2024年8月31日土曜日

レッドバロン


「大師堂???」

奄美大島の企業訪問中に、その看板があったので、気になって指し示す脇道に入りました。

すぐに説明版を発見。

その横に生い茂った木々に埋もれるように石段があります。

確か奄美大島には、毒蛇のハブが生息してます。

無謀に分け入ることも出来ないので、先ずはチャレンジする価値あるものか判断しようと思い、説明文を読みました。

ところが、大師=弘法大師はこんな人みたいな説明をしているだけです。

石像があったので忘れられないように囲ってます、みたいな内容で要領を得ません。

ますます興味が募り、赤く塗られた手すりの先がどうしても気になります。

好奇心が勝り、行くことにしました。

雨が上がった直後なので薄暗く、頭上も木々に覆われて、洞窟のように感じます。

そのせいか、赤の手すりがやたらに目につきます。

途中に寺院跡のような空間もなく、50メートルも行かないうちに、写真の真っ赤な祠に行き当たりました。

そびえ立つような端正なデザインに、いい意味で期待が裏切られました。

子供の頃に観ていた子供番組「レッドバロン」を想起します。

番組タイトルの名称を持つ主人公ロボットに、どこかイメージが似ています。

周囲にハブがとぐろを巻いてないか気にしつつ、目に当たる窓をのぞき込みました。

頭がない石像が鎮座してます。

あきらかに「廃物希釈」の傷跡です。

鹿児島県は、幕末に藩の号令のもと、徹底的な「廃物希釈」が実施され、古い寺院の建造物が完全に消滅した唯一の県です。

ひょっとしたら島でも辺鄙な場所なので、五体満足な石像が残っているかな、と期待したのですが、ここでも徹底破壊されていました。

祟りか何かで、ここに祭らざるをえないような怖い事象があったのかとも思いますが、私のレーダーは反応しません。

ただ蒸し暑い中、階段を上ってきたのですが、不思議に汗が引いていて、ミステリアスな心地がします。

もうここに来ることは二度とないと思いますが、
鹿児島県の海域でもほぼ南端に位置するこの島で、一番のスピリチュアルな体験でした。

やばい企業訪問に遅れる。

2024年8月24日土曜日

石原裕次郎


しばらく前からですが、 昭和の大スターの記念館が閉館する話をよく耳にします。

昭和が終わってから30数年が経過し、自分が歳を取るのも当然ですが、それを認めたくない気持ちも強くなっている今日この頃です。

「美空ひばり」クラスでもそうなる現実に、世代交代の流れにあがらうことの難しさを痛感します。

写真の「小樽運河」は、初夏に訪れた際の一枚ですが、この近くの「石原裕次郎記念館」も同様に閉館しました。

個人的には、「石原軍団の記念館」といった視点でしたが、興味深い様々な小道具に惹かれてましたので、寂しい限りです。

このブログを書いている直前にも、「石原プロ」の解散と、その直後の「渡哲也」の訃報を耳にしました。

その段取りを感じる流れに、どう終わりにするのか、を痛感させられます。

仕事がら、物事を承継させることの重要性は、それなりに分かっているつもりですが、引き継ぎをどのようにすればうまく残るのか?逆に消えるのか?実際の事例を踏まえても、本当に難しいと感じます。

私事ですが、今年度から仕事が変わりました。

籍はあるのですが、一念発起して全く別の仕事にチャレンジします。

ここからの30年、第二ステージの始まりです。


2024年8月17日土曜日

お岩木山


青森県にある「お岩木山」です。

津軽平野にシンボリックに鎮座してます。

千葉から延々と車でやってきました。

目的は「津軽氏」関連の城跡を巡るためです。

もともとは、岩手県周辺を支配していた「南部氏」の一族です。

津軽方面を攻略すべく、「南部光信」が攻略司令官として派遣されます。

太平洋側の岩手県北部の海岸線にある「久慈」あたりが、もともとの所領です。

そこから下北半島を北上しながら、陸奥湾も越えて津軽半島を回り込み、日本海側の半島根元にある「鯵ヶ沢」付近に上陸しました。

はやい話が、青森県の海岸線を反時計回りに、端から端までです。

そこから内陸部の津軽平野を目指すのですが、とんでもない行軍指令です。

おそらくブチ切れたのではないかと。

私なら一族から見捨てられたと判断します。

彼の5代後に、有名な「津軽為信」が登場します。

秀吉の天下統一の過程で、本領安堵を認められて南部から独立します。

そのために裏切られた「南部氏」と、裏切った「津軽氏」の構図で、この両地域は大変仲が悪いと、私の勤める社内でも耳にするくらいです。

しかし経緯を知れば、見返されて当然かと思います。

下の写真は、「光信」が何とか津軽平野の端を押さえた拠点に築かれた「大浦城跡」の近くです。

ここからも「お岩木山」が展望出来ました。

行軍を開始した「津軽氏」の本拠地は、「鯵ヶ沢」から山間部に進んだ「種里城」になります。

その山中から更に進軍し、何とか獲得した最前線にて、この山が拝めたときは、相当なモチベーションのアップに繋がったと思われます。

領地の魅力度向上に一役買っている山です。

そう言えば、その際に通った鳥居、何でこんなに低いんだろう。

通るのギリギリでした。




 

2024年8月10日土曜日

パレルモ


旅程が前後しますが、最後の夜はシチリア州の州都である「パレルモ」に宿泊しました。

ここはさすがの大都会で、新年早々でも食事出来る店が開いてました。

旅費の内訳でも、今までの経緯から食事代は相当浮いています。

その分奮発して、地元の魚介料理やシチリアワインを堪能しました。

旅程を無事にこなした達成感も手伝ってか、相当夢心地に酔っ払った次第です。

ホテルへの帰りに、写真の「マッシモ劇場」の前を通りました。

正月用と言いますか、新年用に飾り付けされてます。

円柱下辺りの暗い部分が正面階段で、そこの登り降りをしたかったのですが、飾り付けの関係で閉鎖されてました。

ちょっと惜しいです。

この階段は、映画「ゴッドファーザー・パートIII」の最後、シリーズを通じての最後のクライマックスの舞台となりました。

主人公マイケルの娘が撃たれるのですが、その娘の配役が残念でした。

なんと監督「フランシス・コッポラ」が自分の娘を起用したのです。

その前に実妹を、マイケルの妹役に起用してますが、この方はいい味出してました。(「ロッキー」のエイドリアン役の方です。)

二匹目のドジョウを狙ったのでしょうか、大失敗だったと思います。

親バカのそしりを受け、シリーズの中では駄作の扱いです。

自業自得で降板となりましたが、本来は「ウィノナ・ライダー」でした。

好きな女優が、イマイチな方になったので、勿体ないの二乗となってしまいました。

これも、映画全体を通じて表現されている〝無常〟なのかもしれません。

ともかくシチリア旅行は明日で終わります。

店が空いてないので、地域の珍しいモノを探す選択肢がなくなり、物欲は早々に消えました。

食事も旨い料理を探すどころか、ありつけない日々の連続で、ドライブばかりの旅となりました。

その分、素晴らしい景観と人々の有り様のみに、集中出来たと感じます。

田舎臭くてもカッコいい。

そんな親父が目につきました。

根暗が寡黙に、それが渋さに昇華してます。

某ファッション雑誌にて、いつも表紙を飾っている方とは、同じイタリア人でも対極です。

イタリアの北と南の違いとも言えます。

これからの自分の師匠になるのは、やはり南かと。

死んだとき、〝こんな爺いがいたね。〟と多少なりとも存在感が残せるのが本望かもしれません。


2024年8月3日土曜日

天空の景色


前回取り上げた空中都市「エリーチェ」に向かう途中に撮影しました。

風景画を抜き出したような写真の背景です。

ティレニア海を背景に、どこまでも続いていく奥行きに感動しきりでした。

おそらくもう来ることはないはずです。

〝一期一会〟を実感し、自分の目に焼き付けつつ、この瞬間が何とか収められないかと、シャッターを押しました。

シチリア島一周は、3泊4日の強行スケジュールでした。

しかも年末年始。

日本と違って、買い物が出来るような店は空いておらず、日中の食事にも困りました。

ホテルの朝食を多めに分けてもらい、りんごとか齧りながら飢えを凌いだ次第です。

その分、ドライブ中の景観には、取り分け集中出来たと思います。

シチリア島はかなりアップダウンが激しい分、起伏に富んだ景色に出会えて、サプライズの連続でした。

そのとき気が付いたのですが、眺望の良い道には木がないことです。

日本は観光名所でも、展望台以外は木々が邪魔して、運転中はあまり景気を楽しめないことが多い気がします。

その点イタリアは、道路計画上そうしているのか不明ですが、ドライブ中に常に風景が視界に入ってきました。

ヨーロッパの映画を観て、取り分け景色が素晴らしいと思うのは、そんな理由からかもしれません。

環境問題がどうこうとあるかもしれませんが、日本も魅力的な道路作りを考えるうえで、一考の余地があるかもしれません。