2026年3月28日土曜日

フィアット・プント

 


懐かしい写真を見つけました。

失礼ながら、観光地がほとんどないと認識している「茨城県」の田園地帯を走っていたときの一枚です。

行きたい観光地はなくとも、城はあります。

インパクトのある景色には、なかなか出会えませんが、淡い感じで梅や桜、菜の花が咲いているのをよく見かけました。

不覚にも、この前の車を事故で廃車にしてしまったときに、ディーラーよりこの車を勧められました。

予算が厳しかった中、お値打ちな提案でもあったので、迷うことなくこの「フィアット・プント」を購入した次第です。

フィアットの主力車種であり、当時のイタリアでは一番多く走っていました。

目玉は、「初代フィアットパンダ」以来かと思われる、CVTが搭載されていることです。

ディーラーの担当者が、「安心して下さい。日本製なので壊れませんから。」と太鼓判。

どうもスバル製のようですが、イタ車を欲している人間からすると、ちょっと複雑な心境です。

ただ乗り始めて、その小気味良さにビックリしました。

小さなエンジンですが、つづら折りが続く山道も、ストレスなく回転数がフィットして、ぐいぐい上っていきます。

イタリア車特有の、モッサリとしたシフトラグが全くありません。

さすが日本製と、妙なポイントで感心しました。

また時期的に、千葉県北部から茨城県の城を、集中して巡っていたので、とても重宝しました。

この地域は、大きな城があまりないのですが、南北朝争乱を描いた「太平記」に登場する山城が多く、あまり整備されてない細い道が多かったからです。

そのアップダウンを、楽しく攻めることが出来ました。

しかし、内装は素っ気なく、シートは無地ファブリックなのに、何故かワインレッドでした。

インパネもプラスチッキーな素材で、全体のバランスに落ち着きが全くありません。

逆に、その安っぽい風采が、この車の雰囲気に似合っていました。

この流れは、パンダのようなイタリアンピッコロの美徳だと思います。

今思い返せば、茨城県にかなり関われたのは、この車のおかげだったかと。

あれ以来、この地域を訪れてませんが、古代の史跡や神社を訪問する機会が欲しいと、思ってはいます。

なかなか乗り気になれないですが。



2026年3月21日土曜日

十二湖


青森県と秋田県に跨る世界遺産「白神山地」の一角にある複数の湖の総称です。

所在は青森県となり、「白神山地」の北側になります。

このとき「黄金崎不老不死温泉」がある青森県の日本海側をドライブしていました。

その帰り道に、まだ日が暮れてなかったので立ち寄ったのです。

ここに来るまで雪を意識することはなかったのですが、湖の周辺には雪がところどころに積もっています。

無防備な状態で初冬の東北地方に来ている怖さを、反省しました。

そうした緊張感の中、雄大な自然を満喫しました。

下の写真は、水面がブルーになることで有名な「青池」です。

ここを目当てに訪れましたが、さすがに夕方が近い鈍色の空では、青く輝くている姿を拝むことは出来ませんでした。

しかし、水面をのぞき込むと、確かに絵の具のような青色をしています。

それでも奥まで透き通っていて、湖底がしっかり見えているのは不思議な感じがしました。


そして何事もなく、無事に帰路についたのですが、最近の熊による被害報道を目の当たりにすると、もうここは安易に立ち寄れる場所ではなくなっている気がします。

自分の趣味としては、一定の区切りはついてきた山城探訪ですが、これからは命がけの所業になってきました。

一人でフラッと行って、行方不明にならないようにしないと。

誰も見つけてくれません。

国内旅も恐ろしいことになってきました。
 

2026年3月14日土曜日

鬼ノ城(きのじょう)


岡山県の総社市にある古代山城(神籠石式山城)で、日本100名城にも選定されています。

30年近く前にも訪れたことがありますが、そのときは発掘が進められていたものの、狭い山道しかなく、楼門跡らしき痕跡を確認した程度でした。

古代史も今ほど調べてなかったので、桃太郎伝説に登場する鬼のモデルとなった温羅(うら)が、立てこもっていた拠点という認識でした。

しかし、現在の整備された状況には目を見張りました。

今回、城の外周2.8kmを実際に歩いて回ったのですが、石塁・土塁が見事に復元され、4カ所の城門・水門6カ所もほぼ整備されているようです。

写真は西門を城内から撮影しましたが、標高が約400mに位置するため周囲を見渡す展望は抜群でした。

当時より埋め立てで、遠ざかってしまった現在の海岸線でも見渡せます。

ここなら、上陸時点から敵の動きを確認しつつ、備えることも余裕だったでしょう。

時期は7世紀後半に築城されたようで、朝鮮半島での「白村江の戦い」が原因です。

百済再興をかけて渡海したものの、唐・新羅連合軍に惨敗(663年)し、その逆襲を恐れたからでした。

城内にも多くの建造物跡が残っており、ほぼ完成した古代山城とのことですが、それ以前には一体ここに何があったのか、ますます気になりました。

桃太郎のモデルとなった「吉備津彦」が吉備地方を鎮撫したのは、更に時代を遡った崇神天皇の頃です。

当時の海岸線は総社付近らしいので、大和朝廷への反抗勢力が拠点とするには十分な場所です。

下の写真は、西門から南方向にかけての柵の内側ですが、土台の石畳みから堅牢に築かれており、そこから続く場外の土塁は6~7mの高さがあるのですが、少々のことでは崩れないと思われます。

古代から大きな勢力基盤を誇った吉備地域へのロマンが、ますま増幅される名城でした。
 

2026年3月7日土曜日

長崎新幹線


2022年9月に開業した「長崎新幹線」。

先端の穴が開いたように見える黒いワンポイントと、白と赤のツートンカラーを見て、「宇宙戦艦ヤマト」に登場する戦闘機「コスモゼロ」とイメージが被りました。

絞り込んだように見えるボディラインも含め、最近の新幹線では一番好きなデザインです。

さすがに一番乗車は出来ませんでしたが、年内に「青春18切符」を使って、長崎方面を目指しました。

正式名称は「西九州新幹線」ですが、「武雄温泉駅」から「長崎駅」を結ぶフル規格の新幹線です。

「山形新幹線」や「秋田新幹線」のような在来線を拡張した形式ではなく、新幹線専用に設計された新規路線なのです。

しかし、とても複雑な事情を抱えています。

現状では、「佐賀県」が新幹線に素通りされる地域の過疎化を懸念し、その敷設に反対しているため、本流の「九州新幹線」と繋がっていません。

そのため「新鳥栖駅」まで新幹線でやって来ても、そこで乗り換えて「武雄温泉駅」まで在来線の特急を活用し、再びこの新幹線に乗り換えることになるのです。

スムーズに繋がっていないことに対して、無用な存在のようにあげつらう報道も見かけますが、これでも長崎県にとっては相当便利になりました。

県庁所在地「長崎市」に鉄路で向かうとすると、二つの在来線があるのですが、どちらも大きく弧を描きながら海沿いを走るため、特急でもかなりの時間がかかりました。

それをこの新幹線は、新設の直線ルートで突っ切るため、「武雄温泉駅」からでも一時間以上の短縮になります。

それを体感したくて、当時住んでいた「下関駅」を始発で出発しました。

延々と各駅停車で、小倉・博多・鳥栖・佐賀を経由し、「武雄温泉駅」に到着。

新幹線と特急の接続は、スムーズな乗り換えが出来るダイヤになってますが、各駅停車は配慮されてなく、時間の余裕がかなりありました。

そのまま改札を出て、しばらくプラプラしたのですが、いい塩梅で観光客が滞留してます。

みなさん、この地域の特産品を食べたり、買ったりしていて、満喫されているようです。

意外にもこの不便な乗り換え、結構な地域活性化につながっている気配がしました。

下の写真は、乗車前に側面から撮影した一枚ですが、カモメ(KAMOME)マークが洒落ています。

黒いフロントガラスの縁取り部分にも、ゴールドのアルファベットで「西九州新幹線かもめ2022」とレタリングされていました。

駅のフォームもSF感があり、更にワクワクしてきました。

いよいよ乗車しましたが、案の定ほとんどトンネルで、景色を見ることが出来ません。

ただ、ワープしているみたいで、これはこれで臨場感を楽しめました。

チラチラ街の景色が見える車窓になったら、もう到着のアナウンスです。

到着後は、目当ての店で食事しようとしましたが、行列であきらめました。

帰りはそのまま、新幹線に乗らず、すべて各駅停車です。

新幹線に乗った後なので、いつも以上に時間がかかる気がします。

何とか終電の時間帯に下関に到着した次第です。