2024年5月18日土曜日

ジャンカルド村①


実はイタリア旅行は、このブログを書き始めたときに、最終回用に置いておいたものでした。

しかし旅行への意欲は失われることもなく、新しい題材は増え続けていること。

ブログも7年経つと、この旅行自体の記憶が曖昧になってきたこと。

このへんは、自分の老人化が確実に進んでいることに危機感を覚えていますが、今書こうと決めた次第です。

本題に戻しますが、今回の旅行はイタリア映画のロケ地巡礼の側面があります。

若い方の間では、アニメの巡礼が流行っているようですが、オタクの私も若いときから結構やっていました。

ご存知の方も多いかと思いますが、「ニューシネマパラダイス」。

自分にとってはイタリアの扉が開いた映画です。

少年トトが生まれ育った「ジャンカルド村」、実は実在しません。

正確には、海と山にある別々の町を2つ併せて、作り上げた村でした。

最初にレンタカーで向かったのは、空港のある州都「パレルモ」から時計回りに西側の「ティファル」です。

海の「ジャンカルド村」になります。

目の見えないアルフレッドが、青年トトに寄り添って海岸を歩きながら、「お姫様と兵士」の話をするシーン。

それと旅立ちのときの駅はここが舞台でした。

あのときと同じく快晴です。

眼前の「ティレニア海」も、強烈な青色が深々と突き刺さってくるようでした。

思い描いていた通りのイメージが体感出来て、しばらく見惚れてました。

空港泊のため、遅れを取り戻すべく次を急がないといけないのが、もどかしい限りです。



駅の廃屋も日本の風情とは一味違う、素敵な味わいが滲み出てました。

2024年5月11日土曜日

シチリア島


のっけからつまづいています。

意を決して憧れのシチリア島にやってきたのですが、ローマからの乗り継ぎ便が遅れ、レンタカーの空港店が閉店してしまいました。

記念すべき初日を、パレルモ空港内で一晩明かすことになりました。

その動揺のせいか、空港の巡回バスにバックを置き忘れる始末。

最終の巡回バスだったらしく、問い合わせたくとも誰もいません。

イタリアで忘れ物なんて絶望的です。

パスポートと金品の類は身につけていましたが、衣類は調達しないといけません。

だだっ広い空港ロビーで、暴漢の類がやって来たりしないか、周囲を警戒しながら不安な夜を過ごしました。

写真は、早朝の空港ロータリー前で撮影した1枚です。

果たして旅行を完遂出来るのか、大体の旅行は能天気な感覚でスタートするのですが、今まで経験したことのない不安を覚えた記憶が鮮明に残っています。

朝一番の巡回バスがやって来ました。

バックのことを相談しようと近づいて車内を見ると、そのままバックが放置されていました。

何と同じバスにそのまま巡り会えたのです。

急に運気が上がってくる気がしました。

1日遅れたレンタカーは、乗りたかった「ランチア・イプシロン」のマニュアル仕様です。

天気も良さそうで、眠気も吹き飛びました。

今から島一周旅行のスタートです。


 

2024年5月4日土曜日

第二奇兵隊本陣跡


「山口県柳井市」の山間部に「石城山」があります。

ここに「石城山神籠石」と呼ばれる古代の山城が存在しました。

以前訪れていましたが、山頂へ行くことが出来ず、再訪した次第です。

「天智天皇」の時代に、「白村江の戦」で破れた日本軍は、朝鮮半島から撤退します。

そのため半島を統一した「新羅」の反攻に備えて築かれました。

山頂部近くに「神護寺」があるので向かいました。

するとそこは、山口県東部の「奇兵隊」本陣に活用された場所でした。

どうしても「高杉晋作」が、下関にある「功山寺」にて挙兵したイメージが強いのですが、この民力主体で創設された軍隊は、毛利領内の「長門・周防」2カ国で展開されました。

当初は「南奇兵隊」と呼ばれたらしいですが、400名を超す大きな組織となったので、「第二」の名称がつけられたようです。

しかし組織の運営上の問題や、時代に取り残されるようになり、徐々に瓦解していきました。

とはいえ、空間の雰囲気としては駐屯した気配がひしひしと残っていました。

草木は生い茂ってますが、広さはそのまま残っているようです。

写真にある正門の奥に置かれた灯篭の明かりと、次の写真にある千手観音菩薩が、その歴史があったことを強く訴えているように感じました。

自分の霊感レーダーが働かなかったのが不思議な気がしました。