2024年9月14日土曜日

石舞台古墳


奈良を訪れても、意外にも行ってなかった「石舞台古墳」。

教科書級の歴史観光地なのにあまり気が向きませんでした。

しかし、よくよく考えると「飛鳥」は、日本国の初期の都があった地域です。

嫁さんの希望で、古代からある発酵食品の何かを食べに行った思い出はあるのですが、全くウロウロしてませんでした。

地図はよく眺めていたせいか、行った気になっていたことに反省です。

早朝から現地に近鉄電車で向かい、奈良盆地を南下します。

あらためて、東大寺や興福寺のある奈良市の中心街とは相当離れていることを実感します。

近鉄吉野線にある「岡寺駅」で下車。

そこから歩き始めましたが、朝からカンカン照りの上、盆地特有の蒸し暑さに、歩きだけでの行軍は難しいと判断しました。

道中でよく目にする案内板には、「橘寺・飛鳥宮・飛鳥寺・岡寺」等の表示があり、足を踏み入れたい史跡が、この周辺に数多くあります。

どうしようかと思いながら、「石舞台古墳」に歩を進めていると、レンタル自転車屋を発見しました。

もう少しで開店の時間だったので、少し待って借りることにしました。

アップダウンが多い地域なので、登りはきついのですが、下りはいい風に当たれて、歩きとでは雲泥の差です。

早いタイミングで店舗を見つけたことは極めて幸運でした。

先ずは、ウロウロしたい想定エリアの中で、一番外れている「石舞台古墳」に到着。

想像より小さいのにガッカリしました。

とてつもなく大きな石で築かれていると伺っていたので、バイアスがかかっていたようです。

それでも下の写真のように、石室に入れたのは、構造がわかって興味深かったです。

そもそも、何で「蘇我馬子」のお墓と言われるんだろう?

この地域はもう少し時系列の前後も含めて勉強し直す必要がありそうです。


その後は、ここが一番の高所にあるせいか、この後の史跡へは、スムーズに向かうことが出来ました。
 
興味深い史跡ばかりでしたが、知識不足なので勉強し直して、あらためて取り上げたいと思います。

嬉しいことに、この自転車は他の店舗で乗り捨て出来たので、更に南下して「天武天皇・持統天皇合葬陵」や「高松塚古墳」にも立ち寄りつつ、「飛鳥駅」で自転車を返却して帰途につきました。

今回、列挙した固有名称は、全部が教科書級です。

何でこんなに南の辺鄙な地域から、有史として明確にわかる時代が始まったんだろう。

わかっているようで、全くわかってなかった実感が強く残りました。

史跡巡り、自分でその場に立ってみることは本当に大事です。

足から頭に電気が走ります。

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