2016年11月5日土曜日

南蛮の落日


八幡浜・臼杵フェリーでお馴染みの「臼杵城」からの夕日です。

二重櫓二基と石垣が残っていて、町の中心地にある高台の城址公園ですが、昔は「阿蘇溶岩段丘の島」でした。

ほぼ垂直に切り立った崖になっていて、高さはなくとも海に囲まれていたら要害だったと思います。

戦国時代はキリシタン大名「大友宗麟」の隠居城であり、「南蛮貿易」のみならず、東九州の政治・経済・文化の中心地でした。

海外からの文化は九州経由の時代ですから、「南蛮ファッション」を生で見る「モード最先端」の地域でもあったのかと、勝手に「パリ・ミラノ」のイメージで妄想してます。

ただし、今も三重塔がある寺社・町屋・屋敷が点在していて和む景色は多いのですが、今までの訪問では「南蛮」の名残を感じることが出来ませんでした。

が、この夕日を見て「南蛮」を感じることが少し出来ました。

最終的には「豊臣秀吉」に救われるのですが、「大友氏」は九州統一を目指す「島津氏」に包囲され滅亡の危機にさらされます。

豊臣の援軍を待つ籠城の際に、「大友宗麟」も祈りながら同じ夕日を見たのでしょうか。

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