2016年4月16日土曜日

火種の一族


「岩櫃城(いわびつじょう)」

大河ドラマ「真田丸」のオープニングに登場する山城です。

城郭と縄張りは「備中松山城」のCGのようですが、山の威容は実在します。

武田勝頼は「新府城」撤退の際、その方向で真田氏の「岩櫃城(群馬方面)」か、小山田氏の「岩殿山城(東京方面)」かで悩みます。

結局、後者を選び武田氏は滅亡します。

この写真を見るたびに「ここに籠っていればなあ。」と「歴史のもしも」を考えてしまいます。

真田氏はこのあと、信州「上田城」・この「岩櫃城」・上州「沼田城」を主城として「上州街道」を結び、山岳地帯の領地を「面」ではなく、「線」で守り抜きます。

その過程で戦国大名として独立していきますが、戦国史上いろいろな「火種」を生みます。

「沼田城」は北条氏との領地争いから、豊臣秀吉の「北条征伐」の口実となります。

また本城「上田城」は、徳川氏の二度の猛攻を退けます。

特に第二次合戦は、「関ケ原の戦」に向かう「徳川秀忠」率いる徳川主力を遅参させるなど、離れた場所で戦局に大きな影響を与えます。

とどめは、「真田信繁」による「大阪冬・夏の陣」での「真田丸の防衛」と「家康本陣への突撃」です。

しかし、「武田氏・豊臣氏」と負ける側についても、一族としては徳川時代を生き残ります。

「幸村」という名は、徳川への大戦犯「信繁」を公に先祖として弔えないので、あえて拵えた偽名だそうです。

ひょっとして、徳川氏は知っていても見逃していたのかなと思っています。

相手に「ひと泡ふかせる」って、「恨み」を超越して「敬意」を招く行為なのかもしれません。

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