2019年9月14日土曜日

岸岳城


ここまで来るのにはずいぶん迷いました。

今回の訪問先は、佐賀県唐津市の山間部にある「岸岳城」の西北側にある「岸岳古窯跡群」でした。

秀吉の「朝鮮出兵」以前からの「初期唐津焼」が、この地域を支配した「松浦党波多氏」の主導のもと、朝鮮陶工の手によって始められた場所です。

登り釜等の遺構が残っており、城内にでは「織部・志野」の焼物が多数発見されていることからも、この地域が日本の「茶の湯文化」のスタートに大きな影響を与えたことは間違いなさそうです。

「古田織部」とかも来てたのでしょう。

このあたりの契機が「朝鮮出兵」撤退時における各大名による朝鮮陶工の強制連行に繋がっている気がします。

そんな空想を満喫した後に、案内札もあったので城山の本丸へ向かったのですが、本来の登城は反対側の東南からだったらしく冒頭の通り迷いました。

それでも頑張って写真の通り、本丸跡であろう山塊が頭上に見えるところまで辿りたのですが、ここから更に霧と雨がどんどんひどくなり目的地が霞んで消えるようです。

体もだるくてしんどくなってきたので、ここから先はとうとうあきらめました。

でも正解の判断でした。

自分のレーダーが働いていたのです。

なんとここは九州でも指折りで有名な心霊スポットでした。

その後の「波多氏」は朝鮮出兵時の不手際により改易されてしまい、残された家臣団が家族である女・子供を城の崖から突き落としたうえ、集団自決したそうなのです。

城といっても戦がなかったので、文化的な側面でしか見ておらす油断してました。

今でも「岸岳末孫(きしだけばっそん)」と怨霊名までついて恐れられているとのこと。

ネットの話題では、甲冑を着た骸骨が昼間でもうろついているそうです。

くわばらくわばらでした。

でも苔むした石垣見てないんだよなあ。

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