっていて、神社というよりも地元の武道場としての機能を果たしています。

週末の土日は観光客も訪れる観光地でもあり、お城下の古き良き松山が凝縮されている空間だと思います。

桜の木が道路に迫り出しており、つぼみの膨らむ状況が手に取るようにわかります。

松山に住み始めて、春の到来をこの神社で確認していると言っても過言ではありません。

写真の馬に乗っている方がお兄さんの「好古像」で騎馬隊を指揮していたイメージが投影されていると感じます。

桜の幹で死角になっていますが、兄と視線を交わすように「真之像」の凛々しい胸像があります。

どうせなら両方とも全身像で合わせたほうがバランスがいいように思いますが、何か大人の事情でもあったのでしょうか。

記念館もあるので、入館したらわかるかもしれませんが、お金を払って入るにしてはショボそうなのでまだ実現してません。

満開の桜を堪能しつつ、いつもボンヤリと考えています。

本気の興味がないのかもしれません。

2018年4月7日土曜日

青木湖


長野県にある「青木湖」です。

明け方「新宿」を出発し、「松本駅」にて日本海側へ向かう「大糸線」に乗り換え、「大町駅」で下車しました。

そこから「折り畳み自転車」で散策です。

今回は珍しく「雰囲気」重視の旅です。

ガチな「城巡り」もなければ「鉄道路線制覇」の目的もありません。

地図を眺めていると、小さい湖がいくつか集まっていて楽しそうに見えたので、春先の自然を純粋に感じたいと思ってやってきました。

長野県は、よく目にする「道祖神」が教えてくれるのか、目的もなく何気なく見つけた景色に「美」を感じる瞬間が多いです。

「わび・さび」を企まない、無理のない「味わい」というか、緻密に計算された「美」でないところに、「緊張」と対極する「安らぎ」が生まれる気がするのです。

写真も花は少し咲いているだけですが、「フワッ」と、朝方の淡い背景に溶け込んでしていて和みます。

一面を埋め尽くすようなインパクトがあるわけではありませんが心に残ります。

「自然体」でいられることの大切さを感じる景色です。

いい旅でした。

追伸:

この文章を書いた後、衝撃の事実を知りました。
  
なんと「犬神家の一族」にて「スケキヨ」が足を突き出して死んでいた湖は、ここがロケ地だったそうです。

言われてみれば花の開き具合が、あのときの足の形容と似てるような気がします。

自然を求めて旅しただけなのにマニアックな縁です・・・。




2018年3月31日土曜日

辰巳明神


さすがに「船越英一郎」は歩いていませんでした。

ご存じ、京都の「辰巳明神」にある満開の桜です。

ここでいきなり数か月前の秋に訪れた話に遡ります。

そのとき私は、「母・母の妹・嫁さん」の三人の従者でした。

「運転手をしなさい。私たちは着物で行動します。紅葉のシーズンなので名所は外さずに。それで無理なく京都を楽しめる一日コースを考えなさい。」

結構な無茶ぶりです。

まあ普段一人でプラプラさせてもらってもいるので、仕方なくプランニングしました。

当時住んでいた大阪の「枚方」を朝出発し、先ずは「南禅寺」を車に乗ったまま眺められる穴場ルートで、東山界隈を北上して「詩仙堂」の枯山水庭園を見学。

そこから更に北上して、岩倉「実相院」の黒光りする床に映える紅葉を堪能。

「鞍馬」は混むので一本街道を東に避けて、北限の「三千院」まで足を延ばしました。

折り返して洛中に戻り、「祇園」で夕食のあとラストがこことなったのです。

ここの夜の風情はどの季節も格別ですが、特に春は「粋」に感じます。

秋と同様に、幾人かの旦那衆が芸妓さん連れて歩いていました。

桜の中での、彼女達の出で立ちは別次元の華やかさです。

写真の通り見事な桜の下を芸妓さんという「花」が舞うように歩いています。

これぞ京都の風情だなと感激しました。

男ならば「生涯に一回くらいは連れて歩いてみないとな。」と思いました。

高い目標ですが・・・・、車が買えるかもしれません。

やっぱり車かなとも考え直しました。

どこまで行っても「小市民」な自分です。


2018年3月24日土曜日

西伊豆②


今回で、西伊豆ネタは3回目です。

前回は伊豆半島「先端」寄りの「西伊豆」で、雄大な太平洋を背景に起伏に富んだ景勝地が楽しめました。

今回は「駿河湾」寄りの「西伊豆」の話です。

ここからの背景の主役は何と言っても「富士山」です。

だだでさえ素敵な「伊豆半島」の景観に、「沼津方面」へ向かう帰り道は「富士山」がチラチラ入ってきます。

しかも「たちが悪い」ことに、近づいてだんだん大きくなってくるので、よりきれいな「富士山」が撮りたくなって何回でも車を止めてしまいます。

撮影による「富岳三十六景」が作れそうな勢いです。

すごいカメラ装備で撮影している人も結構見かけます。

普段はタイミングだけでささっと撮ることが多いのですが、完全に自分が「撮影モード」に入ってしまいました。

この写真は最たる「モノ」です。

「凝り性」が強く出てしまい、車の陰影をキッチリ決めたくて何回も車を動かし、自分も斜面を動き回ってポイントを決めました。

このあとも見所が延々とあって、車がなかなか前に進みません。

結局暗くなるまで「富士山」を撮影する羽目になりました。

予定では「沼津」で寿司を食べるつもりだったのですが、優雅な気持ちになれず「吉野屋」の牛丼を食べて帰りました。



2018年3月17日土曜日

日立


茨城県にある「日立鉱山」の「大煙突」です。

大正時代に建造したモノで、何と高さは約155mあったそうです。

煙害被害の軽減に一役買い、「鉱都:日立」の象徴的な存在として君臨しました。

存続のために修理しようとしていたらしいのですが、打開策が見いだせないうちに、平成になってとうとう倒壊してしまいました。

写真は現在の「3分の1」になった状態ですが、それでも結構な迫力です。

公害対策の経緯は、何か「新居浜」とカブるイメージがあります。

実家からもよく見えるレンガ作りの角張った「生子山(通称:煙突山)」の煙突は、しっかり保存されていて「別子銅山」の存在した記憶を留めてくれて嬉しい限りです。

しかし瀬戸内海に浮かぶ「四阪島に」の「大煙突」については他人事ではなく、「日立」での倒壊があったせいなのか、残念ながら安全性を考慮して近年取り壊されてしまいました。

一度は行って観てみたいと思っていたので残念です。

話が飛躍してしまいますが、「モノ・コト」に対する「物語性」に重点を置いた販売戦略を選択する場合、それが培われた「歴史的背景」のアピールは大きな前提となります。

「過去のヒット商品・長く使用された設備」は「伝説」を構築する重要な「アイコン」です。

世界遺産に登録された長崎県の「軍艦島」が好例だと思うのですが、「産業遺産」の国レベルでの「保存活動」は、今後の「モノづくり日本」をアピールするうえでますます重要と思われます。

「革新的な技術」においても、一朝一夕ではない「重み」のような価値を加えることで「差別化」が生まれます。

西洋の国々はこのような「ブランド」戦略が非常に上手です。

まあ、過去の財産に安易にあぐらをかいていたら、経済活動として滅ぶ要因にもなりかねませんでの「捨て去ること」とのバランスは極めて重要と思いますが・・・。

デルタカフェに鎮座する「ランチア社」のデルタを眺めてそう思います。

2018年3月10日土曜日

青ガエル


テレビ番組「ブラタモリ」の「熊本編」は貯めていた録画で観たので、「熊本大震災」直後のタイミングでした。

「熊本城」を筆頭に「雄大さ」をイメージするものが多い地域だけに、映像に出ていなくても想像した被害が頭に浮かんで、非常に痛ましく感じました。

数か月前の年末に社内旅行で「熊本」を訪れていたのでなおさらでした。

写真はその旅行のときに撮影した『東急5000系電車:通称「青ガエル」』の現役最後となる勇姿です。

懐かしく心地よいコンプレッサーの音を響かせながら元気に動いてました。

今回の旅は珍しく団体旅行なので、「あっ!」と好奇心が刺激されても勝手に立ち止まれません。

それでも多少の冒険はしたくて、朝のバスが出発するまでの時間に朝食を抜いて、「未乗区間」のあった熊本「路面電車」と「熊本鉄道」を訪れた次第です。

「乗る」のが目的だったので、実はこの電車の存在を知りませんでした。

それでも最後のタイミングに出会えたので本当にラッキーでした。

「鉄道の神様」に感謝です。

名前の通りもともとは東京の「東急線」を走っていたらしく、番組でタモリさんは「昔乗っていたんだ。」と番組収録のときはもう現役引退していたので、保管場所までわざわざ行って懐かしんでおられました。

その後の震災で保存に影響は出ていないのか心配ですが、期間限定でも「復興の象徴」として復帰走行出来ないかと、ついつい考えてしまいます。

2018年3月3日土曜日

偕楽園


写真は、茨城県水戸の「偕楽園」と言いたいのですが、正確にはすぐ「そば」です。

場所は間違えて通った場所なので全く覚えていません。

何故かナビがこの畦道をルート指定して入り込んでしまいました。

無事通過出来ましたが「梅園」のど真ん中であり、せっかくなので下車して撮影しました。

白が多めで、写真は少し咲き掛けですが、周囲の紅梅白梅ともに見事でした。

でもやっぱり地味です。

花の形は、工芸的・民芸的にこれほど素晴らしい意匠になる素材はないと思っています。

が、逆にまとまりが良すぎるからでしょうか。

「桃」のように見上げないといけない高さがありませんし、「桜」の枝ぶりのように「枠」をはみ出すような大胆さが感じられないからかもしれません。

「明治維新」でも、どこか職人気質でおいしいところを持っていかれてしまった「水戸藩士」のイメージとかぶる気がしてしまいます。

「偕楽園」も「日本三大名園」に列挙されますが、「兼六園」や「後楽園」と比べるとやっぱり控えめです。

そういえば印象派の画家「ゴッホ」は日本好きで、浮世絵を参考にした「梅」の習作があります。

そのちょっと残念な感じが「アーモンド」や「オリーブ」よりも、個人的には似合っていると思います。

茨城県で派手なのは、「水戸泉」の塩テンコ盛りの土俵入りくらいかなあ。

世界の人から見た「日本人」って、こんな感じかもしれません。

2018年2月24日土曜日

書写山圓教寺


ご存知の方も多いと思いますが、「トム・クルーズ」主演の映画「ラストサムライ」で舞台となった「書写山圓教寺」です。

恥ずかしながら、それまで全くこのお寺の存在を知りませんでした。

「西の比叡山」・「天台宗別格本山」・「西国三十三所第27番」等の数多く呼称があるにもかかわらずです。

規模が大きいのにビックリしました。

「ロープウェー」で上がって山頂に到着しても、そこから中心部の「摩尼殿」へ有料マイクロバスが発着しています。

それに乗らずに早歩きで20分位かかってやっとの到着です。

写真は「食堂」の二階廊下から「大講堂」を脇にして「常行堂」を撮影したものです。

どれも豪壮な建物で、すごく硬派な感じがします。

「トム・クルーズ」が登ってきた通りも含め、映画の雰囲気以上に大きくも見えました。

失礼ながら「坊主の袈裟」よりも「武士の甲冑」のほうが全然似合う空間です。

また「宿坊」での「精進料理」や「座禅」の修業も体験出来るそうで、あらためてメンタル修業に行ってみたい気がします。

「武士道」的な感覚を大いに学べそうです。

ここをロケ地に使った「トム」へのファン度がますます上がりました。

2018年2月17日土曜日

津川


新潟県「新潟駅」と福島県「郡山駅」を結ぶ「磐越西線」の「津川駅」で下車しました。

写真は街中へテクテク向かう途中に、「阿賀野川」にかかる橋から撮ったものです。

「夕暮れ」に思えますが、「日の出」です。

水墨画のような景色にだんだんと赤みが指してきて大変美しく感じました。

右側のアングルから切れている山が「麒麟山(きりんざん)」と呼ばれ、「麒麟」に山容が似ているから名付けられたそうです。

細くて高いからでしょうか?。

また目的地の「津川城」でもあります。

ここは「新潟県」なのですが昔は「会津領」であり、歴代城主は会津藩の重臣が配置され、「越後口」の重要な防衛ラインでした。

「新潟の城」としては珍しく石垣も結構あるそうなのですが、雪が積もっていてイマイチわかりませんでした。

山が急こう配なので必要ないとも思える険しさです。

また「阿賀野川」と城を挟むように、「常浪川」と呼ばれる大きな支流もあり、自然の堀に山が囲まれている構造です。

登城はハードでしたが「本丸展望台」からの景色は、靄が消えたおかげで写真の景色とは対象的に、キンキンの朝日を浴びた状態で拝むことが出来ました。

讃美歌が聞こえてきそうです。

また下山したところに「麒麟山温泉」があり、駅が来るまでの時間ゆったりと出来ました。

「城登り」で冷えた手足を湯舟に入って「大の字になって延ばす」のは本当に最高です。