2018年2月10日土曜日

長岩城


昔の「国」がくっついて「県」になることは多いのですが、「豊前国」は「福岡県」と「大分県」の一部に分けられてしまいました。

そのおかげでこの地域の出来事は、今一つ地理的に把握しづらいです。

もともと「豊前国」だった「小倉」と「中津」の地域が、それぞれ「福岡県」と「大分県」らしく感じられないのはそのせいかもしれません。

今回の「長岩城」のある場所は更に奥まっていて、県境が微妙な位置になるのですが、ギリギリ「大分県」でした。

奇岩が林立する景観で有名な「耶馬渓」の奥地にあり、その岩石の特徴を生かして築城されています。

特徴的なのは、石垣が「土台」だけでなく「壁」まで含めて構築されていることです。

鉱山の集落跡と見間違えるくらい、谷川を囲むように「壁」となった石垣が迫り出ており、なおかつ密集しているため、攻め手はかなりの圧迫感を感じることになります。

また独特の形態として、「銃眼」まで石積みされた筒形の「弓型砲塁」や、写真の「円形砲塁」があり、崖の先端に「トーチカ」風に縄張りされています。

(雪が残って馬蹄形に見える部分がそうです。)

まるで近代要塞のようです。

城主だった「野仲氏」は、入部した「黒田長政」に戦国末期に滅ばされて、以後は廃城となっています。

しかし忘れ去られたおかげで、これだけの遺構が数世紀にわたって残っているのです。

遺跡に関しては、「皮肉な出来事」がよく「結果オーライ」になっていると思います。



0 件のコメント:

コメントを投稿