2022年5月28日土曜日

士幌線(しほろせん)


家族に「中2病」のレッテルを貼られている自分としては、その裏付けを告白するみたいで恥ずかしいのですが、なじみの模型屋さんに「自作のジオラマ作品」を飾ってます。

今回の作成情景を店主に説明すると「士幌線?」と、首を傾げられました。

国鉄民営化の直前に廃線になったので、やむなしかもしれません。

場所は北海道内陸部の「帯広」から、十勝平野を北上して、山岳地帯に延びた路線です。

人口減少に伴い、北端の区間から徐々に廃線となっていったのですが、「美しいアーチ橋梁」や「プラットフォーム関連施設」が放置されたまま、結果的に手つかずで残りました。

それが功をそうして国の登録有形文化財や北海道遺産に認定され、昨今の「廃線ブーム」の火付け役になりました。

実際GWの時期に訪れると、周辺に雪が残った景色を眺めつつ、路線跡を歩いたりして、北海道の大自然を満喫しました。

それなりの観光地ですが、人は住んでおらず、寂寥感がひしひしと伝わってきて、このうえない「旅情」を感じました。

写真は、遺産の中でも特に有名になっている「タウシュベツ川橋梁」です。

崩落の危険があるため、関係者以外近づくことが出来ず、展望台からの写真です。

「然別湖(しべつこ)」の水位が低いときしか現れない幻の橋ですが、ラッキーにも拝むことが出来ました。

自然と一体化した人工物の素晴らしさを強く感じました。

ずっと残っていて欲しいです。


2022年5月21日土曜日

花咲くりんごの木の枝


いつも旅をしていて、草植物のみを被写体として写真に収めることはほとんどありません。

この写真は、青森県津軽平野を車で疾走していて、自販機で飲み物を買うときに、たまたま撮影したものです。

りんご畑のど真ん中でした。

見上げた角度のせいか、白い花と青空の背景が、印象派の画家「ゴッホ」の「花咲くアーモンドの木の枝」に似通ったものを感じて、シャッターを切りました。

彼は既に精神病院で療養していて、そのときに手がけた作品です。

弟の「テオ」に子供が産まれたので、お祝いに描かれました。

自身でも傑作とも評しており、実際にテオの自宅の一室を飾ったようです。

自分が観た限りのレベルの低い話ですが、彼の作品は明るい色をいくら重ねても、陽気な絵にならないなあと思っていました。

が、東京の美術展でその実物を鑑賞したとき、希望の光が射しているように感じました。

塗りは荒いのですが、かなり精緻に描写されています。

しかし残念にも、アーモンドに花が咲くことすら知らなかった自分としては、似ているのかどうかもわかりません。

旅の友として、ナッツ系はつまみとして常備しています。

とりわけアーモンドを好むことが多いのですが、いつも食べているくせに、そもそも種なのか実なのかも知りません。

酔っているので、調べる気にもなりません。

せっかく楽しいひらめきだったのに、低レベルな方向にどんどん向かいそうだったので、考えるのを止めました。

不覚の極みです。

2022年5月14日土曜日

真穴地区(まあなちく)


八幡浜市から南に海側の道路を進んでいくと、みかんの産地で有名な「真穴地区」があります。

写真は仕事で訪れた際に撮影したもので、晴れた空と青い海を背景に見えるみかん畑は、温暖な気候を体現しています。

それでも伺った一年前に、台風で塩害の被害を受けて心配していたのですが、道すがらしっかり復活している印象を受けました。

大人になって県外にいたときは、「昔、日本一だったみかんの生産量は、和歌山県や静岡県に抜かれてしまっている。」と残念に思っていました。

しかしそれは、一般のみかんのイメージとなる「温州みかん」に限定した話で、「柑橘類」でくくれば全国トップであることを、あらためて知った次第です。

加えてこの地区のオーソドックスな「温州みかん」を初めて食べたとき、あまりのおいしさにビックリしました。

甘みと酸味のバランスが高次元でまとまっていて、高値がついても納得出来ます。

東京とかの大都市にある、高級フルーツ店の目立つところに、これみよがしに陳列されていたのがよくわかりました。

また、こちらで仕事をするようになったとき、覚えくれないくらい品種が増えているのに驚きました。

様々な取り組みをして進化し、他地域に先駆けて高付加価値化を図っている証なのだと、愛媛県の「高品質・多品種」の流れを素晴らしいと感じました。

日本農業の未来は捨てたもんじゃありません。


2022年5月7日土曜日

瑞泉寺


富山県(旧国名:越中)南砺市井波にある「瑞泉寺」。

金沢県(旧国名:加賀)寄りの奥まった地域に位置し、戦国時代は越中一向一揆の大拠点でした。

加賀の国が15世紀末に「国一揆」で、一向宗徒の支配する国になっており、近隣であるこの地域も連携していました。

そのため、お寺はバリバリの戦闘施設としての側面を濃厚に感じます。

その正門は、城門と変わらない分厚さがありますし、周囲に張り巡らされた石垣も強固です。

緩やかな斜面の最上部にこのお寺が位置するため、平野部から攻め登る敵方を見渡すのにはうってつけです。

一向宗門徒の生き残りにかけた執念というか、緊張感が伝わります。

以前に取り上げました愛媛県「観念寺」界隈の石垣は、伊予松山城を手がけた専門集団の影響も受けてあるのか綺麗に積まれています。

しかし戦いの血生臭い匂いは全くありません。

スキルが働いて、田畑にしては必要以上にりっぱに作ってしまった印象で、ここと対照的に思いました。

話は戻します。

勢力を長期に渡り維持しましたが、戦国末期にはとうとう信長軍の「佐々成政」による越中侵攻で焼かれてしまいました。

それ以後も堂于は消失を繰り返しますが、この地域は木彫が盛んな地域ということもあり、現在の仏閣の装飾は異様なくらい見事です。

広告塔の意味合いがあるのかもしれませんが、スキルが働き過ぎて、バランス的にはやり過ぎかもしれません。