2016年11月26日土曜日

人造人間?


最初地名を見つけたとき「人造人間?」と思ってしまいました。

しかしその意味の「フォムンクルス」ではなく「ホルンフェルス」の見間違いで、地質学上の名称でした。

場所は島根と山口の県境に位置し、山口側の海岸線にあります。

「有福温泉」を訪れた際に足を延ばして行ってみました。

国道から人気のない海岸線に踏み込むように侵入していき、すぐに発見しました。

写真の通り、岩肌の灰色と黒色のコントラストが見事です。

が、地球上でも貴重な景観と思いつつも、イメージ通り過ぎて何のサプライズもありません。

大きさも「このぐらい?」と勝手に想像していたのと変わらず、ただの確認作業のようになってしまいました。

結構不便なところで「秘境」を探すワクワク感も高かったのですが、脇道に入ってあっさり到着したこともはしごを外された格好です。

ここまで来たなら、もっと苦労してたどり着きたかったです。

「有難み」の演出は大事だとあらためて実感しました。



2016年11月19日土曜日

印旛沼


千葉県にある印旛沼で撮影した一枚です。

もともと一つの沼だったと思われるのですが、干拓等により今は二つに分かれているようです。

ちょうど自転車の趣味を始めたばかり。

自転車道を走っていてこの風車の景色を偶然見つけました。

突然のヨーロッパみたいな田園風景に出くわし、思わず息を飲みました。

千葉県では珍しい感じがします。

いろいろ奇をてらった建物は多いのですが、商業ベースの発想で作られたハコモノが目立ち、本物志向が弱くてシラけます。

この近くにも成田空港があり、何となくザワザワしたスポットが頭に浮かびます。

しかしあらためて地図を見ると、「成田山新勝寺」や「佐倉歴史民俗博物館(佐倉城跡)」・「宗吾霊堂」などがあり、歴史を感じる場所もまあまああります。

先入観をおいて自転車ぐらいのスピードで動いていると、もっと素敵な場所を新発見・再発見出来る気がします。

「あれ?」と思ったら引き返すことも大事。

反省です。

2016年11月12日土曜日

恐山



飛行機雲がいい感じで写っています。

青森県下北半島の「恐山」です。

「大湊線」の「下北駅」からバスで山上を目指しますが、道中いたるところにおびただしい数のお地蔵さまが鎮座されており、故人を偲んでいるのか人の服まで着ておられます。

バスの中からでも何か漂う気配を感じます。

函館からここに来たのですが、途中でデジカメを編集していた際、何故か消えてしまいました。

「新選組:土方歳三」関連の写真が台無しです。

押し間違いでしょうがタイミングが怖いです。

訪問の目的が少々邪道なせいかもしれません。

目的は「恐山温泉」。

「あの世」でもどちらかと言えば地獄を想像させる「境内」の中に、極楽の泉質を持つ「温泉小屋」があるらしいのです。

行ってみると、硫黄の臭いと灰色の土をかぶったような鄙びた小屋がありました。

中は電球一個で薄暗く、若そうな人は誰もいません。

湯気も手伝って、この世じゃない方々も混じっているかもしれません。

強酸性の白濁したお湯です。

ものすごく神妙な気持ちで入らせてもらいました。

のぼせかけているのか、トランス状態になりかけているのか、やや夢ごこちな感じでした。

いろんな意味で最高でしたが、もう行かないと思います。


2016年11月5日土曜日

南蛮の落日


八幡浜・臼杵フェリーでお馴染みの「臼杵城」からの夕日です。

二重櫓二基と石垣が残っていて、町の中心地にある高台の城址公園ですが、昔は「阿蘇溶岩段丘の島」でした。

ほぼ垂直に切り立った崖になっていて、高さはなくとも海に囲まれていたら要害だったと思います。

戦国時代はキリシタン大名「大友宗麟」の隠居城であり、「南蛮貿易」のみならず、東九州の政治・経済・文化の中心地でした。

海外からの文化は九州経由の時代ですから、「南蛮ファッション」を生で見る「モード最先端」の地域でもあったのかと、勝手に「パリ・ミラノ」のイメージで妄想してます。

ただし、今も三重塔がある寺社・町屋・屋敷が点在していて和む景色は多いのですが、今までの訪問では「南蛮」の名残を感じることが出来ませんでした。

が、この夕日を見て「南蛮」を感じることが少し出来ました。

最終的には「豊臣秀吉」に救われるのですが、「大友氏」は九州統一を目指す「島津氏」に包囲され滅亡の危機にさらされます。

豊臣の援軍を待つ籠城の際に、「大友宗麟」も祈りながら同じ夕日を見たのでしょうか。