2019年11月30日土曜日

太閤の石切場


「日本のエーゲ海・牛窓」。

まあまあ浸透しているキャッチフレーズです。

洋食・洋菓子のお店や雑貨屋とかもあり、ドライブコースにうってつけなお洒落スポットです。

また、そこから少し先には「牛窓千軒」として栄えた町並みの遺構があります。

江戸時代に「朝鮮通信史」が寄港した港であり、船千叟と呼ばれた盛況ぶりでした。

「本蓮寺」の三重塔や本堂にその繁栄していた名残を感じます。

また大正時代の建築物も残っていて「竹久夢二」の出身地でもあることから「大正ロマン」も連想されます。

しかしこの旅の最大目的は、眼前の「前島」にあります。

先ずは低料金のフェリーにて車ごと渡り、民宿で海の幸を堪能しました。

そして翌朝写真の場所に向かいました。

「太閤の石切場」です。

実は大阪城の石垣はここでも切り出されました。

あまり取り上げられないのですが、あの天下の名城を数年で築くのにどのくらいの人間が動員されたのでしょうか。

あの広大な縄張りを総石垣にする規模です。期間の短さも考えるとピラミッド建設に近いレベルのような気がします。

次元が大き過ぎて、当時の前島と牛窓の盛況ぶりが想像出来ないのです。

それでやってきたのですが、目の前に転がっている大きな石を見ても、やっぱり実感出来ませんでした。

0 件のコメント:

コメントを投稿