2021年9月4日土曜日

庭瀬城・撫川(なつかわ)城


城巡りに際して、一番想像力を使うのは、城が活用されていた当時の姿をイメージするときです。

特に歴史小説で、城を舞台に戦場の描写があった場合です。

事実はどうかは別として、自身の想像におきかえて検証してしまいます。

そのときやっかいなのは沼地とか湿地帯の存在です。

現在は、埋め立てと排水工事がしっかり行われているため、消えているケースかほとんどです。

往時とは全くかけ離れていて、石垣・土塁も残ってないと、ただの公園にしか見えません。

ところが、今回取り上げるこの二城(隣り合うように近いので実質一つ)は、希少な事例といえます。

時代を超えて、「水城」を感じることが出来ました。

住宅地になっているのですが、堀はかなり残っています。

水をうまく取り込んで、江戸時代も「陣屋」として、防御と交通に活用していたことが伝わってきました。

写真のように、複数の石垣で囲まれた郭が、水辺にぽっかり浮かぶように存在してます。

折りたたみ自転車を活用して、堀沿いの路地裏をウロウロしたりして、相当楽しめました。

「備中国」と「備後国」の国境に近く、戦国時代は、「足守川」沿いを守る「毛利氏」の「境目七城」の一つでした。

この防衛ラインの主戦場が「豊臣秀吉」に水攻めされた「備中高松城」です。

「本能寺の変」が起こったことで、ここから豊臣軍は引き返すわけです。

その城跡の周辺は田畑になっていましたが、あらためて、近くの「足守藩」であったエリアを、川沿いを中心にゆっくり探検したいと考えています。

この藩は、秀吉の正妻「おね」の兄である「木下家定」が初代です。

一度所領没収となりますが、幕末まで存続します。

いろんな発見が出来そうです。


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